伊藤伸二の吃音(どもり)相談室

「どもり」の語り部・伊藤伸二(日本吃音臨床研究会代表)が、吃音(どもり)について語ります。

2022年04月

吃音動画 大阪吃音教室 吃音Q&A 4 〜哲学や思想を持つことは、今後を生き抜く武器、能力になる〜

    〜語ることのできる物語を持っている自分〜

 You Tube公開予定の動画撮影のための、大阪吃音教室の講座「吃音Q&A」の報告をしていましたが、途中で、誕生日を迎えたことと関連して、僕の父親のことを書きました。今日から、また元の報告に戻ります。
 対話型の吃音Q&Aは、就活のための準備として、対策を考えていきました。

《第4問》
奥田 就労に関する対策として、対策1 アルバイトの活用、対策2 大学でのセミナーの活用 と聞きましたが、他に何か対策として考えられるものはありますか。

吃音Q&A  8伊藤 これまでいろんな人の職業についての体験を聞いてきた中で、ある人が、「どもらない人と比べたらハンディがあるので、必死になって専門的な知識を身につけ、実力をつけてきた」と言っていました。これはとても大事なことだと思います。自分なりの力をつけておくことです。それを、どうして吃音の人が他の人に比べて努力しなければならないのか、それは「損」だと考えるか。吃音が、努力する動機になるなら「得だ、チャンスだ」と考えるかで、その人の人生は大きく変わると思います。
 吃音親子サマーキャンプに小学校低学年から参加し続けている中2の男子が、今すごくどもるけれども、彼は将来に対して悲観していないんです。なぜかというと、一所懸命勉強して、学力には自信があるからです。自分の興味ある勉強を続け、専門的な仕事に就きたいという夢や希望を持っています。
 勉強が苦手な人は「体力」に自信をもつのもいいでしょう。消防士になった人は、人一倍からだを鍛えて、体力に自信があったことで、つらい消防学校時代をがんばれたのだと言います。
 販売の仕事をしている人で、営業成績が特別いいわけでもないのに、社長賞をもらった人がいます。その人は他の人に抜きん出る能力はないので、毎朝1時間早く出社して、自分の営業所の掃除を続けていたそうです。一時的なことではなく、2年以上続けていたということは、その人が真面目で、少しでも会社に貢献したいとの思いがあったのでしょう。それをたまたま社長が見て、1年以上観察していたらしいです。そして、一時的な思いつきではなく、ひとりの人間として無理なくそのような行動をとっているのだと分かって、「社長賞」として表彰したそうです。学力、体力、営業成績で特別優れていなくても、その人の人間性が評価されたのです。
 ある人は「僕は宴会屋」だと話しました。今はほとんどなくなったようですが、昔は社員旅行がありました。その人は、社員旅行や、忘年会、懇親会などの企画や世話が大好きで、それが評価されて、会社の中での人間関係がとても良くなり、吃音からくる多少のマイナスをカバーしていたそうです。
吃音Q&A  4 才能や能力を高められる人は、その方向で努力できますし、特別な才能や能力がない人も、会社のチームワークや人間関係など、誠実に仕事をこなすことに全力をあげることもできます。そのことは、もし吃音のマイナス面があるとしたなら、それをカバーできると思います。
 つまり、自分の強みを早く発見し、延ばしていくことに尽きます。また、自分自身を支える意味で、自分が楽しいこと、熱中できることを発見していくことです。
 その点、僕たちどもる人は有利です。僕たちには、吃音について深く考え、そして吃音とつきあってきたという事実があるからです。欠点と言われるものに向き合い、つきあってきているということは、就職してから、いろいろなことが起こったときに対処できる力となっているはずだと思うのです。

奥田 そうですね。今はそう思えます。私も、吃音のことを真剣に考え、それを認めて、つきあってきたという実績があるのだから、そのことをもっと面接のときに出していけばよかったと思います。でも、就活していた頃は、どもる姿を見せたらもうおしまいだと思っていたから、そんなことできませんでした。考えてみたら、吃音は私の人生にとって大きいものだったし、それこそ、一日中頭から離れることはないくらい考えていたテーマだったのです。でも、その頃は、吃音が自分のテーマだとは気づかず、嫌なものでしかありませんでした。その自分のテーマをずっと追求し続けているということは、きっと評価対象になるのでないかと思います。

伊藤 そうだと思いますね。また、消防士の話だけど、彼は、面接で、面接官がどんな質問をしてきても、吃音とからめて話したと言っていました。吃音だったから、そのことはこう考えた、吃音だったから、このように行動してきた、などのように。
 島根のキャンプで出会った子は、自分が自信をもって体験として面接で話せるのは、吃音のことだと言っていました。人生の中で一生懸命、真剣に考えてきたのは吃音のことなんだから、そのことを話すしかない、と。どもることを公表するかどうかなんて、ふっとんでしまうような話ですね。
 吃音を隠すのではなく、ちゃんとどもれる人間になって、どもる覚悟をもって、面接に臨むことが大切で、そして、自然にどもっていくことです。「私はどもります」と言うことが吃音の公表ではなく、その場で、自然にどもっていたら、それが公表していることと同じになるでしょう。自慢できたり、誇れることは、吃音に苦しみ、人との違いに悩んできたので、吃音について、自分について、人生についてきちんと考えてきたということです。どもりとどう折り合いをつけて生きていくかを考えてきたことです。
 この吃音に悩み、対処する中で得てきた哲学や思想が、これから生き抜いていくための武器、能力になるんじゃないのかなあ。吃音を否定していたが、肯定できるようになった、そんな物語を持っている自分、語ることができる自分、語れることを持っている自分。こんな自分を大事にしたいと思いますね。
 他の人のように普通にしゃべれることが、就活や面接にはいいと思ってきたけれど、それより、自分自身がどう生きてきたかを語れることの方がずっと大きな武器になると思います。サバイバルしてきたというのは、実績としてあります。否定していたものと向き合い、対処して、肯定に変わってきた、そんな人の物語を面接者や社長は評価してくれるだろうと思います。吃音は、マイナスのものではなく、武器になるのだということを知ってほしいですね。
 でも、受験して不採用が続くと、めげてくるのも事実で、そんなとき、どう自分を支えるかが大切になってきます。(つづく)

日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2022/04/30

吃音を生き抜いた父親と私 2

 昨日は、吃音の父親について書きました。父親について、今後、書く機会がないかもしれないので、もう少し書いてみます。

 僕は、親のことを思い出し、語り続けることが親孝行だと信じています。そういう意味で、僕はとても親孝行です。常に両親のことは思い出し、時に人に話しています。
 父親の命日が僕の誕生日ですから、誕生日に父親のことを思わないことはありません。そして、父親への感謝の気持ちを確認しています。
 僕は吃音は遺伝するとは考えていませんが、子ども4人の中で、僕だけに手渡してくれた宝物だと思っています。もちろん、苦悩していた21歳の夏まで、そんなことは考えたはずもないですが、かといって、自分の吃音の悩みを父親に結びつけたことはありませんでした。
 「父親は僕に吃音という宝を財産として残してくれた」
 僕がこう考えるのは当然のことです。吃音のおかげで大学の教員になり、世界で初めてのどもる人の世界大会を開き、吃音に関する本を15冊出版し、吃音親子サマーキャンプを30年も続けることができ、大阪吃音教室はずっと毎週、僕を楽しませてくれます。
 78歳になった今も、できたら後3冊の本を書きたいとの意欲をもち、常に新しい分野から学ぼうと、勉強を続けられるのは、吃音のおかげです。10年ほど前、大学の同窓会では、「定年退職後は、釣りやゴルフばかりしている」と話す人たちばかりで、それに比べて、若い人たちと一緒に様々な活動が続けられるのは、僕が吃音に深く悩んだからで、「吃音の悩みの種」を僕に手渡してくれた父親のおかげだと、本心で思っているのです。

 大学、専門学校、たくさんの研修会などで、僕は吃音についてたくさん話してきましたが、父親や母親については自分からはほとんど話していません。質問を受けたときに、それに答える形で話しただけでしたが、『親・教師・言語聴覚士のための吃音ワークブック』(解放出版社)で、初めて両親について書きました。
 かなりひどくどもっていた父親、その父親を夫にもった母親が、吃音に悩む僕に何をしてくれたのか。
 「どんな親でしたか」と質問されたとき「何もしてくれず、僕をしっかりと吃音に悩ませてくれた、ありがたい親でした」と答えていました。
 特に父親は自分もとても悩み、僕がどもっていることを知りながら、吃音について話しかけてくれることは一度もありませんでした。おかげで、しっかりと一人で吃音に悩むことができたのです。
 両親が、小学2年生の秋から吃音に悩み始めた僕の異変に気づかないわけはありません。勉強はしなくなり、友だちと遊ばなくなり、いつも暗い顔をして、家でもあまり話さなくなったのが、吃音のせいだと気づかないわけはないでしょう。吃音に悩んでいることは十分知っていたはずです。なぜなら、小学校の通信簿には、「最近、吃音が重くなっています。なんとかならないでしょうか」「吃音のせいか、無気力になっています」と書かれ、成績もどんどん下がっていったからです。高校受験の時、母親は担任から呼び出され「このままでは、三重県立津高等学校にはても合格できません。もう少し勉強をするように息子さんに言って下さい」と言われたそうです。そのとき母親は「今更、何を言ってもむだですよ。ただ、先生がそうおっしゃっていたことは伝えます」と答え、僕には「勉強したら」とは一切言いませんでした。思い起こせば、僕は子どもの頃から「勉強しなさい」とは言われたことがないのです。夏休みの宿題もほとんど期日通りに仕上げたことはありません。それでも勉強しなさいとは言われませんでした。
 「学校で勉強し、友だちとうまくつき合うのも本人の責任」
 そう考えていたのでしょうか。両親は吃音についても、勉強についても、アドバイスも激励もすることはありませんでした。おかげで、高校時代の成績は多分最下位に近かったと思います。当然大学は2年浪人をしました。自分が勉強しなかった責任は自分でとらなければなりません。2浪の時は三重県の津市から大阪に出て、新聞配達店に住み込んで勉強しました。東京での大学生活も新聞配達店の住み込みから始めました。家が貧しく、地元の国立大学しか行かせられないとずっと言われてきました。それは、納得のできることでした。僕の成績ではとても国立大学は無理です。東京の私立大学に行くには、受験料、入学金、その後の生活費の全てを自分で稼ぐしかありませんでした。学費が安かった当時だったからそれができたのですが、今の時代ならとても無理です。

 自分のしたことは、全て自分が責任をとる
こうした自立心が育ったのも、親が「ほったらかしに」してくれたおかげです。
 警察官に職務質問をされ、名前が言えずに逃げ出して、警察官に家まで追いかけられた父のこと、よく覚えています。吃音に深く悩み、苦労してきたのに、僕の方から話さなかったからとはいえ、「なぜ、一言も吃音のことを話題にしてくれなかったのか」。結局、父親にこのことを尋ねることはありませんでした。

宮川の写真1 78歳の誕生日の日、僕は三重県の奥伊勢にいました。家族が戦争中に疎開してきた三重県一志郡美杉村奥津は、そのホテルから車で1時間弱のところにあります。大阪の船場から奥津に流れてきて、多くの人のお世話になってかろうじて生き延びた僕たち家族。お弟子さんに「能・謡曲」を教えていただく月謝だけで生計を立ててきた父親。父親の謡曲の「声」だけで僕たちは育てられたのです。
宮川の写真2 そんな不安定な生活の中で、貧しさをあまり感じさせないように、明るさを失わずに、おおらかに生きてきた父親と母親でした。僕自身が、その頃の親と同じような年になった今、とても自分にはできそうにないと思いました。
 一度、父親とゆっくりと吃音について話したかったと、今になって思います。

日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2022/04/29

吃音を生き抜いた父親と私

 今日は、吃音動画 大阪吃音教室 吃音Q&A(吃音の基礎知識)4を書く予定でしたが、それは次回にして、父親のことを書きます。
 今日、4月28日は、僕の誕生日でした。78歳になりました。不思議なことに父親の伊藤佐太郎が86歳で亡くなったのも、4月28日でした。
 その直後の、5月3・4・5日に東京で開催された、言友会創立25周年記念大会の時、主催者としての開会挨拶の時、僕は父親の話をしました。こんな話だったと思います。

 父親は子どもの頃からかなりどもり、吃音に深く悩んでいました。大阪の船場で、代々続いていた材木関係の商売を、長男として継いだのですが、どうしても吃音を治したいと「能・謡曲」を習っていました。能や歌舞伎、文楽、そして映画と旅が好きな趣味人でした。
 第二次世界大戦の敗戦で、仕事も家も失うことになりました。
 「芸が身を助ける」のことわざのように、父親を救ったのが「芸」でした。
 「吃音を治すため」が「能・謡曲」を始める動機ではあったものの、一向に治らない吃音はそのままに、「芸」を磨きました。敗戦直後の、誰もが生活に余裕のない中で、趣味の芸事にあまりお金を使う余裕はなかったでしょう。それなのに、お弟子さんが集まり、極めて貧しいながらも4人の子どもを育て、家族6人が生き延びることができたのは、父親の「能・謡曲」の芸のおかげです。「能・謡曲」、俳諧や芸事について人前で話すこともあり、不思議とそのときはあまりどもらず、家ではかなりどもっている父でした。吃音を治すために始めたのですが、結局、吃音は治らず、亡くなるまでどもっていました。
 僕は4人きょうだいです。男のきょうだい3人の中で、僕が一番父親に似ています。顔、気性、そして吃音まで。父親の葬式の時、兄が「私は謡曲という財産を父親からもらった」とあいさつしたとき、僕は「私は吃音という財産を父親からもらった」と心底思いました。
 「清貧に甘んじる」「鶏口となるも牛後となるなかれ」
 これが父親の口癖で、家元制度が縛る「能・謡曲」の世界で、どこの流派にも所属せず、一匹狼のように、独り立ちしていました。そのために貧しくても、自分の生き方を貫いた人でした。権力を嫌い、当時としては珍しい「天皇制反対」「反戦思想」の持ち主でした。
 吃音に悩んでいた時は、その父親から影響を受けているとは思いもしなかったのですが、吃音が治らず、21歳で「吃音と共に生きる」覚悟ができたのは、どもりながら主張すべきは主張し、大勢の人の前でも平気でどもっている父親のモデルがあったからだといえそうです。どもりながら明るく、4人の子どもを立派に育て上げた先輩としてみることができたことが、僕が21歳の夏に生まれ変われた大きな要因だと考えているのです。
 
 吃音に悩んでいた僕は、社会人として生きる自分が想像できませんでした。
 だから、どこかで「野垂れ死にする」とのイメージをずっともっていました。大学4年生の時、日本一周の一人旅の途中で立ち寄った金沢市の繁華街の路地裏が、よく夢に見た「野垂れ死にする」場所にそっくりだったこともあり、何の根拠もなく、63歳で死ぬと思っていたのです。その僕が、この年まで生きてこられたことは、奇跡のように思えます。
 21歳までの暗黒の人生と、その後の人生は、一般的な人が経験できないようなたくさんのことを経験し、本当に悔いのない「納得のいく人生」だったと思います。苦しかった時代のことを含めて、僕はいろんなところで自分の人生を語ってきました。このように、人に語ることのできる物語を持っていることは、本当に幸せなことだと思います。吃音のおかげです。真剣に深く吃音について考えてきて得られた吃音哲学や思想は、僕の生きる上での大切な武器になりました。
 78歳の誕生日を、故郷の三重県で迎えました。あとどれくらい物語を紡いでいくことができるだろうか、穏やかに、丁寧に生きていきたいとの思いを強く持ちました。
 幸い、僕にはたくさんのいい仲間がいます。その仲間と一緒に、まだまだ吃音について取り組んで行けそうです。85歳まで現役で「能・謡曲」を教えていた父親のようにはいかないかもしれませんが。目標にはできそうです。

日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2022/04/28

吃音動画 大阪吃音教室 吃音Q&A(吃音の基礎知識) 3

 昨日の続きです。昔、僕が大学生の頃は、大学で就活セミナーなどなかったと思うのですが、今は、すべての大学が力を入れている活動です。どもる人にとってはこの就活セミナーはかなりハードルが高く、就職に不安や恐怖をもち、挫折するきっかけになることもあるようです。そのセミナーをむしろ活用することを、対策2として考えました。

◇就活の準備 対策2 就活セミナーを活用する

吃音Q&A  4《第3問》奥田 就活の準備として、バイトの話が出たけれど、もうひとつ、大学がしてくれるセミナーでの体験がしんどかった。そのセミナーというのは、就活の前段階のマナー講座みたいなもので、電話の仕方、お辞儀の仕方、面接の仕方など、みんなの前で実技をするものだった。このみんなの前でするということが、私にはとてもプレッシャーだった。私は、自分の吃音を知られないように必死に隠していた。だから、みんなの前で実技をすると、自分の吃音がバレてしまう。私は、どもりを隠したいという気持ちが強かったので、このマナー講座のセミナーがとても苦しかった。

吃音Q&A  7伊藤 セミナーで、吃音がバレるのが嫌だから隠そうとすればするほどしんどくなるよね。就活の始まる前に、まず「どもる覚悟」をしておくこと。決して隠さないこと。どもる時は自然にまかせてどもることだね。吃音を公表するかどうかなんてことを、よく言うけれど、わざわざ公表しなくても、自然にどもれば、みんなには分かってしまう。だから、どもって周りの人に吃音だと分かったことを失敗したと思わず、失敗を楽しむ、そんな感覚になれたらいいのだけれどね。就職活動は、吃音を隠すことをやめることから始めるしかない。
 よく例に出す消防士の話だけど、彼も、消防学校の時が一番大変だった。僕たちに相談してきたとき、就職してしまえばなんとかなるから、なんとか学校時代を耐えろと、彼に言った。そんなとき、同じようなことを言ってくれる先輩が身近にいたらなあと思う。それと同じ意味で、「就活のセミナー」がつらく、苦しかったというのはとてもよく分かる。本番である仕事に就く前の練習台として、嫌な体験をいっぱいしてしまおう。就活のセミナーなんて、本番前の練習だと思って、そんな感覚でやり過ごせばいいよ。そう言ってあげたいね。
 仕事に就く前に、場数を踏むことによって、周りの目に対する耐性がつく。早く恥をかくことだ。落ち込んでもいいけれど、落ち込むのは一日だけにしておこう。就職してからの練習をしているのだと思えばいい。結論としては、就活対策2として、セミナーを活用することを提案したい。それも、どもったときの就活担当の大学の教員の反応を見るなど、おもしろがって活用することだ。
 図らずも笑われたという経験や思い出はマイナスのものとして強化される。恥をかきたくないと思ってかく恥は、自分にとってダメージが大きい。でも、きっと恥をかくだろうと、恥をかく覚悟をしてかいた恥は耐えられるし、恥ずかしい思いに耐えた体験として、残る。(つづく)

日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2022/04/27

吃音動画 大阪吃音教室 吃音Q&A(吃音の基礎知識) 2

 吃音と就労は、吃音にとって永遠のテーマと言ってもいいくらいの、大阪吃音教室に初めて参加する人から出るテーマであり、各地の相談会でも話題になることです。面接が怖い、面接をなんとか切り抜けられないだろうか、どもるということを公表した方がいいのかどうか、など、就活直前をどう切り抜けるかということが中心だったように思います。
 でも、たとえ、なんとかその場をごまかしたとしても、仕事人生は長く続きます。そう考えると、もっと根本的な対策が必要になってきます。就活のスタートは、直前ではなく、早め早めに、これが基本でしょう。ここからスタートした吃音Q&A、この第1問のやりとりが、第2問へとつながります。対話型のQ&Aになりました。

◇就活の準備段階に何をしたらいいか 対策1 アルバイトの活用

《第2問》
奥田 大学3回生や4回生になって、みんなが就活を始める頃ではなく、もっと早い段階から、準備を始めた方がいいということだったけれど、どんな準備をしたらいいのか。準備段階をどう過ごしたらいいのか。

Q&A  6伊藤 みんな、将来は働くということを考えたら、高校生や大学生だけでなく、小学生だって不安をもつ。『親、教師、言語聴覚士が使える 吃音ワークブック』(解放出版社)の中に、どもる人の職業というワークがある。たくさんの種類の職業が書いてあって、どもっていたら、この職業に就くことができるかどうかチェックするようになっている。
 「これならできる、これは無理だ」、と子どもたちはチェックしていくんだけど、どんな職業にも就けると分かって安心する子どもがいるという話を、よくことばの教室担当者から聞く。つまり、就活の準備は早めにと言ったけれど、極端に言えば、学童期から始まっているとも言える。吃音は治せるものではないので、折り合いをつけて生きていくことが大切。どんな仕事に就きたいのか早く考えることが大切になる。
 どもる人が有利なのは、他の人より早くから職業について考え、準備できること。仕事に関するテーマパークがあるけれど、そういう所に行くなどして、考えることができる。子どもも不安だけど、親もきっと不安だろう。不安になることは決して悪いことではない。不安を持ったら、それだけ早く、そして真剣に対策を考えることができる。
 ウォーミングアップとして、高校生、大学生にはアルバイトを活用することを提案したい。僕は、21歳のとき、どもる覚悟をして生きていこうと決めてからは、ありとあらゆるアルバイトをした。嫌なこと、苦しいこともたくさんあったけれど、僕の場合は家が貧しかったから、アルバイトをしないと生きていけない。だから苦しくてもがんばった。たくさんの仕事を実際に経験して、どもっていても、どんな仕事にも就けるという確信を持った。それは、自分が実際に経験したから言えることだ。学生なのだから、一番大事なのは、勉強だけれど、アルバイトを活用することをおすすめしたい。できれば話すことの多い仕事がいい。たくさん失敗して、恥をかいて、つらくても場に慣れていくしかない。また、アルバイトだと思えば、耐えられる。これは僕の大学生活の6年間で経験したことです。

吃音Q&A  3奥田 私はパン屋に憧れていて、学生時代にパン屋でアルバイトをした。ところが、実際には、接客8大用語といって、「ありがとうございます」など決まったことばを言わないといけないことが分かって、とても苦労した。パン屋でパンを売るという姿を想像していたけれど、その前に接客用語で疲れてしまった。それで8ヶ月でもうだめだとなって辞めた。

伊藤 だけど、8ヶ月も続けたんだよね。続けられたのには、奥田さんにどういう力があったのだと思う?

奥田 このまま辞めたらアカンと思った。ここで逃げたら、これから他のバイトもできなくなる。これくらいのことには耐えないといけないと思った。そう思って、がんばったけれど、結局は8ケ月で辞めた。でも、想像と実際とは違うということを知る、いいチャンスだったと思う。(つづく)

日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2022/04/26

吃音動画 大阪吃音教室 吃音Q&A(吃音の基礎知識)

 2022年度がスタートして3回目の大阪吃音教室。4月22日の講座は、「吃音Q&A 吃音の基礎知識」でした。仲間の一人が、僕に、吃音に関する質問をしてくれます。それに対して僕が答えていくのですが、質問者と僕だけでなく、周りにはたくさんの参加者が聴衆としてその場にいてくれます。その場を支えてくれる大切な存在です。
 また、この講座は、撮影をして、それを映像として残します。これまでに、32本の映像をYou Tubeで発信してきました。コロナの影響を受け、休講も続いたため、久しぶりの撮影となりました。どんな質問が出てくるか、事前に知らされていないので、僕にとっては、ぶつつけ本番です。でも、これがいい意味での緊張になり、僕にはとても刺激的な時間になっているのです。
 今回も、大まかなテーマとして「吃音と就労」が挙がっていましたが、どんな質問なのかは知らされていません。どもる人にとって、関心の大きい、幅広いテーマです。特に準備をしないで当日を迎えました。

吃音Q&A  1 僕は、必要な場以外、例えば野外で歩いている時などマスクはしませんが、撮影者の井上さんが、撮影はマスクなしでしたいので、パーテーションが必要だと提案してくれました。そのため、急遽探して、質問者と僕との間に立派なアクリル板のパーテーションが用意されました。なので、安心してマスクなしで話すことができました。

 当日、少し早くアネックスパル法円坂に着くと、吃音Q&A用の会場設営がされています。そして、これまでそうだったように、井上さんが、手慣れた手つきで器材をセッティングしてくれました。カメラが2台、照明、それぞれが使うピンマイクなど、本格的な撮影準備がなされていきました。
 仕事がぎりぎりまであったため、走って会場に着いた質問者の奥田さん、息を整えて、スタートしました。メモで少しだけ紹介します。
吃音Q&A  2
◇就活のスタートは、直前ではなく、早め早めに

《第1問》 就職活動中と、就職してからと、どもる人にとってはその両方に大きな不安が伴う。就職活動は一般的に不安があり、プレッシャーがかかることだが、吃音があるとより不安も大きくなる。どもっていると、他人からどう思われるか。人事担当の人からどんな評価を受けるだろうか。どもる自分はどう見られるのか。どもったら評価が落ちるのではないか。よく見てもらえないと評価が落ちるだろう。となると、どもらずに話さないといけない。そんなことを考えてしまう。面接のときに、自分がどもることを公表することをどう考えるか。私は公表しなかった。それは、どもり方に波があるから、きっと理解してもらえないだろうと思ったし、そもそも伝え方を知らなかったから。まず、面接でどう伝えたらいいのか、そのあたりの話から聞かせてほしい。

伊藤 初めに、就職活動の不安と、就職してからの不安、この2つを出してくれた。これを分けて考えてみたい。
 どもる人は、一般の人と比べて、有利なことがある。就職活動に不安があるということは、就職活動が始まる前から分かっているはずのこと。だから、その不安に対して、どう対処するかは、他の人より早く考えることができるということだ。
 たとえば、大学に入学したときから考えることができると思うけれど、実際はどうだろうか。以前、大阪吃音教室に参加した人で、就活が始まって、大学でのセミナーに参加して、コミュニケーション能力が大事だと言われ、不安が大きくなったと言っていた。前から分かっていたことだと思うのに、そのときになって、どうしようと思うのは、不思議な気がしたんだけど。

奥田 分かっていても、きっと問題を先送りしてしまうのだと思う。実際には、大学在学中に、アルバイトをしようとしたときに直面する。

伊藤 就活の予行練習として、アルバイトがあると考えていいかもしれない。ハンディがあるのだから、就活は、大学入学直後からスタートすると考えたらいい。就活は、直前ではないと、どもる人には強調したい。(つづく)

日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2022/04/25

明日の大阪吃音教室で、「吃音Q&A」の動画撮影をします

 明日は、金曜日。大阪吃音教室があります。
 明日の講座は、「吃音Q&A」です。
 吃音に関する質問、疑問、知りたいこと、聞きたいことなど、何でも、吃音に関する質問をしてもらって、それに僕が答えるという形で行っています。そして、その様子を録画して、映像を、ホームページやYou Tubeにアップしています。質問は、これまで実際に大阪吃音教室に参加された方から出されたものをもとに、さまざまな角度から考えてきました。
 これまでにアップした映像は、32本あります。再生回数の多いベスト5は、次のとおりです。

第1位「第一声が出ない」
 音を繰り返す(連発)なら、話そうとしていることが相手に伝わりますが、第一声が出てこない難発(ブロック)は、どんな対処ができますか。
第2位「どもりの波」
 すごくどもる時と、あまりどもらない時の調子の波があります。どもる人はみんな同じですか。
第3位「どもる原因」
 どもりになりやすい遺伝子がある、脳科学の発展で、どもる人の脳の機能に問題があるなどと言われますが、吃音の原因は解明されたのですか。
4位「どもりは治る?」
 「吃音は治せる」本や、吃音は改善できると宣伝するところもあります。吃音は治りますか。
第5位「どもる人の仕事」
 どもる人は話すことの少ない仕事に就いた方がいいのでしょうか。実際にどもる人はどんな仕事に就いていますか。どんな仕事が向いていますか。

 また、第一位の「第一声が出ない」は、37,175回再生されています。僕たちの活動や考え方を知ってもらういい機会にもなっています。

 吃音の動画の多くは「吃音について理解して下さい」のようなものが多いようですが、僕たちの動画はそれらと完全に一線を画しています。
 吃音に悩むこともあり、苦しいこともあるけれど、「自分の人生は自分で責任をもつ、自分で切り開いていくことができる」との前提に立って、どうすればサバイバルしていくことができるかを、これまで僕が一万人以上のどもる人と対話をしてきた経験をもとに、質問に答える形で語ります。一方的に用意したことを語るのではなく、質問してくれる人がどんな質問をするかは分からないままに、答えていきます。そのライブ感覚が、僕は好きなのです。一応今回は「吃音と就労」についての質問が出るかなあと予想をする程度です。何が質問として飛び出すか、それは質問者に委ねられています。それがおもしろく、楽しいのです。

 僕は、講演などでも、自分から話すということもいいのですが、質問されて、それに答える、また質問され、それに答えるというやりとりが一番好きです。そのとき、僕の頭はフル回転し、活性化されるようです。僕自身の体験だけでなく、今まで出会ったたくさんのどもる人、どもる子どもたちの体験が鮮やかに浮かんできます。引き出しにしまっておいたものが、ぱーっと開けるような感覚です。

 講演会や研修会などでも、その場で質問を書いてもらい、その一枚一枚に答えていくということもよくしてきましたが、質問に答えることを、大阪吃音教室の講座の中でするということに意味があります。個人的に、1対1で話すより、質問者と回答する僕の他に、参加者、聴衆がいて下さることがいいのです。その聴衆に語りかけるように話すことができます。一方的に話をするのではなく、聴衆の反応を見ながら、話す事ができます。
 明日のことで、急なことですが、ご都合がつく方は、ご参加下さい。できるだけ多くの方に参加いただけると、ありがたいです。午後6時30分から、アネックスパル法円坂でお待ちしています。

日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2022/04/21

吃音のチェックリストの検討会

 昨日は、大阪吃音教室の会場を借りて、講座の中で使用している、吃音チェックリストの項目を見直す検討会を行いました。日曜日で休みにもかかわらず、9人も集まりました。
 この、チェックリストの項目検討は、これまでずっと懸案事項でした。講座のたびに、今の時代に合わない、日本の文化に合わないと思いながら、使い続けていたのです。
 検討したのは、ゝ媛札船Д奪リスト 交流分析のエゴグラムでした。
 ,蓮日本音声言語医学会の吃音検査法に代わるものです。

 1981年、日本音声言語医学会・吃音検査法小委員会は吃音検査法試案1を発表しました。僕たちはこの吃音検査用具を購入し、大阪吃音教室に新しく参加した10人に実施し、2か月後、再度実施しました。生活で変化はないのに、検査場面では3人に著しい差がみられました。検査場面では、どもる人の「生きた現実場面」での吃音の状態の把握はできません。被検者10人全員が検査場面と日常生活の相違を指摘しました。
 検査に信頼性がないだけでなく、検査による弊害もあります。検査をされれば、この症状はどうすればよいのか、治るのかと期待してしまいます。また、吃音に深く悩んでいる人ならますます吃音への劣等意識を強めることになります。検査する方もこのどもり方はどの分類に入るのかなどとその判断にとまどい、意識を集中し、どもる状態ににとらわれなければこの検査は実施できませんでした。この検査は、検査者と被検者双方が、吃音の症状にふり回される危険性をもっています。
 1983年、筑波大学で行われた、第28回日本音声言語医学会総会で、その結果を発表し、日本音声言語医学会の検査法を批判しました。
 すべての検査は、その後の臨床に結びついてこそ意味があります。細かに吃音症状だけを検査するこの検査法が、ことばの教室担当者や臨床家が使い、どもる人やどもる子どもが振り回されたら困る。この検査法がなくなることを願って、強い危機感をもって批判しました。批判するからには、代案を示さなければなりません。僕たちは、僕たちの吃音評価を提案しました。どもる人の吃音に対する意識、生活実態を調査し、それを整理し、「吃音のとらわれ度」50項目、「日常生活での回避度」30項目、「人間関係の非開放度」の30項目の調査項目を決定しました。それをどもる人100人に実施して、改めて検討したものを、吃音評価法として、日本音声医学会の学会で発表し、学会誌に掲載されました。
 この吃音評価法は成人のために作られましたが、子ども版をつくり、全国のことばの教室で実施してもらい、事情に合わない項目を削除し、修正を何度も加えています。
 子ども版は、名称も次のように変えました。
 「吃音へのとらわれ度」→吃音に対する気持ちや考えのチェックリスト
 「人間関係非開放度」→対人関係や人間関係のチェックリスト
 「吃音の回避度」→行動のチェックリスト
 
 これを作ったときは、どもる僕たちと筑波大学の内須川洸教授、どもる子どもの親、ことばの教室の教員が何度も合宿を繰り返して、かなり時間をかけ、作成しました。ひとつひとつの項目に、どもる人の人生が色濃く反映されています。しかし、1983年に作ったものですから、現代の事情に合わないものも出てきました。
 そこで、今回、吃音チェックリストの項目を改訂しようということになったのです。
 
 吃音チェックリストは、3種類に分かれています。a とらわれ度 b 人間関係非開放度 c 回避度です。c 回避度の中に、「電話口に家族が出る可能性の多い友人の家に電話をかけること」という項目があります。スマホが普及し、ひとり一台の電話器をもつ現代事情には全くマッチしないので、カットしました。ひとつひとつ項目を読み上げていくのですが、それぞれに、自分がこれまで生きてきた中でのエピソードが浮かぶため、しばしば、話は脱線します。関係のない話ではないのですが、どもる人はおしゃべりだなと、改めて思いました。 参加した9人の生き方、考え方が表れ、それを聞き、触発されてまた自分も話すというやりとりがいい刺激になりました。ポリフォニー(多声性)のいい効果が出ていたようです。
 そのほか、交流分析でのエゴグラムの、NP(優しい自分)をチェックする項目の中に、「経済的に余裕があれば交通遺児を引き取って育てたいと思いますか」というものを使っていましたが、日本の文化とは馴染みがありません。いろいろ話し合った結果、「経済的に余裕があれば、何かの寄付行為を行いたいと思いますか」に変えました。

 このように、ひとつひひとつ検討していったら、午後1時から始まった検討会は、借りていた会場を出るギリギリの時刻、午後5時になっていました。

 久しぶりに、ひとつのテーマに沿い、適度な人数で、集中して考える時間を持つことができました。いっぱい話し、いっぱい笑いました。おかげで、写真を撮ることも忘れてしまいました。写真がないのが残念です。

 新しく改訂されたチェックリストは、今年の講座に反映されます。大阪吃音教室は、少しずつ、進化していっているのだと実感しました。

日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2022/04/18

外郎(ういろう)売りの外郎、本当にあったんだ

外郎(ういろう)売りの外郎

 拙者親方と申すは、お立ち会いの中にご存じのお方もござりましょうが、お江戸を立って二十里上方、相州小田原一しき町を御過ぎなされて、青物町を登りへお出なさるれば、欄干橋虎屋藤右衛門、只今は剃髪いたして、圓齋と名乗りまする。…

 二代目市川團十郎が自作自演し、市川家の十八番になった「外郎売り」。
 大阪教育大学の特殊教育特別専攻科の学生なら、誰もが暗誦しているはずです。日本語・音声学の永保澄雄教授が学生に暗誦させ、完全に覚えているかどうか、テストをしていました。そのときは、歌舞伎役者の基礎的な発音・発声練習に使われているとだけ知らされて、その口調がおもしろく、僕も完全に覚えました。どもる僕たちにも、発音・発声練習にとてもいいのです。大阪吃音教室でもとりあげたことがあります。一音一音、母音を意識して発音する。最初はゆっくり丁寧に発音する。そして今度は早口に言ってもしっかりと聞き取れる。リズムがあるので、どもる僕たちも言いやすいのです。今でも、口をついて、せりふが出てきます。さすがに全ては言えませんが、少し練習すればすぐに台本を見ないですべて言えると思います。それだけ、僕のからだに染みついています。

 この外郎売りが、突然、思いもよらぬ形で、またまた身近なものになりました。せんだって、久しぶりに大分県・湯布院に行きました。そのとき、年末年始、毎年湯布院に行っていた頃とてもお世話になった友人と久しぶりに会い、昼食をごちそうになったのですが、そこはすてきなペンションで、そのペンションの主人と、この年になるとよく話題になる「病気・持病」の話になりました。そのとき、友人が「私は、いい薬を昔から使っていて、親しくなった人には教えてあげるのよ」と、その薬の名前を挙げました。それが「外郎(ういろう)」です。ペンションの主人も、そんな名前の薬は全く知らないらしく、「それ、名古屋の名物のお菓子でしょう」と言い、僕は僕で、まさかそんな薬が現在も売られているとは全く知らず、歌舞伎の市川家十八番の「作り話」だと思い込んでいました。歌舞伎は比較的観るほうで好きなのに、知識として知らなかったのです。
 そこで、
 「拙者親方と申すは、お立ち会いの中にご存じのお方もござりましょうが、お江戸を立って二十里上方、相州小田原一しき町を御過ぎなされて、青物町を登りへお出なさるれば、欄干橋虎屋藤右衛門、只今は剃髪いたして、圓齋と名乗りまする…」
 と、この程度は完全に覚えているので諳んじてみると、びっくりされました。この薬が実在しているとは思いもよりませんでした。とても不思議な気持ちになりました。そしてさらに、その薬の効能を聞くと、現在、体調維持のために漢方薬を飲んでいる僕が体調を崩したとき、僕にぴった合いそうな薬だと確信しました。小田原にあるという「外郎家」、行ってみたい、というよりこれは、行くしかないでしょう、と思いました。

 その日は、意外に早く訪れました。
全景 ななめ 縮小店 看板大きく 縮小 今、伊豆の伊東に来ています。伊豆と小田原は、そんなに離れていません。どこよりもまず、小田原に行きました。小田原にある「外郎家(ういろうけ)」、ナビに入れると、ちゃんと出てきます。ナビを頼りに着くと、そこは、まるでお城です。店に一歩入ると、お菓子のういろうが並べられていました。間違ったかと思いましたが、奥のほうに、白衣の人がいて、その前には、確かに、「透頂香(とうちんこう)」という薬が並べられています。腹痛、風邪、咳などによいようです。喉が弱い僕にはぴったりの薬でした。今も、小田原の外郎家で対面でのみ、販売されているそうです。昔ながらの製法のため、大量に作ることはできず、店に来た人にだけ販売しているとのことでした。早速2箱、手に入れました。途切れることなく、お客はあり、みんな、2箱ずつ購入していきます。

 お菓子のういろうは、外国使節の接待に供するために作られたもので、どちらも外郎家のものなので、「ういろう」と呼ばれたそうです。薬のういろうは、後に天皇から「透頂香(とうちんこう)」という名前をいただいたそうです。
 
パンフレット 縮小 「小田原家と外郎家」のしおりにはこう書かれています。
 享保3年(1718年)、歌舞伎役者・二代目市川団十郎は持病の咳と痰のため台詞が言えず、舞台に立てずに困っていました。そのとき、薬のういろうのことを知り、この薬によって全快したので、お礼の気持ちで、こういう薬もあることを知らせたいからと、舞台で上演することを申し出ました。外郎家は宣伝になることを恐れて固持しましたが、再三の申し出に上演を承知し、こうして市川団十郎の創作による歌舞伎十八番「外郎売り」の台詞が誕生しました。

らんかんばし ひらがな 縮小らんかんばし 説明  縮小 台本を見ないで言えるほど知っていた外郎売りの台詞、まさかこの話が本当で、現在も作られ、販売されているとは。生きていると、こんなにも面白い、不思議な出会いもあるものなんだなあと、うれしくなりました。
 今まで以上に、この外郎売りの台詞が、身近になりました。今後、僕の体調が不良の時は、このセリフを言って飲むのだと思うと、愉快な気持ちになります。それだけで、体調不良が解消されそうです。
 僕は大学4年生の時の3か月の無銭旅行に近い一人旅から、ずっと旅が好きで、よく旅をします。僕はもうすぐ78歳になりますので、これまで行っていないところ、また行きたいと思っていたところに、パソコンをもって、ワーケーションとしての、新しい旅を続けています。学生時代のただ遊ぶだけの旅と違って、毎月発行の月刊紙「スタタリング・ナウ」や年報の作成、吃音講習会の準備、新しい本の執筆と、仕事をしながらの旅は、またいいものです。
全景 正面 縮小
日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2022/04/15

吃音と「書く」こと

 4月8日から、大阪吃音教室の2022年度の講座が始まりました。2組の親子4人の初参加を含め、2ヶ月半ぶりに対面で教室が再開したのです。
 この大阪吃音教室でも、また、夏に行う吃音親子サマーキャンプでも、大切にしていることのひとつに「書く」ことがあります。吃音についての話し合いが一番重要だということは当然ですが、それと同じくらいに、「書く」ことを大切にしています。
 僕は、子どもの頃、日記をよく書いていました。吃音のために悔しい思い、悲しい思いをしたことがたくさんありますが、それらを日記に書いていたのです。子どもの頃に、書くことの意味はよく分かりませんでしたが、書くことで、自分の体験を振り返り、客観的にとらえることができたように思います。
 僕は、今、日記は書いていませんが、「スタタリング・ナウ」の巻頭言や、ほぼ毎日発信しているブログ、Twitter、Facebookなど、書くことは日常生活の中で習慣化しています。吃音に関する本を15冊も出版できたのも、僕の書く習慣と深い関係があるからだと思います。
 「書くことの意味」とのタイトルで書いている巻頭言を紹介します。1997年9月発行の「スタタリング・ナウ」NO.37です。

  
書くことの意味
                日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二

 吃音についてオープンに話し合う。これは吃音親子サマーキャンプが最も大切にしていることだ。しかし、子どもたちは最初は話し合いになかなかのってこない。これまでまったく吃音について話し合ったことがない子がほとんどだからだ。
 他の子どもが吃音について語る話を聞き、自分も話したくなってくる。吃音はやはりその子どもにとって大きな事柄だからだろう。
 小学校4年生8人のグループの話し合い。
 高谷君は他の子どもの発言に合いの手は入れるが、自分では語らない。質問をしても「別に・・」とはぐらかす。ちょろちょろと動き回る。真剣に話す子がいる一方で、このようにふざけて話し合いにのらない子がいる。どもりについてこの子はどう考えているのか、話し合いの中ではなかなか見い出せない場合があるが、その子が吃音について何も考えたり、感じたりしていないのではない。
 吃音親子サマーキャンプで、私たちが大事にしているプログラムのひとつに、作文教室がある。1時間から1時間半、参加者全員が机に向かって、どもりにかかわる事柄を一斉に書く。子どもは自分のことを、きょうだいは妹や兄の吃音を、親は子どものことを、ことばの教室の教師は担当している子どもの吃音について書くのだが、全員が静かに机に向かうため、話し合いの時のように動き回らない。ひとり自分のどもりに向き合う時間だ。
2回目の参加の高谷君はこんな文章を書いた。

《親子サマーキャンプに行ってよかったこと》
 2年のころ、よくみんなにからかわれたり、まねされて、ないて帰ったことがあります。でも3年のとき親子サマーキャンプに行って、どもってもべつにいいんだということが分かりました。
 それからたまに発表できるようになりました。まだみんなから、からかわれているけれど、「それがどうしたんや」と言い返しています…

 2日目の2度目の話し合いでは子どもの書いた作文を読み合い聞くことにした。からかわれた嫌な体験も、またこのキャンプで仲間と出会ったことの喜びも率直に表現されている。他人が書いた作文を聞くことは、話し合いとはまた違った深みが出る。高谷君は自分で読むのは嫌だと言ったが、私が代わって読んでいるとき、むしろうれしそうだった。ことばで十分表現できなくても、吃音への思いは、子どもはいっぱい持っているのだ。
 どもりについて、自分のことばで話し、誰かに聞いてもらった経験。同じ悩みをもつ人達と出会った経験。それは、私がどもりと向き合い、どもりを受け入れて生きる出発となった。
 病気や障害、生きる辛さを感じている人のセルフヘルプグループのメンバーも同じような経験をしている。どもる子どもが自分の吃音と向き合い、吃音を受け入れて生きる道を歩み始めるには、まず、辛いこと、苦しいこと、そしてそれを自分がどう感じているかを表現することが不可欠である。
 話すことで、文章に書くことで、自己表現をしていきたい。さらには音楽、絵画も表現の手段だ。
 家庭の中で、親と子が一緒に文章を書く時間をもつことをすすめたい。それを家族のみんなの前で声を出して読むことができればなおすばらしい。そこから親と子の会話がすすんでいくだろう。
 ことばの教室でも、文章を書くことを大切にして欲しい。吃音について書ければ、吃音について話し合うきっかけともなるし、本人がよければ、他者に読んでもらうこともできる。その子どもの吃音への思いを、クラスの担任やクラスの子が読むことで、どもる子どもの思っていることを伝えることができ、吃音理解につながっていく。
 自分を表現することなしには、自分をみつめることはできないし、何の変化も起こらない。(「スタタリング・ナウ」1997年9月 NO.37)


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2022/04/14
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