1月3日の東京新聞の社説のタイトルは、「差別の正体と向き合う」でした。
「2年前、本紙1面で始まった連載「祝祭の風景 ブラインドサッカー編」で、全盲のアスリートが直面する社会の壁と、障害者スポーツを通じてつかもうとする夢を描いた。そして、その主人公が結婚したとの連絡を受けた」
と、社説は始まりました。その続きのことばに、僕は違和感を持ちました。
「結婚相手は、「競技を通じて出会った晴眼(視覚障害のない)の女性」と続きます。
僕は、この「晴眼」ということばに違和感を持ったのです。その後に(視覚障害のない)とあるのですから、結婚相手は、「競技を通じて出会った視覚障害のない女性」と書いていいのではないかと思うのです。
晴眼、晴眼者は、もちろん差別用語でも、使ってはいけないことばでもありません。専門用語として使うらしいのですが、社説で、わざわざそれを使う意味があるとは思えませんでした。「差別の正体と向き合う」というタイトルの社説なので、余計にそう感じました。
僕が今回「晴眼」にこだわったのには理由があります。
今は全く使われていませんが、僕が1965年に、吃音を治したいと、民間吃音矯正所・東京正生学院に行っていた頃、頻繁に聞いたのが「正音者」でした。吃音を治して「正音者」になろうというのです。「吃音者」の言い方は当時は全く気になりませんでしたが、「正音者」の方にとても違和感をもち、嫌いでした。
今回、社説にあった「晴眼」ということばから、僕は、吃音者と正音者を連想しました。「吃音者」ということばも昔は使っていましたが、僕は今は使いません。「正音者」は昔から使っていませんし、誰も使う人はいないでしょう。そう考えると「晴眼」とは何なんだろうと思うのです。
ひとつ付け加えますと、「どもり」を僕は差別用語だとは思いませんし、現在も使っています。しかし、一般的には「どもり」は差別用語だから使わないようにしようというメディアや教育関係者、吃音の専門家はいます。「吃音」は今は少し認知度があがり、一般にも知られるようになりましたが、以前は「吃音って何?」と聞かれることが少なくありませんでした。「どもりのことだよ」と言って分かることが多かったのです。
でも、最近は「どもり」がだんだんと使われなくなって、「吃音」の方が知っている人が増えているかもしれません。「どもり」も「やもり」「いもり」も、「どもり」を連想することばはすべて嫌だった時代を経て、僕は今、どもりと上手につき合えるようになると、「どもり」ということばが差別用語として消えてしまうのは、残念になってきました。
というわけで、今回の「晴眼」もひとりひとりの受け止め方は違うので、なんとも言えないのですが、僕が違和感をもったということは書いておきたくて書きました。
日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2022/01/03
「2年前、本紙1面で始まった連載「祝祭の風景 ブラインドサッカー編」で、全盲のアスリートが直面する社会の壁と、障害者スポーツを通じてつかもうとする夢を描いた。そして、その主人公が結婚したとの連絡を受けた」
と、社説は始まりました。その続きのことばに、僕は違和感を持ちました。
「結婚相手は、「競技を通じて出会った晴眼(視覚障害のない)の女性」と続きます。
僕は、この「晴眼」ということばに違和感を持ったのです。その後に(視覚障害のない)とあるのですから、結婚相手は、「競技を通じて出会った視覚障害のない女性」と書いていいのではないかと思うのです。
晴眼、晴眼者は、もちろん差別用語でも、使ってはいけないことばでもありません。専門用語として使うらしいのですが、社説で、わざわざそれを使う意味があるとは思えませんでした。「差別の正体と向き合う」というタイトルの社説なので、余計にそう感じました。
僕が今回「晴眼」にこだわったのには理由があります。
今は全く使われていませんが、僕が1965年に、吃音を治したいと、民間吃音矯正所・東京正生学院に行っていた頃、頻繁に聞いたのが「正音者」でした。吃音を治して「正音者」になろうというのです。「吃音者」の言い方は当時は全く気になりませんでしたが、「正音者」の方にとても違和感をもち、嫌いでした。
今回、社説にあった「晴眼」ということばから、僕は、吃音者と正音者を連想しました。「吃音者」ということばも昔は使っていましたが、僕は今は使いません。「正音者」は昔から使っていませんし、誰も使う人はいないでしょう。そう考えると「晴眼」とは何なんだろうと思うのです。
ひとつ付け加えますと、「どもり」を僕は差別用語だとは思いませんし、現在も使っています。しかし、一般的には「どもり」は差別用語だから使わないようにしようというメディアや教育関係者、吃音の専門家はいます。「吃音」は今は少し認知度があがり、一般にも知られるようになりましたが、以前は「吃音って何?」と聞かれることが少なくありませんでした。「どもりのことだよ」と言って分かることが多かったのです。
でも、最近は「どもり」がだんだんと使われなくなって、「吃音」の方が知っている人が増えているかもしれません。「どもり」も「やもり」「いもり」も、「どもり」を連想することばはすべて嫌だった時代を経て、僕は今、どもりと上手につき合えるようになると、「どもり」ということばが差別用語として消えてしまうのは、残念になってきました。
というわけで、今回の「晴眼」もひとりひとりの受け止め方は違うので、なんとも言えないのですが、僕が違和感をもったということは書いておきたくて書きました。
日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2022/01/03