伊藤伸二の吃音(どもり)相談室

「どもり」の語り部・伊藤伸二(日本吃音臨床研究会代表)が、吃音(どもり)について語ります。

2022年01月

ことばの教室でできること―学童期に重要な「早期自覚教育」

 昨日の続きです。
 どんな人にも、挫折や喪失の体験はあると思いますが、それを自分なりに処理してきた人が、ことばの教室の担当者だと、どもる子どもの味方になってもらいやすいのかもしれません。どもっていたらかわいそうだから、治してあげたいという使命感に燃えている人だと、逆効果になりそうです。

《吃音ショートコース分科会》
     早期自覚教育について

ことばの教室担当(山口) どもりときちんと向き合う時期は、子どもによって違うんだろうが、それを見極めるのは私たち教師に任されるのでしょうか。

伊藤 吃音と向き合う時期は、これまで一般的に言われてきた吃音の意識年齢と考えて、大きな間違いはありません。吃音を意識した時がチャンスです。
 小学3年生以下の時は、言い方に注意しますが、少なくとも3年生なら、はっきり「どもり」、「吃音」ということばを使っても大丈夫です。今、小学4年生が成人を対象にした大阪吃音教室に時々参加しますが、話されている内容を理解しているかどうかは別にして、何らかの影響は受けているでしょう。小学6年生、中学1年生も参加し、真剣に大人の話を聞いています。

 ◇こんな先生がいい
伊藤 基本的に大切なことは、教師自身の「どもりは悪いものだ」「このまま子どもが大きくなっていったら可哀想だ」という気持ちの克服です。
 心の中で本当は、このままいったらどうなるかなあと心配していて、口先では「悪いもんじゃないんだよ」と言っても、これはだめでしょう。人は誰でも、挫折や喪失の体験をもっています。自分の子どもの頃を振り返り、自分も辛い時があり、その時にこんなことを考えて行動したなあなどと、自分を振り返られる人が、理想的には、ことばの教室を担当すべきだと思うんです。
 自分の人生を振り返って見た時に、どもりをもって生きるとはどういうことか、どもっても構へんやないかと思えるんじゃないでしょうか。
 「どもりは可哀想だ、このままでは将来大変なことになるから、私はことばの教室の教師として、治療を仕事とする使命に燃えている」
 このような先生は、「どもりは悪いもの、劣ったもの」というメッセージを、直接ことばで言わなくても子どもに強く送っていることになります。
 教師や親が「治ればいいなあ」という意識をもっていると、たとえば本をどもらずに読んだりすると「わー、すごい。上手だね」と、ついほめてしまいます。これは、どもっている時はダメな人間、というメッセージを伝えていることと同じなんです。
 治りたいとの意識を強くもって子どもの頃を育ち、治らずに生きた成人のどもる人は、どもりを持ったままの生き方が、なかなかできません。

 ◇意識することは悪いか
伊藤 「僕はしゃべりにくい、他の人と違うなあ」と、どもりを意識してはダメということでは決してないんです。それは意識していいし、いいというよりも、意識するのが自然のことです。
 しかし、「どもっているとダメなんだなあ」という劣等意識は持たせたくない。「どもるのはダメなことだ、僕は何をしてもダメなんだ」という気持ちが育っていくのが怖い。それを越えるだけの、「僕はどもるけれど、こんなことができるぞ」というものをいかにして作っていくか、ということでしょう。

 ◇ことばの教室でできること
ことばの教室担当(長崎) 45分間のどもる子どもの指導をどうすればよいのか?

伊藤 その子どもが日常の学校生活にどう出ていくか、を一緒に考えることです。例えば、クラスでの役割をどもるのが嫌さに断るとか、○○さんとうまくいかないから困っているとか、などの問題を対話を通してキャッチし、どうしたらそれを解決できるかを、45分間のことばの教室で一緒に考え、一般学級で取り組むことを後押しする。これが、ことばの教室の役割だと思います。
 スピーチについては、日常生活こそが、結果としてですが、言語訓練の場になると考えて下さい。その日常生活を避けている子どもに、どうすれば逃げないで出ていけるようになるかを援助するのが、ことばの教室の役割です。実際に行動するのは一般学級や家庭です。
 「ことばの教室の指導のおかげでこうなったんだ」というのではなく、自分の力で自分なりのことができたという、その子にとっての有能感というか、達成感が芽生えたら、これは大きい。(つづく)


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2022/01/18

吃音は治せるものなのか―学童期に必要な「早期自覚教育」

 第1回吃音ショートコースのゲストのお話を紹介してきました。梅田英彦さんの「嗚呼、民間吃音矯正所」と、内須川洸先生の「内須川式吃音治療指導法」でした。このときの吃音ショートコースの分科会で、僕は、参加したことばの教室の担当者の方と共に、どもる子どもたちの「早期自覚教育」と、直接的なことば指導について話し合っています。実習もしたようです。その分科会の様子を報告している文章がありましたので紹介します。

《吃音ショートコース分科会》
     早期自覚教育について

 この分科会は、日本吃音臨床研究会の伊藤伸二の提起する《早期自覚教育》と、直接的なことばの指導はどうあるべきかについて、ことばの教室の教師、スピーチセラピストが参加して行われました。話し合いだけでなく、実際にどうことばの指導をするか、実習もしましたが、紙面の都合で、今回は話し合いの主要な部分だけを紹介します。
             報告 豊中市立庄内小学校ことばの教室 松本進

 ◇吃音は治せるものなのか
ことばの教室・教員(長崎) 東京で行われた、望月勝久さんのリズム効果法の吃音講習会で、「音読では読めるようになったが、会話が一向に改善しないが、どうしてか」と講師に質問したら、「指導がまずいからだ。どもりは、80%は治せる」とズバリと言われ、自信をなくしました。

伊藤 音読と違って、日常会話は難しい。それが改善できないからといって、指導がだめだということにはならない。その講師が、80%の吃音が治ると言ったそうだが、そんなはずはないでしょう。リズム効果法で吃音が治るなら、もっと全国に広がるはずだが、実際はその反対で、真剣に吃音について考える人は、全く相手にしなくなっています。
 ことばは、その人が、その人の日常の生活の中で話していくことでしか解決できません。多少の手助けができたとしても、他人が治したり、操作できるものではない。私は多くのどもる人に出会い、確信をもっています。どもりは、他人が治してあげられるものではない、という前提に立つべきだと思います。「どもりは、80%は治せる」は、指導後の調査、検証をしていないから言えることです。治ったかに見えるのは、指導の直後の一時的な現象で、それが持続するものではないことは、アメリカの言語病理学でもはっきりと認めています。指導室での効果を持続させ、日常生活に生かすことは難しいのです。

 ◇早期自覚教育とは(学童期の重要性)
伊藤 子どもにとって、本当に大きな問題が噴出してくるのは思春期とそれ以降です。小学校は、辛くても、大きな破綻がなく、それなりに生活はできます。ところが小学校で不適切な対応をすると、そのつけが、思春期と、それ以降にバッと噴出してきます。学童期に、ことばの教室や学校が不適切な対応をしても、そのために学童期に大きな問題が起こるということが少ないから、教師に切実さがありません。思春期の大変さ、幼児期の大切さはよく言われますが、学童期が軽視されています。後に起こってくる思春期の問題を予想しながら、今、学童期にできることを、考える必要があります。
 「息子が就職して新人研修に行ったが、発表させられることが多く、針のムシロにいるようだ。とても我慢できないので会社を退職したいと言う」
 母親からこんな電話があり、親子で相談に来ました。こういう相談は最近多くなっています。
 残念ながらこの青年はその会社をやめてしまいました。力になれずに、残念なことでした。この、会社を退職した青年は、どもりに直面することなく、学生時代はほとんど悩まなかったと言うんです。
 どもりとちゃんと向き合わないで、中途半端に考えてきた結果だと私は考えています。
 ですから、どもりに悩まないことがいいとは言い切れません。むしろ、一時期、どもりに悩んでも、真剣に向き合うことが出来れば、それの方がいい。その時期がないと、就職してからの研修の時、実際に仕事をしている時、結婚の時、息子の結婚式で新郎の父親として挨拶する時などで、深刻に悩むことがあります。
 人によって時期は違いますが、そうなった時の、どもりの悩みは、その後の人生に大きく影響したり、ノイローゼになるほど深刻なものになります。
 私の言う《自覚》というのは、どもりと一度は、きちっと向き合うということなんです。
 「どもっていても、やればできるんだ」
 この有能感は、子どもの頃から育てるほど、問題を乗り越えるきっかけとなり、またもっと難しい問題に向かおうという勇気になってきます。こういう積み重ねによって、「僕はどもってでもやれるぞ」という気持ちができてきます。
 これを育てないと、この青年のようなことが起こります。(つづく)


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2022/01/17

吃音を意識させると、本当に吃音は重くなるのか? 〜意識と自覚〜

 1996年2月11日、「スタタリング・ナウ」18号の巻頭言を紹介します。
 幼児吃音に関しては、「どもりを意識させないように」というアドバイスが長い間、されてきました。でも、幼稚園に通う子どもでも、自分の話し方が人と違うことは分かっている場合は少なくありません。多くは話しにくさも感じています。意識させないようにということ自体がそもそも意味のないことなのです。
 しかし、そうアドバイスされた親は、忠実に守ろうとします。そうすれば、子どもの吃音が消えていくだろうと期待してしまうからです。子どもは、気になっている自分の話し方にふれないようにしている親と吃音について話すことができず、口に出してはいけないものになってしまいます。
 意識しているものを意識しないように、ではなく、マイナスなものとして意識しないようにすることが大切です。幼児吃音を考える上で、一番重要な観点だろうと思います。
「意識と自覚」とのタイトルの巻頭言を紹介します。

   
意識と自覚
       日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二

 『吃音をオープンに話題にしよう』
 アメリカなどでも、最近言われ始めている。
 言語病理学が発達し、スピーチセラピストが多いアメリカでも、吃音が従来言われたようには、簡単には治らないことがはっきりとしてきたからだろう。
 「小児科医院や児童相談所で、放っておけばそのうち治る。とにかく、どもりを意識させないことが大切だと言われ、どもりについて一切触れないできたが、どもりは一向に治りません」
 このようなどもる子どもをもつ親からの悩みや相談を最近よく受けるようになった。
 従来の主張のように、どもりを話題にしないで、どもりを意識させないままで、どもりが自然に消滅すれば、それにこしたことはない。
 しかし実際には、消滅せずにどもりが持続する場合も少なくない。
 子どもにどもりを意識させないことが果たしてできるだろうか。
 これまでは、小学校中学年が、吃音意識年齢だと言われたが、それは確実に下がっている。
 「僕、運動会の練習、行きたくない」
 「なぜなの。○○ちゃん、走るの得意じゃない」
 「だって、体操のとき、1、2、3、4と言わなければいけないけど、僕、言えないもん」
 子どもは、ことばがつまって話せないことを意識し、それが嫌で、幼稚園に行きたくないと訴える。この子どもに、親はどう対応すればよいか。多くの親は悩み、相談を受ける専門家も困る。
 どもる、どもり、吃音のことばを知っているかどうかは別にして、この子どもはその状態を確実に意識している。このような時、話題をそらさず、どもりをオープンに話題にしたい。そして、最終的には、吃音受容へと結びつけたい。その吃音受容に至る営みが私の言う吃音の自覚教育である。
 常識的なことばのレベルで、《意識》《自覚》がどう違うか。岩波書店の広辞苑でみてみよう。
 《意識》今していることを自分で分かっている状態。対象をそれとして気にかけること。
 《自覚》自分自身の置かれている一定の状態を媒介として、そこにおける自己の位置、能力、価値などを知ること。自分のあり方をわきまえること。

 今していることが自分で分かっている状態が、意識なら、子どもは早くから、どもりを意識している。一方、一定の状態(吃音)における自己の位置、能力、価値などを知ることが自覚なら、子どもにとって、自覚は容易いことではない。
 周りの大人が、それこそ意識して取り組まなければならないことだと言える。
 どもる人は、子どもの頃の、「どもるのは嫌だ、もう喋りたくない」と意識したきっかけを覚えている。このどもりを意識したその時が、自覚へのチャンスだ。
 この時、適切に対処できないと、「どもりは悪いもの、劣ったもの」という吃音へのマイナスの意識を持ってしまう。そして、どもりを隠し、話すことから逃げる。私たち成人のどもる人が辿ってきた吃音を否定した人生が始まるのだ。
 この、吃音をマイナスに意識させないのが、吃音の自覚教育だと言える。
 これを効果的にするには、より早期が望ましい。遅くとも学童期にはある程度を達成しておきたい。
 それができなければ、思春期に吃音に悩み、以降の人生に大きな影響を与えるからだ。

 「どもりを治す努力の否定」の問題提起は誤解を受けた。まだ練れていない「早期自覚教育」は尚のことだろう。誤解を恐れずに、しかし、前回の経験を生かしつつ、問題提起をしていきたい。
 「誤解されればされるほどその人は豊かなのだ」
 これは、画家の岡本太郎さんのことばだ。


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2022/01/16

吃音を治す努力の否定

 第一回の吃音ショートコースを紹介してきました。その号『スタタリング・ナウ』NO.17の巻頭言は、「努力の否定」でした。1976年の『吃音者宣言』の前に出した「吃音を治す努力の否定」は、吃音の世界に大きな波紋を投げかけたようです。僕たちは、自分自身が吃音を治そうと努力してきた結果、かえって吃音の悩みの闇に深まり、吃音が治ってからの人生を夢見て、現実を生きられなかったことへの洞察から、吃音を治そうとする意識や、行動のすべてを否定するしか道はなかったのです。僕たちの長年の吃音との苦闘の中でたどり着いた、ある意味当然の結果だったのですが、周囲にはなかなか理解されませんでした。治せないという事実と、多様性が大事にされる今、ようやく、僕の主張することに、現実が追いついてきたように僕には感じられます。少し、時代を先取りしすぎていたようにも感じられます。1996年1月に書いた文章を紹介します。
 なお、ここで紹介している「吃音臨床研究雑誌 1995年度年報 障害の受容」は、売り切れて、今、在庫はありません。出来れば、日本吃音臨床研究会のホームページで紹介したいと考えています。

  
努力の否定
       日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二

 「障害を乗り越えて…」障害をもつ人が、意義のある、また大変困難だと思われることを成し遂げると、新聞などのマスコミで紹介される時、必ずこの見出しが使われる。
 このような型どおりの称賛や、「不屈の精神力」や「不断の努力」を強いる社会は、間違っているのではないか。
 『1995年版障害者白書』がこう問いかけている。
 「どもりを治せないのは、不屈の精神力と、不断の努力が足りないからだ」このように上司から言われ、どもりを治せと厳命され、吃音矯正所に通わされたどもる人がいた。
 上司は、その矯正所にまじめに通っているかを調べる程の念の入れようだった。
 どもりは治らず、その人は会社を解雇された。
 一般的にどもりは、本人の努力で、また大人になれば治ると考えられているからこのようなことが起こる。障害を治したり、障害を乗り越え、称賛される人の蔭に、乗り越えられずに、偏見、差別のプレッシャーを受けている人は少なくない。
 1974年、私たちは《吃音を治す努力の否定》の問題提起をした。《治ることの否定》とか、《治すことの否定》と、未だに誤解されている。
 努力の2文字が軽視されるか、無視されたのだ。
 私たちが強調したかったのは、努力の方だ。《努力の否定》こそ、この提起の眼目だった。これは、障害者に不屈の精神力や、不断の努力を強いるのは、間違いではないかと問いかけている『1995年版障害者白書』の趣旨に近い。
 原誠二さんは、「僕は障害者なんかじゃない」と、聴覚障害を否定し、障害者の集いに参加することも避けた。内科医として勤務する中でも、自らの障害についてなかなか言えなかった。
 牧口一二さんは、小学校2年生から松葉杖をついている。「とにかく働かせて下さい」と54の会社を受けて全て不合格。落ち込んで2年間何もしないで、家に閉じこもった。
 谷口明広さんは脳性麻痺で、車椅子の生活。「あなたは障害をもっているけれど、自分でやれることは、やらなあかん」という母親がいても、日本では、24時間の介護だった。7か月のひとりでのアメリカ生活は2時間介護だった。その中で、谷口さんは格闘する。
 今回紹介する3人の今の人生は、「障害を乗り越えて」と、一般的には見られるかもしれない。しかし、障害を否定し隠したり、落ち込んで2年間引きこもったりして、行きつ戻りつの人生だった。牧口さんは、「戸惑うとか、たたずむとか、迷うとかが好きだ」とも言う。3人とも、不屈の精神や、不断の努力を誇示したり、押しつけたりはしない。ただ、自分はこう生きたという体験を率直に語るだけだ。
 その中から、原さんからは仕事に対する誠実さ、牧口さんからはバイタリティー、谷口さんから底抜けの明るさが伝わってくる。
 特別の精神力や努力がなくても、誰でもがその気になれば、近づけそうな、身近な存在だ。厳しかったであろう人生を、淡々と語る独特の語り口が、聞く人をなごませ、温かいものを包み込む。特に谷口さんは、爆笑すら何度も起こる。
 この3人の障害のある仲間の人生と出会える、『日本吃音臨床研究会 吃音臨床研究雑誌 1995年度の年報』、年報の第一号がやっと完成した。その年報に、昨秋行われた、吃音ショートコースの、《吃音受容》のパネルディスカッションを全て収録した。どもる人、どもる子どもの親、ことばの教室の教師、スピーチセラピスト、吃音研究者、参加者皆が本音で語り合った3時間だ。どもる人だけでなく、様々な人の自己受容が語られる。
 障害の受容を特集したこの吃音臨床研究雑誌には、生きるヒント、子育てのヒントが一杯に詰まっている。多くの人々に是非読んでいただきたい。


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2022/01/15

大阪吃音教室、明日から「どもりカルタ」で幕開けします

 大阪吃音教室の2022年最初の講座は、明日1月14日(金)午後6時30分から、アネックスパル法円坂で行う「どもりカルタ」です。
 お正月気分がまだ残るこの時期に、毎年、この講座が行われてきました。
 カルタの読み札のそれぞれに、ひとりひとりのどもる人の人生が込められています。
 自分の体験を短いことばで、つらく悔しかった体験はちょっとユーモアに包んで、遠い昔の体験を今の子どもたちへのエールとして、「どもりカルタ」の講座はすすめられてきました。
 例年、「どもりカルタ」の講座は、4つか5つのグループに分かれ、‘匹濟イ鮑遒襦´読み札に合う絵札を描く F匹濟イ鬟曠錺ぅ肇棔璽匹暴颪、それを読んで味わう ぅ哀襦璽彗亶海如▲ルタとり大会をする という手順で行ってきました。
 コロナの影響を受けているので、例年のような形はとれないかもしれません。感染状況がどうなっているか分かりませんが、自分を振り返る時間をご一緒し、今年のいいスタートが切れるよう、願っています。

 「学習・どもりカルタ」(1,200円・送料含む)は、全国のことばの教室で活用していただいています。2010年に作成したものですが、ロングセラーを続けています。
 「そうそう、私も同じだ」という共感を呼ぶもの
 「へえ、そう考えることができるか」という新しい価値観の発見につながるもの
 「よし、私もやっとみよう」と行動してみようという意欲につながるもの
など、どもる子どもたちに少なからず影響を与えているようです。
 「学習・どもりカルタ」で遊び、カルタを通して吃音について考え、学んだ子どもたちは、今度は、自分で自分のオリジナルのカルタを作り始めます。通常学級で自分のことを知ってもらうために紹介している子ども、ことばの教室の修了証書のように、卒業制作としてつくる子どももいます。
 大阪吃音教室で作ったカルタは、子どもたちに紹介したいと思います。どもる大人が作るどもりカルタ、子どもちは楽しみにしてくれています。
 この2年間できなかったことが多かったのですが、今年はできるだけいろんな活動をしたいと願いながら、明日、大阪吃音教室は始動します。

日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2022/01/13

年末年始の動向

 昨年の年末30日に大阪を発ち、1月10日まで東京で過ごしていました。10日の夜遅く大阪に帰ってきました。
 新型コロナの影響で、東京に行くのは2年ぶり、飛行機に乗るのも2年ぶりでした。伊丹空港がきれいにリニューアルされていて、びっくりしました。
 僕は、東京での大学生活のかなりの部分を浅草近辺に住んでいたので、東京へ行くと、つい浅草に足を運んでしまいます。そういうわけで、浅草寺で除夜の鐘を聞き、明治神宮に初詣し、銀座をぶらぶらし、ニューイヤーコンサート、ミュージカル、鈴本演芸場で落語、国立競技場で大学ラグビー準決勝とバラエティに富んだ日々を過ごしました。そして、3連休は、ことばの教室の教員の仲間と今年の「親・教師・言語聴覚士のための吃音講習会」のプログラムづくりのための合宿をして、最終日は、伊藤伸二・吃音ワークショップin東京でした。
 年末、出発前のコロナの状況は、増えてはきているけれど、まだ大丈夫と思っていたのですが、日に日に急拡大していき、東京ワークショップは、6人のキャンセルがありました。そんな中でも参加して下さった14人の方と、吃音について語り合う、いい時間を過ごしました。東京ワークショップも2年ぶりの開催でした。2年前に参加して下さった方が4人も参加申し込みをして下さいました。たった1日の出会いでしたが、その空間を共に過ごしたというつながりの深さを思いました。今回、初参加の人もいて、新しい出会いがありました。その様子については、また、報告できると思います。
 留守の間、郵便物は、郵便局で保管してもらっていたので、11日に受け取りました。いただいた年賀状も、これからゆっくり拝見します。大阪に戻って一番の仕事は、今月号の「スタタリング・ナウ」の入稿です。大体はできあがっていたのですが、いつも最後で苦労します。その「スタタリング・ナウ」も、329号になりました。さきほど入稿して、今、ほっとしています。
 というわけで、ブログ、Twitter、Facebookの更新ができませんでした。
 2022年の活動が、東京でスタートし、大阪に戻って本格的に始動となります。
 僕は、根拠なく、63歳が寿命だと勝手に思っていたのですが、今年の4月には78歳という、とんでもない年齢になります。幸い、体力も気力も今のところ衰えは感じていませんので、最晩年を、自分のしたいこと、自分ができることに楽しく取り組んでいきます。吃音がその中心ですが。
 本年も、どうぞ、よろしくお願いします。

日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2022/01/12

内須川洸先生のU仮説(4)

第1回吃音SC 梅田・内須川・伊藤並んで 昨日のつづきを紹介します。これが最後です。まとめとして、「吃音がよくなるとは」の項目があります。吃音の問題とは、症状の問題ではないことがはっきり分かります。
 ただ、ことばの教室で行われていることを、内須川先生は「治療」と言っておられました。これがひっかかります。お話の全体を丁寧に読んでいけば、「治療」「治す」ということではないのですが、「治療」ということばを使うと誤解を招くのではと思いました。
 吃音ではないのに、吃音やどもる人を心から愛して、僕たちとも第一回吃音問題研究世界大会だけでなく、プライベートでも深くつきあって下さった内須川先生。内須川先生のような、吃音を心底愛した吃音研究者は、以後、現れていないだろうと、僕は思います。
 吃音研究にささげた人生でした。

  
内須川式吃音治療指導法(4)
            昭和女子大学教授(日本吃音臨床研究会顧問)内須川洸

規範性を壊した後の処置
1.徐々にプレッシャーを
 最初は規範性を取ることで、プレッシャーを抜き、抜き終わったら今度はかけるんです。このかけ方が大事です。
 「うちの子、どもらなくなった」と、たいていお母さんは、天にも昇る気持ちですぐに、「お勉強」となる。勉強は禁句です。子どもが勉強をしたいと言えば別だが、お母さんから言ってはいけない。宿題も本人がやりたくなければやらせない。勉強は当分お母さんの方からやらせてはいけない。これはプレッシャーでも最も大きなプレッシャーなんです。お母さんは、すぐ大きなプレッシャーを持ってくる。すると吃音が再発する。
 良くなったと思えば又悪くなるこれを繰り返すと悪化、成人の吃音と同じ。悪い悪化の方法。
 だから、慎重に、プレッシャーを少しずつかけていくことです。
 理想的なのは、幼児期に規範を壊す治療を完成させ、小学校の6年間をかけて徐々にプレッシャーをかけていくことです。
 1年〜5年生と年月がたつごとに、プレッシャーは自然に増していく。当然勉強も難しくなる。様々な条件が加わってくるから、プレッシャーも高まってくるでしょう。それでも吃音は悪くならないで、6年生になる。私は理想的な指導法でも6年間かかると思う。最低6年、吃音の治療には長い年月がかかると考えて下さい。
 幼児期にうまくいかなかった子どもの場合は、学童期であっても前に述べたような、規範性を取ることから始める治療が必要です。家庭で行える幼児期と違って、学童期は義務教育の場なので、難しい問題が起こります。学校は休めないし、治療のやり方と教育とは矛盾します。
 そういう事すら知らない先生がまだいる。治療と教育、どこが違うのということも知らない人がいる。だから、普通学級の先生がことばの教室に見学に来て、「何をしているか。遊んでばっかり。ちっとも教えないわ」と思う。当たり前ですよ、治療をしているんだもの。普通学級とことばの教室の先生はする事が違います。片方は教育をし、片方は治療をしている。少なくとも普通学級の先生が吃音の子どもに対する望ましい扱い方を心得て欲しい。これがなかなかうまくいかないのが、現在のことばの教室の問題点です。ことばの教室の先生が一生懸命頑張って良くしても、普通学級に戻って悪くなったら、元の木阿弥です。
 プレッシャーをかける狙いは、その指導の目標は、人間関係のタフネスを作ることです。タフネスができないと、吃音症状は一時的に良くなっても、循環性があるから悪くなる。
 タフネスがついて思春期を迎えるようになったとき、吃ったからといって、「いいよ。構やしないよ」と言えるようになればいい。
 いちいち気にしてたまるかという状態になれば、吃音が出たって恐ろしくない。

吃音がよくなるとは
 吃音がよくなるとはどういう状態かというと、私は3つの基準をあげています。
,海箸个両評
 すっかり吃音が消えなくても良い。どもってもいいが、ブロック(難発)のどもり方でなく、繰り返しや、引き伸ばして、よく喋ること。主張し始めたら、どもっても途中でやめることがないこと。つまりどもってもどんどん積極的に話す。ここまで成長する。これはそんなに難しいことではない。
⊆匆饑の発達の増強
 吃音の子どもは社会性の発達が劣っているわけではない。平均では独りぽっちの子どもは少ない。型どおりには友人関係が出来ているが、服従の関係で、ボスの意見に反対をしないから嫌がられない。本当は友人ではない。つまり喧嘩が出来ない。喧嘩をしないで友人にはなれない。こういう学習が十分にできるようになる。だから、自分が友達を集めてきて、リーダーシップをとる。がき大将になれば最高だけど。友達がたくさんできて、自由に友達を作れるというところまで変わる。服従的な友人関係を越えることです。
3惶蘚応が良くなること
 第2ができれば、この第3は自ずからできます。
 学校がおもしろくてしようがなくなって、毎朝喜んで学校へ通うようになるのを学級適応が良い子といいます。
 適応がよくなるには、ふたつの条件があります。まず、友達ができること、もうひとつは担任の先生と仲良しになることです。担任の先生の前で、言うことも言えないのではだめです。先生と自由な人間関係がとれることが大切です。(了)


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2022/01/07

内須川先生のU仮説(3)

 昨日のつづきを紹介します。治療過程を4段階に分けてお話されました。それぞれの段階で起こってくる子どもの状態、それに対する母親の気持ち、そして、それへの対処を丁寧に説明されています。そして、結論のように「お喋りにならないと吃音は治らない。喋らないで黙ったまま、自然に治すなんて方法はない。吃音を改善するには、お話を通して治す。当然話しながら吃る。そう簡単には症状は消えません」とおっしゃいます。
 僕は「治る」「改善」の表現はしませんが、吃音が変化するとしたら、日常生活でできるだけ話すしかありません。「お喋りになる」が子どもにも大人にも必須のことだと思います。

  
内須川式吃音治療指導法(3)
          昭和女子大学教授(日本吃音臨床研究会顧問)内須川洸
治療過程
1.第1段階〜感情の吐出〜
 治療経過をお話します。規範性を壊す治療効果が現れてくると、まず子どもがだんだん自分の気持ちを開いてくる。
 セラピストは子どもに対して規範を加えない、指導もしません。子どもの感情を自由に受け入れる。場合によっては悪いこともしようと思えばそれも受け入れる。善し悪しの判断を加えない。徹底して行う。
 これをすると、なかなか最初のうちは子どもは動けない。非常に優しい子どもですから。
 ボールを投げる場合でも、「投げていい?」と聞く。投げていいのか、相手を思いやっている。
 いつ投げてもいいと分かると、だんだんとボールを投げるようになる。最初は少しずつ、だんだんと激しくボールを投げるようになる。行動が開発されるんです。それに伴い感情が吐出してくる。
 それまでかかっていたブレーキがとれるから。まず行動レベルで否定的感情を出す。これを攻撃欲求という。暴力を振るうようにもなります。
 家庭の中で暴力を振るうようになる順序は、家族の中で一番弱い者からです。妹がいたら妹をまずいじめる。今まで、お母さんの前では妹は大切に可愛がっていて、いいお兄ちゃんだった。これは、見かけ上の行動です。本当は「この野郎!」とたたきたい気持ちがあるわけです。でも、お母さんの規範性が強くて、できなかった。ところが、「やっても怒らない」とお母さんが変わると、まず妹いじめをする。そして、最後はお母さんを攻撃する。その攻撃の仕方は激しいですよ。蹴っ飛ばす、髪を引っ張る、たたく。お母さんは、模範生だった子がそんなことをするのが信じられないからびっくりして目を回してしまいます。
 今までは母親の期待どおりに動いていたのが暴力を振るうようになる。これは非常に素晴らしい。
 私は暴力を行動面で振るい始めたら治療第1段階は達したと思う。結構、結構と喜ぶ。
 私が喜ぶと、お母さんは喜んでくれない。「こんなんでいいんですか」と考える。私は、「いいんだ」と言う。このお母さんへの指導が大切です。お母さんが、これでいいんだと決心できるまで指導しなくてはいけません。
 吃音の子どもにとってはいいことで、治療効果が出てきたなということになるけれど、妹に問題が起こる。派生効果を起こすわけです。この効果は一時的に問題を起こす。この場合だと、妹の手当をしなくてはいけなくなる。家庭では一時的にトラブルが起こるが、最終段階では、吃音が軽くなり家庭も安定する。
 第1段階がさらに進んで来ると、それがひどくなり、家庭内暴力が頂点に達する。人間関係が、弱いところから広がり強い方へ、一般的には父親にも広がります。父親に家庭内暴力を振るう事もあります。この時父親は『はい、はい』と従わないといけない。辛いね。家庭でこうしないと治療効果が上がらない。

2.第2段階〜試し行動から沈静化〜
 これが出来ると第2段階に入ります。ここに入ると暴力が収まり、沈静化して、もとのように模範行動を取るようになります。
 但し、治療前の模範行動と現在の模範行動とは形は同じでも、質的に全く違います。どこが違うか。感情を自由に表出できるようになります。感情を表出しながら我慢するのと、感情にブレーキをかけ行動レベルで我慢するのとでは意味が違うんです。この行動の変化が起こる前に、わざとではないが親を試す行動が起こります。
 どういう行動か、説明しましょう。
 こんな事例があります。
 3歳の吃音の子どもの治療をしました。変化が起こり暴力を振るうようになった。粗暴な行動をとる。否定的な感情を行動のレベルで出せるようになった。3歳ではトイレットトレーニングはできるようになっているんですが、その子どもがお母さんに向かって「ウンチをしたいから、ついてこい」と言うわけです。戸も開けておけと言う。便器の端にウンチをひっかける。ちゃんと今までだったらできていたことをしなくなる。これが試し行動です。
 その場合、どういうふうに扱うかということも教える。まずお母さんが、理想的にはにこっと笑ってウンチをふけばいいんですけど、大体にこっとなんか笑えません。無理にでも笑えというのですが、それでも無理なら黙って下を向いてふきなさいと言います。何も文句を言うなということです。
 だんだんエスカレートすると、トイレに行かないで畳の上に堂々とウンチをする。そして、お母さんの顔を見て、にやっと笑う。
 このとき、昔のお母さんに戻って、「何するの」と怒ったら元の木阿弥です。そのときに、にこっと笑えばいいけど、できないから、ひきつった顔でも文句言わないで片付ければいい。そうすると、それから、パッと行動が変わる。沈静化する。
 心理学的にいうと、昔の親のイメージを子どもは持っている。どっちの親が本当か子どもは試すんです。母親をテストしているわけだ。それに合格したら、子どもの行動は変わるんです。
 前のお母さんと違う、イメージチェンジが起こると、行動が変わる。沈静化するんです。

3.第3段階〜ことばの感情表出〜
 第3段階になると、言葉の面に感情表出が出来るようになります。言葉の面で否定的な感情を出す、感情語(感情だけで意味のない言葉)を出す、親を罵倒する言葉が出てくる。
 「この野郎! てめー!」「くそばばあ、おにばばあ、死ね」「バカ、アホ」
 感情をぶつける言葉が出てきます。また、「ウンチ、オシッコ」など汚い言葉が出てきますが、これが出てきたらしめしめです。この時、「そんな言葉を言ってはいけません」と抑えたらいけないんで、「ウンチ」と言ったら、「オシッコ」と言ってやれば、つまり感情を受け止めてやると子どもは喜びます。

4.第4段階〜発語の増量〜
 第4段階では、発語の増量です。お喋りになります。心が動いて来て、それを言葉に切り換えるようになる。余計な事を喋るようになる。つまらない事を言っても母親は聞く。知らん顔してはいけません。喜んで聞くんです。そうすると、又、お喋りが出て来る。喋り過ぎるぐらい喋る。これを発語の増量という。
 発語の増量は積極的改善条件の要因であると同時に、消極的改善要因の重要な部分になる。
 お喋りにならないと吃音は治らない。喋らないで黙ったまま、自然に治すなんて方法はない。吃音を改善するには、お話を通して治す。当然話しながら吃る。そう簡単には症状は消えません。
 ここでどもる症状としてブロック(難発)がでてきた時、発語意欲が全てプラスという訳ではなくて、場合によってマイナスになる。だから、ブロックに達しない前の状態、つまり、「ぼーく」と延ばしたり、「ぼぼぼく」と繰り返す状態の時に、発語が増量しだすといいんです。言葉に感情がどんどん出てきて、吃音の状態がだんだん減少する。吃音の状態がどんどん良くなるが、時間はかかります。
 幼児でも、昔言われたように簡単に治るようなものではない。何故かというと、大半の吃音に循環性があり、良くなったり悪くなったりする。循環性を十分に理解をして言葉の症状に接しないといけません。
 だから、私はお母さん指導の時に、非常に悪くなったら「もう少し待てば良くなると考えなさい」と言う。良くなったら治ると思ってはいけない。「そのうち悪くなると考えなさい」と指導する。こう考えれば、上がったり下がったりしないで、普通の気持ちでいられる。喜んだり、悲しんだりしなくなると吃音症状が良くなる。
 私の治療目標は吃症状を治す事ではなく、自己主張ができ、友達とよく遊ぶようになることですが、吃音の母親には、教育ママが多く、いつも勉強の事が頭に残っている。
 だから吃音が、勉強に影響するのではと考え、できるだけ吃音を早く、分からないうちに治したいと考える。これが吃音の子どものお母さんの最初のサイコロジー。このサイコロジーが吃音を悪くさせる。できるだけ早くではなく、「どもりは早く治らない、治るのに1年かかるか2年かかるか、3年かかるか、10年かかるか分からない」と思うようになれば素晴らしいお母さんです。
 「私の子ども、どもりよー」と言えるようなオープンマインドであればより素晴らしい。しかし、こういうお母さんはめったに出てこない。(つづく)


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2022/01/06

内須川先生のU仮説(2)

 昨日のつづきです。内須川先生は、本当に温厚で穏やかな人です。声を荒げられたところなど、一度も見聞きしたことはありません。僕たちが、こんなことを考えている、こんなことをしたいと思っていると相談すると、いつも「いいねえ、いいと思うよ」と言って下さいました。そんな内須川先生のU仮説、規範性を全てなくすなどという極端なことを言っておられます。その意外性がおもしろいと思います。

  
内須川式吃音治療指導法(2)
          昭和女子大学教授(日本吃音臨床研究会顧問)内須川洸

環境論的仮説による治療
1.過保護と規範性
 環境の影響を強く受けることが、吃音問題にとって考えなければならない重要な問題です。
 治療方法を環境論的にみると、吃音は2つの要因をもっている環境の時に多発します。
 実際に吃音があって、そういう環境だと吃音の状態がひどくなります。その環境を変えると吃音が軽くなっていきます。その2つの要因とは、《過保護》と《規範性》です。
 私は、親子吃音関係における環境論的仮説を設定しています。
 親子というから、父親でも母親でもいいんだけど、家庭というシステムの中の代表者という意味で母親にしておきます。ケースバイケースで、この母親が、家庭によっては兄弟の場合もあるし、おじいちゃんのこともあります。
 どもる子どもの傾向として母親依存傾向が強い。だから、母親から離れられない。母親にはひどいことが言えない。母親に対して優しいんです。こういう特徴があります。
 吃音の子どもの母親に《過保護》でない母親を発見できません。稀に逆の母親もいますが、大抵は、どもる子どもが可哀想でたまらない。自分の子どもがどもっても、よその子どもがどもってもいたたまれない。このやさしい環境を《過保護》といいます。
 もっとも今は、吃音の子どものお母さんだけでなくてみんなどこでも《過保護》といってもいい。
 一方、《規範性》というのは、子どもをよい子に育てようということです。規範性そのものは、決して悪いことではない。今の言葉で言うと、教育ママ、教育熱心、子どもの事をよく考えるということ。昔の言葉で言えば、良妻賢母型といって、すばらしい子どもを作ろうとするお母さんです。躾がやかましい、躾を早めに始める。
 たとえば、トイレットトレーニングについて、アメリカのウェンデル・ジョンソンが研究しました。どもる子どもの母親は、吃音でない子どもの母親よりトイレットトレーニングを早めに躾るという有為差が出ました。ある意味からいうと、要求水準が高いタイプということになります。

2.過保護と規範性の葛藤
 過保護にもう1つの環境《規範性》が入ってくると、問題が起こるのです。
 50%が過保護の環境で、もう50%が規範性だと一番困ります。それがぶつかり合う、葛藤の場面が見られる。この葛藤が問題なんです。
 こういう、《過保護》と《規範性》が合わさってくると、こんな環境から吃音の問題を助長する傾向が生まれてくる。
 もっとも、これは、吃音だけでなく、同じような環境要因を持つものに、家庭内暴力、不登校、神経性習癖、例えば、チック、夜尿、爪噛みがあります。神経質というものも、同様な環境から生まれやすい。だから、吃音から不登校に入るということが起こることがあります。同質環境にあると見ている。
 チックと一緒に吃音を持っている、夜尿と同時に吃音を持っているということは、非常に有り得る。ある研究者によると、吃音と神経性習癖と併有する率は70%ぐらいあるとの研究もあります。非常にかかわりがあるというのは間違いない。

3.吃音を改善に導く環境
 吃音を改善に導く環境としてはどうしたらいいかというと、その葛藤をなくすことです。
 つまり《過保護》か《規範性》のどちらかを取り去る事、どちらか100%にするということになります。現在は、《過保護》を取り去る事は不可能です。なぜなら、家庭とはもともと《過保護》なもので、肉親が住んでいるのだから、《過保護》でない家庭があるとすれば崩壊してしまう。時代としても超過保護な時代だといえます。
 となると、方法はひとつしかありません。
 それは、規範的条件を取り去る方法で、私がやっているのは、極端で、規範を破壊する方法です。破壊する方法なんてあまり紹介できませんけど、思い切って規範をとってしまう。
 《規範性》の50%を取り除いて0%にする。つまり《過保護》100%にするんです。そうすると吃音の症状がだんだん少なくなり、とれていく。
 《過保護》という土壌はそれだけで全て良くなる事ではないが、吃音を改善することにはつながります。《過保護》の条件を〈U仮説〉では内面的条件といい、消極的改善要因と呼んでいます。

4.規範性を取り去る
 子どものやりたいことを何でもやらせる。良い悪いの判断は加えません。
 そう言うと、お母さんは「悪いこともやらせていいんですか」と必ず質問する。で、私は「悪いこともその子がやりたいなら良い」と答える。
 ところが、悪いことを好んでやるという吃音の子どもは不幸にしていない。悪いことばっかりするのなら吃音にならない。良い事ばかりやろうとするから問題が起こるんです。
 一番良いのは規範を全部取り去るという徹底した方法です。極端にやればやるほど治療時間が短縮される。でも、実際はそうはできませんから、治療期間が伸びるんです。
 何故このような極端な方法をとるかと言うと、吃音の子どもは真面目にくそがついてくそ真面目です。
 そして敏感。敏感というより、過敏なんです。少し多いんです。この過敏性の過と、くそ真面目のくそを取るのは容易な事ではないからです。
 真面目と敏感は人間関係において、性格からいって非常に良い事です。二つあったら鬼に金棒でしょう。だから、吃音の人たちは本来、魅力的な素材を持っていることになります。ところが、ちょっと過ぎた所が災いしていると私は見ています。
 大体、人間というのは、時間がたつにつれて、大人になるにつれて、変わってくる。真面目が不真面目にもなる。でも、どもる人は不真面目にならない。真面目のままです。
 だからと言って、別に性格が変わっているわけでもなく、ノーマルな性格です。それと吃音が関連したときにいろいろ問題が起こるといっているわけです。誤解のないようにして下さい。
 また、過敏というのは相手の人間関係を洞察する力が鋭い。言葉で言わなくてもぱっと感じ取ってしまう。自己主張をするけれど、過敏に相手を感じ取って自分の感情にブレーキをかけます。その力が非常に強いんです。このブレーキをはずすことを考えないといけない。
 吃音の子どもの場合、大変規範の強い真面目なお母さんが躾過剰になっている。躾が出来上がっているのに、まだ躾となるから、オーバーになる。
 私の考えでは、吃音の子どもには躾はしなくて良い。出来上がっているのだから心配いらない。だから、規範を破壊したからといって、とたんに非行児になることなどない。(つづく)


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2022/01/05

内須川洸先生のU仮説

第1回吃音SC 梅田・内須川・伊藤並んで 1995年9月22〜24日、大阪で行われた第一回吃音ショートコースでの講演のひとつ、東京正生学院の理事長だった梅田英彦さんのお話を紹介しました。もうひとつの講演は、日本吃音臨床研究会の顧問であり、当時、昭和女子大学教授だった内須川洸先生のお話です。お話いただいたものに小見出しなどをつけて編集したものを紹介します。
 内須川先生は、東京大学の心理学の学生の時から吃音に興味をもち、東京大学吃音研究会で、僕の恩師である神山五郎先生と日本の吃音の研究の両輪として活動をされてきました。大阪教育大学の時代もお世話になり、吃音の世界では一番親しかった人です。
 特に長年の幼児吃音の臨床・研究の中から、ひとつの仮説を提唱されています。ひとりの研究者の到達した考えを皆さんにも知ってもらいたいと思って紹介します。
 内須川先生は、どもる子どもにタフネスをつけることを大切にしようとよく言っておられました。「どもりに負けない子」ということになるのでしょう。ここに書かれている、内須川洸先生の提唱する方法をそのまま実行し、徹底することは難しいでしょう。僕もすべて賛成しているわけではありませんが、ひとつの考え方としては、知っておいていいと思って紹介します。役に立つところは活かして下さい。
 もし、この方法に興味をもって実行される場合は、僕が内須川洸先生に代わって相談相手になりますので、遠慮なく、僕の吃音ホットラインにお電話下さい。一緒に考えていきましょう。吃音ホットラインの電話番号 072-820-8244 (9時〜21時)

   
内須川式吃音治療指導法
          昭和女子大学教授(日本吃音臨床研究会顧問)内須川洸

はじめに
 私はどもる子どもの内須川式臨床診断仮説を提唱しています。俗に〈U仮説〉といいます。
 その〈U仮説〉に基づいて、相当精密な研究をした結果が大変素晴らしい結果を出しています。ただ、検証が十分できていませんので、現在は理論なんておこがましいことは言いません。仮説というふうに申し上げておきます。
 吃音幼児を対象に研究を始めましたが、小学校6年生くらいまでの学童期の吃音までを対象にしても当てはまるだろうと考えています。ただし成人には適用できません。適用できるといいんですけどね。将来の課題です。

何が問題なのか
 吃音の子どもの特徴は、友達と喧嘩をしない。しないのではなく、喧嘩が出来ないということです。心理学的には、喧嘩が出来ないのは、友達の間で自己主張が出来ないということです。自己主張とは自分の感情を相手に表すことです。
 生まれて2年目ぐらいに、みなさんは、第一反抗期を経験したと思いますが、まず母親に対して「いや、いや」と言う。つまり〈ノー〉と言う事が一番簡単な自己主張です。
 ところが、最近の子どもは半数近くが、この第一反抗期を経験していません。吃音の子どもの全てを調べた訳ではありませんが、どもる子どもも第一反抗期の経験がないというふうに私は見ています。
 自己主張の学習には順序があって、最初は必ず否定的な感情から入る。うれしいなんて事を最初から言うものじゃないんです。
 否定的感情を出せない人は、肯定的感情は出せません。成人吃音の皆さんは、肯定的な感情を出すのが苦手じゃないですか? 
 例えば、愛する人が目の前に来たときに、「貴方を愛しています」と堂々と言えますか?なかなか言えない。
 これは「お前が嫌いだ」とはっきり言えないからです。嫌いだと、はっきり否定的感情を言えると、最終的には、肯定的感情を素直に言えるようになります。
 感情表出は言葉だけではありません。言葉で感情表出をするのは最高のレベルです。一番易しい感情表出は、小さい子がうれしい時に跳びはねるでしょ。つまり、身体を動かす行動レベルです。
 行動が細分化すると表情に出る。幼児期、健康な子どもはいつもニコニコ笑うのは感情を表していることです。怒るのも感情表現です。
 大人になると人間関係の中で感情表現を本来自由に表せなければなりませんが、なかなか表せない人がいます。
 友達と人間関係が出来たとき「いや」と言えない子どもがいる。「くれよ」と言われて本当は嫌なのに、「いや」と言わないで「いいよ」と言ったり、にこっと笑ってみたり。
 吃音の子どもにはこの傾向が多い。友人関係の中で自己主張ができないんです。
 このことが問題なんです。だから反対に自己主張ができて、友達と喧嘩ができるようになれば治療をする必要がないということになります。

何を治療するか
 吃音の治療というと、従来は吃音を治す、どもらなくする事でしたが、私はそうではない。最初は言葉の問題は扱いません。最初から言葉の指導をするとうまくいかないというのが私の考え方です。
 治療は、小学校に入る前、理想的には吃音の始まった幼児期に行うのがベストです。実際は小学校に入ってから治療する必要性が出る場合がありますが。
 先程言いましたように、大半の吃音の子どもが友達に自己主張が出来ません。そうすると、この子どもには治療の必要があると判断します。治療目標は、吃音そのものを治すのではなく、人間関係の中で自己主張が出来るようにすることです。

1.積極的改善要因と消極的改善要因
 積極的改善要因とは、例えば、どもらないで滑らかに話す指導の方法などをいいますが、吃音は消えても、持続しません。治ったと思っても、すぐに再発するところに問題があります。
 積極的改善要因だけでは、吃音の改善も不可能であると私は見ています。
 吃音を治すためには、消極的改善要因が鍵ではないかというのが私の私見、仮説です。
 消極的改善要因とは、それ以上吃音が悪くならない要因です。どんどん良くはならないが、悪くはならないのだから、結局は良くなるだけです。
 消極的改善要因を使うと、それだけでぱっと吃音がなくなるということはない。時間をかけて、経験を増やしていく。経験が増えると、子どもは発達をします。
 吃音の症状はそれ以上悪くならないようにして、子どもは成長をし、変わっていくわけですから、これは、良くなるということです。
 こういう治し方でないと、吃音というものは根本的には改善できないんです。大事な要因は内面因子と、こういうふうに考えます。
 今日は、この消極的改善要因による治療についてお話しています。(つづく)


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2022/01/04
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