伊藤伸二の吃音(どもり)相談室

「どもり」の語り部・伊藤伸二(日本吃音臨床研究会代表)が、吃音(どもり)について語ります。

2021年12月

今年1年、ありがとうございました

 2021年も残り今日一日となりました。コロナのために、今年もまた、吃音親子サマーキャンプ、臨床家のための吃音講習会、全国各地で僕を講師として招いて下さる研修会など、イベントがほぼ中止になりました。独立行政法人国立特別支援教育総合研究所での講義や、千葉県の研修会、島根・沖縄のキャンプは、Zoomでつなぎ、オンラインで会場の人と話すことかできました。好きではなかったし、そもそもできなかったZoomですが、そうも言っておられず挑戦しました。それなりにできるものがあると実感しました。日本小児科医会の「子どもの心研修会」は、友人がスタジオのような設備を用意し、録画してくれたものをDVDにして、動画配信の形で行いました。動画配信のような形でも、大勢の小児科の先生が見て下さったと聞き、どのような形であれ、発信できることの喜びも感じました。
 イベントがない中、車で、自然の中を走り、旅を続けました。人との出会いは少なかったけれど、四季折々の自然の美しさを、例年以上に堪能しました。
 
 吃音について、ネガティヴな情報も多い中で、なんとか僕の考えてきたことを伝えたいと、ブログ、Twitter、Facebookなどの発信は続けてきました。そのために、過去のニュースレターや論文などを読み返しました。そんな中で、昔、書いた原稿に出会い、懐かしさを覚えたり、改めてブレることのないことの確認ができたりもしました。

 情報や考えを発信できるのは、読んで下さる人がいることを確信できるからです。時折の「いいね」やレスポンスに励まされました。お読みいただき、ありがとうございました。 僕は、セルフヘルプグループで56年活動続けてきた人間なので、やはり、人と人との出会いが僕の本来の姿です。来年は、人との「直」の出会いを望んでいます。
 この一年、昔書いた文章が中心でしたが、お読み下さり、ありがとうございました。とは言うものの、今書いても同じことを書いていると思いますので、古くさいものではないと、僕は考えています。来る年もできるだけ発信していきたいと思いますので、よろしくお願いします。また、おもしろい記事がありましたら、周りの人にシェアしていただけるとうれしいです。ありがとうございました。
 良いお年をお迎え下さい。

日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2021/12/31

民間吃音矯正所 2

 東京正生学院の理事長だった梅田英彦さんの話のつづきを紹介します。
 吃音を何が何でも治さなければという機運が高まっていくのが、富国強兵政策の中でのことだったという話など、歴史を感じさせます。梅田英彦さんは、どもる人の話をよく聞く人でした。話をしっかり聞いてもらえることで、どもる人が自分でいろいろなことに気づいていったということなのでしょう。梅田さんは「吃音矯正所は、初期の頃は必要善でした。吃音で困っているのは自分だけと思っていたのが、こんなにも大勢の人がいるのかという発見。この発見する場として必要でした」と話しました。これは本当にそうだと思います。僕が当時、東京正生学院で何が一番良かったと思ったかというと、「吃音に悩んでいたのは、僕一人ではなかった」ということを知ったことでした。これは、何にも代えがたいことだったと今でも思います。今の僕があるのは、東京正生学院のおかげだと言い切ることができます。そこに行かなければ、大勢のどもる人と会うこともなかったし、言友会を創立することもなかったし、今も続いている「吃音の旅」の出発はなかったのですから。
 東京正生学院と梅田英彦さんとの思い出はたくさんありますが、またの機会に。 

鳴呼、民間吃音矯正所 (2)
         財団法人 東京正生学院 前理事長 梅田英彦

東京正生学院設立
 正しい声の院、『正声学院』が、神田の明治大学のすぐ側にありました。これも楽石社の流れを汲んではいましたが、厳しい呼吸練習や発声練習はなかったようです。
 吃音者が集まり、自由にお互いの苦しみを喋り、そして車座から一人立ち上がり皆から質問を受け、それに答えたり、自己紹介をしたりが中心でした。
 先生が、ああしろ、こうしろという方式ではなかったようです。
 私の父の梅田薫が明治大学の学生の時、そこに長く通い、一番出席率がよかったので、助手になっていました。そこの先代が引退する時、引き受けてくれと言われたのを断り、早稲田の地に『東京正生学院』を開いたのが大正12年のことです。
 正声学院の流れをそのまま踏襲されました。吃音者が集まり、互いの悩みを話し合い、真ん中の先生は、助言するわけでもなく、「ウンウン」と聞く。そして順番に挨拶や質問に答える練習でもしようじゃないかという具合でした。
 それに、丹田呼吸と瞑想、忍苦、積極、感謝、を念仏のように唱える、規則正しい生活でした。

富国強兵政策の中でどもりを治せ!
 何がなんでも吃音を治さなければならない、というような意識が矯正所の中に強くなったのは、富国強兵が国策として取り入れられてからです。
 つまり国を強くし兵を強くする、日本人一人一人が国のために強くなって欲しいという富国強兵政策。満州事変、支那事変、そのもっと前からでしょうか。国の願っている価値観を押しつける。この頃でしょう、弱虫がいつも虐げられ、排斥され始めていくのは。
 時あたかも昭和12年頃から、それまで寺子屋か禅道場の雰囲気だった正生学院の教室が急に軍国調に変わりました。正生学院にも陸軍中将○○の○○がしというのがよく来て、生徒の前で大きな声で檄を飛ばす講演会が開かれました。
 日本は今、こうこうこういう状態にある、若者は決起せよ!どもりを乗り越えて……!
 そういう偉い軍人が来て、檄を飛ばせば飛ばすほど、教室の中では、吃らないように一生懸命型にはめ、吃音を出さないような訓練がどんどん条件づけられていきました。

海外の情報
 そして戦後。情報に全く接するチャンスのない時期です。親父の書棚をひっくり返してみますとドイツのグッツマンというお医者さんが書いたドイツ語の本がありました。この人は、親と子と孫が全部お医者さんで、皆が耳鼻科が専門であり、いずれもが吃音の治療をしたと、書かれていました。その治療は、やはり呼吸法と発声法でした。
 昭和20年頃のその他の資料を見てみますと、イギリスではシェイクスピア劇場で、芝居のための発声訓練、体の動きの訓練を実践し、その中で吃音の矯正が行われています。
 ロシアでは、3歳まで沈黙の何日かを置いて、そして一語、二語と始めていき、語彙の少ない状況の中から言葉の成長過程と同じような段階で、語彙を増やしていくという言葉の再教育というか、いろんなことが書かれてあります。
 アメリカの1930年以降の研究が日本にまだ入っていなかった時、アメリカの言語病理学を日本に紹介したのが、お茶の水女子大学の田口恒夫先生です。また、アメリカからお帰りになった神山五郎先生と内須川洸先生の『どもりの話』が出版されてから、一気にアメリカの翻訳本がどんどん現れ、吃音とは何か、吃音の治療とは何か、吃音の問題とは何かの大きなテーマが巷間に広がっていくわけです。

言語治療教室
 千葉の院内小学校で『言語治療教室』設置記念の公開講演会があり、私も行きました。講堂にはあふれんばかりの人が集まっていました。
 平井昌夫先生、大熊喜代松生、それから聴覚言語センターの笹沼澄子先生、これらの方々が中心になって、NHK『ことばの治療教室』もスタートしました。
 後に言語治療教室の"治療"という言葉が取り除かれましたが、これは、担当の先生方にとっては、半分以上荷物が下りたようなものでした。
 治療という名前がついていると、小学校を卒業するまでに何としてもどもりを治して、先に送らねばと思い、真面目であればあるほどそれを背負わなければならない。治療ということばを取ってしまうだけで他に答えが沢山出てきます。
 昨夜、大阪吃音教室の歩みの発表がありましたが、その中で吃音矯正か受容かで議論が沸騰し、矯正を唱えている時は参加者が非常に多くて、受容ということになったら参加者が非常に少なくなっていったという話がありましたが、それはどこでも、全く同じなんです。
 受容ということであれば、わざわざ教室に行かなくてもいい。受容できないから困っているのに何で受容なんだ。どうやったら受容できるんだ。
 言友会でも、ことばの教室でも大きな問題になったのだろうと思います。
 その後、大阪吃音教室は、吃音受容を中心にすえながらも、充実し、再び大勢の吃音者が集まるようになったということですが、これは大変意味あることだと思います。
 一般には、まだまだ大きな問題があります。それはこの後のパネルディスカッションで、皆さんと一生懸命考えたいと思います。
 東京正生学院でも梅田薫が死去した後、もう少し範囲を広げて、大阪吃音教室と同じようなこと、ありとあらゆることをやってみました。

私の吃音臨床
 吃音矯正所である、私の正生学院に来る人は皆、ほとんどが吃音矯正治療を求めています。その中で、私は、宿舎に泊まり込み、ひたすらその方のお話を聞かせてもらいます。その人の話す言葉に対し、こちら側がどれだけ全部受け止めているかという微妙な反応さえ示していけば、1時間の面接を5回、10回と回を重ねるにつれ、受容という言葉を課題として置かなくても、その人はよく喋ってくれますし、気づいてくれます。
 必ずテープで録音し、吃音が交じっていて聞くのがゾッとするのであれば絶対聞かず、聞きたいなら聞いて、これと思ったときにテープを止めて、ノートに書いておく。
 この作業を1週間に1回繰り返していきますと、矯正という言葉を使わなくなりますし、受容とかいう言葉も使わなくなります。
 その人は、自分で自分を発見し、自分を助けていく。どうやったら自分を助けることができるかということを見い出していく。このことだけは間違いなく実感しております。

 日本吃音臨床研究会への期待
 吃音矯正所は、初期の頃は必要善でした。吃音で困っているのは自分だけと思っていたのが、こんなにも大勢の人がいるのかという発見。この発見する場として必要でした。
 戦争中は、お国の命令に一億全部それに疑いもなく従い、国のための一兵であるという観念のもとに強制的な吃音矯正法が強烈に行われました。
 机を叩いて「ドンドン!」「やり直し!」。
 不安を根底にいろんな罰が加えら、条件づけられたものは、容易なことでは取れません。
 戦後、『ことばの教室』が日本全国津々浦々に最高時1200クラスぐらいまででき、専任講師が、2000人ほどに発展しました。そこでは、1対1の教育が熱心に行われました。その結果、そこを出てその後、吃音矯正所に行くという道を選ぶのは、10人に1人ぐらいの割合になってしまいました。
 そして、吃音矯正所にやって来た吃音者は、とても重度の人ばかりでした。
 『ことばの教室』も大きな試行錯誤を続け、そして吃音者のセルフヘルプグループとしての言友会も、有為転変はありました。
 正しく、新しい展開を果たす場所。率直にものが言える場所。情報を提供し意見を出し合う場所。
 この、吃音ショートコースのような場所は、そんな意味で非常に少なくなりました。この場は本当に貴重な場ということになります。
 ここで、話し合われたことが、テープ、ビデオ、などに残されて、その後の議論に続いていくことが必要です。
 吃音の問題は、これまでの歴史を踏まえながら、今まさに新しく動いているのではないでしょうか。
 正にこれからというところで、日本吃音臨床研究会、大阪吃音教室、神戸吃音教室の奮闘を願うや切に。(了)


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2021/12/30

民間吃音矯正所

 第1回吃音ショートコースの概要について紹介しました。プログラムを、参加者みんなで作るということからスタートしたショートコースでした。ゲストとしてお迎えした、東京正生学院の梅田英彦さんの話を紹介します。東京正生学院は、僕にとって、いろんな意味で大きな場でした。治したいと思っていた頃には、憧れの場所であり、初めて自分のことを自分のことばで語り、聞いてもらえた場所であり、ほかのどもる人の体験を聞いた場所であり、どもれる体になった場所でした。
第1回吃音SC 梅田英彦  梅田英彦さんは、どもる人に温かく、多くのどもる人から慕われていました。父親の梅田薫さんの「どもらずに話すための、極端にゆっくり話す」と対立しながら、アメリカの言語病理学の「どんどんどもれ」の随意吃音を教えてくれた人でした。僕も大好きな人でした。だから、第一回の吃音ショートコースには是非来て欲しいとお願いしました
 父親が作った民間吃音矯正所で最も有名で大きかった東京正生学院の理事長として、活躍されました。このとき、梅田英彦さんが話して下さった、東京正生学院や民間吃音矯正所の紹介は、とても貴重な資料だといえるでしょう。

鳴呼、民間吃音矯正所
         財団法人 東京正生学院 前理事長 梅田英彦

伊沢修二の楽石社
 明治6年、伊沢修二という非常に優秀な若者が、国から派遣されてアメリカに行きます。
 電話を発明したグラハム・ベルは、実は聾教育のパイオニアであり、彼はそのグラハム・ベルに聾教育を習って帰りました。
 伊沢修二は、日本における聾唖学校の始祖であり初代校長でもあります。
 大変器用な方で音楽の勉強もされ、国立の音楽学校の校長もされました。教育に大変功績のあった方ですが、ついでに、とんでもない吃音の矯正法を日本に持ち込んだのです。
 彼の周辺に吃音者がいなかったなら、教育の現場で吃音で苦労している人の悩みを聞いたことがなかったなら、恐らく吃音矯正法というものを日本に持ち帰ることはなかったでしょう。
 不幸なことに、不幸か幸いかは、どちらか分かりませんが、彼にはどもりの弟がいたのです。
 彼は、聾教育での口の開け方、動きを見て音を読み取る手法からヒントを得て、アイウエオをはっきり口形して発音し、息を長く出させるような、一番基本の基本から弟に教えています。
 寝転んだままの腹式呼吸、立っての腹式呼吸、腰を掛けての腹式呼吸の練習もしています。
 書物によると、さらに、ハとへとホは声帯が一番開くと、ハの形をとってハーと、への形をとってヘーと、先ずこの三つの音の出し方をハヘホ練習としてさせました。そして、「ワータークーシーワーハー……」という練習をさせました。
 非常に丁寧な一語一語の口形練習と、それを支える心身的な動揺をコントロールするための腹式呼吸と、大きくはこの二つだけなんです。
 彼は、功なり名を遂げて退官してから、東京の小石川の後楽園の近くに楽石社という学校を創立します。明治36年のことです。
 生徒募集の一番最初は、英語、フランス語、ドイツ語、中国語……の外国語学校だったんです。
 ほんのつけ足しに、吃音矯正事業を新聞広告に出したんですが、外国語には人は来ないで、何と吃音矯正事業だけに日本全国からワンサワンサ、信じ難い数の人々が集まったのです。
 彼が、吃音矯正の事業を取り入れたのは、自分の弟の吃音が本当に改善されたと確信したからでしょう。本当のところは、弟さんに聞いて見なければ分かりませんね。何をもってこれを吃音矯正法として発表したのか。その根拠を彼の本などを裏返して見ても縦から横から読んでも、私にはどうにも納得できません。
 そういう意味では、自分の親父が書いた本も、どうも納得できないのと同じです。私は疑い深い人間なんですね。
 とにかく教育界の権威が開いた施設ですから、吃音で悩んでいる方がワンサカワンサカ集まりました。吃音矯正事業が外国語学級よりもはるかに楽石社を支える大きな根幹事業になったわけです。

雨後の筍のように吃音矯正所が
 彼は、そんなに長生きされなくて、彼が亡くなった後、門下の優秀な助手二人が、楽石社と袂を分かち合って、片や東京に、片や大阪に旗揚げをして、楽石社の流れを組む正統な吃音矯正法を教える所として、矯正所を開設しました。
 しばらくは、繁盛したのですが、いかんせん彼ほどの教育的信用を背景にもっていません。何日経っても結果が上がらないと、一気に人が引くとか、不満の塊がぶつけられたりしました。
 その後、吃音矯正所は群雄割拠の時代を迎え、あちこちにできました。あそこは3週間、俺のところは2週間、イヤ俺のところは1週間だ、しまいには20分で治すというところまで出て来たものです。もし治らなかったら代金は即座に返す、との宣伝も争ってなされました。
 こういうのが、大正から昭和の初期に雨後のタケノコのようにワーッと発生、そのため楽石社の力が一気に衰えてしまいました。
 後に続くこれらが、例え誤りがあったとしても、学問とか人を大事にするとかで、何でもいいから一本芯の通った価値意識をもって貫かれていれば、楽石社の後に続く、大勢の人の集まるところとなったのでしょうが、そうではなかった。
 とにかく吃音で苦しんでいる人は、悩むあまりにどこかに自分を委ねるところ、人はいないかと捜す時代がずーっと、明治、大正、昭和30年頃まで続きました。
 このような状況の中、吃音矯正所は互いに中傷広告を出し、『あそこは伏魔殿である』と、言い合ったものです。
 東京正生学院にも随分ビラが届けられ、親父がそれを見てニヤニヤ笑っており、その側で私が、『伏魔殿』の字を見て、おもしろい字を書くのだなあと思っていたこと、今でも忘れません。(つづく)


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2021/12/29

吃音ショートコースのはじまり〜どもる人、どもる子どもの親、研究者、臨床家が一堂に会して、吃音を語る〜

 どもる人、どもる子どもの親、研究者、臨床家が一堂に会し、吃音について語る、そこに吃音問題の真の解決があるのではないか、その思いは、1986年、京都で開催した第一回吃音問題研究国際大会の大会宣言に盛り込まれ、その後、具体的な取り組みが続けられました。大阪吃音教室が、吃音と上手につきあう吃音教室として講座を中心とした活動に変わったのも、そのひとつでした。そして、もうひとつ、今回紹介する、吃音ショートコースと名付けた2泊3日の合宿もそうでした。
 吃音ショートコースの記念すべき第一回は、1995年秋、大阪で開かれました。今日は、3日間の様子を紹介します。その前に、どうして吃音ショートコースが始まったかについて少し紹介します。
 1965年の夏、大学1年生だった僕は、「どもりは必ず治る」と、新聞や雑誌に大きな広告を出して宣伝していた民間吃音矯正所の東京正生学院に行きました。そこの寮で、30日間生活し、その年の秋に、僕はどもる人のセルフヘルプグループ言友会を11人の仲間と創立しました。56年も前のことです。
 その後、僕は、第一回吃音問題世界大会を開催するなど、全国組織の会長として長年活動を続けましたが、残念ながら、事情があって全国言友会連絡協議会から、大阪、神戸の仲間と共に離脱しました。そうなると、これまで僕が中心になって開催してきた、言友会の全国大会を開催することも、全国大会に参加することもできません。大阪、神戸の仲間が、交流や学びの場を失うことになってしまいます。全国組織から離脱したのは、僕の個人的な事情だったので、多くの仲間に申し訳ないと強く思いました。
 そこで、これまでの全国大会とは違う、吃音の枠を超えて、様々な領域の専門家を講師に招いて、ワークショップをしようと考えました。しかし、第一回はやはり吃音そのものにしっかり向き合いたいと、これまで常に僕たちを支えて下さっていた、筑波大学の内須川洸先生と、僕が生まれ変わるきっかけとなった東京正生学院の梅田英彦先生を講師に招きました。また、計画の段階から、参加者みんなで考えようと、プログラムをあらかじめ作らずにスタートしました。その記念すべき第一回吃音ショートコースの報告がありましたので、紹介します。
 その後、吃音ショートコースは、いろんな分野の第一人者から学ぶものへと成長していきます。

1995年 第一回吃音ショートコース
 1995年9月22・23・24日、日本吃音臨床研究会の主催で、吃音ショートコースが開かれました。
 どっぷりと《どもり》につかり、《どもり》について考える2泊3日にしようとの呼びかけに集まった64人の参加者。
 どもる人、吃音研究者、ことばの教室担当者、スピーチセラピスト、どもる子どもの親など、立場はそれぞれ違いますが、そのひとりひとりが主役となり、楽しく、そして真剣に、どもりと、自分と、向き合った吃音ショートコースとなりました。
 予めプログラムを決めず、参加者の思いを出し合いながらプログラムを作り上げていこうと試みた、手作りのショートコースでもありました。

9月22日
 『出会いの広場』。ゲームや自己紹介を通して参加者が互いを知り、気持ちがほぐれていきます。
 続いて、プログラム作り。どもる人、臨床家、親とそれぞれグループに分かれ、話し合いたい、知りたい、発表したい、そんな参加者ひとりひとりの思いが出されました。
第1回吃音SC プログラム作り 再度全員が集まり、各グループから出された話題は全て紹介されました。せっかく出された問題は全てそれなりに処理をしたいという方針だったので、その場でできることは、その場で解決し、残った問題は、幅広い参加者の力で明日からのプログラムへ組み込んでいくことにしました。
 どもる子どもの親から、親のもつ悩みをじっくりと聞いて欲しいと要望が出された時には、全員の了解を得て、昼の大きな時間枠を、内須川洸先生の、個人的なカウンセリングの時間とするなど、参加者の要望をかなり満たせたプログラムができあがりました。最初、どのようになるか大変不安だったこの全員参加のプログラムづくりに、参加者は大いなる満足感を持って下さったようです。

9月23日
 午前中は、前東京正生学院の理事長の梅田英彦先生による講演でした。演題は『ある民間吃音矯正所の終焉』。30年成人吃音の臨床に携わってこられた梅田先生のお話は、どもる人への愛情に満ちあふれたものでした。
 午後は、前述の梅田先生、日本吃音臨床研究会顧問の内須川洸先生、日本吃音臨床研究会会長の伊藤伸二の3人によるグループワーク。
 梅田先生は、どもる人のために、『楽にどもる方法』、内須川先生は親のための『個人的カウンセリング』、伊藤はことばの教室担当者やスピーチセラピストとともに『早期自覚教育のすすめとことばへの直接的指導』でした。
 昼の部の最終は、内須川洸先生の講演でした。『内須川式吃音児の治療指導法』は、長年の研究実践に裏打ちされた迫力あるものでした。成人のどもる人にもよく理解できたと好評でした。
 夜の実践発表は次の4つでした。
‖膾綉媛散擬爾亮汰〜吃音と上手につき合う例会活動〜
△匹發訖佑梁慮魁蹴慍馮表をめぐって―
B臘纏圓砲けるどもる子どもに関する調査
さ媛賛道劼佞譴△ぅ好ール
 その後の交流会は時間は短かったが盛り上がりました。会場は、参加者の話し声、笑い声で包まれました。

9月24日
 午前中は、《吃音の受容》をテーマとしたパネルディスカッション。パネラーが一方的に話すという従来の形とは違い、参加者が自由に発言し参加していくスタイルとなりました。3時間という長丁場を、休憩なしに集中しました。ひとりひとりの発言に重みがあり、率直に正直に胸のうちを語り合えた時間でした。
 午後は、オープンマイクとティーチイン。今、話したいことをスピーチするオープンマイクは、大阪吃音教室の青年部が大活躍でした。ティーチインでは、参加者がひとりずつ感想を語りました。
 参加者の率直な感想にうなずき、熱いものが流れ、こころがひとつになったような連帯感に包まれました。
 夢が叶った、全てのプログラムが終わってそう思いました。9年前京都での国際大会の時に感じた満足感と、これからが出発だという盛り上がるエネルギーを再び感じました。
 吃音ショートコースの詳細は、次回から報告します。


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2021/12/28

想像力への信頼

 今回、紹介する巻頭言。僕は人にとって大事なことのひとつとして、よく「想像力」について話します。不寛容な時代である現代、他者への想像力と、それへの信頼が、求められていると思います。1995年12月に書いたものです。

想像力への信頼
   日本吃音臨床研究会 代表 伊藤伸二

 「いいやん。どもっても別に。あまりそれにこだわるとかえって苦しくなるわよ」
 「何言ってるのよ、母さんに、私のどもりの苦しみなんか分らないわよ」
 子どもにこう言われて「ウーン」となった。

 吃音ショートコースの《吃音受容》のディスカッションの時、小学校5年生のどもる子どもの親から出された話だ。
 経験の少ない子どもが、このように考えるのは仕方のないことだろう。しかし、成人になってもこのように言うとなると、困ったものだ。
 「どもる人のセルフヘルプグループには、それ以外の人を寄せつけまいとする雰囲気がある」
 吃音研究者からこのようなメッセージが寄せられたことがある。実際の例会に全く参加しないでの指摘に、私たちは納得がいかなかったが、まわりの人がこのような先入観をもっているのは事実のようだ。
 「どもりでない人に、僕の悩みは分からない」
と誰かに言われた経験があったのかも知れない。
 確かに、親にも教師にも友達にも、吃音の悩みは話せなかったというどもる人は多い。しかし、その後の人生経験の中で、人はそれぞれに悩みや、苦しみをもっているのだということを知った。
 私よりも、厳しい状況にあると思える人が、それを受け止め、自分なりの人生を歩もうとしていることも知った。
 それでもなお、「どもりでなければ、この苦しみは分からない」と他者を寄せつけないのは、その人の想像力を問題にしないわけにはいかない。
 他者の悩みに気づかないか、気づいても、自分とは違うと思うのか。このようなどもる人が少なくないのも、また事実なのだと受け止めたい。
 このような人は、同じどもりの人と出会っても、「僕の症状は君より重い。君のようなどもりの軽い人に、重い人の気持ちは分からない」と、いうことになるのかも知れない。
 吃音はひとりひとり違う。家庭、職場環境、そして能力も。それらが違えば、悩みは自ずと変わる。どもる人同士でも、本当のところは、その人でなければ、その人の苦しみは分からない。
 人は本来、完全には分かりあえないものだとの前提に立ったほうがいい。その前提で、存在する垣根を越えるのは、互いの想像力だ。
 「あなたはどもりではないから、私の苦しみは分からない」と、どもる人が心を閉ざしてしまうなら、誰も吃音の問題を共に考えてくれなくなるだろう。
 人と人がつながり、生きることを語るとき、どんな個別、固有のことでも、その中には必ず普遍的なものがあると信じている。
 だから、今秋開いた、吃音ショートコースに、どもる人以外の方々がたくさん参加して下さったことが、なによりもうれしかった。
 どもる人は自らをさらけ出した。また、どもらない人たちも、自らの体験を率直に語って下さった。
 どもる人だけではとても得られない、深まりのある話し合いがもたれた。そしてそこには、温かいものが流れていた。
 いじめの問題他、方々で起こる様々な問題は、この他人を思いやる想像力のなさにきている。
 人と人が結びつき、互いにより良く生きる条件をつくりあげていくのは、他人を思いやる想像力で、それに対する互いの信頼だと私は思う。

 「お母さんもこんな事で悩んでいるから、あなたの辛さは分かるわ」
 母親がこう言った時、「お母さんは、どもりじゃないけれど、私の辛さをわかってくれている」と、母親を信頼する。また、その母親のもっている辛さを想像できる子どもに育てたい。
 他者を思いやる想像力と、その想像力に対する信頼があってはじめて、互いが共感できるのだ。


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2021/12/27

国際吃音連盟の思い出

 毎月発行しているニュースレター『スタタリング・ナウ』の過去の号を紹介しています。今日は、1995年11月発行のNO.15です。このときは、「国際吃音連盟」というタイトルの巻頭言を書いていました。ちょうどその年の7月に、スウェーデンのリンショーピンで、第4回世界大会が開催されたからでした。当然、僕もその大会に参加する予定でいたのですが、その年1月の阪神淡路大震災は、関西地方に住む僕たちに大きな傷跡を残しました。第1回から僕が提起してきた国際吃音連盟が設立される大会だったので、参加したかったのですが、参加できなくて残念でした。しかし、この国際吃音連盟の設立には、第一回大会を京都で開いた日本の伊藤伸二の貢献があると紹介してくれたそうです。
 国際吃音連盟の設立に向けて、運営委員会のメンバーとして、ドイツのトーマス・クラールと、アメリカのメル・ホフマンと僕の三人委員会が仕事をしてきました。1992年にはサンフランシスコのメル・ホフマンの自宅で、3人でいろんなことを話し合ったことを懐かしく思い出します。
 トーマス・クラールとメル・ホフマンと僕の3人は、吃音に対する考え方も近く、本当にいい仲間でした。世界大会の度に2人に会うことがたまらなくうれしいことでした。
 アメリカのメル・ホフマンはその後、京都に遊びに来て、京都で再会しました。トーマスは、残念ながら、病気になって活動から離れました。メルも高齢で離れました。僕も、その後日本の広島で開かれた国際大会の基調講演を国際吃音連盟から依頼されたのですが、事情があって断り、その後は、国際吃音連盟の活動からは離れました。
 1986年の京都で開いた第1回世界大会から、今年で36年経ちました。2013年の第10回オランダ大会での基調講演が、僕の国際大会での舞台の最後となりました。
 京都で、そしてその後の世界各地での世界大会の感動と興奮は、今も僕が吃音に関わる時のエネルギーになっています。

  
国際吃音連盟
                 日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二

 どもりに悩んで生きてきた。何としてもどもりを治したいと思った。どもりを持ちながらの人生など考えられなかった。どもっている間の人生は、《仮の人生》で、どもりが治ってからの人生が、《本当の人生》だ。そう思うことで、いいようのない不安、自己嫌悪感から一時的に逃れられた。
 「どもりで良かった」
 そう思える日など来るとは思えなかった。そんなことば自体思い浮かばない。
 1986年夏、国立京都国際会館の会議場。第1回吃音問題研究国際大会のフィナーレ。海外10か国からの34名を含めて、400人の参加者全員が立ち上がり、輪になって肩を組み、「今日の日はさようなら」を歌う。最後にハミングに切り替え、目を閉じてもらった。
 大会会長としてマイクをもった私は、ハミングをバックに静かに四日間の大会を振り返り、3年後ドイツ・ケルンで会いましょうと呼びかけた。
 目を閉じながらの挨拶を終えた時、「どもりで良かった」の思いが胸一杯に広がった。
 21歳頃までが、どもりを否定し、どもりを恨んだ人生。言友会を作ってから少しずつどもりを受け入れていく人生だった。そして、この国際大会で、これまでのどもりに対する恨みつらみがすっかり消え、どもりが好きになっていた。
 これまでの辛い人生を帳消しにできるほどの体験だった。国際大会は私の吃音受容にとってのターニングポイントとなった。
 最終日、オランダの吃音研究者ストラナラスさんは、「この大会のおかげで、《どもりは美しい》と自信を持って言うことができる」と発言した。
 その第1回吃音問題研究国際大会で、私たちは国際吃音連盟の設立を提案した。ところが、これまで海外のグループが互いに連絡を取り合うことはなく、参加した10か国からの参加者も、国やグループを代表するという立場で参加したわけではなかった。国際大会そのものが、今後継続されることすら半信半疑であった。まして国際吃音連盟など思いもよらなかったのだろう。
 しかし、この国際大会は、世界の吃音問題に大きなインパクトを与えた。ヨーロッパの諸国がまず、集まりを持ち始めた。吃音研究者の会議も、京都大会の趣旨である、吃音者を含めて論議しようとの気運が高まり、昨夏ヨーロッパで第1回の国際吃音学会が持たれた。また、私たちの国際大会も、ドイツ、アメリカと回を重ねるごとに参加国も増えた。そして、今回、第4回のスウェーデン大会で国際吃音連盟が設立された。
 ヨーロッパをまとめ、この連盟設立に最も力を注いだ、ドイツのトーマス・クラールは、私への手紙の中で、「世界中の吃音者がひとつになって動いているのが感じられた素晴らしい一日、歴史に残る一日」と表現した。世界5大陸すべてから25団体が参加する、国際吃音連盟がスタートした。
 夢がまたひとつ実現し、私はますますどもりが好きになっていく。
 どもりを否定し続けてきた人が、吃音を受容する道のりは決して平坦ではない。受容ということばさえ思い浮かばないだろう。
 どもりを真に受容するためには、どもりを否定してきた人生と、相殺できるほどの、人やできごと、ことばなどとの出会いが必要だ。
 人は、感動体験なしには変われない。
 果たして、そのような体験ができるだろうか。
 私にとってのターニングポイントが国際大会であったように、誰にもそれはあると信じたい。
 末期ガン患者と、ヨーロッパ・アルプスの最高峰モンブランに挑み、登頂に成功した倉敷市・柴田病院医師伊丹仁朗さん。伊丹さんから戴いたご著書『生きがい療法でガンに克つ』(講談社)にこうサインして下さった。
 「人それぞれに人生のモンブランが在る」 1995年11月記


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2021/12/26

どもる子どもにとって、一番大事な学童期

 昨日は、愛知県で、対面の研修会をしたということを書きました。話を聞いて下さったのは、愛知県のことばの教室の担当者でした。僕が小学生の頃は、ことばの教室はありませんでした。あったとしても行っていたかどうかは分かりませんが。
 僕は、21歳で、生き方を変えることができました。小学校2年生から21歳までは暗黒の世界にいました。エリクソンのアイデンティティをもとに、大事な学童期・思春期について書いている文章を紹介します。
 『スタタリング・ナウ』NO.14の巻頭言、タイトルもずばり、「ああ、学童期」です。
 1995年10月に書いたものです。

 
ああ、学童期
    日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二

 アイデンティティの概念で知られる、心理学者E・H・エリクソンは、人間の生涯を8つの段階に分けた。そして、その段階ごとに、体験しなければならない発達課題を設定した。
 エリクソンの中心テーマが、アイデンティティにあるように、思春期が発達上危機的な時期であることは、言うまでもない。また、乳幼児期が子どもの発達にとって極めて重要な時期であることも、論をまたない。このふたつの時期に比べ、学童期は人生の中でも最も安定した時期のひとつとされ、あまり顧みられない。
 しかし、エリクソンによれば、発達は、前段階の発達課題が達成されてこそ次の段階に進むことができ、一つの段階を飛び越すことはできない。とすれば、最も波乱が多く危機に満ちている思春期の前段階である学童期にもっと関心が寄せられるべきである。しかし、学童期に、その課題を十分に達成できずとも、その時期に危機的状況が現れることは少ない。だから対応が遅れてしまう。
 学童期は国語の時間当てられて嫌だったが、まあなんとか過ごせたと言うどもる人は多い。悩みが一気に吹き出し、ひどく悩むのは次の思春期だ。
 『スタタリングナウ』のNO.1号で、いじめられ体験を語ってくれた山本晋也君は、小学3・4年、5・6年と、ひどい教師にあたっている。学童期の不適切な教師の対応のつけは、思春期に噴出する。思春期にいじめに合った彼は今も、その後遺症に悩む。
 この学童期をエリクソンは、「学ぶ存在である」といい、発達課題を《勤勉性対劣等感》で表した。
 勤勉性とは、「精一杯学ぶとか、一所懸命何かをする」ことである。学ぶ喜びを味わい、困難なことに立ち向かい、そのプロセスの中で解決していく喜びを持てると、有能感が獲得されていく。
 国語の朗読でどもって皆に笑われる。知っている答えも、「分かりません」と言ってしまう。どもることを教師や、級友から否定的に評価されると、学ぶ喜びを味わえない。学ぶことが苦痛になる時、自分は他人より劣っているとの劣等感が強くなる。
 学童期に、劣等感よりも勤勉性が勝り、自分なりの有能感を持つことができれば、「どもるけれど、僕にはこんないいところがある。こんなことが出来る」と考えられる。学童期の課題が達成できていれば、山本君も、いじめに向かい合う力がついていたに違いない。
 どもるからといって、出してもらえなかった学芸会。「最近手を挙げなくなりました。この消極性をなんとかしたいものです」と何度も書かれた通信簿。児童会の役員選挙で、どもるの私を推薦するかどうかでもめた学級会。私の学童期の教師も級友も、私に劣等感を増幅させる役割しか果たさなかった。何かを成し遂げる喜びも、学ぶ楽しさも全く味わえない、孤独な学童期を私は生きた。当然、思春期の危機に直面する。吃音を恨み、母を恨み、自分は何者であるのか、掴めなかった。
 今から振り返れば、私にとってのセルフヘルプグループは飛ばしてしまった学童期のやり直しであったようだ。
 学童期にできなかったことを私はセルフヘルプグループの中で、ひとつひとつやり遂げていったようだ。活動の中から、「私にもできるではないか」「私は私なりに出来る力がある」とやっと思えるようになった時、私の学童期の課題は達成された。そして、私の本当の思春期はかなり遅れて始まった。
 吃音親子ふれあいスクールに参加した学童期の子どもたち。仲間と語り合うことの楽しさ。しんどく苦しかったけれど、みんなと一緒に劇に取り組み、やり遂げた喜び。僕にもできるという有能感をもってくれたに違いない。どもりなが精一杯舞台で表現する子どもたちの中にそれを見た。
 劣等感に勝る勤勉性を、そこからくる有能感を、子どもたちが持てるような体験をおとなたちが用意できるだろうか。吃音と向き合う力は、学童期にこそ養われる。
 その大切な学童期が、今、危ない。


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2021/12/25

対面で話してきました―「愛知県版はじめのいっぽ」研修会

 今日は、今年最後の対面での研修会でした。朝早く新幹線で名古屋へ向かいました。愛知県版「はじめのいっぽ」という研修会です。僕たちの仲間の愛知県のことばの教室担当者が僕を講師に呼んでくれました。参加者は、27名。吃音親子サマーキャンプも、吃音講習会も中止になった今年でしたが、こうして対面での研修会を開催していただけたこと、本当にありがたかったです。
 参加者への資料は、「吃音の対話的アプローチの基本前提」と「子どもへの対話的アプローチ〜ナラティヴ・アプローチ、当事者研究、レジリエンス、健康生成論、オープンダイアローグをキーワードに〜ことばの教室でできること」というパワーポイントが2種類、「吃音と上手につきあうために、知っておきたい吃音の基礎知識」と、おそらく共通するだろうと思われる、千葉の秋の研修会で出た質問に答えたものを事前に送っていました。
愛知研修1 研修会は、9時半から始まり、12時までとされていました。初めての方もいらっしゃるだろうと思い、まず、自己紹介から始めました。小学校2年生のときの学芸会でせりふのある役を外された話、これは担任教師の合理的配慮、教育的配慮のエピソードとしてぴったりの話です。善意の、良かれと思ってすることの危うさを伝えたいと思いました。そして、東京正生学院での30日間の合宿の意味を話しました。どもらないようにする訓練の場が、どもれる体になった場であり、僕が吃音と共に生きる道筋に立ったスタートで、ことばの教室がそういう場であってほしいにつながります。
 そんなふうに、皆さんに自己紹介をしていたら、パワーポイントをつかって話をするつもりでいたのですが、心に思い浮かんだままを伝えたい、しゃべりたいという思いが大きくなり、「使わないでこのまましゃべります」と言ってしまいました。お配りした資料は、おうちに帰ってから、復習用として使って下さいと言って、僕は話し始めました。
愛知研修2 自分自身の体験から、考えたこと、たくさんのどもる人やどもる子どもたちとの出会いから考えたこと、長年のセルフヘルプグループでの活動の中からみつけたこと、30年の吃音親子サマーキャンプで子どもたちから学んだことなど、たくさん話したいことが浮かんできます。
 言語訓練ではなく、対話が大事だと話した僕に、休憩時間、ある担当者が来られて、質問されました。「ものすごくどもる子どもがいる。そんな子でも、訓練はしなくていいのだろうか」ということでした。とても大切な質問です。どんなひどくどもっている子どもに対しても、僕は、言語訓練はしない方がいいと思います。でも、言語訓練ではない、日本語のレッスンはした方がいいと思います。日本語の発音・発声の基本を学び、声を出す喜び、楽しさを知るレッスンです。具体的には、竹内敏晴さんに教えていただいた母音をしっかり出して、童謡や唱歌などの歌を歌うことです。好きな絵本、詩、文学、物語、せりふなどを声を出して読むことです。とにかく声を出し、話すことを、ぜひ、ことばの教室で、毎時間していただければなあと思います。
 短い休憩の後、事前にいただいていた質問に答え、ことばの教室でできることを具体的に教材を紹介して、12時ぎりぎりまで話しました。あっという間の2時間半でした。話したいことがありすぎて、2時間半では足りないくらいでした。その後、時間に余裕のある人が残って下さって、座談会のような、質問に答える時間を持ちました。
 こうして、地道に、少しずつ、考えていること、実践していることを伝えていきたい、そんな思いで大阪に帰ってきました。

日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2021/12/24

吃音を真似された時には、ユーモアで返す〜どもる子どもの両親教室での話 (5)

 「地震予知と吃音」から始まった、どもる子どもの両親教室での話の最後です。吃音の真似をされたときどう対処したらいいかとの質問でした。
 成人のどもる人の、体験にもとづく生の声を、保護者には聞いてもらいました。僕も、ユーモアで返すことができたらいいなあと思います。社会には、嫌な人もいるけれど、基本的にはいい人が多いと思える子どもに育てたいです。そのために、自分のどもりを認めること、保護者は自分の子どものどもりを認めること、それが出発点だと思います。
 参加されたお母さんの感想も合わせて紹介します。

どもる子どもの両親教室
    1995.7.8
    大阪市社会福祉指導センター

 〈子どもが吃音の真似をされて嫌な思いをしているがどう対処したらいいか〉

《親》子どもは中学1年です。小学校が2つ集まって中学校になっています。卒業した方の小学校の子は、うちの子=そういうしゃべり方をする子、本読みはスラスラいかない子、ということはみんな分かってくれていますからいいけど、別の小学校の子どもは、やはり初めてなわけで、学校から帰ってきて、「おかあちゃん、僕、真似されてん。どうしたらいい」と聞かれました。
 中学1年になって真似をされるって、えっと思ったんですけど、どう言えばいいのか分からなかったので、とっさに「真似したら、お前もそんなんになるんやと言うたれ」と言って、これで一応終わったんですが、これでよかったのかどうか、分かりません。このことについて、本人も私も先生には言っていません。小学校の時はその都度その都度先生にお話していたからよかったけど、中学では科目ごとに先生も変わるので、小学校の時のようにしていいのかどうかと思っています。去年の吃音ふれあいスクールで親同士の話し合いの中で、「今までは小学校でよかったけど、今度2つの小学校が一緒になって中学になるからどうしたらいいだろうか」と質問したら、「中学なんだから、本人が学校に直接言うのがいいけれど、本人が学校に伝えて欲しいというのなら、お母さんが中学に行って伝えたらいいんじゃないか。本人とよく相談して下さい」と言われました。
 子どもがああしてほしい、こうしてほしいとか何も言わないもんですから、私も家庭訪問で来られたけれど、担任の先生にことばについては何も言わなかったんです。それで、こういうことが起こったから、担任に言った方がいいのかなあという気もしてきました。でしゃばって親が言っていいものか、本人が言うべきなのか、周りが分かってくれるまで待つべきなのか、今、迷っています。

どもる成人の意見
◆真似されてくやしかったら、そのくやしい気持ちは自分で言わないといけないと思うけれど、お母さんの言い方、いいなあ。「うつしたろか」と、口をつけにいったらいい。いじめとか、からかいにはユーモアで返すのがいいと思います。
◆僕も、真似する子がいたんだけど、もうそんなの勝手にしろという感じで、無視していました。そしたら、そのうちしなくなりました。真似したって全然反応がないから、つまらなくなったのだと思います。
◆勝手にしとけで、自分の気持ちが処理できればいいけど、処理できないときがあると思います。真似されたり、ひやかされたりしたときは、うーん、難しいな。まねした子を殴るわけにもいかないし。
◆中学だから、その内減ってくるとは思います。みんながみんなそんなことをしてくるわけではないと思うから。自然と、そんなことしていても仕方がないと思うようになってくると思います。
◆深刻な感じで処理したくないなと思います。ユーモアで返すなど、ゆとりがほしいな。
◆やっぱりジョークが一番いいと思します。どもりだけじゃなくて、人間関係も、深刻になりすぎないようにしたいなあ。
◆僕は小学校5、6年の時、真似されたことがあったけど、そのときは言い返せませんでした。ユーモアで返すなど、そういうとこまで達していなかったから、そんなことはできませんでした。

 ユーモアがこれからは武器になるような気がします。ハンディを持っている人は、よけいにユーモア感覚を身につけたいですね。弱いものは弱いと認め、自分を認めるところからしかユーモアは生まれません。結局は自分で自分を受け入れることでしょう。自分で自分を好きになる、というところからすべてが出発すると思います。そういうゆとりはどうして生まれてくるのでしょう。どもりをマイナスに思わず、どもりを受け入れていたら、ゆとりを持ってユーモアで返せます。でも、どもりを否定し、どもるのは嫌だ、みじめだと思っていたら、一番嫌なことについてぐさっときたわけだから、逆上しますよね。どもりを受け入れているかどうかということは大きなことです。
 大人である僕たちは自分自身がどもりをどう受け入れるか、小さいお子さんの場合は両親が本当にその子を受け入れるかどうかが大事なのです。親が吃音を否定して受け入れていないのに、子どもが健気にも、親が否定していることを受け入れることはあり得ません。大人になってくると、親なんて関係なしに、いろんな人と出会ったり、どもっていても異性から惚れられたり、どもってでもいろんないい経験をすると、どもりを受け入れるチャンスはいっぱいめぐってきます。子どもの場合は親を越えての体験ということはできないと思います。親が受け入れる程度にしか自分の問題を受け入れられないんです。

どもる子どもの両親教室に参加して
                長山ひろ子

 ある日、突然ことばがつまり、我が子と吃音とのつきあいが始まりました。五年になろうとしています。その間、小児科医、児童相談所、カウンセラーの方々から助言をいただきましたが、共通していたことは、「そのうちに治るでしょう」「本人に吃音を意識させないように」ということでした。
 しかし、一向によくなる気配はなく、本人が悪戦苦闘している姿に心が痛み、どうしてやればよいのか悩む日々でした。
 知人の紹介により初めてこの吃音両親教室に参加させていただきました。「治らないかもしれないことを受け入れる」「早期自覚教育の必要性」についての話を聞く中で、もやもやとしていた吃音に対する考え方、見方に一つの整理ができたように思います。
 しかし、親子とも、これを受け入れていくにはまだ時間がかかりそうですが、ここからが出発なのだと思っています。
 また、成人のどもる人の体験からのアドバイスは、心温かく大変有り難く思いました。おかげさまで子どもへの接し方に、自信と余裕が出てきました。
 我が子がいずれ歩むであろう険しい道程を思う時、皆さんの存在、活動は心強いものに感じました。


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2021/12/22

子どもがどもって声が出ないとき、親として手助けをしていいかどうか〜どもる子どもの両親教室での話 (4)

 昨日のつづきを紹介します。両親教室では、一方的に話をするのではなく、参加している人の意見を聞きながらすすめています。成人のどもる人の話は、どもる子どもの保護者にとって、我が子の将来の姿を見ることになり、我が子の代弁者としてのことばを聞くことになります。吃音をめぐり、いろいろな立場の人が参加していることの利点ということになります。たくさんの声が重なり合って、温かい空間になっていくのです。

どもる子どもの両親教室
    1995.7.8
    大阪市社会福祉指導センター

〈子どもがことばが出ない時に、親としては言いたいことが想像できるのですが、待ってやった方がいいか、先取りして言ってやった方がいいか〉

 これは、どもる人がどう思うか聞いてみましょう。

◆大きくなってからは自分の考えていることは言いたい、あまり先取りして言ってほしくないと思いました。子どもの時は、自分では言いたかったと思いますけど、あまり間があくのは恐かったという気もします。ちょっと手助けしてもらってもいいかな。
◆僕の場合は、言ってくれた方がいいです。それは楽だからです。分かってるなら早く言ってという感じです。
◆僕は、最後まで言い切りたいので、先取りしてほしくないです。
◆僕も場合によりますけど、目をそらされるのが一番嫌です。
◆場合によるけど、先取りして言ってもらった方が楽でいいかな。
◆僕は基本的には待ってもらうのがいいんだけど、明らかに分かることってありますよね。そういうことは、言ってもらった方が楽です。
◆待たれる態度っていうのも、ものすごく違うと思います。きちんと話を聞きたいんだという表情で待ってくれてたら話しやすいけど、「早く出ないの」という顔の表情で待たれるとものすごく喋りにくいです。

 状況による、場合によるというのは、こんな風に考えられますかね。自分自身の個人的なこと、自分の心の動きや、自分の意見を言おうとするときは、これは自分固有のものだから、それを先取りされると、僕はそういうつもりじゃなかったのにということにもなります。だけど、「お隣の田中さんが・・」の「た」が出ない時は「田中さん」と言ってもらっても傷つかない。自分の本当に言いたいことは先取りされると嫌だけど、名前とか、自分がどうしても言いたいこととは違うことで、どもって立ち往生している時は、言ってもらった方が楽でいいという感じでしょうかね。

 参加されている保護者の方に聞きますが、子どもがどもっているときに待てない時ってありますか。

《親》待ちたいと思うんですけど、子どもが「どもっている時は死ぬ思いや」って言うんです。そんな時には私が先取りして言います。基本的には子どもが言うことを最後まで待ちたいという気持ちはあるんです。子どもが「死ぬ思いやったわ」と言った時など、それだったらこんなに待たない方がよかったかなと思いました。あるときは先取りして言うと、「僕、言おうと思っていたのに」と言うこともありました。
《親》黙って聞いているけど、時には辛くなることがあります。
《親》基本的には聞きますが、忙しい時には背中を向けてしまうこともあります。
《親》子どもの小さい間は、親が、ああやろ、こうやろと先々言っていたけど、「言わないで待ってあげて下さい」と言われてから待つようにしています。
《親》どもっている時は、絶対しっかり聞いてやるようにしています。
《親》今ふっと思ったんけど、本人はもう5歳だから分かっているんじゃないかな。今まで分かっていないと思っていました。意識していないと思っていたのです。でも、僕がどもっているから待ってくれている。いつものママだったら絶対待ってくれないのになんてことを思っているんじゃないかなと、ふっと思ったけど、どうでしょうか。

 そうです。そうだと思います。子どものどもっているときと、どもっていない時と、お母さんの態度が微妙に変わると、その子どもがしゃべっているときに、○を出したり×を出したりということを結果としてしていることになる。だから、どもっているときもどもっていないときも同じ態度でないといけません。肯定的なメッセージを送ろうと思っていても、知らず知らずのうちに、結果として、否定的なメッセージをずっと送り続けているということはあるだろうと思います。基本的には、どもりを受け入れているか、いないかということだと思います。
 どもりだからとか、特別な配慮だとか、特別な思いというのはやめた方がいいです。腹が立ったら腹が立ったと言えばいいし、聞けなかったら、今は聞けないと言えばいいのです。忙しかったり、自分で聞く気持ちの余裕のない時は、背中を向けてしまうよりは、「今聞けない」とか、「忙しいから後でゆっくり聞くからね」とか言う方がいいでしょう。本当は聞きたくないのに聞かなければならないと思って聞くというのは、子どもは敏感ですから聞きたくないんだなあと分かりますよ。また、これが一番大事なことですが、本人抜きには特別の配慮はしないことです。つまり、どもった時、待った方がいいか、言うことが想像できたときは手伝ったほうがいいか、本人に聞いて下さい。そうすると、こんな時は、こうして欲しいなど、子どもは言ってくれると思います。本人のためにと、よかれと思ってしたことが裏目に出ることはあります。それを防ぐには、本人に、考えや気持ちを常に聞いて確認することです。すると、そのようなことはなくなります。(つづく)


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2021/12/21
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