伊藤伸二の吃音(どもり)相談室

「どもり」の語り部・伊藤伸二(日本吃音臨床研究会代表)が、吃音(どもり)について語ります。

2021年11月

どもりについてみんなで語ろう(2)

 大阪吃音教室での「どもりについてみんなで語ろう」の様子を紹介しています。会に入って浅い人が、長く関わっている人に質問しています。長く関わっている人が、以前のことを思い出しながら、体験を話します。教える・指導するという立場の人がいない、対等な関係の中で、吃音にまつわる話がどんどん続いていきます。僕は、この空間こそ、セルフヘルプグループだなあと思います。僕にとって、とても居心地のいい空間なのです。

 
『スタタリング・ナウ』NO.10 1995.5.29

 どもりについて語ろう 2

どもりが軽くなったのは何故?

◇私は大阪吃音教室に入って半年ですが、お聞きすると10年以上という方もおられるようですが、どんなふうにどもりが軽くなったか、お聞きしたい。
◇6年前に入り、今49歳ですが、43歳頃の私は、吃音を治す専門機関へ行けば吃音は治るだろう。だからあまり気にせんでいい、本当に治したいと思ったら、吃音を治す所へ行けばいいんだと考えていました。年をとるにつれ話すことが増え、困ることが多くなり、吃音を治すのは今だと考え、大阪吃音教室に来ました。治してもらえると思ったのですが、吃音はそんなに簡単に治るものではないことを知りました。
 吃音は《ことば》だけの問題ではなく、その人の全人格的なもので、《人としての在り方》に関わるものだということが、大阪吃音教室を通して分かりました。
 吃音教室では、「交流分析」が私自身も仕事の面でも大変プラスになりました。自分自身の気づき、自分が気づいたことにどう対処すればよいかが分かりました。その他「行動療法」「森田療法」などを知ったことは、自分が話す上でも非常にプラスになったようです。
◇私は参加し始めて、13年になります。最初は名前も言えなかったのです。私の吃音症状があまりきついので、大阪吃音教室に参加しても、話が進まないので、嫌がられるのではと想像していました。大阪吃音教室を知る前は、スラスラ喋らなければいけないという考えがあり、どもったらひどく落ち込みました。ところが、大阪吃音教室では、「どもって喋っていいですよ」と言われびっくりしました。なので、いくらどもっても、どんどん話しました。どもらずに話そうと思うと話せなくなりますが、「どもっていい」と言われたら、結果的には話せるようになりました。
◇私も人前ではほとんど話すことができなかったんです。ここでは皆が平気でどもっている。大阪吃音教室に参加して、「どもってもかまわない」と思えたのが、一番の救いで、緊張が解けて、だんだん話せるようになっていった。でも、一歩出ると、相変わらず緊張して話せない。大阪吃音教室の中ではよく喋り、元気だが、外では、借りてきた猫のようにおとなしいという状態がしばらく続きました。
 それは、一般社会では、どもったらいけないという意識が根強く残り、「人前でどもると相手にしてもらえない。劣った人間と判断される、友達ができない」という考えがしっかりと自分の中にあって、それがなかなかこびりついて取れなかったからだと思います。こんな考えも、皆と話し合い、人の話を聞き、人前でどもっても仕方がないやと、だんだん思えるようになり、どんどん恥ずかしい思いをしながらも、話していって少しずつ変わっていった。自分で変わろうと思えたことがよかった。
◇今のような「吃音と上手につきあうための講座」が始まる前の大阪吃音教室では、抑制法という「どもらずに話す」ことを目指した例会を続けていました。どもりを抑制するためにゆっくり話すことを続けていたんです。一人一人性格も症状も違うのに皆一緒くたにして、発声練習をしていました。大阪城に向かって、大きな声を出す練習なんかもしていました。それがナンセンスだと分かってきました。大阪城公園で、また、例会で大声を張り上げていくら練習しても、特別な話し方をしたり、練習だと思うからできるんで、急に話しかけられて話すとか、突然かかってきた電話で話すとか、商品を売るために必死で話すのとは全然ちがいます。真剣勝負ではないんです。
 日常生活こそが大切だと気づきました。だから、吃音の先輩としての私たちの役割は、逃げている自分に気づいて、逃げない生活に皆で押し上げることじゃないでしょうか。少しずつでも逃げないと、話す回数が増えます。日常の生活の中で、恥ずかしい思いをしながら、辛い思いをしながらも、できるだけ話していくことが、本当のトレーニングだと思うようになりました。(つづく)


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2021/11/30

どもりについてみんなで語ろう(1)

 先日は、1995年4月の開講式の様子を紹介しましたが、これから何回かに分けて、ある日の大阪吃音教室の講座を紹介します。「どもりについてみんなで語ろう」とタイトルがついたこの講座、さまざまなテーマの吃音に関する話題が出てきます。参加者の活発な意見が飛び交う、躍動感あふれる時間を紹介しましょう。

 
『スタタリング・ナウ』NO.10 1995.5.29

 どもりについて語ろう
 大阪吃音教室は、年間を通してさまざまなプログラムが組まれている。
 吃音についての学習。コミュニケーションについて考えたり、読み、書き、話すなどのトレーニング。人間関係をよりよくするための心理療法の活用などだ。多くのプログラムの中でも、吃音について語ることを最も重要視し、実際活発に、熱心に取り組むのも、また、常時25名から35名ほどが参加するが、参加者が一番多いのも吃音に関する講座の時である。さまざまな角度から吃音について語られるが、教室に参加できない人々とも共有したいと考える話題も少なくない。吃音について、多くの人々と語り合い、そこから何かを見い出したいと願う私たちは、吃音教室での話がその場限りのものとなるのは残念だと考えた。全ては再現できないが、興味深いものを選んで、今後この紙面を使って紹介していきたい。前号では開講式の様子を紹介したが、今後、大阪吃音教室シリーズとして、紹介する。今回は、今年度のものではなく、以前行われたものだが、話が弾み、興味深かったので再現する。

 今日は全くテーマは決めません。日頃どもりについて考えていること、思っていること、大阪吃音教室についてでも、どんなことでも結構ですから、皆で話し合いましょう。

大阪吃音教室に期待すること

 ここではあまりしていないようだが、健常者に近づく、話し方の訓練が必要なのではないか。

 今、<健常者>ということばを使いましたか? 普通に喋るということもおっしゃいましたが、そのことについてどなたか意見があれば。

 普通になるとか、健常者に近づくという発想はどうでしょうか。私たちには私たちのことばがあります。普通とか、健常者に近づくというのではなく、私たちなりのことばを磨いていきたいと思います。例えば、どもるからと、うつむいて、相手の目も見ずに、ぼそぼそ喋るのでは、どもる、どもらないに関わらず、相手に向かっていることばではありません。また、どもるのが嫌さに、一気に早口で喋ったり、からだをこわばらせて喋ったり、恐る恐る喋ったりするのは改善できます。
 数回前の大阪教室でも、どもる上にすごい早口でそれにあせって話すので、私たちには、何を言っているのかさっぱり分からない、大変聞きづらい人がいました。どもっているからイライラするのではなくて、聞き手のことを一切無視して、自分の殻に籠もって、音を発しているだけなんです。どもる私たちでもイライラしました。
 彼は、会社では、自分が話しても相手にしてもらえないと言っていましたが、ことばを含めた、コミュニケーションの問題をもっと考え、トレーニングする必要があるとその時話し合いました。
 その時彼に、相手を見て、あわてず、一音一音丁寧に声を出すよう、皆でかかわりました。すると、ちょっと本人が意識するだけで、声がよく出るようになりました。
聞いている私たちもずいぶん聞きやすくなりました。
 どもることが悪いと言っているのではなく、相手に伝わるような、聞き手が聞きやすい話し方はできないかということについては、話し合ったり、訓練していく必要があると思います。(つづく)


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2021/11/29

サトウの切り餅のCMで、子どもがいじめに

 日本吃音臨床研究会のホームページに問い合わせフォームがあります。そのアドレス宛に、佐藤さんという方から、メールが届きました。お返事をしたのですが、送信できなかったとのメッセージが入りました。メールアドレスだけで、住所も電話も書かれていませんでしたので、僕の方から連絡のしようがありません。佐藤さんが、このブログ、Twitter、Facebookのどれかを見て下さることを願って、お返事した内容を綴ります。佐藤さん、もしお読みになられたら、メールアドレスを確認してレスポンスを読んだとメールをいただければうれしいです。
 まず、いただいたメールは、こんな内容でした。

 「ラジオCMサトウの切り餅を聞いたことありますか?」
 吃音をバカにしています。息子は吃音があり、昨年この時期から始まったこのCMでイジメにあっています。会社にCMを止めて欲しいと抗議しましたが、無視され、その上、今年も同じCMが始まり、イジメも始まりました。
 団体からの抗議なら回答も得られるのでは無いでしょうか。どうか、どうか、どうか、よろしくお願い致します」


 このメールに対して、下記の返信をしました。

 
佐藤さん
 サトウの切り餅のCM、全く知りませんでした。
 佐藤さんから教えていただき、初めて知りました。「サトウの切り餅CM」でネット検索すると、コマーシャルがいくつか出てきました。その中の「ササササササ編」がご指摘のCMですね。実際に映像で見ました。確かに「佐藤さん」からすると、これは嫌ですよね。

 これまでにも、吃音のどもる状態のような「音の繰り返し、音を重ねる」ことのリズミカルな表現がありました。
 「べべべべ便器の黄ばみには、ささささ酸がきく、サンポール」
 「アライグマ、ママママントヒヒ、ヒヒヒヒトコブラクダ、ダダダダックスフンド」がありましたし、かなり前ですが、NHKのみんなの歌だったかに、「ココココッシー…」というものもありました。そのときも、どもる子どもの保護者がNHKへ抗議をしたようです。これらは一般的に、音を重ねているものでしたが、今回のCMの「ササササトウ」は、佐藤さんの苗字なので、佐藤さんの子どもさんにとっては、名指しされているようで、厳しいだろうなと思います。

 私たちからも、このコマーシャルで、からかいやいじめに合っている子どもの事情を知らせて、別のバージョンに代えてもらえないかとの要望を出すことにします。
 しかし、それでやめてくれるかどうかは、分かりませんね。制作者側には、おそらく、吃音を意図したものはなく、リズムがいいなどの理由だけで流しているのだろうと思います。しかし、このことで実際にからかいや、いじめが起こっているのですから、やめてもらうよう要望は出したいと思います。

 しかし、制作者側に抗議して、流すのをやめてもらえたとしても、それで吃音のからかいやいじめの問題が解決するとも思えません。これから先、CMだけでなく、いろいろな人が吃音に関しては、いろいろなことを言ってくる可能性はあります。それらの口を塞ぐのは容易なことではありません。過去と他人は変えられないので、本人の受け止め方を変えるしかないように思います。このようなからかいやいじめに負けないでほしいと願うばかりです。

 今回のことをきっかけにして、子どもとしっかりと対話して下さい。そして、子どもにどうして欲しいか相談し、からかいやいじめにどう対処するか話し合って下さい。今回の「サトウの切り餅のCM」が、単なる「からかい」ではなく、「いじめ」だと、子どもが感じ取ったのなら、きちんと対処したいですね。

 いじめは決して見逃してはいけないので、いじめに関してはきちんと担任教師と校長にも話し、学校として対処してもらいましょう。感情的にならず、しかし、「いじめは絶対許さない」という毅然とした態度を示す必要があると思います。
 CMをやめさせること以上に、佐藤さんご家族の学校への抗議、学校側と相談し、吃音への理解を求めることが大事だと思います。それでもいじめが収まらなければ、教育委員会、警察、どんな手を使ってでも、いじめから子どもを守りましょう。
 ご健闘お祈りします。
                              伊藤伸二


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2021/11/26

自己開示と自己提示

 1995年5月のニュースレター「スタタリング・ナウ」NO.10の巻頭言は、「自己開示と自己提示」でした。これまで、この巻頭言をはじめ、たくさんの文章を書いていますが、このタイトルは、僕の中でも特に印象に残っているものです。
 今、対話や対話的アプローチについて考えていますが、子どもと話すとき、対話の相手である保護者やことばの教室の担当者、言語聴覚士などの支援者が、自己提示しかできないと、対話はすすみません。適度な自己開示ができる自分でありたいと思います。

『スタタリング・ナウ』NO.10 1995.5.29

自己開示と自己提示
            日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二


 他人の目をあまり気にせずに、赤裸々な自分を出す。自分の情報をありのままに他者に伝えることを自己開示という。
 自分のことを話していても、それが表面的な、また、仮面的な情報を伝えることは、自己提示と言い、聞き手には同じ行為のように思えても、自己開示とは区別する。
 私たちは、様々な人間関係において、自己開示ばかりしているわけではない。しかし、いつもどのような関係においても自己提示ばかりでは、人間関係は深まらない。また、自ら解決したい問題がある時、それを自己開示しなければ、解決の糸口も見つからない。
 私は、「無口な子」「消極的な子」と、子どもの頃言われた。大人になってから、吃音を隠し、話す場面から逃げていて、「何を考えているか分からない人」「変わった人」などが加わった。
 私のように、吃音を隠し、どもることから逃げ続け、こんな人生はもう嫌だと、今年度の大阪吃音教室に参加し始めた人がいる。その人は70歳。その歳になっても、自らを変えようと参加するのは、素晴らしいことだ。話すのが嫌、苦手と言ったご本人は、初めて参加したというのに、実によく話した。これまでの辛かった体験は生々しい。共感できることが多く、時間の許す限り、参加者はただしっかりと聞いた。恐らく、吃音の苦しみを他者に話した初めての経験だったことだろう。
 伴侶にも30年以上話さずにきたという人の話を時々聞く。他のことは話せても、吃音のことだけは話せないというのだ。自分の核心部分について話せないと、常にそのことが意識の中にあり、自分はありのままの自分を語っていないとの不全感を持ち続ける。
 どもる人が吃音の問題を解決していく道筋には、自己開示は欠かせない。
 様々な分野で活動し、社会的に認められていても、自らの吃音について語ることがなければ、ひとつの決着がつかないという人もいる。それだけ吃音は多くの人々にとって大きな問題だったと言える。活躍している人々が、いまさら吃音について触れなくても社会的評価が変わるものではないが、自伝、書物などで、自ら吃音体験を話す人は多い。本当かとびっくりするような人もいる。例えばミュージカルスター、木の実ナナさんだ。自ら著作に書かなければ、吃音で苦しんだなど、誰も想像がつかないだろう。
 「吃音から解放されたきっかけは、小生の吃音状態をそのまま書いた作品『凍える口』(河出書房新社)を発表したことであったと思います。つまり、吃音は隠そうとすればするほど昂じるものであり、例えば、脚の不自由な人が堂々と松葉杖をついているのと同じく、どもりはどもりらしく話せばいいのだということ、その境地を自身の吃音の状態をあからさまにさらけ出すことによって得られたと思います」
 作家の金鶴泳さんも、こう書いていた。
 子どもの頃から、自分を出せない習慣がつくと、自己開示への不安や恐怖を持ち、他者を過剰に意識する。また、どうせ言っても分かってもらえないとの思いもある。これらを乗り越え自らをありのままに語ることができるのは、同じ悩みを経験している、セルフヘルプグループの場ではなかろうか。自らのことばで、避けて通りたかったこと、一番気掛かりなことを他者に話す。批判や、哀れみなどを受けず、ただ、聞いてもらえるという経験なしに、新しい一歩は踏み出せない。
 「どもりを語ろう」をテーマにした例会だけでなく、自己開示できる場面をできるだけ私たちは作っている。しかし、どもる人にとって吃音について自己開示できる場と思える大阪吃音教室の場でさえ、自己提示に終始し、自己開示できない人がいる。
 自己開示の地点で立ち往生している人がいることを常に頭においておかなければならない。
 自己開示について今後も考えていきたい。


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2021/11/25

チャールズ・ヴァン・ライパーの著書『The Treatment of Stuttering』第9章「動機」より(5) 大阪吃音教室での話し合い

 僕は、「スッポンのような男」だと言われたことがありました。大阪教育大学時代だったでしょうか。吃音のことで何か取り組み始めたら、とことん自分が納得するまで、しつこく取り組んでしまうところが、周りからそう映ったのだろうと思います。確かに、これだと思ったらしがみつくところがあります。このブログで何度か紹介したNHKの朝ドラ「エール」で、どもる主人公の裕一(古関裕而役)に、藤堂先生が語ることばに「人よりほんの少し努力するのがつらくなくて、ほんの少し簡単にできること、それがおまえの得意なものだ。それが見つかれば、しがみつけ。必ず道はひらく」がありましたが、まさにそのとおりです。
 大阪吃音教室の講座は、年間40回以上で、それぞれテーマが設定されています。それらを通して吃音を学んでいきます。年間通して、継続しての参加が好ましいことを、僕は、開講式で強調しています。
 もうひとつ、大阪人らしく、損得勘定で物事を考えることも提案しています。論理療法につながるこの考え方は現実的で、わかりやすいと思います。
 チャールズ・ヴァン・ライパーの著書『The Treatment of Stuttering』第9章「動機」から始まった、1995年4月の大阪吃音教室の開講式を特集した「スタタリング・ナウ」の紹介は、今日で最後です。

動機〜大阪吃音教室の開講の日にみる

第2段階・・逃げない生活へ
 吃音を隠して、話すことから逃げて「得」をしたという人、ちょっと手を挙げて下さい(誰も挙げない)。それでは吃音を隠して逃げて「損」をしたという人は? (沢山挙がる)

 吃音について、損得勘定をして、損することはやめませんか。行動することは、そんなに簡単なことじゃないですが、隠すことも逃げることも少しやめてみませんか。自分の行動を整理して、回避する段階表を作ってみて下さい。難しいことをはまずおいておいて、易しいことから順に逃げないで行動してみて下さい。これまで10回逃げてきたとしたら0回にしようなんて考えず、8回は逃げてもいいから2回はチャレンジしてみる。ぼちぼちとできるところからやってみる。逃げずに隠さずにやったことをこの大阪吃音教室で話して下さい。チャレンジする時の気持ち、実際起こったこと、その後の気持ちなどです。
 第1段階の仮の受容としては、〈自分の辛かった体験〉を話しましょう。第2段階では、〈チャレンジした体験〉を話しましょう。失敗も成功もその両方の原因を考えることで、共通の財産となります。
 それからの段階は、真に吃音を受容し、吃音に左右されない、自分らしく生きることに結びついていきます。自分がどんな人生を歩みたいか、その人の人生設計にかかわる生涯学習となります。
 僕たちのプログラムは年間47回の講座があります。1回2回でやめるのは「損」です。長年の吃音の苦しみの中から考え抜かれた、「吃音を生きる」ための英知を結集している講座です。しなければならないことはいっぱいあるわけです。一回きりで来なくなる人は、自分を変える動機しかなかったということになるのでしょうか。ということは、その人はそれほど吃音について悩んでなかったんだということになります。
 今、吃音の問題が自分にとってそれほどでなくても、困ってなくても、今ここへ来たことをチャンスに思って、人生のある時期にとことん吃音と向き合ってみることが大事です。きっと明るい人生が待っています。しつこいですが、一年間、継続して来て下さい。

 1995年年度、大阪吃音教室開講式の感想
 今日初めて参加した人、感想を聞かせて下さい。
◆いろんな体験を聞いて、自分だけじゃないと分かったし、あったかい感じがした。
◆この年になって勉強ができるのがうれしい。楽しみだなあ。知りたいことが知れるチャンスだ。
◆香川から来た。この子も年が来れば治るといつも思っていた。私も逃げていたかもしれない。
◆来週もがんばって来たい。
◆親として、自分の責任ということを考えた。願っていたことは、自分のどもりと向き合うことだと分かった。自分が持っているものを認めないと生きていけないなと思った。今回ここへ来てくれて向き合う第一歩を踏み出してくれたなと思う。
◆生きるということは、それぞれつらいものがあるから、母親の私もコンプレックスを持っているし、今日は私自身が励まされた。逃げないで向き合っていかなければいけないなと思った。
◆夜、テレビを見てるよりかは楽しかった。
◆4月から大阪吃音教室に参加しようと予定していたけど、近づくにつれだんだんと嫌になってきた。でも、今日来てよかった。
◆70年間苦しんだ。死ぬまでに少しでもしゃべれるようになっていたい。
◆この会に参加してよかったと思う。

大阪吃音教室のどもる先輩として何かありますか?
◇私も最初思っていたのと違ってた。来ることを迷ったけど、自分の吃音をなんとかしたいという気持ちが強かったから出席して座っているだけでもいいなと思っている。後で喫茶店に行くけど、それも参加するだけでもいいなと思った。
◇僕は、去年の開講式から一日も休まず来ている。どもりについてみんなで話せるのが新しい経験でよかったので、ぜひ来て下さい。(了)


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2021/11/24

チャールズ・ヴァン・ライパーの著書『The Treatment of Stuttering』第9章「動機」より(5) 大阪吃音教室での話し合い

 僕が、以前は使っていたけれど、今は使わないことばに、「吃音受容」があります。障害の受容ということばも、以前、よく使われていました。障害のある子どもの保護者に対して、支援者が「まだ、あの親は、子どもの障害の受容ができていない」などと使われる場面に出会うと、違うぞという気持ちになりました。吃音も、そんな簡単に受容できるものではないと思います。そこで、僕は、作家の大江健三郎さんが使う、「仮の受容」を使うことがあります。今日、紹介するのは、その「仮の受容」です。

動機〜大阪吃音教室の開講の日にみる

第1段階・・仮の受容
 言語訓練するという考え方を私たちはしませんが、もし、言語訓練的なことがありえるとしたら、日常生活でしかありません。日常生活で話していくことが、結果として言語訓練にはなっていきます。吃音を隠し、話すことから逃げていては、その結果としての訓練にもなっていませ。まず、話す場に出ていくことが大原則ですが、どうしたら日常生活に出ていけるようになるでしょうか。まず、吃音を受け入れることです。
 吃音を受け入れるなんてまっぴらだという人もいるでしょう。でも、これまでの仕方を変えるにはこれまでと違うことをすることです。吃音を隠したり、話すことから逃げる態度を変えるには、まず仮に受容してみることの提案です。吃音を否定的に考えていたとしても、日常生活でどもりながら話していくために、仕方がないから、仮に受容してみてください。
 吃音を否定し、どもることが嫌だった私たちが少しずつ変化したのは、どもる仲間がいたからだと思います。多くの人は、どもる人は周りにほとんどいなかったといいます。だから、吃音に悩んでいるのは自分一人だと思っていました。どもる人と出会うのも嫌、どもる友達を作るなんて嫌だという人もいます。どもる仲間に出会い、初めて吃音の辛さ、苦しさを自分の言葉で話し、皆に聞いてもらう、この経験なしには仮の受容もできないのじゃないでしょうか。どうぞ、みなさん、この大阪吃音教室に継続して来て、自分の吃音のことをお話し下さい。辛かったこと、苦しかったこと、失敗したこと、また、頑張ったことなど、どんなことでもいいから自分の吃音のことを自分のことばで話して下さい。また、自分以外のどもる人の体験を聞いて下さい。ともかく吃音を話題にすることがとても大事だと思うのです。仮の受容とはその程度のことです。そうすると、これまでの吃音に対してもっていた、考え方を変えることにつながります。先程、ふと出会ったどもる人を見て、みじめだなあと思ったという人がいましたが、これは「どもることは恥ずかしいもので、みっともないもので、とても人前に出るものじゃない」という考え方があるからです。自分の娘の結婚相手が吃音だと知って喜んで、吃音について話をしてみたいという気持ちになる人もいます。
 この考え方の違いはどこからくるのでしょうか。自分以外のどもる人を知らず、自分の吃音体験だけをみつめていたのでは、こんな考え方が浮かんでくるわけがありません。どもる人が大勢集まることで、いろいろなどもる人の体験が聞け、吃音に対する考え方を変えていくことができます。考え方が変われば、行動も変わります。とにかく、自分の吃音について話し、聞いてもらう、そしてまた相手のどもっている姿をじっと見ることができ、吃音について知ることができたときに、第一段階の仮の受容ができたことになります。仮の受容ができたら次の段階にすすみましょう。(つづく)


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2021/11/23

チャールズ・ヴァン・ライパーの著書『The Treatment of Stuttering』第9章「動機」より(5) 大阪吃音教室での話し合い

 昨日のつづきです。1995年4月の大阪吃音教室開校式での様子を紹介しています。
 チャールズ・ヴァン・ライパーの『The Treatment of Stuttering』の「動機」を紹介しながら、話を進めています。
 ことばは、その人固有のものです。人生、家庭環境、職場環境、性格など、人はそれぞれに違い、一律な訓練など成り立ちません。時に恥ずかしく、時に嫌な思いもしながら、自分で自分のことばをみつけていくしかないと僕は思います。そのためには、大阪吃音教室のような仲間の存在が大切なのです。

動機〜大阪吃音教室の開講の日にみる

言語訓練とは
 吃音を、自分が納得のいく程度にまで訓練するには、どれが一番効果的だと思いますか?
A 週1時間、半永久的 4人
B 1日1時間、2年間 2人
C 1日3時間、1年間 1人
D 1日4時間以上、4か月 2人

☆参考までに、チャールズ・ヴァン・ライパーの『The Treatment of Stuttering』第9章の「動機」では、アメリカの調査で全ての人がAが一番効果的と考え、どんなに集中しても4か月ですむと答えた人は一人もいません。
 吃音には息の長い取り組みが必要です。皆さんも、1年間、大阪吃音教室に継続して来てほしい。1、2回来ただけで自分には合わないといってやめてしまうのは残念です。
 人生のある時期に一度は、自分の吃音ときちんと向き合うことをお薦めします。僕たちは吃音に深刻に悩み、将来に対して漠然とした不安を持っているけど、真剣に吃音について考えたり、取り組んだりはしなかったのではないでしょうか。
 その取り組みですが、ことばはその人固有のものです。その人にはその人の人生があり、家庭環境があり、職場環境があり、性格がある。それを一律に吃音だということで呼吸が悪いの、発声が悪いのだと、一律に訓練しても全く効果はない。誰もその人に一緒についていって電話をしたり、職場に出ていけるものではない。親であっても兄弟であってもついていけない。自分の吃音は自分で取り組むんだという自覚がまず必要です。また、日常生活の場でしかことばというものは変化しない。吃音は自分の意思でコントロールできないと考えて下さい。どこかで訓練をして、自信がついてから日常生活に出て行くというのでは、自信がつく日はなかなか来ないでしょう。学生は学生の本分の学校生活の中で、ゼミで発表したり逃げないでやっていく。また、社会人は自分の職場の中で上司に怒られながら話し続けるしかない、その時、少し自分でコントロールできるところはしていく。
 まず、からだに注目して下さい。私たちは話す時、ついつい緊張してしまう。自分自身のからだに気づきたい。ふっと力を抜くためには、自分のどこに力が入っているのかに気づかないと、緊張を緩めることはできない。そして、人と関わりたいと言いながら、人と話すときに人の目を見ないなど相手に向かうからだになっていない。吃音を治すということでなく、人間として声を出すということはどういうことか、みんなで考え、トレーニングをしていきましょう。(つづく)


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2021/11/22

チャールズ・ヴァン・ライパーの著書『The Treatment of Stuttering』第9章「動機」より(5) 大阪吃音教室での話し合い

 大阪吃音教室の開講式での話し合いを紹介します。最近の開講式のテーマはいつも、「吃音と上手につき合うために」です。僕たちの活動の基本となる前提を話し合います。初参加の人にとっては、ここがどんな考えをもっているグループなのかが分かりますし、もう何年も参加している人にとっても、年に一度、活動の基本に立ち返る大切な時間になっています。今日、紹介するのは、大阪吃音教室のニュースレター「新生」の1995年の記事です。今から26年前の開講式の様子です。

動機〜大阪吃音教室の開講の日にみる

 毎週金曜日に、大阪吃音教室を開いている。年間47回、それぞれ違うテーマで吃音講座がもたれる。この4月14日、1995年度の第1回が開かれた。
 初めて参加する11名のどもる人と両親3名を含む、合計35名が参加した。この『吃音治療について』の講座が、チャールズ・ヴァン・ライパーの動機と関連するので再録する。紙面の都合で参加者の発言など、一部カットされている。

☆大阪吃音教室に、多くのどもる人が訪れますが、新聞などで知っていても、直ぐに来るとは限りません。その切り抜きをずっと持っていて2、3年後やっと来たという人もいます。第一歩を踏み出すことは難しいのです。自分の意志か、親やきょうだいのすすめか、その経緯はいろいろあるにせよ、今日ここへ皆さんが来られたことにまず敬意を表します。

第一歩
 以前から参加されている人、この大阪吃音教室に第一歩を踏み出す時のことを思い出して、自分はどんなだったか、体験を話して下さい。
◇不安で一杯でしたが、「大阪吃音教室」っていう名称で、何をしているんだろうという興味がありました。吃音矯正所で2回失敗していますが、電話で問い合わせた時、吃音を治すところではないと聞き、これまでとは違うなと思いました。
◇僕は、自分がどもることを認めたくなかったから本当は参加したくなかった。ちょっと覗くつもりだった。それが今、会に入ってしまったのは、新しい考えと出会い、自分も吃音に対する考えが変わるんじゃないかと思ったから。
◇若い頃に吃音矯正所に行ったが、ここ20年ほど行ったことも忘れていた。これまで、吃音があまり影響がなかったが、年齢を重ねるにつれ、人前で話す機会が多くなった。普通の所では言えないけど、同じ吃音の仲間の中でならどもってもいいんじゃないか、できるだけ人数の多いところで練習したいと思った。
◇吃音を治すつもりで来た。吃音の治療法という講座の日、治す方法を教えてくれると思ったらそうじゃなかった。それでもほとんど6か月間休まずに来て、吃音に対する考え方が変わった。それまでは吃音を受け入れるということばすら知らなかった。

初めて参加した人
 今日初めて参加した皆さん。新しい所へ行くというのは緊張するものだし、不安もあるものですが、どんな気持ちでここへ来られましたか。
◆人前でスムーズにしゃべれるようになりたい。
◆4月からマンションの管理組合の順番性の組長が当たった。会議では自己紹介があるので、妻に代わりに行ってもらった。それが情けなくて、なんとか自分の名前が言えるようになりたい。話さなければならないことはこれまでは何でも妻にしてもらってきた。今まで逃げ続けてきた。今度組長になるし、2月で70歳になるので、死ぬまでには治したい。死ぬまでにはなんとか楽に話せるようになりたい。
◆スムーズにしゃべりたい。性格的なものだろうと思うけど、人前で恥ずかしい思いをしたらどうしようどうしようと思ってしまって毎日嫌な思いをしている。
◆どもっている人の話とか、情報とか、どういう取り組み方をしてきたかを知りたい。自分だけが苦しい思いをしてきたのではないことを知りたい。
◆軽い気持ちで参加した。家でテレビを見ているのもつまらないし。それで、ちょっと吃音も治ったらいいなと。
◆自分の言いたいことが言えるようになりたい。言えなくて嫌だったことはいっぱいある。
◆気にしないようにしているので日常生活は困っていないが、自分を客観的に見て勉強してみたい。
◆4月から社会人になった。職場で初めての時など緊張して、名前が出ない。変な目で見られてしまう。今はまだ、大事な仕事はしていないので実感はないけれど、相手に電話をするようになったら…。業者と交渉するのは怖いなあ。
◆スムーズにリラックスして話したい。初対面の人に対してつまって話ができなくて困る。(つづく)


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2021/11/21

チャールズ・ヴァン・ライパーの著書『The Treatment of Stuttering』第9章「動機」より(4)

 チャールズ・ヴァン・ライパーの『The Treatment of Stuttering』第9章「動機」の最後の文章です。目標設定や決定過程に、どもる人自身が参加するという点は、大事な視点だと思います。他者に、自分のことばをなんとかしてもらうことなど、本来できるものではないでしょう。どもりながらも何かに取り組んだという地道な試みを続けていくことが、どもる人にとって、大切なことではないかと、僕は思うのです。
 ライパー博士は、僕の尊敬する、どもる研究者ですが、この文章を読む限り、どもる人よりも研究者としての立場が重視されているようです。交換券などの発想も、ちょっと違うんだけどなあというのが、正直な感想です。
 しかし、「吃音を治す努力の否定」「吃音者宣言」などに対して送っていただいた感想には、どもる同士としての熱いものを感じ、やはり、僕はライパー博士のことが好きだし、尊敬しています。

『The Treatment of Stuttering』第9章 動機(2)
    ―動機、その特質の克服―Charles Van Riper


§治療の実際
 私たちが提唱する治療の種類は、主として心理療法を指向する行動療法である。新しい学習ができるよう、セラピストはどもる人と共同で課題設定する。私たちは治療の成功のための自己責任を、どもる人に伝えなければならない。責任をその人に負わさないと、いつも後退と逆行を招くことになる。自己責任をどもる人に理解させるのは簡単ではないが、目標設定に参加させるなどによって責任を学ばせる。動機は、積極的に計画の決定に役割を担う時に高められるが、自分の人生が陰でこっそりと操縦されていると本人が感じる時、弱まる。
 「あなたは患者である。私はセラピストである。あなたは病気である。私は病気ではない。それを忘れないでおきましょう」
 この治療哲学を私たちは信用しない。もし私たちがどもる本人を計画からはずすと、その人を受け身にさせる。私たちは本人を目標設定や決定過程に参加させるとき、隠れたままになっている潜在的な動機を動かすことができる。

§強化
 吃音の治療は長期に渡るため、セラピーの間には、誰でもその目標達成のために、どもる人の動機を強化する方法を作り出す必要がある。セラピーの中で用いられる主要な強化因子は、セラピストの承認である。私たちは、ことばによる承認に対して激しく抵抗するが、うなずきやほほ笑みには反応する。私たちはどもることに対して罰を与えない聞き手が欲しいというどもる人のニードを満たすことができる。彼らの不安や緊張場面を減らせることが私たちにできるということが分かると、私たちの承認を喜ぶようになる。
 しかし、承認それ自体に価値があるわけではない。私たちの仕事は、承認によって、クライエントをとりこにすることではない。そのような手段はうまくいっても一時的で最小の効果しかないし、悪くいけばクライエントに永久の依存と失敗を運命づけることになる。「セラピストに気に入られようとする」ような種類の動機づけは非常に危険を伴うのだ。できるだけ早くセラピストの承認を待つことから、自分自身に承認を与えることに移行すべきだ。そのひとつの方法として、自分が何かを達成したこと、成功した行動を言語化するようにすすめることだ。
 「今日、非常に怖かったし、激しくどもったが、化学の授業の後で、先生に質問した。この時ばかりは、本当に恐怖に直面したんだ、やってしまわなくてはならないことをやったんだ、と大声で自分に言い聞かせた。私は大変誇らしく感じたし、私がそう言うのを聞くことは気持ちよかった」
 自分自身に承認を与えることができるようになれば、どもる人はセラピストの承認に頼らなくなる。どもる人は、治療のゴールまで、二者択一の評価しか持たない。どもることとどもらないことだ。もしセラピストが単に流暢さに賞を与え、どもることを罰するなら、たとえ、一時的にどもらなくなっても、それによって何も得られない。私たちの治療では、3番目の選択を提示する。それは、異常さを少なくしてどもるということである。

§交換券
 私たちは交換券の使用を含むいろいろな他の強化や刺激を実験した。交換券は、多くの学問経験において動機を与える方策として広く使われている。そして、それらにはいくらかの驚くべき利益がある。
 かつて私たちは、1か月の間、クリニックで、どもる人に対し、交換券を考案した。
 治療課題がうまくいけば、得点を与える。店に電話をすれば3点、知らない家に電話をして尋ねれば5点、就職試験に対しては10点。合計で200点になると、次の中から交換券を選ぶことができる。
 ☆初対面でのデートを引き受ける女の子の電話番号
 ☆映画の無料券 
 ☆飲めるだけのビール。
 この交換券の導入で、どもる人は非常に熱心に治療プログラムに反応し、これらの刺激のもとで、急速に進歩する。しかし、その効果はだんだんあやしくなり、最後にはやめざるを得ない。このような交換券による治療動機の強化は、新しい反応を確立する時には効果的だが、それらの反応を維持することにはならない。交換券で得られた価値は、人為的に膨張されたものであり、現実の世界では、価値などほとんどない。だから、それらが、動機となって、学習が長く持続することはほとんどない。
 社会的強化因子の方がよりよく働く。例えばセラピストの承認は、自己承認に移行させることができる。
 どもる人の最も強い有用な種類の積極的強化は、コミュニケーションの不快から逃れることである。
 話していて、どもりそうなことばがあると、言い換えたり、口をつぐんだりしてきた。どもらないことによって、どもる人は罰を受けないように工夫してきた。どもると思うとそれを回避したのである。実際、どもる人の問題の大部分は回避行動にある。
 負の強化、それは当然罰からの回避だが、もしそれをうまく使うなら、強力な治療動機になる。しかし、私たちのセラピーでは、罰はほとんど使わず、使う時には、非常に慎重に行う。どもる人はこれまでに充分に罰を与えられてきた。これまでの人生、他人からだけでなく、自分自身からも罰を与えられてきた。その結果として生まれる怒り、恥ずかしさ、当惑の反応を伴う罰は、吃音者の体内で常に跳ね回る罪という精神的な水たまりに流れ込んできた。その水たまりに、これ以上水を加えたくはない。
 C.S.ブルーメルに、年老いてからどのようにしてどもりを治したのかと尋ねた時、彼が語ったことを忘れない。彼は次のように言った。
 「私は2つの方法で変わりました。ひとつは、自分自身にやさしくなれるようになったこと、ふたつめは自分の口が行ったことに対する責任をとれるようになったことです」
 どもる人が、罰を好むセラピストにあたったら、自分自身にやさしくすることは非常に難しいだろう。多分、ある行動を抑えるのに使う最も効果的な罰は、常にどもる人にとって特に有害だ。その人がどもると、沈黙して聞かない、一度言ったことを繰り返させる、それ以上の会話をすることをやめさせるなどだ。
 とにかく、私たちは、自由を求める戦いにどもる人を送り出すトランペットを吹き、どもる人が自分でトランペットを吹けるようにさせる。誠実さは山を動かすと言われているが、どもる人を動かすのは、セラピストの献身的なケアーと関心である。(了)


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2021/11/20

チャールズ・ヴァン・ライパーの著書『The Treatment of Stuttering』第9章「動機」より (3)

 昨日の続きです。
 大切なこととして、「障害の隠れた部分、吃音に関する感情に目を向けること」とあります。僕たちが、今よく使う吃音氷山説で、目に見える水面上だけでなく、水面下の見えない部分に、吃音に関する感情を置き、それに目を向けることだと言っています。また、「実際吃音を解決した先輩のどもる人に会わせること」も出てきます。解決ということ、おそらくここでは、吃音を治した先輩のことを指しているのでしょうが、僕たちはそうではなく、自分の吃音を認め、吃音と上手につきあっている人のことを指します。
 ずいぶんと昔の文献ですが、似たところをみつけると、おもしろく、うれしくなります。
吃音の解決を「吃音の改善」に置いている、チャールズ・ヴァン・ライパーと、「吃音と上手につき合う」を目指している僕たちとは、根本的な違いはありますが、「解決」を「つきあう」に置き換えて読むと、共通する部分があることに気づきます。

『The Treatment of Stuttering』第9章 動機(2)
    ―動機、その特質の克服―Charles Van Riper


§治療地図
 人がその目標に行く道が分かると、遠くの目標が近くに見えるようになる。私たちは、どもる人にこれから続く治療過程の概要を、治療の早期に説明しなければならない。
 それぞれのどもる人の地図は、仲間たちの地図と異なり、ある人に役立つ地図が、他の人に役立つとは限らない。地図は、個々の要求と能力に合わせて作られるが、多くのどもる人が出会い、乗り越えなければならない共通した障害物はある。どもる人はこれからたどっていく地図を必要とし、その地図には危険な所やめんどうな場所が明らかにされなければならない。
 セラピストは地図を持っているかどうか、どもる人は確かめようとする。彼はどこにいるのか、どこに行かなくてはならないのか。

§症状と感情の表出
 治療の初期、彼の問題をまず把握しなければならない。吃音症状を把握するためには、他のどもる人のいろいろな吃音症状の説明をしたり、模倣をしたりして、自分がどのタイプに似ているかを、どもる人に指摘させる。一般に、この方法を使うと、どもる人が思わず話し、どもっている状況を再現してしまうので、そこから彼の吃音の種類や程度を観察することができる。最初は、他の人の物まねをしていたのが、いつのまにかセラピストが自分の吃音を身振りや声を出したりして模倣しているのだということにどもる人自身が気づく。その時点で、吃音を理解するためにはまず自分の吃音を模倣し、再現しなければならないことを説明する。私たちは、現に今、観察したどもる人の吃音について、解説をし説明をし、表出される彼の吃音やどもる時の状況の分析を彼と共にするのである。
 吃音について観察をし、分析をすることは、彼の人生で、初めての経験であろう。どもることによって、精神的な外傷を受けるのではなくて、むしろ、吃音に興味を持つようになる。このような治療は、彼に強烈な印象を与える。
 次に障害の隠れた部分、吃音に関する感情に目を向ける。私たちは、これまで接してきたどもる人の吃音に対する恐怖やフラストレーションや罪の意識に対する様々な感情について述べ、その中でどれが自分に当てはまっているかを指摘させる。
 どもる人自身が吃音に関する感情を述べることはおそらくどもる人にとって初めての経験であろう。
 どもる人の感情表現にあたっては、セラピストの能力と熱意が大きく影響を与える部分である。

§希望
 治療に失敗し、失望しているどもる人は吃音を解決できるという希望をほとんど持っていない。
 動機づけにとって、《希望》は非常に大切なものだ。それを作り出すか、あるいは消えたはずの灰の中から再び息をかけて炎を出さなければならない。そのためには、セラピストは自分の力量に自信を持っていなければならない。塚や山を動かそうとするには、膨大なエネルギーを必要とする。失望しているどもる人に希望の火を燃えさせるにはそれなりのエネルギーが必要である。そのエネルギーはセラピスト自身の誠実さである。良いセラピストは、どもる人の持つ自己治癒の隠れた力を信じる楽観主義者である。
 どもる人に《希望》を与えるために、私たちは色々な試みをする。一番効果的なのは、実際吃音を解決した先輩のどもる人に会わせることである。また、オーディオやビデオテープを効果的に使う。
 他者の変化、自分自身の変化を目の当たりにすることによって、どもる人はどもり方は変えることができものであり、行動は修正できるものであると、認めることができる。
 私たちの指示やデモストレーションによって、色々と違ったどもり方をしてみる。以前どもっていたことばや、ひどくどもっている時に録音しておいたどもり方をそれらと比較すると、その違いがはっきりしてくる。そして、自分の行動が無意識的でも、脅迫的でもないことに気づく。
 自分の行動を選択したり、コントロールしたりできることを発見する。また、目を閉じたり、唇をつき出したりする、どもる時の異常な行動を少なくするように、簡単なオペラント条件手法を使うことがある。どもっていても、異常さを少なくすることはできるのである。
 どもる人は吃音に取り憑かれて、それをコントロールできないと思ってきた。この時恐らく初めて自分がしていることの多くは変えることができると分かるのである。多くのどもる人にとって、このことは本当に決定的な経験である。確かにそれは非常な動機を起こさせるのである。
 自分の行動とそのコントロールに責任を持つという認識は、本人の社会適応とも関係する。私たちの所にくる成人のどもる人の多くは、流暢さよりもっと別なものを必要としている。どもる人は人間関係がうまくいかず、不本意な生活を送っている。時にはみじめな生活を余儀なくされている。だからどもらずに流暢に話せるようになることは、それ以上のものを作り出すことがある。しかし、流暢に話すことは、どもる人が機能的な人間になるのを助けはしても、決して保証するものではない。
 だから、最初のセッションから、最終的な目標を単なる吃音の除去におくのではなく、機能的な人間になるよう治療を組み立てるよう努めている。
 どもる人が機能的な人間になるためには、モデルが必要である。セラピスト自身が、健康で、幸福で、機能的であることが、どもる人が機能的な人間になることを助ける。私たちは親密な関係を持つすべての人々に影響を受けるものなのである。(つづく)


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2021/11/19
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