伊藤伸二の吃音(どもり)相談室

「どもり」の語り部・伊藤伸二(日本吃音臨床研究会代表)が、吃音(どもり)について語ります。

2021年09月

どもっているそのままでいい―女性ライフサイクル研究への寄稿文(4)

 昨日の続きです。今日は、吃音親子サマーキャンプに参加した子どものエピソードです。この子が「僕、どもってもいいんか」と、母親に尋ね、聞かれた母親が「ええんやで、どもっても」と答える、その光景がなんともいえず温かく、やさしく、記憶の中でかなり鮮明に思い出される話です。そう、僕たちは、こんなやりとりができる親子関係であってほしいと願っているのです。

女性ライフサイクル研究
第8号 特集:今、子どもたちの心と社会は
1998.11.1 女性ライフサイクル研究所

どもっているそのままでいい―吃音親子サマーキャンプ
              日本吃音臨床研究会 伊藤伸二


6 僕、どもっていいんか―倉田悠樹(小学3年生)の場合

「高校生の人もどもってはったなあ」
「悠樹君、その人のお話聞いててどう思った?」
「なんとも思わへんかった。お母ちゃん……僕、どもってもいいんか」
「ええんやで、どもっても」
 母親は、うれしくて、ほほ笑みながら答えた。
 吃音親子サマーキャンプから家に帰ってからの、母親と小学校3年生の悠樹君との会話だ。悠樹君はキャンプ中、他の子どもたちとなかなか交われず、独自の行動をしていた。話し合いのときも、虫がとんできては騒ぎ、会話の流れを阻害することが多かった、芝居の練習も、何度も邪魔をし、他の子どもから抗議を受けていた。
 このキャンプは彼にとって意味があったのだろうか。スタッフ会議で話題になっていた子どもだ。悠樹君がキャンプの後、吃音についてこのように母親と話していたことは、母親の感想文で知った。

 「どもってもいいんやで」
 これは、私たちが、子どもたちに伝えたいメッセージだが、話し合いにまじめに参加することなく、他の子どもたちから、「問題児や」と言われていた彼が、そのメッセージを受け止めていてくれたとは。子どもたちは、「問題児や」と言いつつも、彼を無視することはなかったのだろう。彼はグループの中に常にいた。ふてくされたような、恥ずかしいような態度で、劇の上演の時も、彼は彼なりのスタイルでそこにいたのだった。
「どもってもいいんやで」
「そのまんまのあなたでいいんだ」
 その子どもの存在を、現在の姿を、丸ごと肯定する。今のままでも自分は認められている。存在することができる。これが、どれほど大きな意味をもつか。
「そのままのあなたでいい」
 全てのことに優先して、これがこなければ、治らない、あるいは治りにくい障害や病気、自分の力ではどうしようもない事柄をもった人にとっては、辛いことなのだ。
 私たちは決してことばへの直接的なアプローチを否定しているわけではない。むしろ、とても大切なものと考え、実際、サマーキャンプでも、ことばのレッスンや表現としての芝居に取り組む。しかしそれは、どもる状態に対してではなく、〈声〉に一緒に取り組むもので、「どもっている、そのままのあなたでいい」が前提にある。どもることばに注目し、吃音を治してあげたい、軽くしてあげたいと取り組むことは、その子の吃音を、ひいてはその子自身を否定することにもなりかねない。
 吃音親子サマーキャンプは、吃音を受容するという明確な信念をもったスタッフの、明るい雰囲気の中で行われている。だから、その子どもにとって意味があったのか心配していた子どもが、私たちが一番大切にしているところを感じとっていてくれたのだろう。
 サマーキャンプそのものが、そのような装置となっていることになる。(つづく)


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2021/9/30

どもっているそのままでいい―女性ライフサイクル研究への寄稿文(3)

 昨日の続きです。吃音親子サマーキャンプについては、これまでに、僕は、いろいろなところで話したり書いたりしてきました。
 もしかしたら、毎回、同じようなことを話したり書いたりしているのかもしれませんが、僕にとっては、いつも新鮮です。キャンプ中のエピソードも、参加者の声も、そのとき伝えたいと思うことであり、まざまざと思い浮かんでくることばかりです。30年の間には、多くの人に伝えたい、見てもらいたい、知ってもらいたい、そんな瞬間がたくさんありました。

女性ライフサイクル研究
第8号 特集:今、子どもたちの心と社会は
1998.11.1 女性ライフサイクル研究所

どもっているそのままでいい―吃音親子サマーキャンプ
              日本吃音臨床研究会 伊藤伸二


5.吃音親子サマーキャンプ
 キャンプには、一般的なキャンプで行われる野外活動や、野外炊事などの楽しい行事の他に私たちならではの、二つの大きな活動がある。

 どもりについて、オープンに話し合う
 学年別にわかれて5名程度をひとつのグループにしての話し合いで、子どもたちは、学校で困っていることや嫌な体験などを実によく話す。そんな場合はこうしたという他の子どもの体験に耳を傾ける。親は、子どもがこのように考えたり、悩んだりしていたことは全く知らなかったという。

 日本語のレッスンと劇の上演に取り組む
 吃音が完全には治らないまでも、声が出やすくなること、話しやすくなるようにできないか。私たちはこの10年、竹内敏晴さんの《からだとことばのレッスン》に取り組んできた。私たち自身がレッスンを受け、楽に声が出るようになったり話しやすくなったりした経験から、このレッスンを、子どもたちと共に、劇の稽古と上演という形で取り組む。劇の稽古を嫌がり、セリフの少ない役をしたがった子どもたちも、同じようにどもる子どもが一所懸命取り組む姿に接し、だんだんと声が出始め、最終日に大勢の前で上演をする。 どもりながらも最後までやりきったこと、聞いていた親や、教師が正当に劇の上演やそれまでの稽占について評価することで、自分にもやれるという自信が少しつくようである。学童期の勤勉性に結び付く、これまでできないと避けてきたことに挑戦する、何かに一所懸命になることを共に経験するのである。

 「どもるのは私だけじゃない。それを知ってほっとした」
 キャンプに初めて参加した子どもたちは、口を揃えて言う。子どもたちは、これまで同じような悩みをもつ子どもとほとんど出会ってこなかった。成人のどもる人がひとりで悩んできたように、どもる子どもも、誰にも吃音についての悩みを話せず、ひとりで悩んでいる。
 「どもりのことをいっぱい話せてよかった」
 これもキャンプに参加した子どもたちの声だ。年齢別に分かれてのグループミーティングの中で、子どもたちは実によく吃音について話す。どもることでからかわれたり、いじめられたりの辛い体験が話されると、じっとその話に耳を傾ける。吃音との対処の話し合いになることもある。他人のどもる姿も、体験を聞くのも初めての体験だ。どもる子どもは、子どもたち同士だけでなく、親や教師とも、どもりについてオープンに話し合うことはなかった。どもりについて一切触れず、話題にしてこなかったという親は多いからだ。それは、「どもりを意識させてはならない」の幼児吃音についてのひとつの指導が、かなり定着しているからだと言える。ことばの教室でも、どもりを直接の話題にしているところはそれほど多くない。
 キャンプでは、同年齢の子どもたちだけでなく、小学生、中学生、高校生、大学生、社会人と、各年代のどもる人に直接出会い、生活や意見を聞くことができる。学童期の子どもはは、高校生や成人吃音者と話し、共に行動することを通して、具体的な自分の将来をイメージすることができる。

◇キャンプに行くときは、ことばがつまることがはずかしかったけど、自然の家に着くと、みんながつまっていたのでほっとしました。子どもも大人もつまる人がたくさんいました。
「発表のときに、ことばが詰まるのが、はずかしいです」とぼくが言うと、「ぼくも、いっしょや」と言ってくれました。(小学3年生)
◇何でどもりになったのかという暗い気持ちから、どもりでよかったという明るい気持ちになった。(小学4年生)
◇2年の頃、よくみんなにからかわれたり、真似をされ泣いて帰ったが、3年生の時、キヤンプに参加して、どもってもいいんだと分かってから、発表ができるようになりました。からかわれたら、「それがどうしたんだ」と言い返します。(小学4年生)
◇この2泊3日間、みんなの前で堂々とどもれたことがなんといっても一番うれしかったです。まだ、「私はどもりです」と学校の友達やクラスのみんなに言えないけれど、それを言える日もそう遠くないと思います。(女子高校2年生)

 子どもは、「どもってもいいんだ」というメッセージを吃音親子サマーキャンプで受け、その後の生括の中で徐々に吃音を受容していく。吃音を隠したり逃げたりせず、学校でいじめやからかいにあっても、主張的に対応することができるようになる。
 吃音を受容し肯定して生きることが、楽しい雰囲気の中で無理なく浸透していく。(つづく)


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2021/9/29

どもっているそのままでいい―女性ライフサイクル研究への寄稿文(2)

 昨日の続きです。伝えたいことは、今も昔も全く変わらず、ただひとつだけ、ぶれないで生きてきました。ただ、伝えるための前書きの部分は、そのときどきで変わっています。この寄稿文を書いた頃は、エリクソンの発達論をよく使っていました。僕自身の体験に照らし合わせてぴたっとくるものを感じられたとき、本で学んだことが自分のものになります。吃音、言語障害という狭い分野ではなく、幅広い多くの分野から、たくさんのものを学んできたなと思います。僕のセルフヘルプグループ活動で得られたものから、吃音親子サマーキャンプへとつづく物語を紹介します。

女性ライフサイクル研究
第8号 特集:今、子どもたちの心と社会は
1998.11.1 女性ライフサイクル研究所

どもっているそのままでいい―吃音親子サマーキャンプ
              日本吃音臨床研究会 伊藤伸二

3.学童期の課題
 それぞれの段階の前段階の課題が達成されたとき、初めて次の段階に進むことができるというエリクソンの発達論からすれば、思春期・青年期のどもる人の自我同一性の形成には学童期が重要な意味をもつ。学童期の課題が達成できないで、思春期を迎えると、つまり有能感よりも劣等感が勝ると、自分が自分であることがつかめず、吃音を否定し、自己を否定することで、自己同一性が形成されないのである。
 エリクソンは、この学童期を、学ぶ存在であるといい、発達課題を勤勉性対劣等感で表した。勤勉性とは、何も勉学だけにとどまらない。精一杯何かに取り組むとか一所懸命何かをすることである。学ぶ喜び、何かに取り組む喜びを味わい、困難なことに立ち向かい、そのプロセスの中で解決していく喜びを持てると、劣等感に勝る有能感が獲得される。
 私は、基本的信頼感をはじめ学童期以前の発達課題は達成していたが、学童期に勤勉性よりもはるかに劣等感が勝った。学童期の課題が達成できなかった。強い劣等感から、自分を主張できず、消極的になり、友人は全くいなくなった。学級での役割はほとんど果たさず、授業中分かっている答えでも、どもるのが嫌さに「分かりません」でしのいだ。
 現実生活から逃避しては、自分の正当な力がつかめない。自分が何者なのか、何をしたいのか分からない。私の学童期の劣等感は、思春期に大きく影響を与えた。自我同一性の形成ができず深刻に吃音に悩んだ。どもる自分を肯定できずに、吃音が治ることばかりを夢見た。当然現実の生活から逃げ、吃音と直面することはなかった。
 吃音の劣等感により、吃音に向き合うことも、行動することも、何もできずに閉じこもっていた私が、学童期の課題を達成できたのは、セルフヘルプグループでの活動によってである。セルフヘルプグループの活動は、私にとって、生ききれなかった学童期をそのまま生きたことになる。これは多くのどもる人が共通して経験することでもある。
 セルフヘルプグループを作った21歳から私の学童期が始まったと言える。

4.セルフヘルプグループで得たもの
 公的な治療機関のない中で、私は吃音を治したいとの切なる願いをもって吃音民間矯正所に通った。必ず治ると宣伝する治療機関で、吃音は治らなかったが、吃音者同士が出会ったことは大変大きな意味をもった。ひとりで悩んでいたが、私だけではなかったのだと、まずほっとした。

◇いたずら電話と間違えられて切られた。
◇得意先から、「電話を代われ」と怒鳴られた。
◇どもるために結婚を反対され、好きな人と別れた。
◇学科試験ではいい成績で合格したが、面接でどもりを治せと言われた。
◇どもりを治さないと首にすると社長から言われた。

 どの話を聞いても、「僕もや、その気持ち分かる」という話ばかりだ。私は、これまで消極的、無口と言われていたのが嘘のように話す。話すことが、話を聞いてもらうことがこんなにうれしいことか。人と一緒にいることで、こんなにやすらぎが得られるものなのか。吃音は治らずとも、同じような人と出会い、誰にも言えなかったどもりについて話せ、友達ができたことで私は満足した。それほど、同じ悩みをもつ人々との出会いは大きな意味をもった。せっかく出会えた人たちと、離れ離れになりたくない。吃音について話し合えた友と別れたくない。そのためには、どもる人の会を作るしかない。1965年秋、私はその治療機関で知り合った仲間と、成人のどもる人のグループ、「言友会」を作った。セルフヘルプグループという概念は日本では全く使われていなかった頃のことだ。
 セルフヘルプグループでは次のことを経験した。

1.気持ちや、吃音の情報について分かち合うことができた。
 ひとりで悩んでいたのでは、誰にも悩みは話せない。このように同じ体験をしている人がいることなど、想像すらできなかった。多くの同じ悩み体験をもつ人との出会いで、気持ちの分かち合いだけでなく、吃音に関して、吃音治療に関しての情報交換ができる。想像していたのとは違い、吃音が治りにくいものであること、治療法が確立されていないこと、などが明らかになっていく。

2.行動を通して、多くのことに気づくことができた。
 セルフヘルプ・グループの活動は、幅広く行われる。グループの発展のために、これまで電話を一切してこなかった人が新聞社などに電話をかける。ミーティングで司会をする。活動を通して、これまでどもるのが嫌さに話すことを避けてきた人たちが、どもりながらもどんどん話すようになる。どもっていれば、人にばかにされるに違いない、親しい友ができるはずがないなどと、思っていたのが、活動し、行動する中で、それは自らを縛っていた思い込みであったと気づく。
 これらセルフヘルプグループの活動の中で、自分自身にも、同じ悩みをもつどもる人にも言い続けてきたことは次の3つに集約ができる。

「そのままの私で(あなた)でいい」
「私は(あなたは)ひとりではない」
「私には(あなたには)カがある」

 このセルフヘルプグループでの経験を、今学童期や思春期にいる子どもたちに伝え、ともに体験したい、吃音親子サマーキャンプはこうして始まった。(つづく)


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2021/9/28

どもっているそのままでいい―女性ライフサイクル研究への寄稿文

 どこで知り合ったのか、何がきっかけだったのか、思い出せないのですが、女性ライフサイクル研究所とは長いお付き合いをしていました。何度か、「女性ライフサイクル研究」への原稿依頼を受け、原稿を書きました。吃音親子サマーキャンプについて書いたときの特集は、〈今、子どもたちの心と社会は〉でした。表現の場をいただいたことは、ありがたいことでした。

女性ライフサイクル研究
第8号 特集:今、子どもたちの心と社会は
1998.11.1 女性ライフサイクル研究所

どもっているそのままでいい―吃音親子サマーキャンプ
              日本吃音臨床研究会 伊藤伸二

1.はじめに
 日本吃音臨床研究会が取り組む吃音親子サマーキャンプは、今年で9回目を迎えた。
 当初、近畿地方だけの、20人程度の参加者でスタートしたこのキャンプは、ここ数年、北海道や九州などからの参加もあり、全国的な広がりを見せ、100名近くが参加するようになった。どもる子どもだけでなく家族ぐるみで参加するのが特徴である。
 この吃音親子サマーキャンプは、成人のどもる人の体験、および成人のセルフヘルプグループの長年の経験がもとになっている。
 なぜ私たちがキャンプに取り組むようになったのか。キャンプで出会う子どもたちを紹介し、吃音親子サマーキャンプの意義と使命について探ろう。

2.ライフサイクルからみた吃音
 アイデンティティの概念で知られるE.H.エリクソンは、人間の生涯を8つの段階に分け、その段階ごとに達成しなければならない発達課題を設定した。エリクソンは人がそのライフサイクルの中で、次の段階に進むか、あるいは逆行したり横道にはずれたりするかの分岐点をそれぞれの発達段階の危機として表した。例えば、0才から1才頃の乳児期の発達課題を基本的信頼対不信の対の概念で表し、この危機において基本的信頼が不信を上回って優位な力をもつと、その危機を乗り越え、次の段階へ進むとした。
 エリクソンは、思春期がライフサイクルの中で最も波乱に満ちた時期で、自分が何者であるかがあいまいになったり、何がしたいか分からない、思春期、青年期の危機を同一性対同一性拡散として表した。
 エリクソンのこの自我同一性の危機論を待つまでもなく、多くの人が吃音に悩むのは、思春期および青年期である。吃音である自分が認められず、吃音を隠し、話すことを回避することによってモラトリアムの状態になる。つまり、どもっている現実の世界は仮のものであり、吃音が治ってからの人生を夢見る。高校に行けなくなり、通信制の高校に転校したり、退学して引きこもる。また、社会人になって厳しい現実に直面し、出社できなくなり、退職し、結果として引きこもる。最近このような高校生、社会人の面接が多くなってきた。
 吃音が思春期および青年期前までに治ってしまうものであるならば問題はないのだが、幼児期にどもった経験をもつ子どもの50%程度が自然治癒するものの、小学入学時まで吃音が消失しなければ、吃音が完全には治ることは極めて難しい。
 治らないものを隠したり、吃音と直面することを避けることで、自我同一性はますます拡散していく。成人のどもる人の悩みは、思春期の発達課題を達成できないままに成人期それ以降の人生を歩むことにある。
 常にどもる自分に不全感をもち、吃音を隠し、日常生活を送っていると、自己実現とはほど遠い人生を歩んでしまうことになり、吃音の悩みをずっと持ち越すことになる。このような吃音の現状をかえりみたとき、どもる自分を肯定し、自己を受容して生きることがその人の自己実現に結びつく。
 どもる人の自我同一性の形成こそ、吃音の最大のテーマなのである。(つづく)


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2021/9/27

そのままのあなたでいい―論文にみる、吃音親子サマーキャンプ(1)人間性心理学研究

 僕は長年、日本人間性心理学会に所属していました。大阪で開かれた大会では準備委員のひとりとして活動しましたし、自主シンポなども九州大学の人たちと取り組んできました。その学会誌の「あなたはどのような人間性心理学を実践しているか」の特集で、原稿依頼を受けて書いたのが今回の文章です。
前回に続いて、靴鉢犬鮠匆陲靴泙后

そのままのあなたでいい
−セルフヘルプ・グループで学んだこと−

                日本吃音臨床研究会 伊藤伸二
 人間性心理学研究第15巻第2号抜刷 1997年12月
 日本人間性心理学会 〔特集:私たちの人間性心理学を問う〕
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  供.札襯侫悒襯廖Ε哀襦璽廚亮汰
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     検\こΔ妨けての実践
 
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 E.H.エリクソンは、学童期は「学ぶ存在である」として、発達課題を《勤勉性対劣等感》で表した。勤勉性とは、「精一杯学ぶとか、一所懸命何かに打ち込む」ことだが、劣等感を強くもつと、困難なことに立ち向かい、そのプロセスの中で解決していくという喜びがもてない。筆者の学童期は、劣等感のかたまりであり、どもりを嘆き、授業中いつ当てられるかの不安に脅え、どもるからと全ての役割を拒否し、消極的に生きた。学童期の課題が達成されなかったために、思春期にアイデンティティの確立ができなかった。
 アイデンティティの拡散は、現在その人を悩ませるだけでなく、将来に大きな影響を与える。思春期の前段階である学童期の子どもたちに、私たちのセルフヘルプグループの中で得たものを伝えたい。吃音親子サマーキャンプは8年前に始めたが、今夏は、全国から92名が参加した。大きなキャンプに育ちつつある。
 成人吃音者が悩みの中にあった頃、ひとりで悩んできたように、吃音児も、誰にも吃音についての悩みを話せず、ひとりで悩んでいる。吃音児の指導に、「どもりを意識させてはならない」があり、吃音が話題にされなかったからだ。サマーキャンプでは、どもって笑われたり、いじめられたりした経験や、したいことでしなかったこと、もし吃音が治らなかったらどうするか、将来の仕事についてなど、年齢別に分かれて話し合う。成人吃音者も自らの体験を話す。同じ悩みをもつ者同士の語り合いの中で、子どもたちは実によく話し、他人の体験に耳を傾ける。また、作文を通して自分を語る。
 苦手にしていた演劇に取り組むことで、どもりながらも表現する喜びと、劇をつくりあげていく達成感も味わう。その中から、吃音は、恐ろしいものでも、解決できないことでもなく、直面することによって解決できるということを学んでいく。
 吃音者のセルフヘルプグループによって企画、運営されるこのキャンプには、小学1年生から大学生まで、各年代の吃音児・者が参加する。吃音児をもつ親は、各年代の子どもが参加しているため、子どもの将来の具体的な見本と接することができ、その子どもたちから直接話を聞くことができる。吃音児にとっても親にとっても、成人吃音者と話し、共に行動することを通して、具体的に将来をイメージすることができる。吃音を受容し、肯定して生きることを、楽しい雰囲気の中で無理なく学んでいく。

 「どもるのは僕だけじゃないことが分かってほっとした」(8歳)
 「高校生もどもっていたな。お母さん、僕もどもっていいの?」(7歳)
 「何でどもりになったのかという暗い気持ちから、どもりでよかったという明るい気持ちになった」(10歳)
 「2年の頃、よくみんなにからかわれたり、真似をされ泣いて帰ったが、3年生の時、キャンプに参加して、どもってもいいんだと分かってから、発表ができるようになりました。からかわれたら、『それがどうしたんだ』と言い返します」(10歳)

 吃音児は、どもってもいいんだというメッセージを受け、徐々に吃音を受容していく。吃音を隠したり逃げたりすることが減少する。学校でいじめやからかいにあっても、アサーティブに対応することができるようになる。
 「どもりであれば、教師やセールスの仕事など就けない」と思っていた親も、実際にその仕事に就いている吃音者に出会い、職業選択についての不安が軽減する。そして、子どものどもりをどうしても治したいから、治るにこしたことはないに変化する。
 親は、明るく前向きに生きる成人吃音者と出会い、話をする中で、吃音症状に以前のようにはとらわれなくなる。キャンプに来るまでは子どもがどもっている姿を見るのは辛かったが、今は子どもがどもっていても平気でいられるようになったという父親がいた。

検\こΔ妨けての実践
 1986年、筆者が大会会長となり、第1回吃音問題研究国際大会を京都で開いた。11か国から34名の海外代表を含め400人の吃音者、臨床家、研究者が集う文字通り世界で初めての大きな国際大会となった。
 それまでは世界の吃音者のセルフヘルプグループは互いが連絡をとることはなく、また、吃音者、臨床家、研究者との交流はほとんどなかった。この大会をきっかけに、その後の国際交流の機運が一気に広がり、吃音者の大会は、第2回ドイツ、第3回アメリカ、第4回スウェーデンと続き、念願の国際吃音連盟が設立された。筆者は3人の運営委員のひとりに選挙で選ばれ、25か国にまで広がった国際組織の運営にあたっている。また、吃音者の参加を積極的によびかける国際吃音学会も設立され、今夏第2回大会がセルフヘルプを大きな議題のひとつに選んで開催された。筆者もそのシンポジストとして参加した。
 1998年の第5回吃音者世界大会は、南アフリカで行われる。人権問題など様々な解決しなければならない課題のある南アフリカで、国際大会を開く意味は小さくない。吃音について、セルフヘルプグループについて関心があまりもたれていない国で、その仲間への支援の意味もこめられている。準備段階から各国の支援が始まっている。
 ワーキンググループはそれぞれの活動を展開している。吃音の資料を世界で共有するデータベースの整備がすすみ、インターネットのホームページを通して、情報が提供される。吃音児童年と銘打って、シンポジウムやワークショップを開くなど、吃音児への取り組みがなされている。世界各国では吃音をとりまく状況はかなり違い、就職差別の厳しい現状が報告され、蹴職差別についての実態の調査が始まった。
 国際吃音連盟では、「あなたはひとりではない」のメッセージを世界に送り続けているが、課題は多い。財政的な問題で国際大会に参加できない国をどう援助するか、まだグループがない国にどうグループを作っていくかなどだ。そのため、WHOの登録団体となることが確認され、そのための交渉が進行し、法人化に向けても歩み始めた。
 日本がリーダーシップをとり、吃音を通しての国際交流が進むのはうれしいことである。

Vおわりに
 「治さなくてもいい、そのままのあなたでいいのだ」と、吃音者が吃音の受容を立場をとるのに対して、専門家は、吃音を治そうとする。専門家が治そうとすればする程、吃音は悪いもの、劣ったものとの吃音を否定する意識が強まり、それは自己否定に結びつく。
 自分を否定して生きることが、どんなに辛いことかと、セルフヘルプグループで得た価値観を吃音者が主張し始めた。だからといって専門家が不要なのではない。当事者と専門家が互いの主張を受け止め、ともにどう取り組むかが、今後の大きな課題だと言える。
 セルフヘルプグループの価値観を広く社会のものとすることは、ひとりセルフヘルプグループだけでできることではない。人間性心理学の貢献を期待したい。(了)


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2021/9/26

そのままのあなたでいい―論文にみる、吃音親子サマーキャンプ(1)人間性心理学研究

 これまで、僕たちが発行しているニュースレターなどを通して、吃音親子サマーキャンプの意義や参加者の声を紹介してきました。これからしばらくは、僕がいくつかの学会や雑誌などで、吃音親子サマーキャンプについて書いているので、それを紹介します。
 まずはじめに、今日は、1997年に、人間性心理学研究誌に掲載された文章です。今日と明日、2回に分けて紹介します。今日は、気呂犬瓩法´競札襯侫悒襯廖Ε哀襦璽廚亮汰を紹介します。

そのままのあなたでいい
−セルフヘルプ・グループで学んだこと−

                日本吃音臨床研究会 伊藤伸二

人間性心理学研究第15巻第2号抜刷 1997年12月
日本人間性心理学会 〔特集:私たちの人間性心理学を問う〕
機,呂犬瓩
供.札襯侫悒襯廖Ε哀襦璽廚亮汰
掘ゝ媛賛道劵汽沺璽ャンプ
検\こΔ妨けての実践

機,呂犬瓩
 病気や障害があると、治したい、障害がなくなればと考えるだろう。病気や障害が日常生活を著しく生き辛くさせていれば尚のことである。しかし、現実には現代医学、科学の進歩をもってしても、解明できないことや治せないものは少なくない。治らないもの、治りにくいものに対して、人はどう向き合えばよいのか。
 近年、同じような悩みや生活上の困難を共有する人達が、様々なセルフヘルプ・グループをつくり、体験を分かち合い、自分らしく生きることを模索している。グループは、障害、病気、依存症や嗜癖、死別など、多種多様である。1960年代の日本に大きな流れとしてあった障害者団体、患者会とはかなり違う動きである。前者は施策要求の活動が主であり、組織そのものに焦点が当てられた。後者は、組織よりもメンバーひとりひとりの、互いの人間的な成長に焦点が当てられている。そして、グループの多くが、従来の病気や障害を治したり、悩ませている事柄をなくすという発想に対し、「そのままのあなたでいい」という新たな価値を生み出してきている。
 「あなたはどのような人間性心理学を実践しているか」の編集部からの問いかけに、筆者の言語障害者としての体験と、その後のセルフヘルプ・グループを通しての実践を振り返りたい。それが、AHPのCore Valuesの照合になればうれしい。

供.札襯侫悒襯廖Ε哀襦璽廚亮汰
 筆者は20歳すぎまで吃音に深く悩んだ。吃音を恥じ、隠し、話すことから逃げた。「吃音は治るはずだ」と専門機関で治療を受けた。吃音は治らなかったが、その機関で多くの吃音者と出会い、自分の悩みを話し、聞いてもらえる初めての経験をする。この喜びを、ひとりのものにしたくない。筆者は30数年前、吃音者のセルフヘルプ・グループを作った。世話人として活動する中で、自分自身が吃音の悩みから解放されていった。
 セルフヘルプ・グループに大勢の吃音者が集まり、体験を語り、その体験を整理していくと、これまで信じていたことが間違いであることに気づき始める。

ゝ媛擦慮彊は未だ解明されず、すべての吃音児・者に100%有効な治療法はない。
⊆N鼎鮗ける、受けないにかかわらず、治っていない吃音児・者は多い。
A瓦討竜媛纂圓悩んでいるのではない。明るく健康に自分らしく生きている吃音者は多い。吃音から受ける影響は、症状の程度によるよりもむしろその吃音をどう受け止めているかによる個人差が大きい。

 これらの事実が明らかになるにつれ、グループの活動に質的変化が起こる。「吃音を治す」から「吃音を克服する」へ、「吃音と上手につきあう」へと目標は変化した。吃音だけでなく、病気や障害や生き辛さを感じている人々は、それぞれのセルフヘルプ・グループの体験の中から、「そのままのあなたでいい」という価値観を育んでいる。治らないもの、治りにくいもの、個人の力ではどうしても解決できないものに対して、治したい、治そうとすることがいかにその人を生き辛くさせ、自分らしく生きることを阻んでいるか、多くのセルフヘルプ・グループの仲間たちは知っているからである。


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2021/9/25

言語聴覚士養成の大学や専門学校で僕が伝えてきたことと、スクールカウンセリング

 『スクールカウンセリングのこれから』
       (石隈利紀・家近早苗共著 創元社 2021年8月)


スクールカウンセリングのこれから 表紙 これまで、論理療法のワークショップや親・教師・言語聴覚士のための吃音講習会で度々私たちに同行して下さっている、元筑波大学副学長で、日本学校心理学会理事長の石隈利紀さんが、「伊藤さんも登場します」と、この本を送って下さいました。
 前書きに「本書は、コロナ禍にあって、子どもの成長を援助する《学校の力》を再発見し、再構築を目指す」と書かれています。その最後の、子ども本人(当事者)とのパートナーシップの章に、当事者性、対等性、援助者の役割性・専門性の項目があり、「専門性は、子どもの当事者性や対等性を尊重するうえに成り立つもの」と書かれ、対等性の項目で、私が普段言っていることばが紹介されています。その部分を紹介します。

 
吃音のセルフヘルプグループを主宰している伊藤伸二氏(2010)は「子どもへの援助とは、弱い人間に(強い人間が)なにかをしてあげるのではない」ことを強調しています。だから、苦戦している子どもを「はれもの」のように扱い、傷つけないようにするのではなく、「仮に傷ついたら、なぜ傷ついたか子どもと一緒に考える」と言っています。


 僕は、長年、たくさんの言語聴覚士養成の大学や専門学校で吃音の講義をしてきました。一般的な教科書には全く書かれていない、オリジナルのことばかりを、30時間、45時間と話してきました。学生は、厚生労働省が認可する言語聴覚士の資格を取り、言語聴覚士になります。若い彼らは、これまで学んできた他の言語障害と同様に、吃音に治療法があると信じて、善意に満ちて、治療をしてあげなければと前のめりになっています。それを講義の最初にまず「吃音を治そうなんて考えないで欲しい」とお願いします。
 僕が小学2年生の秋から吃音に悩み、「吃音が治らないと私の人生はない」と思い詰め、吃音が治る夢ばかりをみて、自分の人生への努力がおろそかになったとの体験を話します。そして、吃音の苦しみは「治りたい、治そうとする」ところから始まり、悩みは深まっていくのだと、たくさんのどもる人の人生、どもる子どもの体験をもとに話します。また、ひどくどもり、職場や日常生活を極めて消極的に生きてきた青年との6か月の取り組みを「事例研究」のように討論をしていきます。講義は、質問を受け、話し、また質問を受けて、学生と対話を続けました。最後まで納得出来なかった学生が3人いたものの、最初は戸惑っていた学生たちも、少しずつ理解し始め、最終講義の頃には納得してくれました。 講義の最終の90分間は、最後の質問と、講義を受けての振り返りを一人一人が発言します。この時間が僕は大好きです。時々、不思議なことが起こります。僕が自分のことを恥ずかしい部分も含めて話したり、たくさんのどもる人の人生を語るからかもしれませんが、これまで誰にも話してこなかったことを話す、自己開示をする学生も現れて驚くことが何度もありました。最後の質問としてよく出されるのがこの質問です。
 「これまでの話を聞いていると、私たち言語聴覚士の役割より、カウンセラーの役割の方が大きいように思えるが、なぜ吃音を私たち言語聴覚士が学ぶのか」
 そこで僕は、
 「吃音は言語障害の範疇に入っていることで、言語聴覚士が学ぶことになり、それはありがたいことだけれど、吃音は他の言語障害とは全く別物と考えて欲しい。吃音の相談は、ことばの教室だけでなく、言語聴覚士のところにもくるので、その時は、どもる子どもやどもる人の話をしっかり聞き、一緒に「吃音と共に生きる」ことを考えるために、カウンセリングを勉強して欲しい」
 こう話して、大阪吃音教室でも学んでいる、論理療法やアサーション、交流分析、ナラティヴ・アプローチなどを紹介しているのです。そして最後に次のことばで締めくくります。
      
 「大したことはできないが、ひとりの人間としてその人に誠実に向き合い、精一杯関われば、何かが変わる。人間の変わる力を私は確信している」

 学童期のどもる子どもに関わることばの教室の教師や言語聴覚士に、この本を是非読んで欲しいと願っています。
  『スクールカウンセリングのこれから』
        (石隈利紀・家近早苗共著 創元社 2021年8月)
  
日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2021/9/24

どもって声が出ないときの7つの対処法 大阪吃音教室再開

 緊急事態宣言が続く中、大阪吃音教室の休講も長くなりました。セルフヘルプグループにとって大切な「直」に会い、語り合うことができず、寂しい、物足りない、彩りのない日々を過ごしています。毎週金曜日、いつもの時間に、いつもの場所で会い続けてきたことの、かけがえのない時間を思っています。
 その緊急事態宣言が解除の方向のようです。それに伴い、大阪吃音教室も、10月から、再開します。もし、解除とならなくても、感染対策をしっかりして、再開します。

 10月1日の講座は、「どもって声が出ないときの7つの対処法」です。この講座は、これまでにも参加者にとって、関心の高いテーマで、人気のある講座でした。
 どもる人にとって、話さなければならない場面で、声が出ないというのは、一番のピンチです。多くの人に共通するこの場面をどう切り抜けるか、参加者の皆さんと共に考えていきたいと思っています。
 講座担当は、当初の予定を変更して、僕、伊藤伸二が担当します。
 どもって声が出ないときとは、どんな時なのか。これまでどんなことをして切り抜けてきたのか。どんな工夫ができるのか。たくさんの経験を出し合い、生活に活かすことのできる対処法を考えましょう。
 休講が続いて、なんとなく寂しい日を送っていた方、再開を待ちわびていた方、初めて参加を考えている方、どうぞ、ご参加下さい。みんなで集まり、みんなで話し合い、みんなで考える時間を持ちましょう。
 日本吃音臨床研究会、大阪吃音教室のホームページから、会場の地図、スケジュールが確認できます。
 みなさんの参加をお待ちしています。

日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2021/9/22 

吃音親子サマーキャンプの仕組みと、各プログラムの持つ意味(5)

 吃音のドキュメンタリー映画「マイ・ビューティフル・スタッター」(2020年、アメリカ)の紹介から始まり、僕たちの吃音親子サマーキャンプの仕組みやプログラムについて、第12回吃音親子サマーキャンプの報告として特集したニュースレター「スタタリング・ナウ」から紹介してきました。今日は、その時に参加した人の感想を紹介します。
 それらの感想は、ドキュメンタリー映画「マイ・ビューティフル・スタッター」に登場する参加者の感想と共通します。同じようにどもる仲間に出会い、自分の吃音を認めて、このままでいいという価値観に出会い、そして、そうして生きていく覚悟を決めた子どもたち、その保護者の感想です。

 
吃音の長所と短所
                     安浦善男(高校1年生・大阪府)
 僕たちは、普段の生活の中では「どもってはいけない」と思い込み、鎖が全身に巻き付いたように、常に、体に力が入った状態になっている。
 しかし、今回、吃音親子サマーキャンプに参加してみて、全身に巻き付いていた鎖が解けたような状態だった。「どもってもいい」という解放感が生まれ、安心してどもることができた。安心感のせいか普段よりどもっているような気がした。普段の生活では、気にしてあまり話さないように心掛けるのだが、キャンプでは気にすることもなく心に余裕ができていたのか、平気で人前であることも気にせずにどもることができた。このような気持ちで三日間過ごしたのは、生まれて初めてのことで、解放感に浸ることができた。多分、生涯、絶対に忘れることのできない、すばらしい経験ができたと確信している。
 また、このキャンプですばらしい出会いがあった。今まで「どもっているのは、自分ひとりだ」と思っていたが、キャンプに参加してたくさんの吃音者がいて、すごく驚いた。人口の1%ほどだと聞いていたが、もっと数字が高いのでは、と感じるほどだった。「どもりで苦しんでいるのは僕だけではない。ひとりで悩んではダメだ」と思い、すごくうれしくなった。
 また、このキャンプで普段の生活ではできないことができて、すごくよかった。同年代の参加者と、学校生活の悩みやその他いろいろなことについて話し合うことができた。自分の悩みや他の人の思いなどを聞くことができて本当によかった。
 僕が、一番感動したことは、最終日にした劇である。多分、学校の文化祭では、どもる僕たちは舞台に立つこともなく、たいていは裏方の仕事になってしまう。しかし、キャンプでした劇は、練習から参加することができ、学校生活ではできない経験ができた。練習ではどもらずに台詞が言えたのだが、本番では緊張してしまってどもってしまった。しかし、最後までせりふを言うことができてよかった。達成感に満ちあふれていた。
 うけを狙う人もいて、会場を沸かせてくれた。どもりながら、必死にせりふを言おうとする子どもには「がんばれ」と応援したくなった。学校生活では、できないことが経験できてよかった。
 吃音の短所は、これまでたくさん経験し、書くまでもない。このキャンプで、長所をみつけることができた。もし、僕がどもっていなければ、同年代の人しか知らなかった、と思う。しかし、このキャンプでいろいろな年代層の人と知り合えてよかったと思う。どもっていなければできないことである。
 今回、キャンプに参加して本当によかった。同年代の高校生と知り合うこともでき、吃音の長所もみつめることもできた。また、来年もこの感動を味わうために、吃音親子サマーキャンプに参加したい。

  行ってよかったサマキャン
                    谷本春菜(中学校1年・千葉県)
 やっぱ、サマキャンの感想は「行ってよかった」でキマリでしょう。本当は何かもっとフクザツな気持ちで、ことばがみつからない。夜だって、おしゃべりしないで早く寝る派の私が2時まで起きて話してたってことがスゴイことですね。
 実は、私、8月30日に部活の大会をひかえていたのですが、そんなものはそっちのけでサマキャンに来ました。大会は大切だけど、サマキャンに来ないとまた来年までやっていけない。(特に、今年、友達が増えたからさらに)おおげさかもしれないけど、このサマキャンがなかったら人生に負けてたかも…とか思ってしまうほど、吃音親子サマーキャンプは人生の支えになっています。勇気や元気、そして根性をチャージだ。
 どうしてそこまでサマキャンが大切なものになっているかというと、やっぱ、「どもることがふつう」の世界にいられるからですね。うれしいことです、これは。本当にうれしいことです。だから、遠かろうと、電車&新幹線でメチャメチャ酔おうと来るんですよね。 どもることが普通だと心が安心します。安らぐというか…。なんか自分で「あっ、すっごいどもっちゃってる」とか思った後に「あ、そうか。別にどもったってイヤそうな顔をする人もからかう人もいないし、心おきなく話していいんだ」って思ったことが何回もありました。
 クーラーを使える時間が限られてる部屋と、動くと音がする二段ベッドと、ちょっぴしつらいウォークラリーと、みんなで食べるごはんと、夜更かしと、ラジオ体操など、みんなごくあたりまえの行動が楽しくて、ウキウキして、3日間ずっと笑ってたり笑顔だったり、すっごく楽しかったです。来年は私、キャンプでどうしてるのかなー。
 余談ですが、知人Kの作文に「どもりが直ったらいいなあ」みたいなことが書いてありました。しかーし、と私は思った。「サマキャンに行って、どうしてそう思える?!」と。私はもうこのキャンプを知ってしまった以上、スタッフになるまではどもりは治せたとしても絶対治したくないです。全くキャンプに行ったせいでどもりに対する思いが180度変わってしまいました。すごいことだわっっ。
 だって治っちゃったらサマキャンに参加できないかもだし、参加できても「あー、そうそう中二になるとさあー」とか話せないじゃないですか。そんなの絶対にいやだし、悲しいです。そんなことまでサマキャンに対する思いはアツクなってしまいました。来年も行きますんで、よろしくお願いします。

親は子どもの伴走者
                  松原知子(どもる子をもつ母親・山口県)
 私は、吃音親子サマーキャンプのことを2年前から知っていました。でも、治ることばかりを願って吃音を受け入れることができなかった私は、参加する決心がつかずに、子どもはもう6年生になっていました。小学校最後の夏休み、「この一年を逃がしたらもう行くことはできないかもしれない…」そう思い、とにかく参加して、吃音について考えてこようと決心しました。
 河瀬の駅で、たくさんの吃音の親子の姿を見ただけで、私は安堵の思いで、どっと涙が溢れてきました。これまで、吃音のことを話題にできる友達もなく、ずっと悩んでいました。
 伊藤伸二さんの本は、新聞に掲載された記事で知り、取り寄せて何冊も読んでいます。でも、吃音を受け入れることを頭で理解していても、子どもにどう接していいのか、現実に難しいことです。でも、このキャンプに参加したことで、私も息子も、吃音を前向きにとらえるという道が開かれたと思います。「治る、治らない」ということにとらわれるのでなく、「治せない」という真実を受け入れることが、初めの第一歩だったのです。
 今回は、私は話し合いの中で、どもる先輩の話を聞くことができました。立派に社会でがんばっておられる方の話を聞くことは、これまで息子の将来に不安を抱いていた私の気持ちをずいぶん楽にしてくれました。また、その先輩のお母さんは「とにかくよく話を聞いてくれる人だった」そうです。このことは、私の中に深く刻みこまれた一言でした。
 私は、息子の吃音をこれまでマイナス方向にしか考えていませんでした。でも、それは間違いだったのです。息子には、3歳下の弟がいます。随伴行動のひどい息子は話す時に、よく弟の足を踏んでしまったり、体当たりしてくることがよくあります。でも、弟は一度も文句を言ったことがありません。兄の吃音ということが、弟の優しさを生み出してくれていたのです。本人も、周囲の人たちが口をそろえて「優しい子だよね」と言ってくれます。
 私は、キャンプへの行きの列車の中で、『吃音と上手につきあう吃音相談室』(芳賀書店)を人目につかないように、表紙を隠して読んでいました。でも、帰りの今は、堂々と日本吃音臨床研究会の冊子、『どもり、親子の旅』を息子と読みました。これまで、体裁を気にし、不憫に思っていた自分を恥ずかしく思います。
 新学期になって、夏休みの自由研究の発表会があります。これまでとは違った見方で、堂々と子どもを見つめて、発表を聞く自信があります。
 「吃音とつき合っていくことは難しいことだ。でも、親が子どもの伴走者になっていくことで、子どもは方向を見失うことなく、まっすぐ進んでいくことができる」。伊藤さんから教えられたこのことを、忘れずにがんばっていきます。(了)


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2021/9/21

吃音親子サマーキャンプの仕組みと、各プログラムの持つ意味(4)

 日本吃音臨床研究会のニュースレター「スタタリング・ナウ」より、第12回吃音親子サマーキャンプの報告から、キャンプの各プログラムの持つ意味について紹介してきました。最後に、スタッフについても触れています。他のキャンプとは違い、僕たちの吃音親子サマーキャンプの内容はユニークだと思いますが、スタッフについても、おそらくずいぶんと他の吃音キャンプとは違うのではないでしょうか。
 まず、集まれる者だけなのですが、事前に、合宿で演劇の練習をします。どうしても、キャンプの当日は参加できないけれど、事前の合宿だけでも参加したいと言って、参加する人もいます。この演劇のための事前のレッスンがとても楽しいのです。劇に無縁だった中高年のどもる人が、子ども時代に戻ってはしゃぎます。その姿を見ているだけでも、うれしくなります。どもる子どもたちだけでなく、成人のどもる人にとっても、このキャンプが意義深いものであることがよく分かります。僕がキャンプの初めの挨拶で必ず話す、「僕たち自身がこのキャンプを楽しみます」は、誇張ではありせん。特に募集もしていないのに、交通費と参加費を払って、40人以上もの人が全国から集まることはないでしょう。ことばの教室の担当者も、本当に楽しいのだと言います。
 全国から集まるスタッフなので、全員が事前に打ち合わせをすることができません。当日、開会の集いをした後、1時間とって、自己紹介と最低限の打ち合わせをします。そこで初めて顔を合わせるスタッフもいます。初参加のスタッフも、キャンプの大きな流れの中で、自主的に動いてくれます。キャンプに流れる基本的な考え方は共有できているので、成り立つのでしょうが、毎年、スムーズに進んでいくことが不思議です。
夜のスタッフ会議では、その日、見聞きした子どもや保護者の様子が報告されます。ひとりの子どもの話が出ると、次々に、その子の保護者は…、その子のきょうだいは…と話が続いていきます。丁寧に誠実に関わっていることが分かります。どんどん続いていく子どもの話を聞きながら、僕はいつも幸せな気持ちになります。
 今回はそのスタッフについて紹介されている文章を紹介します。

スタッフとは
 サマーキャンプのスタッフは、主としてどもる大人とことばの教室の担当者やスピーチセラピストなどの臨床家とで構成されているが、その他、通常学級や支援学級、幼稚園の教師、学生など、キャンプに興味をもった、さまざまな職種の人が集う。みんな手弁当での参加だ。交通費や参加費を払ってキャンプに参加するということは、それはもう仕事の延長ではなく、自主的な自分自身のための参加だと考えて下さっている。
 キャンプのはじまりの主催者あいさつで、必ず伊藤伸二が言うことがある。
 「私たちもキャンプのひとりの参加者です。世話する人、世話される人がいないのがこのキャンプの特徴です。誰ひとりお客さん扱いはしません。スタッフと言われる私たちは、義務でキャンプをしているのではありません。キャンプをしたいからしているだけです。私たちは精一杯キャンプを楽しみますので、みなさんも楽しんで下さい。世話する人がいないので、キャンプの生活は快適ではありません。不自由や不都合なことがたくさんあるでしょうが、お許し下さい。その分、子どもたちと精一杯かかわります」
 子どもとの話し合いや演劇に集中するために、キャンプそのものへの生活の運営はいいかげんというか、いきあたりばったりになることも多い。組織だった運営を最初から諦めている。だからキャンプの準備の会議などもまったくしない。当日集まった初対面の人たちが、顔をそろえて、基本的に大切にしていることを打ち合わせるだけである。それが、チームワークよく動いていく。140名ものキャンプが、事前の打ち合わせがないままに、それなりにスムーズに運営されるのは不思議だと言った人がいた。
 大所帯になった最近のキャンプでは、全体で動くことが難しいので、生活グループごとに活動することが多くなった。キャンプ中の活動は、そのグループが基盤となる。スタッフは、目の前にいる子どもにしっかりと向き合っていればいいのだ。その子との関係を大切にし、指示・命令をできるだけ減らし、温かいことばかけを心掛けている。
 キャンプの会場に来て、初めて顔を合わせるスタッフもいる。私たちの考え方を理解し、共感して下さっている方がほとんどだが、キャンプのねらいとしているものをより理解してもらおうと、時間をやりくりして、スタッフ同士の交流の場も設けている。スローガンとして、押し付けているわけではないが、共通する思いが、全体として大きな装置として働いていると言えよう。
 誰のためでもなく、自分のためだと、キャンプを位置付けて、毎年参加して下さっているスタッフもいる。ありがたいことだ。このように多くの人に支えられて、今年のキャンプも無事に終わった。

 明日は、吃音親子サマーキャンプに参加した人の感想を紹介します。


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2021/9/20
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