伊藤伸二の吃音(どもり)相談室

「どもり」の語り部・伊藤伸二(日本吃音臨床研究会代表)が、吃音(どもり)について語ります。

2021年08月

流暢に話す技術か、吃音受容か 7

 スキャットマン・ジョンとの国際吃音連盟の「流暢に話す技術か、吃音受容か」の議論を出発にして始まった、1997年6月の日曜特別例会の前回の報告の続きです。今回が最終です。まとめて読み返していただければ、当日の特別例会の全容が分かっていただけると思います。大変興味深い話し合いになりましたので、長くなりましたが、紹介しました。
 このテーマは、古くて、また新しい、ずっと続くテーマだと思います。大阪吃音教室には常に新しい人が参加するわけですから、その話は済んだと考えず、粘り強く話し合っていきたいと考えています。また、最後の僕のまとめの話で、当時53歳だったということがわかります。現在77歳なので、ちょっとびっくりします。昔も今もほとんど変わらないことに、がっかりするのか、喜んでいいのか。吃音のおかげで、青年のような気持ちでいられ、行動も変わらないようです。吃音に感謝です。では、長くなりますが、今回で最後です。

参加者 僕なんか、よくどもるので、自分が人前でどもるどもらないに価値観を置くと職場で喋れなくなる。そんなものはこっちにおいといて、職場や日常生活で人と喋るようにしています。どもると恥ずかしいけど、それに耐えていくしかない、治す方法がないのだから。

伊藤 そうだよね。方法なんてないのに、あるのではないかと思わされているのが僕たちどもる人だよね。そろそろ諦めたらと思うのに、長いこと探し求めて生きてきた。しつこいよね。さっきどもりを忘れたいと話した人がいましたね。吃音を認めていても、忘れ去ることはできないし、僕なんか、決して忘れたくない。もったいないもの。だから吃音に全く悩んでいないのに、大阪吃音教室に参加し続けている。女優の木の実ナナさんも、田中角栄さんも忘れられないと言っていた。忘れてしまうのは不可能なんじゃないですかね。

参加者 小学校の教師になれたのは、吃音治療に通ってある程度楽に話せるようになったからだと強調する人がいます。100%よくなったとは言わないが自分が今あるのは治療のおかげだと言い切る人がいます。万人に効く治療法はないとは認めていても、治療は大事だと強調している。今日の参加者の中にも、以前はもっとひどくどもっていて、吃音矯正所に通ってだいぶんよくなった人、いますか。僕は吃音矯正所に行ってよかったとは思わないけれど、吃音矯正所のおかげで今の仕事に就けたなどと考えていますか。
 現実に吃音の治療を受けたことのある人、何人くらいおられますか?
 (10名ほどが手を挙げる)

参加者 それで、よくなった人もいると思いますが、よくなっていない人がほとんどじゃないかな。

伊藤 矯正所では、たくさんの人に聞いたけれど、全くいないですね。ところが、セルフヘルプグループの中で5年、10年と一所懸命活動してきた人の中には、ほんとに軽くなった人はいっぱいいるよ。僕自身も、東京正生学院に行った頃と今とは全然違うもの。治っているかと思うくらいに喋れるようになっている。でも、それは、吃音矯正所のおかげじゃない。彼女のおかげだもの。恋をして、どもっている伊藤さんが好きと言ってくれたから。(爆笑)それで、僕自身が自分を受け入れる気になったからで、そういうものがなかったら、なかなか難しいのかな。どもる仲間と出会えたこと、異性とつきあうことができたこと、これは、吃音矯正所に行ってよかったことだと思っている。行ってなかったらどうなってたか分からないなあ。これは、症状がよくなったというレベルの問題ではなく、いろいろな要素が影響していると思う。多くの人は症状としては変化しているんじゃない? その矯正所の方法がいいとか悪いとかの問題ではないように僕は思うんですが。

参加者 私は楽になりましたが、それは、大勢のどもる人に出会えたからだと思います。20代頃はすごく真剣に悩んで吃音矯正所に行った。どもるのは私ひとりだけかと思って行った。私の住む村には私ひとりだけだったから。また、女性は少ないと聞いていたのに、東京にはたくさんのどもる女性もいて安心しました。

参加者 吃音矯正所で吃音症状がよくなったというより、話すときに応用がきくようになったという感じがする。今までは、つまると緊張して頭の中がパニックになったけれど、最近はうまく逃げるとかごまかせるとか、幅が広がった。

参加者 さっきの質問ですけど、私は、大学4回生のときに大阪スピーチクリニックに行ったんです。そのとき、腹式呼吸と発声法を教えてもらいました。それまでは人前で喋るということがすごく苦手で、そういうことは全部パスして、よほどでない限り避けてきた。教育実習に行かなくてはいけなくなって、こりゃなんとかしなくてはと思って、クリニックに行ったんだけど、今になって思うと、そこで、人前で大きい声を出して喋るという訓練の場を初めて与えてもらったことが、自分の自信につながって、思っていたよりもうまく教育実習を乗り越えられた。私も人前でも喋れるわという自信になった。だから、吃音矯正所に行ったことによって、多少改善されたと思っています。こうしたら、教科書は読めるんだなあということが分かった。けれども、なんかのきっかけで、ふっとつまってしまう。やっぱり元に戻ってしまう。2回目からは応用がきかない。そこを打ち破るためには何か自分でまた考えないといけないなあと感じています。だから、行ってよかったか、と言えば、よかったと思う。でも、費用は高かった。大学生の身には高かったので、必死になってアルバイトをした。

伊藤 必死になってアルバイトしたことがよかったんじゃないですか。人前で話すことを避けてきたけれど、アルバイトでは話さなければならないから。僕は新聞配達をやめて、いろんなアルバイトを大学生の時したのは、とても大きかった。

参加種 たしかに費用は高かったけれど、村でどもるのは私ひとりで、おまけに、東京までいくんだからと、私はお餞別をもらって行きました。

参加者 行くときは、行けばなんとかなると思って行くんだよね。でも、現実はなかなか厳しい。初めて行ったとき、これだけたくさんどもる人がいるのかと思って、そのときはほっとした。どもっている人の顔を見て笑ったのは、初めての経験だった。自分も笑われているんだけど、気にならない。相手も笑う。笑われて何にも気にならなかったのは初めてだった。

伊藤 さきほどの教員の「治療を受けてよかった」ということも、きちんと分析していけば、治療の技術ではなくて、同じ悩みをもつ仲間と出会えたとか、これまで、ほとんど話すことから逃げてきたのが、治療場面では否応無しに話す場に出て行かざるを得なかったとか、治療機関で恋人ができたとか、違う要素があるかもしれないね。

参加者 どもっている他の人たちをたくさん知ることだけでもよかった。自分の周りにはどもる人がいなくて、自分だけだと思っているのと、いっぱいいるんだという世界を知るだけでも意義があると思う。セルフヘルプグループの新聞記事なんて小さいでしょ。吃音矯正所なんて商売だから宣伝が大きい。すぐ存在を知ることができる。私は大阪吃音教室の存在を長いこと知らなかった。

参加者 大阪吃音教室が吃音受容を目指す会だということは、来る数年前から知っていた。その頃はまだ吃音は治ると思っていたから来なかった。吃音矯正所に何カ所か行って、吃音は治らないのかと思ったときに、改めて新聞で見て、行ってみようと思って参加した。
 受容ということばそのものは分かるけれど、どうなったら受容になるのかが分からない。職場での応対や電話などでどもっていたら具合が悪いので、そういうときに上手にことばが出るようにしなければいけないと思う。その方法は、個人個人違うので自分でみつけないといけないということが分かってきた。吃音矯正所へ行ったら少しは症状が改善されたが、少したつと当初の状態に戻ってしまう。その中でも、こういう精神状態でこういう喋り方をしていたらよかったんだなということを思い出してやっている。この場で上手に喋れる人を参考にしていきたい。
 大阪吃音教室に入ったからといって、こういう方法がいいということを教えてくれる場ではない。自分自身で解決していかなければいけないと思っているので、この場が傷のなめ合い、ぬるま湯だとは全然思わない。そう思う人は世話人になってこの場を変えていくとか、そうじゃなかったらこの場が必要がない人だろう。結局は、自分自身がこの場を利用する、この場で自分自身が何かをつかんでいく、そういうものだと考えている。

伊藤 自分にとって受容とは何か分からないとおっしゃったけれど、今日は伴侶と参加されている。これ大変なことだと思いませんか? これで十分ですよ。自分の連れ合いに絶対自分のどもりのことを話せない、喋りたくないという人はいっぱいいます。結婚して
20年たつが、吃音で悩んでいることは一切言えなかったという人は、かなりいるんですよ。自分のどもりのことを妻に話し、なおかつこの場に連れてくるなんてすごいことですよ。

参加者 一緒に来てくれるおつれあいもすばらしいですよね。

参加者の妻 本人が言うほど私自身は気にならない。落ち着いてゆっくりと、時間はいっぱいあるんだし、ゆっくり待ってあげればいいだけ。初めて吃音の悩みを聞いたときは、傷ついた者には傷ついた者にしか分からない痛みがあるように、私には一生分からないだろうなあと思ったんです。でも、そういう気持ちは分かってあげる努力はしないといけないんだろうなと思います。日常の家庭生活をする分には普通なので、本人が気にしているだけかなと私は客観的に見て思います。

参加者 私は吃音を乗り越えていくのは図太さやと思います。電話をかける回数が、最近すごく多くなってきた。生活の中でも、仕事の中でも、かけざるを得なくなったんです。前までだったら、どうしようどうしようと思うことが多かったけど、最近はしゃあないやんかと開き直って、どんどんかけるようにしています。

参加者 私はまだ大学生なので、どもってもどんどん話し、攻撃的に、前向きに、その中に謙虚さももちながら生きていきたい。

参加者 私にとっての受容かなと思ったのは、「どもりは全人格を支配するものではない」ということばを大阪吃音教室で聞いた時で、どもりに対する考え方がふっきれた。だから、そのとき以来、私は吃音であっても、自分に対する自信ができた。簡単に言えば、自分を好きになるというか、自己肯定的になった。それまでは、吃音が自分のすべてを支配していた。何をしてもだめ、勉強してもだめ、どもっていたら結婚して子どもなんて作ってはだめ、と考えていた。そういうものがぷつんと切れたのが、私にとって受容だったと思う。実際社会人になり、結婚もして子どももでき、生活も充実している。

参加者 僕は結構重度のどもりなんですけど、小さいころから悩んでこなかった。受容、受容と言われてもピンとはこない。吃音に対しては受容できているけど、吃音と関係のないところでの行動に対しては受容ができていない。例えば、私は研究職ですが、失敗しないように、失敗しないようにと考えたら、過去のデータの真似をしたり、応用したりで、自分の考えがなくなる。新しいアイデアがないと言われた。小さいころから、失敗しないようにと思って、冒険することがなかったからだと思う。

参加者 吃音は、私にとって、唯一ではないけれども、なんとかしたいもののひとつだった。ところが、それはなんとかならない。だから、どもり以外のことでは負けたくないという気持ちが強かった。小学校、中学校時代、ある意味、気負って生きてきたように思う。その気負いがとれてきたのは、なぜなのかよく分からないけど、気負いがとれて楽になってきたときに、私らしさが出てきたように思う。だから、私は教師として子どもたちと接していて、失敗してもいいんだよ、できるかどうかわからないけれどやってみようよ、という楽な気持ちで過ごしてもらいたいと思っています。
 どもる子どもだけでなく、どの子もほっとできるような教室、安心していることができる教室にしたいなあと思っている。私がセルフヘルプグループに来るのは、いろんな人と出会うことで、幅広い価値観に出会うことができるから。そして、それは、結果として、自分の生活や受け持っている子どもたちに活かせると思うから。自分自身のことだけ考えれば、セルフヘルプグループがなくても、吃音を認めながら生きていけると思うんです。それでも大阪吃音教室に魅かれるのは、そういうつながりがあるからだと思う。受容ということばが一人歩きするのではなくて、自分の生活の中で実態のあるものとしていきいきと生きている、それを実感できる、それが私にとっての受容かなと思う。

佐藤 僕の話を出発にして、いろんな話が聞けて、参考になりましたが、こういうことって話を聞けば聞くほど、分からなくなってきました。僕は、受容に関してもなかなかできないような気がします。5年、10年レベルで分かってくるものかなと思う。

伊藤 佐藤さんが、今後、仕事を通していろんな人と出会って、悩んで、その中で自分なりに考えたことが自分のものになっていくんだろうね。だから、受容ということがあるんだということを知っていることだけでもいいと思う。

佐藤 『スタタリング・ナウ』の選択と自己責任という文の中で、吃音受容というのを知っていて治療に取り組むのと、全然知らなくて取り組むのとは大違いだというのが印象に残っている。今は、その程度でいいかな。

伊藤 最後になりましたが、自己受容というのは、本当に難しいことだけど、しつこくしつこく話し合って何か探れればなあと思う。
 この前、河合塾に教育講演で行ったとき、資料として配った新聞記事に、僕の年齢が、53歳と書いてあった。それを見た学生たちが、「53歳にはとても見えない。うちの父親が50歳そこそこやけど、全然覇気がないというか、目に輝きがない。何もすることがないと言っているけれど、伊藤さんにはどもりがあって、キャンプをしたり講演したりできるから羨ましい」と言ってくれた。
 僕らの年代になると、できるだけ何もしないで、穏便に、日曜日にはごろごろして、ということになってくるのだけれど、それではつまらない。やっぱり新しい出会いがあり、新しい刺激があり、セルフヘルプグループならではの刺激を受けていたい。それができることがうれしい。そういうことが、僕にとっての自己受容かなという気がします。長い時間、お疲れさまでした。(了)


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2021/8/31

流暢に話す技術か、吃音受容か 6

 セルフヘルプグループは、傷のなめ合いの場かの論争は、昔からあります。ほっとできる場でありたい、しかし、それだけでは物足りない。学びの場であり、新しい価値観に出会う場であり、情報発信の場でありたいと思って、大阪吃音教室は活動を続けています。紹介している報告のように活発に話し合いが進んでいくのを読むと、早く、大阪吃音教室を再開したいなあとつくづく思います。
 1997年6月の日曜特別例会の報告の続きです。

参加者 大阪吃音教室は、週に1回だけど、ここにくるとほっとする。生まれ故郷に帰ったような、家に帰った以上の安心感がある。毎日の仕事では教師だから喋ることが多いが、教壇以外ではなるべく喋らないように、ポロを出さないようにこころがけている。それでもつまってしまうので、なんとかして治したかった。それで去年の暮れ、大阪吃音教室を休んで、民間吃音矯正所、催眠療法など他の方法を模索して取り組んできたけれど、全く効果がなく、いい方法はないとの結論に達した。まったく進歩がなく、お金もかかるので途中でやめました。
 大阪吃音教室のみんなの中では安心して話せるが、このように普通の場面でも話したい。ことばが不適切で批判的になるかもしれないが、ここに来て最初の頃、お互いの傷をなめ合っているとの印象を持った。僕の中に治したいという気持ちが強いから、どうしてもそういう気持ちになるのかもしれないけれど。

参加者 どういうところで、傷をなめ合うという感じを持たれたのですか。

参加者 ほっとするだけで、それで終わって、それから進んでいない感じがした。よく参加されているのに、吃音症状面で進歩されていないと思った。だから、治らない人が、そのことをお互いになぐさめ合っていると感じた。参加人数も一定で、大きく増えないのは、吃音を治すための例会ではないからだと思ったんです。

参加者 言友会以外で治療を受けてうまくいかず、再度大阪吃音教室に参加するようになったのですが、以前よりどもることへの許容範囲が広くなった、顔の雰囲気が随分柔らかくなったなど、具体的な進歩の現れが私たちには見えるのですが、それは、あなたにとっては、進歩ではないのですか。どもらずに流暢に喋らないと進歩ではないのですか。

参加者 進歩があるなしは吃音の症状面だけだと、私は、そういうことだけを見てしまっているから。そういう見方から脱却しないといけないと思うんですけどね。

伊藤 僕も、随分変わってきたなあ、うれしいなあと思うんです。《傷のなめ合い》をしていないのが僕たちだと思ってきたから、そう思われたのを不思議な思いで聞いていました。どもる人もどもらない人も、初めて参加した人のほとんどが、予想していた印象と全然違って、明るく楽しそうだと言って、《傷のなめ合い》との印象をもつ人はほとんどいなかった。なぜあなたがそう思ったかを検討していくことが、僕たちにもあなたにも必要かもしれない。

参加者 「現実の職場は厳しく、その世界で生きていくために、例会の場でも、その雰囲気でもっと厳しくしなければいけない。こんな例会のような、ぬるま湯につかっていたらだめや」と言った人がいた。どもった人に対して、「どもったらだめだ」と厳しく指摘し、お互いにどもらずに話すために切磋琢磨をするようなピーンとはりつめた雰囲気でないとだめだと言うんです。その人は《ぬるま湯》ということばを使った。その人にとっては、どもりは劣ったことで、どもっている人は普通のレベルに達していない人間。だから普通のレベルに引き上げるために、それだけの厳しさで互いに刺激を与え、訓練をしないと進歩が見られないということだった。決してどもることを受け入れたくなかったのでしょうね。何年か前参加した人で、銀行員でしたけど。

参加者 刺激を与え合ってという言うけれど、それで治るんですか。

参加者 その人のことはよく覚えているけれど、この場ではどもらんかったですよ。この大阪吃音教室の例会の中で、上司と部下という設定をして、バンバン喋る練習をやらなきゃだめだ、そういう練習が必要やと言っていた。

参加者 その人は、大阪吃音教室のような場面で喋れても、職場や緊張する場面では、よくどもる人なんやろね、きっと。

参加者 いや、それはよく分からない。進歩がないという発想はその人と近いと思った。さきほどの《傷をなめ合う》は、彼が言っていた《ぬるま湯》につかっていたらあかん、みたいな発想じゃないかな。

参加者 僕は、そういう人こそ《吃音受容》というか、《自己受容》をしてほしい。確かに僕も自分がどもることが欠点だと思うし、治したいと思いますけど、治らないならどうしようもない。最近は自分がどもっているのがいとおしく思うようになった。自分の欠点を自分で認めるというか、いつまでもそれにこだわって引きずっていては、やっぱり僕は不幸だと思うし、しんどい。受容すると、その人も楽やし、世界も広がっていく。

伊藤 《傷のなめ合い》とは思わないけれど、この場に来ると、僕もほっとしますよ。それがなければセルフヘルプグループの意味がないと思うくらいに大事なことだと思う。世間の緊張をここへ導入し、緊張の中でも喋れるように訓練するところだったら、僕は来ない。グループに競争の原理を持ってきたくない。

参加者 ちょうど1か月くらい前の例会で1分間スピーチがあったでしょう。そのとき、どもりが治る夢を見て、自分のどもりを馬鹿にする人たちを見返してやりたいというようなスピーチをされたと思うのですが。これまで、そんなふうにどもりのことを笑ったり馬鹿にする人が多かったということですか。

参加者 それはありますね。直接言われることはそんなにないんですけど。

参加者 こちらが思うほど、相手は気にしていな場合がたくさんあると思うんですけどね。

参加者 そうですね。それは僕も感じるんです。

参加者 ことばのつっかえよりも、相手の人間やと思うんです、好きとか嫌いとかは。どもるということを気にしていたら、相手とつき合うときに、自分がどもることを相手に知られたくないとか、それをまず第一に考えて、ちょっとどもったときに、相手がどんな反応を示すかが気になって、大事な部分が抜けてしまう。どもることにとても神経質になっているが、周囲はあんまり気にしていない。私たちだって、吃音以外の障害についてそんなに気にしない。つきあいたいなあと思うとき、障害を持っているから嫌とか思わないでしょ。気にしていたら、本当の自分が出せないし、本当の意味で人とつき合うこともできないなあと感じる。

伊藤 あなたにとって辛いのは、小さいときから、吃音の父親から、「どもりを治せ」と、かなりどもりに対する否定的なメッセージをもらっているんですよね。友だちからからかわれたことよりも親から否定されたことの方が、あなたの治ることへの執着になっているのではないかな。子ども時代に戻れないから、父や母に代わるものを早く自分なりにみつけて、「父はあのように言ったけれど、それは済んだことだ。今は教師になって多くの子どもの教育にあたっている。自分が自分で父親になって、内なる父親を育てていかないと、なかなかどもりに対する否定的な感情は薄まらないかもしれませんね。子どもの頃に、それも親から刷り込まれたというのはきつい。小さい頃から母親から「どもっていたらあかん」と言われ、否定されて、どもっていたら一人前じゃないと言われてきた人がいました。これはきついよね。それを回復するには、これまでと同じようなことをやっていてはだめで、今もっている基本的な吃音に対する不信感を、基本的な信頼感にしていくためには、どもりを治す方法では解決できない。全く違う方法で、かなり取り組まないと、子どもの頃に刷り込まれたものは拭いされない。再び大阪吃音教室に戻ってきたのだから、できるだけいろんな行事には参加して、これまでとは違う感情とか意見とか考えとかをシャワーのように浴びることが必要なんじゃないでしょうか。
 教師であればどもっていてはいけないと思っておられますか。

参加者 教師という仕事がいくらかは影響していると思います。個人個人、顔も性格も全部違うように差があるとは思うんですよね。その差を認めながら、吃音があるということを認めてくれながら、一生懸命がんばれたら、いいんですけど。そういうのがなかなか現実では、周りがその差を認めてくれないというのがありますよね。自分自身は、そういうお互いの差は受け入れるという気持ちは十分あるんです。あると思うんです。

伊藤 きついようだけど、ないんじゃないですか。今ここに、2人の中学校の教師がいますが、僕は吃音を否定しているあなたの生徒になりたくない。欠点も受け入れてくれるもうひとりの生徒になりたい。だって、自分の欠点を嫌だ嫌だと思って受け入れられない人は、他人の欠点に対する許容度は狭いですよ。成績の悪さ、家庭の事情など、子どもはそれぞれ違います。従順に先生の言うことを聞く子どもは好きで、そうでない子は嫌だということになりますよ。自分の尺度をがんと持っているのだから。
 僕は毎年、石川県の教育センターで、初任者研修に講師として行きます。その年に採用された県下の小学校から高校の教師が全部集まる教員研修で、必ず言うことがあるんです。それは、自分の欠点や自分の弱さ、自分の子どもの頃のしょうもなさ、自分の嫌だと思っていることを、自分のことばで自分の声で生徒たちに、オープンにできる教師になって欲しい。そうすれば、子どもたちも自分の悩みとか自分がつまづいたりしたことを相談しにくるだろうし、そこで本当の人間関係ができるだろう、と。
 先だって、九州の河合塾が毎年開いている教育講演会で講演をしたときに、非常に重い課題をもっている予備校生徒が後で何人も質問相談に来ました。単に1時間半講演した講師に相談に来る。それは僕が自分の吃音をオープンにして、自分は吃音とどうつき合って生きてきたかという話をし、そこに触れたからでしょう。誰にも話したことのないことを話しに来ました。僕はてんかんで、薬で生きてきたけれど、伊藤さんの話を聞いてもう薬やめようと思うとか、兄弟の難聴のことについて罪の意識をもって悩んでいるとか。その彼から後になって、相談の手紙もきています。
 教師のあなたが、どもりに悩んでいることなどをオープンにしていけば、蔑んだりするのでなく、生徒に絶対人気が出ると思う。私立学校だから、競争が激しいから弱みをみせられないとよく言いますが、それは、思い込みではないでしょうか。教師にとって、どもりは、適度な欠点のように僕は思うけど、だめですかね。もっともっと重度な障害だったら、なかなか子どもたちも分かりにくいですけど、どもりだと子どもたちも想像がついて分かりやすい。
 今、問題になっている受け入れるか、治療かという議論が、そもそもおかしい。この議論が成り立つには《治療の技術》がなければならない。実際に治療技術などないのに、《流暢に話す技術》か《受容》かなんて問題の立て方自体がおかしい。《吃音受容》は実際できるし、あるわけで、その実際あるものと、吃音治療の技術のように実際には無いものを比較してどちらをとるかは議論にならない。確実に吃音が治せるようになって、80%以上治せる時代がきて初めて、あなたは《治療》をとりますか、《受容》そのままでいきますかという議論が成り立つ。
 現実は、好むと好まざるに関わらず、吃音を受け入れて生きるしか、しようがない。大阪吃音教室にせっかく出会いながら、やっぱり治す方法はあると信じて30万円以上使って行ったけれど、やっぱりだめだったという人がいました。どもりは、自分なりの工夫で変化して、前よりは話せるようにはなるけれど、本来他人がそれを教えることはできないというのが基本です。スキャットマン・ジョンもそうだけど、自己受容の道を歩み始めたことで、どもる状態も変化したといいます。どもりを否定したまま消えていくのを願うのは不可能なこと。不可能なことに挑戦するのはやめようと僕らは思うんです。(つづく)


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2021/8/30

流暢に話す技術か、吃音技術か 5

 1997年6月の日曜特別例会の報告の続きです。今回報告するのは、問題提起をしてくれた佐藤さんと伊藤の話だけでなく、参加者がいろいろと発言しています。それぞれの仕事やライフスタイルの中で体験してきた吃音受容に対する考え方が様々なのは、興味深いことです。

佐藤 具体的な方法論としては、例えば、どういうものがありますか。僕もやっぱり吃音受容をしたいと思うんですけど、具体的に何をやったらいいのか。今までやったことといったら、どもっててもやるべきことから逃げない、ぐらいで、他にどう積極的に何かをやったらいいかなというのが、今いち分かりません。

参加者 今、佐藤さんが喋っているそのこと自体が受容だと思う。どうしたら受容ができるかというより、今は十分か不十分か、佐藤さんの思う度合いは知らないけれど、十分自分の中で受容している面があるから、受容について喋れるのであって、全くゼロやったら、多分一切喋らないと思う。
 さきほどから気になっているのは、「流暢に話すことと吃音受容が両極端」と、佐藤さんはなんべんか表現していたけれど、『スタタリング・ナウ』などを読んで、両極端と思っているのは、佐藤さん自身の考えなのではないか。受容の概念は一人一人違う。受容と流暢に話す治療の概念をなぜ両極端にもってくるのか? 両極端に持ってきてしまうと、しんどいかなという気がする。今、喋っていること自体、自分を受容しているからできるんやというのが僕の考えです。

佐藤:確かに両極端にやってしまうのが自分の悪い癖だなあと思っています。

参加者 「自己受容が前提になくて、話す技術にとらわれると、隠すための技術がうまくなるだけだ」とさっき伊藤さんが言ってたでしょう。本当にそうだと思う。僕は、吃音を治そう治そうとしてるときには、上手に隠す、ごまかすことばかりを考えていたように思う。最初、吃音を受け入れようと僕が思ったときは、やっぱりどんな場面でも、どんなときでも、どもっても自分の言いたいことを話し切るというか、最終的にはどもっても恥ずかしくない自分を目指すということを考えていた。しかし、実際はそうではなくて、やっぱりどもったら恥ずかしいし、どもらずに話したいなあという気持ちはなかなか消えない。しかし、自分に与えられたこと、しないといけないことはやっていかないかん。やっていく中では、時には逃げたり引いてしまったりすることはある。それも自分で認めながら吃音受容の道を進んでいくわけで、決して平坦な道ではない。
 吃音受容の道を歩こうと思ったときに、そう思って進んでいくそのプロセスの中で、自分で工夫しながら楽に喋れるということが身についてきたわけです。
 それを逆の道でやっぱり吃音は治すべきやと、治療技術の道をとったときには、それなりに話す訓練はやっていたと思うんだけど、さっき言ったように隠すための技術は身につけることはできたかもしれないけれど、吃音のこだわりというのは、完治しない限りは抜けなかったんだなと考えています。

参加者 4、5年前に小学校のPTA会長になったときは、話す技術ばっかり練習しました。○月○日は総会があるとか、皆の前で壇の上で話さないといけないときは、絶えず大体1週間から前もって準備をして原稿を作って読んで、まだ先生たちが会場にきていないときだったら、壇の上に上がって原稿を読んで、というふうに流暢にどもらずに話す技術ばかり練習していた。
 でも、なんとかやってこれたし、その卒業のときの祝辞も「どうやった」と聞いたら、みんな緊張するからあんなもんやったということで、こちらが必死になって思うようには、みんな関心がない。
 ライオンズクラブの月2回の例会で進行役としてスピーチを1年間しなければならなくなった。流暢にどもらずに話すことを考えると、練習ばかりにつきっきりになってしまう。これまでがずっとそうだったから、疲れてしまいます。今は、何も練習していません。練習することさえが怖くなってきたんです。練習していないので多分どもるでしょう。だから、最初のライオンズクラブ例会で、「私はどもります」とみんなの前で言わないことには多分、今回の進行は無理だろうなという気がしています。どもらずに話そうという練習がしんどくなっただけで、勇気があって吃音受容まで追い込んだとは思っていませんが、とにかく「私はどもります」と言うつもりです。今までは「私はどもります」と言ってこなかったけど、今度は言わないと、自分がつぶれてしまうなという気がしています。

伊藤 今の話を聞いているとスキャットマン・ジョンのことを思い出しました。レコードがヒットすると、インタビューを受けなきゃならん。どもりたくないために、ヒットしないでほしいとさえ思う。そのあたりのことはすごくよく分かる。それで、一人では耐え切れなくなって妻に話したら「あなた、もうどもりを隠すのはやめて、公表したら」と言われて、新しく発売する「スキャットマン・ワールド」のCDジャケットに、これまで悩んできた吃音が今は音楽として財産になった」などと、彼は公表していく。自分のどもりを公表してから、スキャットマン・ジョンは目に見えて変わっていくんですね。

参加者 CDを出して、ヒットしたらインタビューなどが待っていると、追い込まれたのですね。どうしようもない状況になれば、それしかないと思う。

伊藤 吃音を受容したいと思う、そのことだけでいいんじゃないかなあ。治療だけでなく、受容の道もあるんだなと認識するだけでいい。受容の道を歩んでもいいかなと思うまでが一番難しい。そろそろ受容しなければならないかと考えるようになったら、後は、もうその人それぞれの人生があるわけですから、自分の生活の中で探っていくでしょう。
 一般的には、治療技術は効果がなくても、何か形があるよね。具体的な取り組みがある。佐藤さんが「吃音受容について具体的な取り組みがないか」と言ったけれど、これはないんだよね。その人それぞれに自分のどもりを受け入れる道はさまざまだから。スポーツ、芸術、宗教、何でも構わないわけで、まあどもっていてもいいかと思えるときがあればそれでいい。

参加者 私も50歳になって、自分の吃音が周りに分かっても別に構わないですが、厳粛な式典の司会をする時、相手の名前が言えないなどでその式典を乱したくない。粛々と進めたいという気持ちが強い。だから司会をしてくれと言われたら、「どもりますから」とはっきり言って断るだろうと思います。自分の子どもの結婚で、親族紹介をするという、絶対自分がしなければならない場合は、どもりながらでも、どもりですと公表してでも、するでしょうけど、他の人に代わってもらえるところは自分は引くと思うんです。だから、さっき受容は山あり谷ありとおっしゃったけど、ほんまにそうやなと思う。決して平坦ではないと思う。

伊藤 挨拶を避ける場合でも、用事があるからと、別の理由をつけていたのが、どもるからだと言えるというのはそれだけでも大きな前進ですよね。自分はどもるからできませんとはっきり言うのは勇気がいります。これも、ひとつの受容のあり方だと思います。

参加者 最近、やっと言えるようになったんです。でも、吃音じゃなかったら、すんなりと司会の役を受けれるのになあという思いはあって、ちょっと引っ掛かるところはある。

伊藤 ちょっとした引っ掛かりならいいけれど、かなり引っ掛かるのなら挑戦してみる価値があるかもしれませんね。

参加者 だから挑戦したくなったらすると思うんです。どもっても司会をして、それに対して何も思わないようになれるような気も、最近し始めています。

伊藤 それでいいんで、そのときがチャンスですね。挑戦するかしないかは、本人のことで、他人から挑戦しろと言われてするものじゃない。僕らは自己受容が大事だ、得だよとは言っているけれども、そうするかどうかは、本人の責任なんだから。押し付けるわけにはいかないし、押し付けたくもない。
 ただ、情報としては吃音受容について知らせていきたい。

参加者 吃音を受容をしてなくても、仕事でどうしても必要な電話やしゃべらないといけないことはある。その時はどもろうがどもろまいが、喋ります。そういう日常生活の積み重ねが、受容につながると思う。最初からどもりを受け入れるとか、受容があるのではなくて、後からついてくるものだと思う。かつては恥ずかしい、みっともないと思っていたが、するしかない。どもっても仕方ない。しゃべっていることが受容だ。

参加者 どもりに苦しんでいるとき、意識が自分の方にあった。竹内敏晴さんが言われるように、大事なことは、自分の気持ちを相手に伝えること、そう考えると多少どもってもいいじゃないかと思えるようになった。自分で自分を好きになるというか、自分のいいところをみつけていくことだと思う。どもりが全人格を覆っているのではない。自分のいいところをみつけていって発展させていくと、どもりへの意識も小さくなる。

参加者 自分のいいところをみつけてと言うと、まるでどもっていることが悪いような、どもりを否定している気持ちがまだ残っていると思う。だから、どもりを含めた自分を好きになることが大事だと思う。どもっているところが自分の唯一と言ったら自信過剰やけど、どもっているところだけが絶対許せんところだと思っていたけど、それがそうではなくて、それも含めて許せるというか、諦めるというか。だから、どもっててもええやないかとおっしゃったけど、まさにそうやと思う。

参加者 大阪吃音教室に来るまでは、私は人を受け入れる幅が狭かったように思う。否定的な面がたくさんあったから。そういう中で完全に受容できたとは言えないんだけど、自分の中でどもっても恥ずかしいことではない、どもりながらしゃべってどこが悪いんやというところまでは変わってこれたと思います。私は教師をしていますが、同僚には吃音について話したことはありません。でも、周りの人と会話しながらどもっていることはあるんだけど、それを恥ずかしいとは思わなくなってきました。前は、他人の欠点がもっとものすごく目についたけど、そういうのもなくなってきた。人間にはいろんな癖があるし、いろんな性質があるし、そういうのが合わさって一人の人間やし、人間の個牲みたいなもんやと思えるようになってきた。見方を変えられるようになったのは、大阪吃音教室に参加してからのことで、それはよかったなあと思う。
 しかし、そうは言っても、仕事が教師だからかも知れませんが、人前でしゃべってことばが出てこないとき、ものすごく落ち込むことがある。自分はどもりなんだから、こんな場面があって当然やないかと思いながら、ショックでショックで。でも立ち直りも早くなりました。(つづく)


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2021/8/29

ホームレス差別発言への反論、映画で、2作品を無料公開

 「ホームレスの命はどうでもいい」
 「メンタリスト」を自称する「DaiGo」なる人が、ホームレス状態の人や生活保護利用者への差別発言を、YouTubeチャンネルで動画配信しました。僕はブログをFacebookやTwitterに同時に配信して、多くの人に読んでいただきたいと思いながら、僕自身といえば、実はあまりFacebookやYouTubは見ません。なので、この差別発言も見ていませんが、よく情報を知らせてくれることばの教室の教員の仲間が、ホームレス差別発言への反論として、映画が無料公開されていることを知らせてくれました。

 一本は「あしがらさん」で、2002年の、飯田基晴監督作品です。
 飯田さんは現在48歳ですが、若い頃にボランティアをしている時に、路上生活をしていた67歳の「あしがらさん」と出会い、豚汁をおいしそうに食べ、「うまかった」と笑顔を浮かべる彼のことをもっと知りたいと、カメラを回し始めます。「おまえのことだけは信用する」と信頼されるようになり、病院入院や、宿泊施設入所、また路上生活、再び病院に入院、そして、自立支援の施設へと、住むところが変わっていく、「あしがらさん」の3年間を追っていきます。どうなっていくのかと、心配になりますが、施設に落ち着き、デイサービスで仲間や支援者の中で、フラダンスをしている「あしがらさん」の笑顔に、温かい、ほっとした気持ちになります。
 周りの人が親身に「あしがらさん」と対話を続け、彼も心を開いていく姿に、心が動かされます。日本も、まんざら捨てたものではないと思わせてくれます。

 小学2年生の秋から、吃音に強い劣等感をもち、「どもる人間はダメな人間だ」「真っ当な人生を送れるはずがない」と本当に思っていた僕は、勉強も、スポーツも、遊びも、友達との関係もほとんどない、学童期・思春期を送りました。勉強もできない、友達もいない、性格は暗い、中学2年の夏から、家族との関係も悪くなり、学校にも、家庭にも居場所がなくなりました。家族との関係が悪くなった頃から、「僕は、野垂れ死にする」との思いにとりつかれていました。大学4年生の時、日本一周の一人旅をしたとき、金沢市の繁華街、香林坊の路地裏に立ったとき、何度も何度夢に出てきた、「野垂れ死にしている」場所とそっくりなのにびっくりしたことがあります。「63歳までに死ぬ」と根拠なくイメージしていたので、67歳の「あしがらさん」は、人ごとのようには思えませんでした。

 困ってそうな人に、誰かが声をかけ、対話を始めると、その人はきっと応えてくれる。そして、その輪が少しずつ広がれば、対話はさらに広がっていきます。
 飯田基晴監督が撮影を始めた若い頃、「クリスマスでデートする相手もいないし、あしがらさんのところに行ってみるか」のナレーションがあります。重いテーマの中でほっとする印象に残る一言です。最後のあしがらさんの笑顔のシーンとともに、僕の心にずっと残り続けるでしょう。

 その後の「あしがらさん」のことを監督は次のように紹介しています。神保さんというのは、「あしがらさん」の本名です。

 
神保さんが、6月26日にお亡くなりになりました。昭和7年の生まれと聞いていましたので、83歳にはなっていたと思います。昨年2月にスープの会のグループホームから、新宿区内の特別養護老人ホームに移られていました。今年に入ってご兄弟と連絡がついて、面会にいらしたそうです。神保さんもひと目でご兄弟のことがわかり、驚き、喜んでいたと聞きました。亡くなる前にご兄弟にお会いできて本当によかったと思います。
 僕が神保さんに初めて会ったのは1996年でしたので、今年でちょうど20年となります。今月のローポジション10周年記念の上映イベントでは「あしがらさん」も上映します。
追悼上映のようになってしまい、とても複雑な心境です。
 映画を観てくれた方からはいつも、「あしがらさんはいまどうしていますか?」と聞かれます。あの過酷な暮らしを経たうえで、よく長生きされたと思います。僕は神保さんとのかかわりを通じて、多くのことを学びました。映画を通じて、それを多くの方と共有させて頂きました。お会いできたことにあらためて感謝し、ご冥福をお祈りします。
                    2016.07.05    飯田基晴

 
 もう一本は、教材用の映画「『ホームレス』と出会う子どもたち」です。
 「ホームレス問題の授業づくり全国ネット」(北村年子代表)が、子どもや若者による野宿者への襲撃事件を防ごうと、「なんでホームレスになったの?」という疑問に答え、差別・偏見をなくす教材として制作されました。釜ケ崎(大阪市西成区)の「子ども夜まわり」の子どもたちが、最初は恐る恐る声をかけていきます。危害を加えないと安心できる子どもから声をかけられて無視する人は少ないでしょう。「おっちゃん」たちとの子どもの交流が始まります。本や学校の授業などでは、決して得られない、本人との対話のなかで、子どもたちは路上生活の人たちの人生、置かれている現状を理解していきます。
  
 当事者との対話なしに、その人の問題は決して把握できないのです。「子ども夜まわり」の活動を始めた人たち、それに関わる多くの周りの人たちのすごさを思います。そして、最初は「恐かった」という子どもたちが、「おっちゃん」たちとの交流で、高校受験合格を知らせに行く、子どもたちのしなやかさも。この子どもたちが体験し、考えたこと、感じたことを周りの多くの子どもたちに伝えていくことができたら、通行人や中学生や高校生による襲撃の防波堤に少しでもなるのではと期待がもてます。「子どもたちに襲撃の加害者になってほしくない」の思いが、この映画を通して伝わってきます。
  
 昨年、渋谷区のバス停で路上生活をしていた女性が殴られ亡くなり、岐阜市では路上生活の男性が少年らに襲われて亡くなりました。このような出来事が二度と起こらないように、僕たちに何ができるのかを、考え続けていきたいと思います。

 「あしがらさん」は8月31日まで無料公開されています。
https://youtu.be/euXpt3bwAq8

「『ホームレス』と出会う子どもたち」は 9月30日まで無料公開されています。
https://youtu.be/g4J4sm3BkLI

日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2021/8/28

流暢に話す技術か、吃音受容か 4

 吃音受容と、楽にしゃべる工夫は矛盾しないと、僕は思うのですが、話は続きます。

伊藤 受容と治療技術を二つに分ける、二分法的な考えはあかんと言って来たし、書いてもきた。ヴァン・ライパーが亡くなった時の特集でも、「吃音を受け入れるだけでは十分ではない」というヴァン・ライパーの話を紹介している。吃音受容と、楽に喋る工夫は矛盾しない。

佐藤 あんまりそのようなことばは聞いたことがなかったですね、僕の記憶では。今回の文章の中では、どっちかといったら、受容ばかり言っている気がする。

伊藤 佐藤さんとのつきあいはあまりないでしょう。吃音親子サマーキャンプに来てないし、吃音ショートコースもほとんど参加していない。そりゃ、聞いたことがないのは当たり前のことですよ。金曜日の大阪吃音教室にちょこっと参加しても、僕たちの考えのごく一部分を知ることでしかない。吃音親子サマーキャンプで子どもたちがどんなことを話し合い、演劇を通して自分のことばや表現にどれだけ真剣に向き合っているか、知らないでしょう。昨年、1996年の第1回の吃音ショートコースで、吃音受容について3時間ディスカッションしているけれど、その時も佐藤さんはいなかった。大阪吃音教室に、2回や3回参加した例会の発言で、僕たちの主張をこう受け取ったというのではね。

参加者 流暢に話す技術は、発声練習とか、いろんなことがありますけれど、吃音受容ということは、精神的なものがついてきますので、なかなか難しい。

伊藤 そうなんです、難しいです。だから、どもりを治す側、僕たちを批判する側は、具体的に吃音受容をどう教えるか、具体的に提示しろと言います。吃音受容の立場に立っての話す技術を具体的にどう教えるかを示せと言われる。吃音を受け入れること、自己を受け入れることがいかに難しいかを自分の経験を通して知っています。だから、僕らは意識的に、吃音を受け入れることに取り組まなければならないと思うんです。
 神戸の中学生の男子が殺人を犯した事件がありましたね。新聞報道によると、アイデンティティの問題があると言われています。自分が自分であることがつかめない。自分が自分を受容できない、自分の存在感がない、そういうことでずっと悩んでいたところへ、友達とけんかをしたときに、暴力を振るってしまい、「おまえみたいな奴は、もう卒業するまで学校に来るな」と教師に言われたと書かれています。
 自己を受け入れられないことの辛さ、難しさ。先だって、僕は、大学受験のための予備校「河合塾」の教育講演で話をしました。話を聞いてくれた予備校生から、何通か質問の手紙がきました。その人たちは、「伊藤さんが言うように、僕も自分さがしの旅をしています」と書いてきました。自分を受け入れることはとても難しいことです。
 吃音に悩んでいるときには吃音が全てと思ってしまう。自分にはほかにもいっぱい良いところも悪いところもあるのに、他のことは考えられない。吃音に悩んでいる人にとっては、一番の関心である吃音を受け入れることが難しい。これまで、そこの研究が全くなされていなくて、全然お金を使ってこなかった。日本だけでなく、世界各国でも同じです。吃音受容をテーマに研究しようなんてゼロです。ところが、流暢に話すために技術を身につけようとか治療は、放っておいても研究、実践がされています。成果が上がる上がらないにかかわらず、です。だから、スキャットマン・ジョンと、その方向の研究や実践をしようと考えたんです。

佐藤 具体的な方法論としては、例えば、どうもいうのがありますか。僕もやっぱり吃音受容をしたいと思うんですけど、具体的に何をやったらいいのか。今までやったことといったら、どもっててもやるべきことから逃げない、ぐらいで、他にどう積極的に何かをやったらいいかなというのが、今いち分かりません。

参加者 具体的な日常生活の場面場面で、その人がどういうふうに自分の吃音の対処の仕方をとらえていくのかにかかわってくると思う。だから人によって受容の受け取り方というのは随分違うんじゃないかなあと思ったりする。佐藤さんも、佐藤さんなりの吃音受容の考え方があるんやなあと感じた。どんな場面でも、どんなときでも、どもりをそのままにして喋ったらいいというのが受容だとは僕は考えていないんです。それぞれどういうことが受容だと考えているのか、そういうことを知りたい。
 僕は、仕事場で、人前でスピーチをしたり司会をしたり発言をしたりする機会がだんだん増えてきました。僕は、やっぱりどもったら恥ずかしいと思います。これは、正直な気持ちです。どうしようかな、手を挙げようかなと迷いもします。思い切って手を挙げて発言するときに、どもらないようにと、気持ちとしては働いていますよ。できたらどもりたくないなあと思うし。今までの経験から、僕が身につけた話し方で、できるだけどもらないようにうまく話すようにはしています。
 ただ、僕が20数年くらい前に、どもりを治したい、隠したい、なんとかしたいと思っていた頃と違うのは、僕がそこでうまく喋りたいなあと思いながらも、仮に、ことばが出なかったり、立ち往生したりとなっても、大丈夫だと思っていることです。最悪、声が出なかったら「すんません。ことばが出ません」と言って座ることはできるやろなと思っています。
 どもったまま話をすることがいつでもどこでも平気になるということではない。恥ずかしいし、できたらうまく喋りたいと思うし、僕はそんな気持ちを持ってても当たり前やと思っています。だから吃音受容についてもっと具体的なところで話をして、どんなことが吃音受容なのか、自分を受け入れることなのかということを話したい。でないと、単にどもりは恥ずかしいから、治したいからやっぱり流暢に話す技術が大事なのだということになってしまう。そうではなくて、しっかり話をしなくてはならないと思う。

伊藤 なるほど。よく分かる。吃音容についてずっと言ってきた僕ですら、未だに逃げてるし、どもりたくない部分では喋りません。しかし、そのときの自分なりの尺度があって、どうしても言いたい、言わなければならないことであれば、僕はたとえひどくどもってでも言います。それで、どもって後で嫌な思いをすることはあっても、長く続くことはない。「わあ、今日は失敗したな、えらいどもったな」という程度です。今でも寿司屋で「とろ」が言えない。だから、「とろ」は食べない。カレー屋のタゴールをやっているときに、中央市場に仕入れに行くでしょう。じゃがいもを買うのに、「じゃ」が出ない。八百屋のおっさんの前でどもってどもってどもりまくって嫌な思いをしなくてもいいやと思うから、「これ」と指さして済ませているし、済ませた自分に対して、言いたいことを言わずに逃げたなあとは全然思わない。「あなたのことが好きだ」とか、自分の本当に言いたいこと、特にベーシック・エンカウンターグループのときなんか、本当に何かを伝えたいときはすごくどもるけれども、それは僕の内から出てくる大事なことばだから、これはどもろうがどもるまいが喋ります。恥ずかしさとか、恥じらいとかは持ってていいと思う。
 「いつでも、どこでも、平気で堂々とどもる」ことを吃音受容と考えると、あまりにもハードルは高く、無理です。佐藤さんのいう「どもっててもやるべきことから逃げない」で十分で、他に何かあると思うから、受容が難しくなるんじゃないかな。(つづく)


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2021/8/27

スキャットマン・ジョンとの対話から始まった「流暢に話す技術か、吃音受容か」の対話 3

 1997年6月の大阪吃音教室の日曜特別例会の前回の報告の続きです。
 よくここまで、丁寧に報告をしているものだと感心します。大阪吃音教室の例会報告に、とても力を入れていたのだということが分かります。
 当時、僕は「吃音受容」「自己受容」ということばをあまり違和感なく使っていましたが、今では使わなくなっています。どうしても、周りからの、「自己受容すべき」「吃音を受け入れるべき」の圧力を感じ取るからです。現に、「僕たちはこう生きます」と言っているに過ぎないものを、僕たちが圧力をかけていると誤解されるからです。
 僕たちは、吃音は原因もわからず、治療法もなく、これまで僕を含めて、大勢の人たちが「吃音と闘う」ことで、自分も傷つき、自分の人生を生ききれなかった経験をもっています。
 「吃音は治らないんだから、仕方がない。認めるしかないやろ」
 「どもるからと言って、話すことから逃げないで、自分のしたいこと、しなければならないことに誠実に向き合い、取り組んでいこう」
 この程度のこととして考えています。受け入れる、認めたとしても、時には落ち込み、時には治したいと思うこともある。でも、また、気を取り直してがんばる。浮いたり沈んだりを繰り返しながら、それでも、自分の人生を吃音のためにあきらめることはしないという一本の道筋に立ちたいと思うのです。前回の続きの対話です。

参加者 個人によってどもる状態が違うので、考え方が皆少しは違ってくるんじゃないかなと思います。私の場合は、受容さえできれば普段の生活ではあまりどもらずに生活できているのだから、吃音治療しなくても、なんとかなる。受容ができずに困っているというのが現実です。個人差がとてもあると思いました。
参加者 受容というのは、当然、治療技術よりも先にあるべきだと思います。大阪吃音教室の人たちの話を聞くと、ほとんどすべての人が、最初に治すこと、改善することをあきらめることから出発しています。まず自己否定が問題です。吃音教室に出会うまでは、「吃音は憎むべき障害で、自分の人生はあきらめて、生きていくしかない」という「自己否定の受容」のようだったと言っています。
 話す技術は、決して否定はされないと思いますが、さっきの伊藤さんと佐藤さんのやりとりを聞いていると、言葉の定義みたいなことになっていた。どもらずに流暢に話すという考えよりも、楽にどもるための技術的な方法をみたらいいと思うのです。
伊藤 一般的な流れとしては、流暢に話すというのは、どもりを治すことでしょう。しかし、技術の中には、流暢にどもるというのもある。アメリカでは、《流暢にどもる》と、《吃音を治す=どもらずに流暢に話す》が激しく対立していました。議論の中で、統合的アプローチが出されたけれど、基本的には吃音を否定的に考えていることは、共通です。ただ、治せないから、楽にどもると言っているのです。だから、吃音をコントロールしようとすることも共通です。最近は、僕たちと同じようにどもっても話していく人も増えているというのが、どもる人の世界大会に参加しての印象です。
 僕らは無条件の完全な吃音受容派です。まずは吃音を受け入れて生きるが根本にあって、その中で、楽に喋れる工夫は、個人個人が必要ならすることでしょう。自分なりの喋る工夫や、声が出にくくなったときの工夫は、僕たちの仲間はそれぞれにしていると思います。
 チャールズ・ヴァン・ライパーもウェンデル・ジョンソンもそれなりに工夫してきた。ヴァン・ライパーの方法、僕が僕なりに喋れるようになった方法を、技術として、点検して、マニュアルを作って、人に教えることはできない。それにスキャットマン基金を使って、万人に当てはまる、楽に喋れる工夫を開発しようというのは不可能だと思う。僕らが繰り返し言っているのは、どもる自分をまず受容し、その上で、自分なりの喋り方を工夫しようということです。
 一方、僕らは「どもりと闘うな」とも言っています。闘うのは、どもる状態だけに焦点を当てて、どもりを治そうとすることで、それはやめようという提案です。ところが、話すときの工夫や努力でしなければならないことはある。例えば、相手により伝わりやすい話し方や、表現力に対する努力はすべきだと思う。基本的には、どもりは悪い、劣ったものというのじゃなくて、受容がまず前提になければ、話すための努力は功を奏さない。
 滑らかに話そうとすることばかりにこだわるのは、どもりを隠す技術を身につけるための努力でしょう。吃音受容が前提になければ、相手とのコミュニケーションをより良いものにするための工夫や努力は生きてこない、ということを僕らはいつも主張してきた。だから、1996年の日本吃音臨床研究会の年報は《からだ・ことば・こころ》の特集をし、竹内敏晴さんのレッスンを紹介してきた。受容と治療技術を全く二つに分けるという、二分法的な考えはあかんと言って来たし、書いてもきた。ヴァン・ライパーが亡くなった時の特集でも、「吃音を受け入れるだけでは十分ではない」というヴァン・ライパーの話を紹介している。
 吃音受容と、楽に喋る工夫は矛盾しない。(つづく)


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2021/8/26

流暢に話す技術か、吃音受容か 2

 昨日のつづきです。口火を切ってくれた人とのやりとりがしばらく続きました。それを紹介しますが、読み返してみても、どうも議論がかみ合っていないと感じます。それは、僕の言う「吃音受容」に国際吃音連盟が動いていくなら、カナダは国際吃音連盟から抜けると言いだし、争いを好まない、スキャットマン・ジョンが、吃音受容のため教育プログラムを一緒につくろうと盛り上がっていたにもかかわらず、結局「吃音受容も大事だが、吃音治療の技術も大事だ」と、両方とも大事だに落ち着いてしまいました。このことから見ても、この議論は、ギクシャクするのかもしれません。
 しかし、対話は何も、共通点を見つけたり、合意を目指してしているものではないので、どういう方向に話がすすんでいくのか、1997年6月29日に行われた、「流暢に話す技術か、吃音受容か」の対話にお付き合い下さい。

伊藤 佐藤さんは、僕が、楽に喋る工夫することもよくないと言っているように感じたんだね。そう感じたのは、僕が書いている文章を読んでということ?
佐藤 スキャットマン・ジョン基金に関しての、国際吃音連盟の議論を紹介する文章を読んだら、どもっているのをそのまま受け入れるか、それとも吃音をなくして、どもらないで喋るということのふたつに分けて、楽に喋る工夫や努力はすべてだめだというふうに感じた。
伊藤 そう感じたというのが、僕はとっても不思議に思う。僕は、これまでもずっと、楽に喋る工夫がいけないなんて言っていない。現実にチャールズ・ヴァン・ライパーの特集をしたときでも、ライパーの、「どもりを受け入れるだけでは十分ではない、どもり方を変えなさい」のどもり方を変えるのは難しいかもしれないけれど、楽に声が出るようにはしたいと書いている。その中には、声が出にくい場合には、楽に声が出る工夫や努力は必要ならした方がいいとも書いている。それは、佐藤さんの言う楽に喋る工夫や努力といっていいと思うよ。
 どもるどもらないに関係なく、楽に声が出るようになればいいなあと思って、僕たちは竹内敏晴さんのからだとことばのレッスンをずっと続けている。おそらく全国の吃音のセルフヘルプグループの中でも、僕たちが一番、〈ことばや声〉にこだわって、一所懸命取り組んでいると思うよ。世界的にもおそらくそうだろうと思う。それらは、結果として楽に喋ることにつながるレッスンでもある。僕たちは、ことばに関して一番取り組んでいるのに、佐藤さんがこういうことを感じるということが、僕は不思議でたまらない。
佐藤 そうですか。でも、僕には、話す技術と吃音受容をはっきりとふたつに分けているという感じがどうしてもするんです。吃音治療でどもらずに話すようになるのと、吃音を認めてそのままどもりながら喋ることを、対局においている。
伊藤 その読み取り方、感じ方が、僕には分からない。これまで僕たちが出している『スタタリング・ナウ』や大阪吃音教室の『新生』をよく読んでみたら、〈ことば〉〈発音〉〈発声〉に関しては、僕たちがすごくこだわって取り組んでいるということが分かるはずです。吃音が治らなくても、もっと楽に声が出ないか、話すことはできないか、はずっと考えています。吃音ショートコースのテーマは、「からだ・ことば・こころ」で、吃音受容と、ことばへの取り組みは矛盾しないと話し合っています。それは、1996年度の日本吃音臨床研究会の年報や、『スタタリング・ナウ』の29号でも、巻頭文のタイトル、〈矛盾〉の文章でも明確に書いています。
佐藤 それは、分かります。でも、『スタタリング・ナウ』でも、そのようなことが明確に分かる号とそうじゃないなと感じる号があるんです。チャールズ・ヴァン・ライパーの特集の号を読んでいたら、まあ、そんなに分けてないと感じるんですけど、スキャットマン・ジョンの特集の号では、それを感じたんです。そのときそのときの表現の違いというのはあると思いますけど。
伊藤 人がある主張をするときに、全部最初から最後まで説明していたらきりがない。あるところに焦点を合わせて、主張なり議論することになります。その時は、焦点をあてた部分しか書いていないけれど、そう主張するには、その人の持っている背景があるわけです。その背景は、僕が長年主張してきたことや、これまでの日本吃音臨床研究会の年報や『スタタリング・ナウ』をつぶさに読めば分かります。すべてを言っていたら、何かを強調することにはならないんです。
 だから『スタタリング・ナウ』の号によってニュアンスが違うのは当然のことなのです。ただ、僕の基本に流れるものは、常に一貫しています。
佐藤 僕が二分しているように感じた号で、ちょっと思い出した号なんだけど、確か、〈患者よ、がんと闘うな〉という本を取り上げた号で、吃音と闘っても百害あって一利なしというふうに書いていたような気がするんですよ。やっぱりその印象が強くて、そのときは、なんか、二分しているような気がしましたね。
伊藤 そのときどきの発言なり、意図が何かに鮮明に焦点が合ってるから、こんなこともあるし、これも考えてなどと、全部説明していたら、主張が鮮明にはならないでしょう。
例えば大阪吃音教室は、毎週毎週やってるけれど、今日来たこの話は、次の話と違ってくるし、例会だけでの話と、吃音親子サマーキャンプや吃音ショートコースに参加したり、トータルな中で僕たちのしていることを理解しないと。ただその時の大阪吃音教室の例会だけとか、ある文章だけで判断するのは、やはりきちんととらえられないんじゃないかな。
 でも、国際吃音連盟の議論の中でも明らかに、治療の技術か、受け入れるか、どちらを重点に置くかという話だから、流暢に話す技術に重点に置かず、僕たちは吃音受容に重点を置くと、明確に主張しました。
佐藤 重点ということですか。どっちかがメインで、どっちかがサブというか、どっちをメインにするかということですか。僕の考えでは、片一方なしに、もう一方は語れないというか、例えば、流暢に話す技術をするにしても、どんなときでも流暢に話すというのはやっぱり無理だと思うんですよ。実際、調子の悪いときはどもってしまう。そのときに、どうどもるのを受容できるかというのが最大のポイントになると思います。受容の方に関しても、30秒も1分もブロックしている状態をずっと続けているとやっぱり気が滅入ってきますから、それをもうちょっと楽にできたら、すっと受容できるようになるんじゃないかなと考える。そのふたつは、表裏一体のもののような気もしているんです。
伊藤 なんかふたりだけのやりとりになってしまいました。皆で話し合いたいので、今までのやりとりを聞いて、何かありましたらどうぞ。(つづく)


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2021/8/25

流暢に話す技術か、吃音受容か 1

 大阪吃音教室への思いを紹介してきました。大勢のどもる人が、大阪吃音教室を訪れました。吃音とともに生きる、このことを大切に、ブレずに、これからも集まりを続けていきたいと思っています。
 さて、その大阪吃音教室で、特別に開かれた話し合いの記録があります。1997年6月29日に行われた、「流暢に話す技術か、吃音受容か」とのタイトルがつけられている話し合いです。参加者の声が詳細に拾われていて、読み応えのあるものになっていました。今日から何回かに分けて、紹介します。

問題提起
 「スタタリング・ナウ」の32号で、スキャットマン・ジョンの特集をしました。その話題が『流暢に話す技術か、吃音受容か』でした。その特集に関して、国際的にも論議になるこの問題を話し合おうということになり、日曜日の特別例会としました。

経過
 スキャットマン・ジョンが、基金を創設することになり、それをどのように活用するかを、国際吃音連盟を運営する、アメリカのメル・ホフマン、ドイツのトーマス・クラール、日本の伊藤伸二の三人委員会に問い合わせてきた。言語病理学者に資金を提供して、吃音の有効な治療方法の開発をという話がすすんでいた。その議論の中で、伊藤伸二は次のように、スキャットマン・ジョンとアメリカのホフマンとドイツのトーマスに提案した。
 
 「これまでチャールズ・ヴァン・ライパーや、ジョゼフ・G・シーアンやウェンデル・ジョンソンなど、世界のトップクラスの吃音研究者が、かなりの年月と人材と資金をかけ、命をかけて吃音に取り組んできた。自身もどもり、言語病理学者であるこの3人の巨人は、判で押したように、『そろそろどもりを治すことはあきらめよう、どもりを受け入れて生きるという覚悟を』と言っている。特にチャールズ・ヴァン・ライパーは、直接私たちと交流もあり、それを言い続けた人だった。
 しかし、その本人たちは、どもる状態は軽くなり、楽に喋れるようになっている。自分自身は吃音が軽くなり楽に喋れるようになったが、臨床家としてどもる子どもやどもる人の治療にあたったときに、満足のいく結果を得ることはできなかった。
 現在も完全な治療法はない。現在残っている治療法は、ゆっくり喋るということけだ。
 吃音をコントロールしてゆっくり喋るか、DAF(聴覚遅延フィードバック)の機械の助けを借りてゆっくり喋るか。とにかく、ゆっくりと喋るしかないのが、吃音治療の現実といえる。いろんな治療法が開発されるたびに調べたが、インチキで、まやかしであったと、ヴァン・ライパーが言っている。吃音は、そのときに治ったと思っても再発があり、長期にわたって追跡調査をしなければその治療法がよかったかどうかは検証できない。治療法を試みて、治療されたどもる人は閉じ込められた部屋にずっといるわけではない。治療法で吃音がよくなったのか、もっと違う部分で、例えばその人の交友関係とか、人生での経験や劇的な出会いとか、そういうものが効いたのかどうかの判定が難しい。
 吃音治療者に、研究者にお金を出して治療法を開発してもらうなんて、無駄金だ。人が自分の欠点、あるいは障害を、どう受け止めてどう生きていくか、どう自己を肯定して自己を受容して生きていくかは、全く研究も実践もない。スキヤットマン基金は、その方面にお金を出して研究実践すべきだ」

 吃音だけの話ではなくて、障害を受け入れて生きるということは極めて難しい。人はどう自分自身が受け入れ、自己肯定の道にたどり着けるのか。それを実践してきた、セルフヘルプグループの活動を整理して、どもる人の体験を整理する必要がある。セルフヘルプグループにこそお金を使うべきだとの提案だ。
 すると、スキャットマン・ジョンはすごく喜んで、最初基金を考えたときには自分なりにそういう計画を持っていたと彼は言い、そうしたいと具体的な提案をしてきた。
 「流暢に話す技術をおろそかにしてはいけない、吃音を受け入れるということは大事かもしれないけれど、治療を軽視するやり方には真っ向から反対だ」
 オブザーバーのカナダから意見が出されて、アメリカ、ドイツがカナダの意見に賛成で、吃音受容に資金をという伊藤伸二の提案は孤立してしまった。

話し合い
 「吃音の受容も大事だけれど、治療技術をおろそかにしてはいけない」
の議論を紹介したことに対して、どう感じたかまず誰か口火を切って下さいませんか。

佐藤 私はとにかく、喋るときにもう少し楽に喋りたいという気持ちがずっとありました。ところが、『スタタリング・ナウ』の文章を読んだ時に、伊藤さんの主張は、それをするために自分なりに工夫することがあまりよくない、逆効果というふうに言っているように感じたんです。楽に喋ろうとすることも、自己受容の中のひとつの手段というか、そういうのも含めて自己受容になるんじゃないかなという気がしたんです。だから、自己受容というのは、単にそのまま、どもっている状態を受け入れるだけでなくて、ひどくどもったときにちょっと楽に喋れる方法を自分なりに考えてみて、それを実践していくことも大事なんじゃないかなと思ったんです。それと、疑問に思っていることですが、流暢に話す技術は、チャールズ・ヴァン・ライパーもよく使っているけれど、どもらない状態にするという解釈もあると思うけれど、幅を広げて、どもっていてももう少し楽にどもれる、楽などもり方、言ってみたら楽な喋り方ができるというふうまで、拡大してとらえたらいいのかなという気がしているので、ことばの定義という点で、僕はずっと分からないんですよ。
(つづく)


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2021/8/24

大阪吃音教室への思い 5

 このシリーズの最終となりました。そこに行けば、仲間に出会うことができると分かっていても、初めての場所に行くのは勇気がいることです。それでも、勇気を出して参加すると、目の前がぱっと開けるという経験をしている人が多いです。こうして、これまで書かれた文章を読んでいると、最初は多くの人が「吃音を治したい」と切実に願いながら、「吃音と共に生きる」の価値観に初めて出会い、最初は戸惑いながらも、徐々にそれを受け止め、新たな道を歩み出しています。このプロセスは、中にはひとりでつかんでいく人もいるでしょうが、僕たち凡人にはなかなかつかめるものでありません。そこに、仲間の力が必要です。僕は1965年にどもる人のセルフヘルプグループ、言友会を創立し、それ以来55年間活動を続けてきました。
 その中で出会ったたくさんのどもる人たちが、「吃音を治す・改善する」から、「吃音と共に豊かに生きる」道筋に立って、自らの楽しい人生を切り開いていきました。
 緊急事態宣言が解除され、大阪吃音教室が再開されたら、この場を大切に思う仲間との時間が戻ってきます。その日を心待ちにしながら、過ごしています。
 昨日の続きです。これで最後です。

  
吃音に対する関わり方
                      堤野瑛一(会社員)
 僕が大阪吃音教室に来て良かったと思う事は、自分の吃音に対する関わり方が全く変わった事です。吃音教室に来る以前の僕は、吃音を真っ向から否定し、何としてでも治さなければならないものとして捉え、ひたすらどもりをなくそうと、終わりの見えない、今となっては無駄とも思える努力をしていました。しかし、いくら努力しても治らず、吃音は消えないものという現実に向き合わざるを得なくなった時、吃音教室に通っていく中で、新たな吃音に対する関わりや取り組みが出来るようになりました。
 「いかに吃音を治そう」から「いかにどもりを受け入れ、吃音と付き合おう」へと根本から変われたのです。
 今も、僕は悩んでいます。しかしその悩みは、昔の「いかにどもらずに喋ろうか」とか「自分は吃音であるから何々が出来ない」といったものではなく、大阪吃音教室に通い始めてからは、「いかに上手くどもろう、楽にどもろうか」とか「どもってしまってからの自分の気持ちの処理や態度」というものに変わりました。今はどもりである自分を否定していません。吃音とどう上手く向き合いながら生きていこうか、と考えているのです。

  アピオ大阪208号室の扉
                          徳田和史(会社員)
 大阪吃音教室に参加するまで、私の中にはいつも『どもり』という主張なき沈黙の部分が存在していた。それは会社にいるときも、家庭にいるときも、知人といるときも、また自分一人のときも、常に私の片隅に存在していた。
 この主張なき沈黙の部分は閉塞のベールで包まれており、劣等感、恥辱感、不全感で膨らみモゴモゴと蠢いていた。私はいつかこのベールを剥がし、新しい空間に解放されたいと堪らなく願っていた。しかし、自分なりに何度かこのベール剥がしを試みたがそれは容易ではなかった。
 1986年10月21日、私は記事が載った新聞の紙片を片手に恐る恐る、当時の会場であるアピオ大阪208号室の扉を開けた。そこは私にとって未知の世界であった。当初は戸惑ったが徐々に面白くなり大阪吃音教室に毎週通った。吃音者としての人生哲学を教えてもらった。特に論理療法は実用的で私に柔軟性を与えた。思うに、この吃音教室が、私の閉塞のべールを剥がし私を解放してくれたのである。208号室の扉のノブを握るたびに、初めて吃音教室に来た日を想い出す。

  治らないところに、吃音の良さがある
                     西田逸夫(団体職員)
 以前、吃音に悩んでいた私は、吃音から解放される夢を見たこともあります。いま私は仕事を通して、吃音のことで毎日さんざん困っています。でも、「吃音を治したい」とは、もはや思っていません。大阪吃音教室に通ううち、吃音の良さに気付いたからです。
 吃音教室の年間スケジュールを見ると、吃音基礎知識、アサーション、交流分析、論理療法など、多彩な内容の講座が並んでいます。ほとんどはコミュニケーションの問題を考え、解決をはかる内容で、広く多くの人に役立つものです。吃音が治るものなら、単に治療法を学ぶだけで済むはず。吃音が切実な問題であり、しかも治らないものだからこそ、大阪吃音教室でこんなに多彩な取り組みを工夫することになったのでしょう。
 私も、吃音教室に参加出来る日にはなるだけ来ることにしています。せっかく吃音と共に生きることになった人生、自分が吃音であることの良さを、より多く味わうために。
                         (2006年4月 了)


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2021/8/23

大阪吃音教室への思い 4

 吃音親子サマーキャンプ最終日のはずでした。今年、高校3年生を迎える子どもたちは、きっと参加していたでしょう。そして、最終プログラムで、ひとりひとり自分のことばで、自分を語り、卒業していったことでしょう。1年生から参加した子なら、12年間、夏のひとときを共有したことになります。我が子同然のような子どもたちとの出会いを、僕は本当に大切なものと考えてきました。来年こそ、の気持ちを強くしています。

 昨日のつづきです。ここにも、熱い思いで参加している大阪吃音教室を大切にしている仲間がたくさんいます。

  
たくさんの友人
                        中川昇一(大学生)
 私が大阪吃音教室に参加して良かったと思うことのひとつは、同じ吃音を持つたくさんの友人ができたことです。様々な年代、職業の人たちと吃音の悩みなどについて話し合うことは吃音教室での私の楽しみのひとつです。大学生活では出会うことのない、年代の人、様々な仕事について頑張っている人との出会いは、将来大学を卒業し、社会人になる自分自身をイメージすることができます。大学生活の出来事や、将来への漠然とした不安なども、自分と同じように吃音の悩みを持つ人たちの前では、吃音の悩みを素直に話すことができました。いろんな苦境に陥りそうな時も、私は何度も支えられてきました。そんな人たちと吃音の悩みはもちろん、学校とか友だちとか、いろいろな話題で語り合っていると、私は話すことが本当に楽しいと感じることができます。
 人と話す楽しさを知ったことが、私を明るくしてくれました。だから私は、この吃音教室でいろいろな人と出会えて本当に良かったと思っています

  入会して30数年
                           松本進(教員)
 大学時代を中心とした3、4年はこのどもる人のセルフヘルプグループにのめりこんで、他人と話を交わす時間のほとんどが、どもる人相手でした。それは、安心して生の自分をさらけ出せる時間でした。
 どもりの悩みはより小さくはなったけれど、吃音はずっとそのまま続きました。しかし、スラスラしゃべれることが偉いことでもないし、またそういう人ばかりの世界が唯一の世界ではない、と思えるようになりました。そのことから、「ある決まった一つの生き方にしか価値がない」とか、「世間とは、人間とは、こういうものだ」という硬直した考えから、逃れられたと思います。これは、自分をより客観的に見られるし、とことんまで落ち込まない余裕にもなっています。そのことが、いろんなことで悩んでいる学童期の子どもたちと接する上で、とても役に立っていると思えるのです。どもる私が教員として、ちゃんと生きている、そのことだけでも吃音に悩んだことも意味があったと思えます。

  自分が成長できる場所
                     森川聡美(会社員)
 大阪吃音教室に来て良かったことは、友だちができたことです。高校生の時参加した、吃音親子サマーキャンプで友だちとしゃべることの楽しさを知りました。それまでは友だちもいなくて、しゃべることも少なかったのですが、しゃべる楽しさを覚えてからは、学校等で積極的に話の輪に入っていくようになりました。また、吃音教室にはいろいろな人が参加しており、その人たちに支えられながら、私は人間的にも成長できる場であると思っています。私は精神的に幼いのですが、“幼い私のままではいやだ!もっともっと精神的に成長したい!”と思うことができます。
 ここでは、“あなたはあなたのままでいい”が根底にあり、それを肌で感じ取ることができます。まだまだ努力することはたくさんありますが、大阪吃音教室でいろんな人と話をしたり、一緒に考えたりすることが、私にとってとても良い刺激になります。

    仲間がいる
                        岡崎良太(会社員)
◇仲間がいる
 同じように吃音に悩んだ仲間がいる。職場だけでは出会えなかった若い人と交流できる。いろんな職業や立場の人と出会うことができる。基本的に吃音という共通のものがあるので、より深く仲間としての意識が高まり、無防備でいられる、安心、安全な基地となった。
 最近、長年勤めていた会社を退職し、独立して一人で仕事をするようになった。これまでいた仲間がいなくなった私にとって、いろんな意味で仲間が常にいるということはとてもありがたい。
◇吃音に対する考え方が変わった
 吃音を憎んで生きてきたが、吃音を全く憎まなくなった。吃音に限らず、いろんな物事に対して、柔軟な考えができるようになった。
◇話し方が変わった
 私は仕事で人前で話をする機会が多く、また、初めて出会う人との会議があり、常に自己紹介をしなければならない。そのとき、どう自分を紹介するか、会議の時の発言をどうまとめるかに苦労してきた。それが、大阪吃音教室では、一分間スピーチなどの講座があり、どのように話をまとめるかを常に練習することができた。また、吃音川柳の時間では、ユーモアのセンスを磨くことができた。(2006年4月 つづく)
                        
日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2021/8/22
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