伊藤伸二の吃音(どもり)相談室

「どもり」の語り部・伊藤伸二(日本吃音臨床研究会代表)が、吃音(どもり)について語ります。

2021年07月

どもって声が出ないときの究極の対処法は、どもること

 「どもって声が出ないときの対処法」の講座の紹介の最後になりました。挨拶やお礼を言うとき、朝礼の場面です。改めて、実際に使っているたくさんの対処法を聞き、それを選択肢として持っておくことが大切だと思いました。
 どもって声が出ないときの究極の対処法は、自然にどもること。これは、僕が長くどもってきて、みつけた、どもりと上手につきあうコツのひとつです。

大阪吃音教室だより
  どもって声が出ないときの対処法 2015.11.6

◎挨拶やお礼を言うとき
・声が出ないときは会釈をする。
・「ありがとう」がでなければ、「いただきます」「うれしいです」など他の言い方をする。
・「どうも」をつけて、「どうも、ありがとうございました」と言う。
・「あ」を省略して、「りがとうございました」と言う。
・感謝の気持ちが伝わればいいので、声が出ないときは笑顔でにっこりほほ笑む。
・お礼が言えなかったときは、後日「おいしかったです」など、感想を言う。

◎朝礼
・開き直って、ひどくどもりながらでも言う。
・朝礼でどもっても、落ち込みを最小限にして、他の仕事をがんばる。
香川 : 朝礼での唱和を、逃げたり、誰かに代わってもらったりしたこともありますが、以前の朝礼でみんなの前でどもって笑われたことで、みんなにどもることを知られてしまったので、その場でどもっても、笑われてもいいと思って開き直って言いました。そんなふうに思えたのは、大阪吃音教室にきて、吃音の知識を深めたり、「どもった方が面接で印象に残る」とか、「どもったけど面接に合格した」などいろんな人の体験を聞いたりできたのが大きいです。
東野 : 朝礼でどもって唱和をしたっていうのが良かったですよね。それがなかったら、ずっと逃げていたかもしれませんよね。
香川 : どもりをみんなに知られるのが悪いことだけではないと思います。

森 : みなさんからさまざまな対処法を聞いて、どもってもなんと乗り切ろうと、日々サバイバルしておられる様子がよくわかりました。「究極の対処法はどもること」だと思います。ひどくどもっても、なんとかなる場面が多いと思います。

《講座の担当者の感想》
 この講座を初めて受ける人がわりと多かったようですが、みなさんが活発に発言してくださったので、さまざまな対処法が出ました。「こんな対処法があるんだ」と知っておくだけで、安心できるので、もし使えそうなものがあれば参考にしていただけたらと思います。
 昔、一人で悩んでいた頃は、吃音を治すことばかり考えていて、どもりは恥ずかしいもの、どもっていたら仕事ができないと思い込んでいました。でも、大阪吃音教室と出合って、どもりが治らなくても他に努力できることはたくさんあるし、どもりでも豊かな人生が送れることを実感しました。
 以前、伊藤さんが「どもって声が出なくなったときの対処法はどもること!」とおっしゃっていた言葉がとても心に残っていますので、「究極の対処法はどもること」で講座をしめくくりました。(了)


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2021/7/15

どもるからこそ、こんなことができると、面接では伝えたい

 2015年11月の大阪吃音教室の講座「どもって声が出ないときの対処法」のつづきを紹介します。今日は、言い換えのできない固有名詞を言うときと、面接の場面です。やはりここでも、サバイバルしているどもる人の実体験が話されています。

大阪吃音教室だより
  どもって声が出ないときの対処法 2015.11.6

◎固有名詞
・動きながら言う。
・省略して言う。
・母音から言う。
東野 : 以前勤めていた会社名が「なかにし株式会社」だったのですが、電話をとるときは「なかにし株です」と省略して言っていました。
斎 : 会社名など、決まっていることを言わないといけないかもしれないけど、言えないものは言えないので、上司に相談するのもありかなと思います。完璧に言わないといけないと思うとしんどいですね。
西田 : さっきの東野さんの話ですが、「なかにし」が出てこなかったら、「あかにし」でもわかると思います。相手は東野さんが「なかにし株式会社」の人だとわかっているので、耳では「なかにし」と聞いてしまうかもしれませんね。
斎 : 母音が出ていれば、なんとなく聞こえるって言うのが日本語の特徴ですね。自分も呼び出しをしていますが、「にしおかさん」を「いしおかさん」って言ってもわかりますよ。
東野 : 会社名が出ないときは、まわりに理解してもらうのも一つの方法だし、理解してもらえないのだったら、多少つまってでもなんとか声を出して、その後の受け答えをきちんとするとか、なんとかクリアできたらいいですね。

◎面接
・伝えたいことをしっかり考えてから面接に臨む。
・どもりを公表する。公表の仕方も大事で、プラスになるような言い方で伝える。
D : 大学受験の面接でどもったけど、どもりながらもなんとかしゃべれて、無事合格しました。将来は言語聴覚士になりたいです。自分がどもるから、患者さんに親身になれるし、自分の体験も話せるし、他の言語聴覚士にはない武器かなと思います。
森 : どもるどもらないより、面接では特に話す内容が大事だと思います。
斎 : どもるとインパクトが残りますよね。
徳田 : 私の場合、どもりながら一生懸命話したのが良かったと思います。熱意が伝わったと思います。
森 : 私も教員採用試験の面接で名前が言えなかったので、面接官にどもることを伝えました。そして、どもるからこそ、教師としてこんなことができるなど、アピールしました。公表の仕方も大事で、プラスになるような言い方で伝えられるといいですね。(つづく)


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2021/7/14

電話での工夫やサバイバル

 昨日のつづきです。どもって声が出なくて困る場面となれば、電話を挙げる人が多いようです。直接顔を合わせていれば、まだなんとかなるのですが、顔が見えない分、困ることも多いようです。今日は、その電話を、取り次ぎ編とクレーム編に分けて、取り上げました。日常生活でよくある場面での工夫やサバイバルの話が展開されています。

大阪吃音教室だより
  どもって声が出ないときの対処法 2015.11.6

◎電話
・言いにくい名前やことばの前に自分が言いやすい言葉をつける。(お疲れ様です、お世話になります、など)
・「あの〜」「えーっと」などをつける。
・ケイタイなら、歩いたり、手を振ったりの随伴行動を活用する。
・文字を書きながら話す。
・必要なら、誰かに代わってもらう。
・普段よりはゆっくり目に話す。
・間違い電話と間違えられないように、沈黙しないでどもっていることが相手に伝わるように「あっあっあっ」でも、声は出し続ける。

【電話での取り次ぎ編】
A 工場で働いているので、電話がかかってきたら、作業している上司に「発送の〇〇さんからです」と伝えに行かないといけないんです。上司のところまで、歩いて行くタイミングで言うようにしていますが、「発送」は言えるが「原田さん」が言えないんです。
東野 「原田さん」からです、「発送の」と逆にして言ってみるのはどうですか?
A : 「発送」の方が言いやすいから、一度試してみます。
斎 : いろいろ試してみて、自分が言いやすいものを考えみるのがいいですね。

【電話でのクレーム編】
B : 普段の電話でもどもりますが、職場でクレームの電話がかかってくると、ひどくどもって、何も言えなくなり、上司に代わってもらいました。
西田 : どもらない人でもクレームの電話は苦手ですよね。
東野 : どもって何を言っているのかわからないのと、相手の話を聞いて、相手の言うことを受け取っていないのとは、まだ別の問題ですよね。クレームを言う人はとりあえず謝ってほしいので、低姿勢で臨むしかないのではないでしょうか。
B : 「すいません」も、どもって言えないことがあります。
東野 : クレーム以外の電話のときはどうですか?
B : 自分がどもることを知っている人には話しやすいし、どもってもいいやと思えるけど、どもることを知らない人には、どもると相手に迷惑がかかると思って、どもらないような言葉を選んで話しますが、理解されないことがあります。
東野 : どもらないことばを選びながら話していると、余計に迷惑がかかるのでは?
西田 : 電話では早口になりがちなので、自分は普段の半分ぐらいのはやさでしゃベるようにしています。
C : 話しにくい言葉は頭でわかっているので、前に「お疲れです」「お世話になります」など、その時に言いやすい言葉をつけてから話しています。会社では自分がどもることを言っているので、同僚にはどもったら、「どもりました」と言うようにしています。
森 : どうしても声がでないときはどうしていますか?
C : 以前、会社名がでないときがありましたが、電話番号で相手がわかってくれて、「〜さんですよね?」と言われたので、「すいません、そうです」と言ってごまかしたこともありました。でもどもってでも伝わったらいいかなと思います。
西田 : クレー厶を言いたい人って上司の人と話したい人が多いと思います。だから、結果的に上司が電話対応をすることになったけど、自分が責任を感じる必要はないのではないでしょうか。
坂本 : 学校でも何か問題が起きたら、教頭に代わってもらいますよ。それが管理職の仕事だと思います。(つづく)


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2021/7/13

どもって声が出ないときの対処法

 緊急事態宣言からまん延防止等重点措置へ、そして、今日から、大阪はその延長が決まりました。大阪吃音教室は、今年、4月9日に開講式をして、翌週から休会し、6月25日に、再開しています。
 ミーティングは、ミート(会う)のingで、会い続けることなのですが、それが一番大切なセルフヘルプグループにとって、決まった時間に決まった場所で会い続けることができなかったのは、とても寂しい、残念なことでした。6月25日からの大阪吃音教室は、いつまた開催できなくなるかもしれないという思いもあってか、いつにも増して愛おしい時間になっています。僕は、研修や講演、純粋に遊びなどで「旅」に出ることが多いのですが、大阪にいる限りは必ず参加しています。直接出会って、語り合うことの気持ちよさは、何にも代えがたいものです。
 大阪吃音教室の年間スケジュールの中で、定番になっている講座に「どもって声が出ないときの対処法」があります。タイトルが参加者の心にピタッとくるのか、たくさんの人が参加する講座です。今日は、2015年11月6日の様子を紹介します。様々な場面で工夫し、サバイバルしているところがおもしろいです。場面ごとに紹介します。

大阪吃音教室だより
  どもって声が出ないときの対処法 2015.11.6

 この日の講座は、まず、皆さんに「どもって声が出ない場面」をお聞きしました。そして、その場面をどんなふうに切り抜けているか、どんな工夫をしているか、みんなで話し合いをしました。

どもって声がでない場面
 ◎閉会式での挨拶(囲碁の先生が高校生の囲暮の大会で閉会式の挨拶をしたとき)
 ◎電話(取り次ぎ、クレームの電話がかかってきたとき)
 ◎固有名詞(号令、名前、会社名などを言うとき)
 ◎面接
 ◎挨拶やお礼(おみやげをもらってお礼をいうとき)
 ◎会社の朝礼
※この他にもありましたが、主なものをピックアップしました

どんなふうに切り抜けているか?
◎開会式や閉会式での挨拶
・準備をきちんとする。
・もし、途中で声が出なくなったときにどうするか考えておくと気持ちが楽になる。
・自分が話しやすいような相手を見ながら話す。
・ゆっくり話す。
・最悪の場合を想定しておく。

斎 : 私たちは、話す部分は苦手だから、準備などできる努力はきちんとしておいた方がいいので、前もってしっかり準備をしておくことが大事だと思います。
東野 : 最悪の場合を考えておいて、いくつか原稿を作っておき、調子が良ければこれを使おう、調子が悪ければこちらを使おうと、そのときの状態によって使い分けたらいいと思います。
斎 : 挨拶の練習をしてみて、時間がかかりそうなら、余分な部分を削って、大事なことだけ話すとか、そういう準備はきちんとした方がいいですね。
森 : 私も人前で話す機会が多いのですが、相槌をうったり、頷いたりして、しっかり話を聞いてくれそうな相手を見ながら話すと話しやすいです。それと、私の場合ゆっくり話した方が、ことばが出やすいです。
徳田 : 僕の場合、しゃべる前に最悪な場合を想定しておきます。それをしておくと、たとえ途中で調子が悪くなっても「あっ、ちょっと調子が悪くなってきたか」と少し余裕が出てきます。人によって違うので、最悪の場合を考えたら、なおさら調子が悪くなる人もいると思います。でも僕の揚合は、最悪の場合まで考えておいたほうが、「やっぱり調子が悪くなってきたか」と自分を第三者的に見ることができます。(つづく)


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2021/7/12

「親、教師、言語聴覚士のための吃音講習会」中止のお知らせ

 昨日は、吃音親子サマーキャンプの今年の開催中止のお知らせをしました。昨日に引き続き、今日は、もうひとつの大きなイベント、「親・教師・言語聴覚士のための吃音講習会」中止のお知らせです。これも、昨年に続いての中止となりました。
 吃音講習会は、2021年8月7・8日(土・日)の日程で、会場は愛知県岩倉市生涯学習センターでの開催を予定していました。講習会を通して、どもる子どもへの新しい臨床を提案し続けてきて、講習会の開催は9回目となる予定でした。
 テーマは、どもる子どもとの対話〜健康生成論的アプローチ〜でした。
 初めてことばの教室の担当となった教員の研修の場がなくて困っている、という声を聞いていたので、なんとか開催したかったのですが、とても残念です。
 
 今、大災害などによるトラウマやストレス、先の見えない不安などに対し、これまでの病気の原因を追及し、原因を除去することで病気を治す「疾病生成論」の考えでは立ち行かなくなりました。その代わりに、大変な状況の中でも健康に生きる人の要因を探る「健康生成論」が注目されています。健康状態を維持し続けた人々に共通していたのが、「把握可能感(わかる)」、「処理可能感(できる)」、「有意味感(意味がある)」の感覚でした。この三要素がバランスよく発達することが、重要だと指摘されています。どもる子どもがこれからのストレスが多い社会を生き抜くには、この3つの感覚を育てることが大切だといえるでしょう。
 吃音は、未だに原因も解明できず、有効な治療法も開発されていません。そうした中で、僕たちの仲間のことばの教室の教員は、子どもたちと一緒に吃音について学び、吃音のこと、どもる自分のこと、日常生活での苦戦にどう対処するかなどについて、対話を続けています。
 それら具体的な実践を紹介し、参加者と一緒に、ことばの教室や言語指導室での新しい吃音の臨床の展望を、健康生成論によって探っていきたいと考えていました。また、子どもとの対話、レジリエンス、ナラティヴ・アプローチ、当事者研究など、これまでの講習会で考えてきたことを、初めての方が理解できるように、丁寧に整理していきたいと考えていました。どもる子どもと一緒に取り組める、楽しくそして豊かな実践を、みなさんと考えていきたいと思っていたのです。

 「吃音の夏」と呼ぶ、僕たちが大切にしている大きなイベントが2つとも、中止になり、とても残念な気持ちです。コロナが落ち着いたら、ぜひ、多くの方と、直接出会って、吃音のこと、どもる子どものことをたくさん話したいです。その思いを次回につなげていきます。
 感染の状況にもよりますが、秋以降に、開催できるようならば、ホームページでお知らせします。これまで考えてきたことを整理し、まとめていく時間を与えられたのだと思い、ブログ、Twitter、Facebookで発信を続けています。日本吃音臨床研究会のホームページのトップページに、Facebookが埋め込まれています。ご覧下さい。

日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2021/7/11

吃音親子サマーキャンプの開催を中止します

 今年の夏の吃音親子サマーキャンプ。日程は、8月20・21・22日、会場は、いつもの滋賀県彦根市荒神山自然の家を予約していました。この、僕たちが大事にしているイベントの、吃音親子サマーキャンプの今年の開催の中止を決断しました。30回という歴史を重ねてきた吃音親子サマーキャンプですが、昨年に続き、今年も開催中止とします。

 吃音親子サマーキャンプは、これまでたくさんのドラマを生み出してきました。2019年の夏、30回を記念して、吃音親子サマーキャンプの持つ意味、私にとって吃音親子サマーキャンプとは、など、参加者ひとりひとりが考え、語ったことが懐かしく思い出されます。

 8月のその頃は、コロナの状態も落ち着いていて開催できないことはないことになるかもしれません。国がオリンピックやパラリンピックを開催するのだから、サマーキャンプも開催してもいいのかもしれません。しかし、オリンピックやパラリンピックの開催によって感染拡大につながる可能性も報じられています。現に、今、東京は、緊急事態宣言下にあり、大阪も含め、東京近郊では、感染者が増加傾向にあります。

 サマーキャンプの参加者は全国から集まり、2泊3日の長い時間、濃厚な接触になります。また、ことばの教室担当者や言語聴覚士などのスタッフの確保も困難かもしれません。開催することのリスクは大きすぎると判断しました。
 昨年は、仕方がないと1年間待っていただいた方、今年こそというお気持ちだったことと思います。私たちも同じで、なんとか開催できないか検討を重ねました。開催は難しいかもと思いながらも、少しは期待しておられた方も大勢おられたことでしょう。私たちも、なんとか開催したいと、今日までぎりぎりまで粘りましたが、そろそろ決断しなくてはいけない時期になりました。
 来年こそ、ワクチン接種も広がり、開催できるのではないだろうかと期待しています。
 後1年、お待ちください。

 こんなときだからこそと思い、昨年からがんばっている、ブログ、Twitter、Facebookでの発信は続けています。ご覧いただければうれしいです。また、どもる子どもやどもる人の体験、吃音親子サマーキャンプや吃音講習会などの報告、吃音に関する新しい考え方など、吃音に限らず、ことばや生き方などの特集を掲載した毎月のニュースレター「スタタリング・ナウ」の発行も続けています。月に一度、それらに接することで、確かな吃音観、人間観を持っていただければと願います。
 どうぞ、コロナ対策と、熱中症対策を怠りなく、お元気でお過ごし下さい。

日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2021/7/10 

どもるときは、どもるに任せるしかない

 1999年5月の大阪吃音教室の講座、「どもりについてみんなで語ろう」の紹介は、今日で最後です。この講座は、年間のスケジュールの中に、年に2回ほど必ず組み込まれています。予め、テーマが決まっているわけではありません。担当者がテーマを用意することもありますが、参加した人たちから、話してみたいことを出してもらいます。よく似たテーマが出ることもありますが、話の内容や展開は、参加者によって変わります。大事なことは変わりませんが、参加した人の体験をもとに話し合われるので、毎回、新鮮なのです。

大阪吃音教室だより
  どもりについて皆で語ろう(1999.5.21担当:伊藤伸二)

§ 感情の揺れとどもり

伊藤 : 皆さんは、結婚式で新郎の父親として挨拶する時や悲しいお葬式で喪主として挨拶する時などの、自分の真実の気持ちを表現する時と、弁論大会に出て優勝をねらう時の二つを比べて、成功するしないかは別にして、どもるという視点においてどちらが難しいと思いますか。
 [どちらか挙手してもらう。ほぼ半分に分かれた]

伊藤 : どもりというのはそれぞれ違うでしょうが、僕から言わせると、弁論大会で優勝することの方が簡単だと思います。要するに決まった情報を一定の時間に聴衆に伝えることは、練習して練習して練習を徹底してやれば、どもりの『一貫性』という項目が吃音検査の中にあるのですが、どもる頻度はかなり減ります。ところが一回きりの自分の気持ちとか、瞬間、瞬間の出来事は計算したり練習することができないし、何が起こるか分からない。そのときの方がどもるのではないかと考えられます。
 ある人は、普段の生活ではすごくどもるんですが、芝居では全然どもりません。どうしてかと聞いたら、だって台詞は自分の感情が入っていないし、そのまま読めばいいからと言います。けれども丁々発止の瞬間的なやりとりは練習が効かない、一回きりであるから難しいとその人は言います。
 先程誰かが言った、自分の気持ちを言ったりするときはどもってあたりまえだから、比較的大丈夫だ、これも真実だと思うんですよね。自分が落ち込んだり、嬉しかったり、感情が高ぶったりするときには、どもるのはあたりまえです。当然、だから芝居の台詞でも興奮したりする場面で「たたたた大変だ」などと、セリフが書かれたりする。つまり全ての人にとって感極まったときに流暢に喋れること自体がおかしいのではないかと思います。
 僕は山手線の電車の中や、上野の西郷さんの銅像の前での演説がいくら上手になっても、全然自信にはつながらなかった。そして相変わらずちょっとした挨拶の「おはようございます」の「おはよう」も言えずにどもっていました。

§ どうしても言葉が出ないときは
伊藤 : 最後になりましたが、どうしても言葉が出ないときはどうするか。この質問は以前の例会でも何度も出ましたが、どうしても出ないときは、出ないにまかせる。(笑い)
どうしてもことばが出ないときに、ことばが出るようにしろと言われることは、どもりを治せということと同じことだからです。
 冒頭に質問した結婚式の新郎の父親としての挨拶で悩む人はいますが、吃音ではない人でも、感極まったらどもるのですから、どもる僕らはむしろどもった方が成功だと考えたらいい。「すらすら、ぺらぺら」挨拶するより、どもりながらの挨拶の方が、その場にふさわしいということになります。
 また、弁論大会などは日常の場面とは違うので、どもる人でも練習でなんとかなるという側面もあります。練習はしておくが、どもる時はどもるに任せるしかない。要するに、どもってもいいし、どもらなくてもいい。どっちでもいいのです。そんな、悟りのようなことはできないと言う人がいるかもしれませんが、結果としてみんなそうなっているのです。 (完)   大阪吃音教室「新生」 1999.5.21  


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2021/7/8

どもる人に特有な性格はあるのか?

 昨日、今年初めてセミの鳴き声を聞きました。毎年、この七夕の頃、第一声を聞きます。昨年は7月8日でした。季節が確実に移っていることを感じます。梅雨空が続いていますが、その合間をぬって鳴くセミの声に、夏本番がそこまで来ていることを思いました。
 昨日のつづきです。
 どもるから気が小さいのか、気が小さいからどもるようになったのか、吃音についてひとりであれこれ思っていた頃には、自分の性格と吃音の関係について考えるようです。セルフヘルプグループで、自分以外のどもる人と出会うと、いろんな性格の人がいることが分かり、世界が広がります。同じようにどもるけれど、人はそれぞれに違うことに改めて気づきます。

大阪吃音教室だより
  どもりについて皆で語ろう(1999.5.21担当:伊藤伸二)

§どもりは臆病なのか
伊藤 : どもる人独特の性格というものはあるのだろうか。どう思いますか。自分を含めて、どもる人の性格についてどのようなイメージをもっているか、出してみましょう。

[参加者に聞いてみる]
◇せっかち ◇恥ずかしがり屋 ◇引っ込み思案 ◇サービス精神旺盛 ◇小さなことにクヨクヨする ◇ヘラヘラする ◇気が小さい ◇神経質 ◇几帳面 ◇短気 ◇消極的◇いいかげん ◇正直 ◇完全主義者 ◇ノー天気

伊藤 : どもる人独特のパーソナリティーがあるのでは…、という研究がこれまでいろいろされて来ましたが、どもる人、どもらない人の差はないという結果が出ている。どもる人は性格が消極的だとか言われるが、そんなことはない。言い過ぎると思う。レッテルを貼り過ぎる。どもる人は、全てにおいて消極的なのではない。「喋ることがからんだりする場合、消極的になることもある」というふうに書き換えたほうがいい。いつも臆病なのかとなるとそうではなく、大胆不敵になる場合もあるのだから。恥ずかしい気持ちとか、臆病になる気持ちは人間には必要ではないでしょうか。レッテルを貼るのではなく、「何々の場合には臆病になることもある」と書き換える方がいいのではないでしょうか。

§体、性格がどもる
信 : どもることが、性格をつくるのか、性格が吃音をつくるのか、心理学の本を読んで一生懸命調べたことがありますが、結局は分かりませんでした。
伊藤 : どもる人は性格が弱いとよく言うけれど、本当にそうだろうか。私たちは、これだけどもっても生きている。これだけ辛い苦しいことに耐えながら生きている。死ぬこともなしに。これはすごいことです。どもりは人を悩ませたり、嫌な思いをしたりすることは事実かもしれないけれど。辛いことはあるけれど、その辛いことに耐えながら、自分の人生を歩んでいる。褒めてあげてもいいと思う。吃音でない人には、今私たちが経験していることに耐えられないのではないかと思いませんか。どもる人は、おそらく強いですよ、しぶといと言ってもいいかも知れない。
信 : 性格というより、癖みたいなものが体にこびりついてとれませんね。どもりも癖じゃないかと、これを取ってしまうと『牛の角を矯めて牛を殺す』の諺のように死んでしまう。結局、吃音の受容というのか、どもってもいいじゃないかと思うのですけど。
伊藤 : その通りだと思います。僕らはよく『牛の角を矯めて牛を殺すな』という表現をするのですが、個々でもっている恥ずかしいと思う気持ちとか、臆病になる気持ちとか、そんなものはみな人間にとって必要なこと、そういうものをもっている自分を認める、ということでいいのではないでしょうか。(つづく)


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2021/7/7

周りの人の吃音についての意識を変えるには

 大阪吃音教室の講座「どもりについてみんなで語ろう」の続きです。今日のテーマは、周囲の人は、どもりをどうとらえているのかということです。どもる人は、周囲の目や他人の視線を気にしがちなところがあります。実際は、周りの人はどもる人の話し方にそれほど関心を持っていないにもかかわらず、です。
 周囲の人の吃音に関する意識を変えていくのは、どもる人自身です。吃音を隠さず、どもりながらコミュニケーションをとり、仕事をしていく、そのことで、周囲の人の意識も変わっていくのではないでしょうか。

大阪吃音教室だより
  どもりについて皆で語ろう(1999.5.21担当:伊藤伸二)

§ 周囲の人はどもりをどうとらえているのか

伊藤 : 周囲の人はどもるということをどう見ているのか。これを出した人、どういう意味あいで提案したのですか。
大介 : 職場でどもったら、エッ?という感じの表情をされるので、どもりという症状を周りの人は知ってるのかなあ、と思って…。
伊藤 : これはすごく大事なテーマですよね、どういう状態がどもりだと思いますか。

[参加者に聞いてみる]
◆詰まる喋り方をする人、良い悪いは別として。
◆言わなければならない言葉が出ない、何回も繰り返す。
伊藤 : 僕は高校生の頃、「ぼぼぼぼ僕は…」とか「たたたたた卵ください」とか言うふうに誰が見ても分かるような音を重ねる激しいどもり方をしていました。だから、今まで喋っていて急に一言も言葉が出なくなるブロック(難発型)のどもりはどもりとは思っていなかった。一般的に、周りの人はこれをどもりだとは思わないかもしれない。だって、今までべラベラ喋っていて、ところであなたの名前と聞かれて、名前が出ずに急に絶句するんだから。周りはびっくりする顔をする。この辛さ、悩みと苦しさは大きいですよね。僕のところに相談に来た人で、普段はベラベラ喋れるのだが自分の名前だけがどうしても言えない人がいて、名前を変えようとして裁判所に持ち込んだが、結局認めてもらえなかった。この人は最終的に養子縁組までして姓を変えた。この人を一般の人はどもりとは思わないでしょうね。変な人と思うでしょうね。
 周りの人のどもりの認識を変えていくとしたら、僕たちはどもりを隠さないことしかない。いろんなバリエーションのどもりを知ってもらい、どもっていても仕事はできるし、コミュニケーションもできることを伝えていけば、周りの人の意識、認識は変わっていくのではないでしょうか。また、どもりの人がどもりを否定的にとらえていれば、周りの人がどもりを肯定的にとらえるはずがない。自分のどもりを周りの人に肯定的に思って欲しいとか、どもっていてもちゃんと聞いて欲しいと思うのであれば、どもる人自らがどもりを肯定的にとらえなければ…、ということになるのではないでしょうか。(つづく)


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2021/7/6

「どもると恥ずかしい」と「どもるのは恥だ」は違う

 いつの間にか今年の半分が終わり、7月に入りました。コロナ騒動が始まってから、どうも時間の感覚がこれまでと違っているようです。
 僕が大切にしている吃音親子サマーキャンプ、今年も中止を決断しました。8月の第3金土日という日程でした。もしかしたら、収まっているかもしれません。しかし、参加者は全国から集まり、話し合いや劇の練習など濃密な3日間を過ごします。リスクは大きいと判断しました。今年も、寂しい「吃音の夏」になりそうです。
 せめて、このブログやTwitter、Facebookでは、考えたり、感じたりしたことや、以前書いたものやまとめたものを紹介していこうと思います。
 今日は、1999年5月の大阪吃音教室での講座「どもりについてみんなで語ろう」です。大阪吃音教室も、先月25日から、緊急事態宣言が解除されたので、再開しています。関西地方の方、どうぞ、ご参加下さい。

大阪吃音教室だより
  どもりについて皆で語ろう(1999.5.21担当:伊藤伸二)

伊藤伸二 きょうは、どもりについて話し合おうということですが、どんなことを話し合いたいか、どういうことに興味があるか、関心があるかを出してもらって、そのことで話し合ってみようかと思いますが、吃音に関して今一番関心があることはどんなことですか。日頃、疑問に思っていることはありませんか。
政信 : 伊藤さんがこのあいだ言っておられた、“恥をかく”ということ。
大介 : 周囲の人はどもるということを知っているのか、どもるという症状自体をどういうふうにとらえているのか。
幸治 : どもりは臆病なのか。
信 : 口だけでなく、体が、性格がどもる。根性を直さないといけないように思うが。
晃之 : 喜怒哀楽というか、感情の揺れとどもりは何か関係があるのか。落ち込んだりしたときなどは、どもりの調子が悪くなる。
良沢 : どうしても言葉が出ないときはどうしたらいいか。
伊藤伸二 : どもりの問題が出尽くしたように思います。最初から順番にいきましょうか。

  § 恥をかく
伊藤 : どもると恥ずかしい方、手を挙げてください……。ホウ!全員ですか。ある人は恥ずかしい、ある人は恥ずかしくないというのであればともかく、全員が“どもることは恥ずかしい”と思っているということになれば、これはほぼ間違いがない当然の事だということになり、そっちの方向にヒントがあるとすれば、“どもりがどもって恥ずかしいと思うことは正当なことである”となるのではないでしょうか。
 ところが、“どもると恥ずかしい”と思うのと、“どもるのは恥だ”と思うのは、僕は別のことだと思うのですが、いかがでしょうか。
 “どもると恥ずかしい”と思うのは、全員がそうであれば、恥ずかしくないなんて無理に思う必要はないし、恥ずかしいなら恥ずかしいと思うにまかせる。全員がそうなんだから抵抗したってしかたがない。どもると恥ずかしいと思うのは自分の正直な素直な気持ちなんです。恥ずかしいと思う自分を認める。ところが“どもるということは恥だ”というのは、“恥だ”ということのレッテルを貼ることになる。価値観をどもったことに対してくっつける。“恥ずかしい”というのは、自分の正直な率直な気持ちなんです。こういうふうに両者に区別ができると思うのですが、私たちは日常区別することなく生きているんですね。両者を区別することは大事なことだと思います。
 そこで人はなぜ恥ずかしいと思い、そしてそれが恥になるのか。気づいたり、感じたりしたことがあったら話してみませんか。

[参加者に聞いてみる]
◆些細なことで、人よりできないことがあったら格好が悪い、恥や恥やと思っていた頃があった。例えば、小学生の頃、鉄棒の逆上がりができなかったことがすごく恥ずかしかった。私のどもりの遠因になっているかも知れない。
◆小学生の頃、音楽の時間に一人ずつ独唱させられるのが恥ずかしかった。注目されるのが恥ずかしかった。
◆皆と違うところがあると恥ずかしかった。皆泳げるのに僕だけ泳げないとか、皆スラスラ本が読めるのに僕だけ読めないとか。
◆恥ずかしいと思うのは決して悪いことではないと思う。感受性があって、情緒的であって。これに相反するものに無神経、厚かましい、ふてぶてしいがある。恥ずかしがる人というのは、感受性があり優しい人だと思う。
◆自分自身に嘘をついたときが一番恥ずかしい。どもりに関して言えば、自分がどもりのくせにそれを隠そうとする自分が恥ずかしい。
伊藤 : 「どもりを治す」とか、「どもっても平気になる」の、吃音を克服するという表現は使っていませんが、もし仮に使うとして、吃音を克服する一番簡単な方法があります。確実な方法、何だと思いますか。
 それは図々しくなることです。要するに、恥を捨ててしまう、なんぼでも恥をかくということを自分が徹底してできたときに吃音は簡単に克服できる。でも、この方法が僕はいいとは思えない。きっと友達はいなくなるだろうし、仕事はうまくいかなくなるだろと思います。だから恥ずかしさというのを残しつつ、上手にどもりと向き合う、つき合う、これが僕らの考えです。
 恥をかきつつ、恥じらいつつ。恥じらいはやはりもっていたい。恥じらいつつそれでも言いたいことは言う、言わなければならないことは恥ずかしいと思いながらでも言う。そういうことを日常生活で続けていくと適度にあんばいなどもりとつき合える。(つづく)


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2021/7/5
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