伊藤伸二の吃音(どもり)相談室

「どもり」の語り部・伊藤伸二(日本吃音臨床研究会代表)が、吃音(どもり)について語ります。

2021年07月

思春期の吃音。どもっている、これが僕の姿だ。

仲間はいっぱいいる。人は信じることができる。

 中身の濃い話し合いの時間が終わりに近づき、最後にひとりひとり感想を話しました。僕も、感想の中で話していますが、中学生、高校生の時代に、このような仲間と、このような話し合いの時間が持てること、そして、そこに吃音に悩んできた成人のメンター(良き先輩 )がいることは、うらやましいことでした。きっと、この場にいた人たちは、将来、何らかの問題にぶつかった時も、ひとりで抱え込まず、誰か信頼できる人にHELPを出すことができるでしょう。何より、周りの人を信じることの大切さを実感してくれたことでしょう。この世の中、捨てたもんじゃありません。
 今日は、最後のひとりひとりの感想を紹介します。話し合いの報告は、これで終わりですが、明日は、参加者のひとりが書いてくれた感想と、その保護者と担任の先生から見た彼の変化をまとめていただいたものを紹介します。

吃音親子サマースクール

まとめの感想
但馬(言語聴覚士): 初めて参加しました。言語訓練士になるために、専門の養成所へ行き、吃音に関して特に吃音症状について多少勉強しました。でも実際、今、みなさんの話を聞いて、吃音の症状がどうなのかということよりも、やっぱり吃音を持ったひとりひとりの考え方なり、思い、悩みをきちんと受けとめていくことが大切なんだと思いました。
和田(中学3): みんなだいたい同じような考え方やなと思って、なんていうか、仲間はいっぱいいるなという感じがしました。
井上(高校2): 俺も昔っからどもりで、悩みまくって、もうなんで俺だけがどもるのかとどうしようもなかったけど、今日来てみて、どもりでもみんな堂々としゃべってるし、やっぱり、どもりなんかで悩まずに、もっと大事なものがあるんじゃないかと思った。
藤(高校1): ここへ来て、どもりについて知りたかったことは、今日、全部わかったので、来てよかった。
脇田(高校3): 私は小学校のときは、スラスラしゃべれないことが、ずっと頭の中にあって、そのことにとらわれていて、ほとんど何も考えていなかった。最近はちょっとマシになったので、自分の周りを見れるようになった。そしたら、人もいっぱい悩みを持っていて、自分だけじゃなかった。すごい勘違いをしていたなとつくづく思いました。
徳田(成人): 僕が中学、高校時代にこういう話し合いに参加していたら、考え方はガラッと変わっていたと思います。今日参加された方は非常にいいチャンスを手にされたと思う。とてもうらやましいです。
東野(成人): 僕も徳田さんが言われたような思いを感じました。みんなが、よくしゃべってくれたこともうれしかった。それと僕の中学生、高校生の時代と比べて、みんな、しっかりと自分のことを見っめてるし、吃音のことも考えようとしてるし、大したもんやなあと思いました。
岡田(学生): 私も将来、言語療法士になりたいと思っていて、こういうことばの問題で悩んでいる人の気持ちを本当に聞きたいと思っていました。自分のことばの問題を、自分自身でどう受けとめるのかということが、とても大事なんだなと思いました。
宮坂(高校1): 悩みがどもりであれ、何であれ、話題に出ていたように、深刻に悩むんじゃなくて、真剣にもっと考えていかないといけないと思いました。
金光(大学1): 僕の高校時代は、相談する人もいなかったし、ずっと、吃音の症状ばっかりにとらわれてた。大体、吃音の症状を気にしないっていう考え方さえも、自分にはよくわからなかった。高校のときから、こういう話を聞けるというのは、非常にラッキーだと思うし、今からそういうしっかりした考え方を身につけていたら、これから環境が変わっていって困難な場面に直面しても、落ち込み度が少ないかなっていう気もします。
伊藤: 僕たちの中学校、高校時代は、本でも必ず「どもりは治る」というふうだったし、新聞の記事といえば、「こういうふうにどもりを治した」というようなことしか情報としてなかった。だから僕たちはいつも、「どもりを治したい」というあこがれを、持っていた。どもりながら生きている僕は仮の人生を生きている。どもりが治ってからの人生が本当の人生だというふうに思い込んで生きてきた。そのために、どもりを隠したり、逃げたりしてきた。
 僕たちが活動を始めるまでは「どもっているこれが僕の姿だと思える、また思いましょうよ」という考え方が、全然なかった。そういう意味では、今日そういう考え方をお互いに話し合えたことを大変うれしく、よかったなと思います。
 世の中には嫌な人もいれば、いい人もいる。からかったり、足を引っ張ったりする人もいる。だけど、いっぱい、いい人もいるんだということを忘れないでほしい。人を信じるということだね。そしてまた、困ったことがあったりしたら、いつでも僕たちに声をかけてほしい。その都度、何か話し合いができると思う。僕が一番つらかったのは、悩みを誰かに聞いてもらいたいと思いながら、いつも聞いてもらえなかったということだ。少なくともみんなはそうじゃない。仲間がいるんだということを常に忘れないでほしい。日本にいっぱい仲間がいるし、そして世界にもいっぱい仲間がいる。(つづく)


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2021/7/31

どもりを軽くする方法は、しゃべること。日常生活が訓練の場。

 吃音を軽くする方法を知りたいと、この吃音親子サマースクールに参加した高校生が言いました。みんなで話し合ってみると、結論は、しゃべっていくことになりました。自分のどもりを認め、日常生活で逃げないで話していくこと、それしかないと、自分たちで気づいていったようでした。

吃音親子サマースクール

どもりを軽くする方法
伊藤: どもりを軽くする方法なんだけど、君らで考えているなんかいい方法ないかな?
平野(高校3): 今僕もしようとしてるんですけども、しゃべるときに声を大きくして話すこと。
和田(中学3): カラオケに行って、自分の歌いたい歌を思いきり歌ったら、自分がしゃべれたというか、スラスラと声が出せたという実感が持てる。
井上(高校2): 僕は読むのが苦手なので、どもるか、どもらないかでなく、読むということに集中したら目線の問題も、何とかなるのでなないかと思う。
脇田(高校3): 私は、しゃべり方がすごく上手な人、たとえば、TVでしゃべり方が上手な人が出てきたら、しゃべり方を研究して、そのようなしゃべり方ができたらいいなと考えている。
金光(大学1): 声を出す場面にどんどんと出る経験が大切だと思う。僕も自分から電話をかけることなど、一回もなかったのですが、電話をしなければいけない状況におかれたため、仕方なしに電話を何回もしていたら、だんだん苦痛じゃなくなってきた。だから、実際にこのような経験をずっとしていたら、結構、なんでもできるものかなと思う。
伊藤: どもりを軽くする、楽にするという意図はなかったけど、結果として、どもりが軽くなったということは、たくさんある。僕自身は、21歳の頃から比べれば、随分しゃべれるようになった。それはなぜだろう。おそらく、どもってもしゃべっていたからではないだろうか。ところが、どもりを卑下して、否定的にとらえ、どもるから嫌だと逃げたり、役割を引き受けざるをえないのに断ったり、電話をかけなければいけないのに、その役割から逃げたりしていると、こうはならなかったろう。話さざるをえない状況に追い込まれてしまうといい。それを積み重ねていったら、結果として、しゃべる訓練をしていることになる。どう生きるかということは、自分自身で考えていかなきゃならないのと同じように、自分のことばも、やっぱり自分で自分の生活の中で作っていく必要があるんだと思う。日常生活が訓練の場なんだ。
 僕たちの仲間の中には、どもっていてできるのかなあと思うような仕事についている人がたくさんいる。仕事とどもりの悩みについて聞いていくとおもしろいことが分かる。職業選択のときに、しゃべらなくてもすむように、話すことの少ない仕事についた人ほど、いつまでもどもりの悩みを持っていることが多い。反対に話さなければならないような仕事についた人は、最初の頃は電話かけたらガチャッと切られたり、課長にどなられたり、実際しんどいけれど、しゃべる機会が多いから結果としてはそれがトレーニングになる。 それともう一つ大きなことは、恥をかくチャンスが多い。恥をかくチャンスが多いということは、恥に慣れてくるわけ。だから早くどもりから楽になり、どもりを気にしないで人生を歩むためには、職業を選ぶときに、どもりということを頭にはおかないことが大切だ。自分のやりたい仕事を、そしてまた、自分がこれならできるという得意な仕事を選ぶ。それがたとえ、しゃべることの多い仕事でも。今、みなさんのしゃべり方を聞いていたら、声優とアナウンサーなど特別な例以外なら、ほとんどの仕事につける。
 隠さない、逃げない、しゃべることを自分のチャンスだと思って何かの役がきたら、率先して引き受ける、人の世話をする、そういう生活をすることだ。自分が変われば、周りも変わる。こういう循環を作っていけば、しゃべることもずいぶん楽になってくる。どもりを気にして、しゃべるときもうつむいていては、「ああ、こいつはかわいそうやなあ」と、相手だって身構えて緊張する。「僕、どもるんです、ぼ、ぼ、ぼ、く…」と相手を見て明るくどもって言ったら、相手も緊張しない。相手が緊張しなかったら、すごく楽。ということは、「俺、どもりが好きや」というところまでいかなくても、基本的には「これでいい!」というふうに考えたとき、どもりというのは変わってくる。これは僕らが長い年月、どもりを本当に真剣に見つめてきて、その中から得た結論だ。だから先輩として、どうか、どもりと仲良くなってほしい。どっちみち離れてくれないものならば、仲良くなる。そのことで、道は開けてくるし、人生も開けてくる。(つづく)


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2021/7/29

思春期の吃音の悩み

 2019年、第30回吃音親子サマーキャンプでは、記念のイベントとして、「吃音親子サマーキャンプの意義」についてパネルディスカッションをしました。そこでの話を踏まえ、また新たに吃音親子サマーキャンプの歴史を刻んでいこうとしていたのに、コロナウイルスのために、昨年、そして今年も中止となりました。全国から集まり、濃密な2泊3日の時間を過ごすことを大切に考えてきたので、オンラインなどで取って代われるものではなく、残念ですが、今年も寂しい「吃音の夏」を過ごすことになります。
 日本吃音臨床研究会のニュースレター「スタタリング・ナウ」に、第3回吃音親子サマーキャンプのときの話し合いの様子が報告されています。人数は多くはなかったけれども、メンター(良き先輩)としての僕たちの成人の声、そして、この時参加した中学生・高校生・大学生たちの率直な声を紹介します。高校生の中に、現在も僕たちの吃音親子サマーキャンプの主要なスタッフとして長年関わり続けてくれている井上さんがいました。うれしいことです。
 当時は吃音親子ふれあいスクールという名称でした。

 
吃音親子ふれあいスクール

 1992年10月10・11日、大津ユースホステルで、第3回吃音親子ふれあいスクールが開かれた。そのときの、中学校3年生から大学1年生までの比較的年齢の高い子どもたちとの話し合いの様子のほんの一部を紹介しよう。

伊藤伸二: 初めに、このふれあいスクールに参加したいと思った一番の動機を教えてほしい。
藤(高校1): どもっているのは僕だけでないことを確認したかった。僕が住んでいる所には、どもる人が誰もいないから、それとどもりを軽くできるような方法を知りたい。
伊藤: 僕は二十歳のときに、東京正生学院というどもりの矯正学校へ行った。四カ月、そこで治療、訓練を受けた。それまで僕は小さな田舎に住んでいて、周りにどもる人はほとんどいなかった。こんなにみじめな苦しい思いをしているのは僕だけで、僕が悲劇の主人公だと思っていた。それが正生学院へ行ったら、どもる人が三百人ぐらいいた。どもりは治らなかったけれど、どもりは僕一人じゃないということが分かり、親友ができたことが一番よかった。
 どもりを軽くする方法については、これからみんなで話し合っていこう。
 みんなが今持っているどもりのつらさとか不安とか恐れとかがあれば話してもらいたい。みんなのつらさは分かると思うし、また少し君たちの前を歩んできた者として、こんなこともあったよ、と言えると思う。

周りの目が気になる
井上(高校2): どもっているとき、周りの視線が気になる。じっとこちらを見られるのはつらい。
金光(大学1): こちらがどもったときに、目をそらされたら、嫌だ。
脇田(高校3): どもったときに、ポカーンとして見ていられると嫌。少しチラッとそらされている方がいい。
金光: 視線の問題だけではなく、どもったときに相手がなんらかの反応をするのが嫌。普通の様子で接してくれた方がよい。
和田(中学3): 僕の場合、周りの友だちは、僕がどもりだということをあまり気にしていないみたい。僕がどもっても、不思議そうな顔をするとか、なんでそんなしゃべり方するのかなど、言わないから。
伊藤: そういうふうに聞いてくれる方がしゃべりやすいね。そういう友だちを持っていいね。みんなの中にはからかわれたりする人はいる?
藤: 他のクラスの者二人が、帰りがけなどに、いやみたらしく挨拶してくる。おとついも、掃除をしているとき、隣の人に、僕を指さして「あいつ、わけのわからないことを言う」と言っていた。
伊藤: どもりの真似をされることもあるの? どういうふうにされるのかな?
藤: あるけど、そういうときは、すぐカッとなるので、どういうふうにされるかは覚えていない。他にも、国語の時間に教科書を読んでいる最中に、どもっているのを、先生に漢字が読めないと思われることがあり、すぐカッとなる。どもりまくって必死で読んでいるのに、漢字が読めないと思って「ここはこう読むんや」と言われると腹が立ってくる。
和田: そういうのはあまりないけど、自分に何か得意なことをみつけて、それをアピールすれば、その友だちもそれを認めてくれて、あまりばかにしないようになると思う。
藤: でも、僕の場合、クラスも違うし、アピールしようにも手の打ちようがない。
和田: クラスが違うんだったら、別にそんなに気にしなくてもいいと思う。
宮坂(高校1): 僕も小学生のときに、からかわれたことがあったのでよく分かる。自分の心をもっと明るく持っていたら、自然と友だちの方も明るくなってくれるんではないかと、僕は思う。
伊藤: 自分がどもって暗い顔をしていたら、周りの人間も暗くなってしまい、また、それが自分に影響してきてしまう、ということかな。どもりというのは、もちろんどもっている人がしていることなのだけれど、周りの聞き手にすごく影響されるね。いい聞き手だったら、和田君のようにあまり気にならないし、よくない聞き手だと、カッとして腹も立つしね。
 和田君の友だちは、和田君が話すことばが少しおかしいとか、ちょっとどもるだけとか、それだけのことで見てくれていて、それが悪いものとかいうことは、少しも感じてないようだね。背の高い低いとかと同じように、和田君はこういうしゃべり方をするんだというふうに見てくれているんだね。そういうふうに受けとめてくれれば楽だな。
金光: そういうふうにちゃんと受けとめてくれていればいい。また、どもることなんてどうでもいいわとか、どもっても別に関係ないわというように、接してくれれば楽だ。
徳田(成人): どもったとき、視線をそらさずお互いに見ている2、3秒の間というのは、ちょっと異様だね。向こうがそらさなくても、つい、こちらがそらしてしまう。真剣に聞いてくれるのはいいけど、にらみ合っても仕方ないもんね。僕はそういうときは、ニヤッと笑ったりして、別のポーズをとるときがある。はぐらかすように、ちょっと雰囲気を変えるようにね。よく使うのが、考えるようなふりをすること。すると間がとれるときがある。
東野(成人): 話っていうのはかけあいでするので、独特の間があるね。二人で話してる時にどもってことばが出ないと、不自然になって、変に間のびがするよね。すると、聞き手は、おかしいな、なんか変やな、なんでことばが出てこないんやろ、もっと早く言うたらいいのにと思って、いやな顔をしたり、笑ったりするかもしれない。でも、それはむしろ当然なんかなあという気もする。
伊藤: 周りの目線が気になるということで、まとめてみよう。考えてほしいのは、相手のことをこちらは自由にはできないということ。「ちゃんと聞け、笑うな、からかうな」と言ったりできない。そう言ってそれで変わる人もいるけど、そうじゃない人もいる。それは僕らのせいじゃない。世の中には、どんなにどもっても受け入れて、ちゃんと聞いてくれる人もいれば、からかう人もいる。今、学校でからかう人が1、2人なくなっても、これからの人生の中で、そんな人間はいっぱい現れてくるかもしれない。僕たちの生きる姿勢としては、そんな、つまらない人の言うことに影響されないことだね。そんな相手は、人の弱みとか欠点と思われることをからかったりする情けない可哀想な人だ、と考えられないかなあ。
金光: 自分がどういうふうに他人から見られているか気になる。
伊藤: 気にならなくなるにはどうしたらいい?
金光: やっぱり自分でどもっているのが恥ずかしいという気持ちがある。それが問題かな。
伊藤: そうだろうね。自分で自分のどもりを認めることができたとき、周りがどういう反応をしても、気にならなくなるだろう。自分のどもりを、受け入れることだね。
 そしてもう一つは、和田君の場合のように、僕らが考えているほど、周りの人は僕らのどもりを気にしていないんだということは、知っておいた方がいい。それと相手は無理やり変えられないから、自分が変わるしかないということ。慣れるしかない。基本的には、現在のどもりの状態を「これが俺や」というふうに考えられたとき、相手から何と言われても平気になれる。そのときに、こんなふうに言えたらな。ちょっとやってみようか。
 東野さん、どもりのことで僕を責めてみて。

東野: 「どもり! どもってないで、ちゃんと話したらどうや!」
伊藤: 「どもりやもん。これが僕や。でも、僕は、この自分が好きやねん」
東野: 「うーん」(絶句)

藤: 僕は「どもりやもん」ぐらいは言ってる。
伊藤: その後の、この僕が好きやねんは、言えんかな(笑)。だけど、まだ本当に好きやなくても、相手からの嫌な攻撃をしりぞけるために、「好きや」と言ってもかまわないのとちがうか。「僕、自分自身が好きや。僕、このどもりが好きや」そう言ったらもう相手はからかうことができなくなるよ。本心でそれが言えないにしても、無理にでも言っていくことは、自分で自分のどもりを受け入れていく出発になる。みんなが、自分のどもりをなんとか治したいという気持ちはよく分かるし、僕らも21歳ぐらいまで本当に悩んでどもりが治らないとダメだと思い、どもりが嫌いで嫌いで仕方がなかったけれども、それを取り除こうと思えば思うほど、くっついてまわる。なかなか離れてくれない。離れてくれないものだったら、損得勘定からいって、可愛がってやらないと損や。僕らはどもっているから損をしたんじゃない。どもりを隠すために逃げ、したいこと、しなければならないことを、してこなかったから損してきたんや。
脇田: 中学生の頃に好きな子がいた。私、きっと、好きな子としゃべったら、他の子と比べて緊張してどもるだろうと思ってしゃべらないようにしてきたんです。やっぱり後悔してます。
宮坂: 男同士やったらいいけど、好きな子にはやっぱり僕のことを、もっとよく見てもらおうと考えてしまうから、結局しゃべれず、最後まで仲良くなれなかった。
伊藤: 要するに、よく見てもらいたい。どもってしゃべったら格好悪いなあという気持ちがあるから、好きな子の前では、ついついしゃべることが少なくなる。しゃべることが少なくなるということは、その分、自分を理解してもらえない。それはつらいね。そのときに、ええ格好しようなどという気を起こさないで、僕はこれでしかない、これが隠しようもない丸ごとの僕やと考えていたら、違うことが起こってたかもしれないな。だから、どもっている症状とか、どもっていることが悪いのではなくて、どもりを口実にして、しなきゃならないことや、したいことをあきらめて、逃げ、後で後悔をする、これがどもりの一番大きな問題じゃないかなあと僕は思う。みんなには僕らのような失敗をしてもらいたくないなあと思っている。チチンプイプイとすると、どもりが治ればそりゃ一番いいよ。いいけども、そのチチンプイプイが今ない。それなら「俺はどもりのままでいい」と、いかに早く見切りをつけるか。それが早ければ早いほど、人生が豊かになる。(つづく)


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2021/7/28

ストロークとストロークバンク

 初参加者の悩みについて優先的に話し合いをした後、当日の講座の本題に入りました。「自分を認め、人を認める 〜交流分析〜」の講座、大阪吃音教室の西田逸夫さんの報告を紹介します。

「自分を認め、人を認める 〜交流分析〜」  2021.06.25(金)

 小谷さんの話の後、今日の講座に入りました。講座の担当者は、初参加者のために、大阪吃音教室の三つの柱を解説した後、交流分析とストロークについてこう解説しました。

担当者:ストロークは、交流分析の概念の1つで、1957年にエリック・バーンによって提唱されました。エリック・バーンは、ストロークを、他者の存在を認識する全ての行為といいます。
 strokeは、水泳のひとかきなどで使いますが、「撫でる」の意味もあり、私たちは、小さな頃に親から撫でられた体験を持っています。私たちは、人間関係を築くとき、あらゆる場面で、ストロークの交換を絶えず行っています。相手の存在や価値を認めるような様々な刺激のことをストロークといいます。身体的、言語的、非言語的なストロークを出して下さい。ストロークには、プラスのストロークと、マイナスのストロークがあります。

 プラスのストローク 参加者から出てきたもの
 /搬療 抱きしめる、握手をする、肩を抱くなど
 言語的 あいさつをする、話しかける、褒める、励ます、ねぎらうなど。
 H鷂生貪 微笑む、うなづく、見つめる、傾聴するなど。
 
 マイナスのストローク 参加者から出てきたもの
 /搬療 なぐる、ける、つねるなど
 言語的 けなす、怒鳴りつける、ののしる、批判するなど、
 H鷂生貪 にらみつける、無視する、冷たい視線など、 

 ここで、大阪吃音教室で使っている、ストロークパターンのチェックリストを配布し、記入しました。
担当者:そろそろ時間なので、再開します。
 A:プラスのストロークを発信する度合い  1〜5点
 B:マイナスのストロークを発信する度合い
 C:プラスのストロークを受ける度合い
 D:マイナスのストロークを受ける度合い
 E:ストロークのやり取りのない度合い

担当者:やってみてどうでしたか、初めてチエックリストをした方の意見を聞かせて下さい。
奥田:チェックする前に思っていたより、自分からプラスのストロークを出す度合いが大きく、プラスのストロークを人からもらう度合いも大きかったです。
小谷:私は、プラスを人に与えているけれども、その割には周りからプラスのストロークをあまり受けていないと分かりました。
担当者:それは損ですね。
小谷:また、マイナスのストロークを多く受けていて、Dが5点でした。
担当者:ほかの人のDはどうですか?
  (2点とか4点、0点の人も何人かいる)
担当者:できたらマイナスよりもプラスの方を発したり受けたりしたいです。

〇ストロークバンクの法則
担当者:(ストロークバンクの解説、省略)
西田:ストロークバンクについて、以前の例会で気づいたことがある。プラスのストロークが自分に十分に溜まっていないと、人にプラスのストロークを出せないのは確かですが、一旦、自分からプラスを出せるようになり、人に自然な笑顔を投げ掛けたりすることは、自分でも嬉しい。誰かにプラスのストロークを発信する行為自体が、自分に向けてのプラスになるので、プラスのストロークは、出せば出すだけ、増えていく。
伊藤:お金だったら、使ったら減るけど。ストロークは減らないどころか、増えてくるね。
五島:細胞分裂みたいなものですね。
西田:そんな感じがします。
嶺本:無意識にプラスのストロークを出した場合は、減らないだろうけれど、意図的に、意識的にプラスのストロークを出そうとすると、減っていきそうな気がする。
担当者:それは、どういうことですか?
嶺本:したくないのに、褒めたり、感謝したりすると、ストロークバンクのストロークが減りそうな気がします。
坂本:マイナスを内に秘めた、プラスのストロークになりますね。
伊藤:それだったら、偽装文書やんか。
嶺本:プラスのストロークを出そう出そうと思いながらも、ほほえみや笑顔も作り笑いになってしまう。
伊藤:作為的なプラスのストロークは、出さない方がいいねえ。
坂本:それは却って逆のストローク、つまりマイナスのストロークを出していることだと思う。
担当者:それは交流分析で言うと「裏面交流」で、「相補交流」に見えて、実は違う。自分の気持ちに反して、プラスを出そうとすることはだめでしょうね。そうでないと、相手は見破り、かえって嫌味になる。自然に湧いてくるものが本当は一番いいんだけれど。
嶺本:プラスのストロークを出すのがいいって聞いたから、プラスを出そうと、無理をしていたんでしょうね。
伊藤:「べき」とか「ねばならない」では駄目やね。そういうときは、「何で自分はプラスのストロークを出せないんだろう」と自己点検をしたほうがいい。例えば、「自分はすごく虐げられている人間だった」とか、「自分はこれまで批判ばかりしていた」とか気づく。
西田:そう気づけば、自分なりの喜びや楽しみを自分流に作り、まず、自分自身にプラスのストロークを与えたり、プラスのストロークを出してくれそうな人とつきあうとか。作為的なものや、自分の気持ちを偽って人を褒めようなんて駄目です。
東野:僕の妹が、市役所の保険年金関係の窓口で働いています。国保が毎年下がっていっているので、窓口に苦情が来たり、市民から文句を言われたりしている。感謝されるより、苦情の方が多い。ほかにも生活保護関係など、同じような部署がある。担当の人は、普段からマイナスのストロークをたくさん受けているので、どこかでプラスのストロークを溜めないとしんどいですね。そんなことを思いました。
伊藤:コロナワクチンの接種の受付をしている人も、苦情が多く来て、精神的に参る人がいるらしいよね。今は緊張状態にあって、自分をなんとか支えていても、あまり続くと、この先が心配だね。
坂本:十代女性の自殺が、去年より100人多い。あまり報道がないけれど、状況が悪くなると、ひずみは弱い存在に集中する。
担当者:さっきの嶺本さんの話を聞いて思い出した。以前の私は、有難くないストロークと思っても、わざと「有難う」と言ったりしていた。演技して、見破られないようにしていた。昔そういう演技を使いまくっていたことを思い出しました。すると、人間を信じられなくなり、少しやばくなりました。

○人間関係を悪くする4つの法則
担当者:(解説、省略)
有馬:人を褒めるのがとても上手な友人がいる。すごく魅力的で、私の好きな友人でした。その友人のピアスを「かわいい」と褒めたら、相手は「かわいいのはピアスだけで、私はかわいくない」と否定されました。そんなことが何度も続いたので、自分の中に怒りの気持ちが起こり、なぜ腹が立ったかと考えて、分かったことがあります。自分が相手のピアスを良いと言ったのは、確かに物自体を褒めてはいるが、それを選んだその子のセンスやつけ方も含めて褒めているのに、それを否定された気がしたのだと。また、それを相手に伝えようとした私の気持ちを否定されたように感じたからだと気づきました。だから自分に、違和感があったのだと気づきました。自分もプラスのストロークを受けたときに必要以上に否定しないように気をつけようと反省しました。
担当者:プラスのストロークは素直に受けるように、気をつけましょう。
徳田:Eの、人とストロークをやり取りしないことについて。自分に忠実で素直であれば、Eの数字が大きくなる場合があるのでは。ストロークを交換しない、自分だけの世界に入りたいときがあってもいいと思う。普段人と仕事で接しているので、週末の日曜日などは静かに過ごしたい。また、お坊さんが出家するのも、俗世間から離れるということだから、これに当たるのではないですか。
伊藤:ストロークに関して、基本的に大事なことは何だろう? 基本的に大事な哲学と言うか思想と言うか、そういうものを持ってないと、先ほどの話のように意図的な、口先だけのことばになったり、無理をして却ってしんどくなったりする。大事なのは、できるだけ自分や他者のプラスの面を探そうとすることだと思う。それには練習が必要で、他者をよく観察して、良いところを探す視点を持つ必要がある。
 1992年にサンフランシスコで開かれた第3回吃音者世界大会で、『自分を好きになる本』の著者パット・パルマ―さんのワークショップの最後、「参加メンバーを互いに褒める」のセッションに入ったとき、初対面同士なので殆どの参加者が服装や表情など外見を褒める中、パット・パルマ―さんは「あなたはとても積極的な人だ」とか「協調性のある人ですね」とか、参加者の内面を褒めていた。「どうしてそんなことが分かるのか」と尋ねられたパルマ―さんは、「今日のワークショップでいろいろなセッションをする中で、私は皆さんの言動をずっと観察して、それぞれの良いところを探していた」と答えた。人のポジティブな面を探す視点、ネガティブなところがあってもそれをポジティブに捉えられないかと考える視点が大事。外見を観察しているだけでは、うまくいかない。自分自身も含め、ポジティブな面に目を向けることしていないと、普段人をけなしてばかりいると、どうしても人の欠点ばかり目についてしまう。

 講座の締めくくりとして担当者がストロークについて少し解説した。

◇ストロークの法則
・人はプラスのストロークを求めるものである。しかし、それが得られない時には、マイナスのストロークを求めてしまう。
・ストロークは銀行と同じで、相手に与えてばかりいると,そのうち『預金』が底をついてしまう。

◇肯定的ストロークをお互いに交換しあい、自分自身のストロークが赤字にならないようにするためのキーポイント
・与えるべきストロークがあれば,惜しみなく周りに与えよう。 
・欲しいストロークは要求しよう。
例「来週の水曜日は私たちの結婚記念日ね」「この服、似合うかしら」など。
・欲しいと思っているストロークが来たら、喜んで受け取ろう。
・欲しくないストロークが来たら上手に断ろう。
・ストロークが不足したら、自分で自分にストロークを与えよう。

◇初参加者感想
小谷:今日の講義を聞いて、ここでは生き方について話していて、楽しく充実した人生を送るために勉強していることが分かりました。私も吃音に悩んで来ましたが、今日は勉強になり、刺激にもなりました。吃音についての考えを変え、今後、もう少し楽に生きたいと思いました。(了)

日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2021/7/27

自分の名前がどもって言えずに悩む人とのやりとり

 「自分を認め、人を認める 〜交流分析〜」 2021.06.25(金)

 コロナのために、休講が続いていた大阪吃音教室ですが、緊急事態宣言が解除されて初めて開講された6月25日、15人(うち初参加1人)が参加しました。初参加の人の悩みや問題をまず聞くことから、大阪吃音教室は始まります。この日も、講座が始まる前の自己紹介で、思いつめたように話す初参加者の言葉に耳を傾け、みんなで関わっていきました。 なかなか、僕たちの考え方に同意できない人とのやりとりは、興味深いものでした。この報告では、最後まで同意できない様子ですが、そのやりとりとその後の交流分析の講座の中で、初参加の人は大きく変わったようです。次の週にも参加して、少し変われたと話していました。
 この日の講座の記録は、大阪吃音教室の僕たちの仲間である西田逸夫さんがまとめて下さいました。初参加の人の話と、僕たちのやりとりがおもしろかったので、少し長くなりますが、紹介します。

 初参加の小谷さんは、30代の男性。社会福祉協議会で生活困窮者支援の相談員をしている。仕事の場、特にケースごとの支援をするために、役所やさまざまな機関との情報共有の会議がある。4、5人から、時には30人くらいの会議での挨拶や自己紹介でどもり、日々ストレスを感じている。気が楽になりたいと思って初参加。どもって相手にうまく伝わらないので、ことばに困らずに相談にのりたいと思っている。会議の前日から気が塞ぎ、酒に逃げたりしている。今日まで、コロナの関係で人との集まりを避けていたが、大阪吃音教室が再開したと知って参加。今の自分を何とかしたいと思っている。

伊藤:挨拶や自己紹介で困っているのは分かったけれど、肝心の会議が始まってからの話し合いではちゃんと発言しているんですね。
小谷:それぞれの人への支援の話し合いでは、ちゃんと発言できている。
伊藤:挨拶や自己紹介など、本番前の言ってみれば、どうでもいいところで喋りにくいと思っていて、肝腎なところでは喋れていると考えていいですか。
小谷:ケース会議では、一人ひとりのそれぞれの事情が違うので、支援者は話さなければいけないので、そこはどもってでも話しています。ただ、挨拶など決まり切った文言が、言いづらい。でも、それは言わないと始まらないので、
西田:参加者の立場によって、意見の相違があったりする場合でも、発言しているということですか?
小谷:会議に参加する大事な点なので、そこは私もどもってでも発言します。
西田:じゃあ、仕事の中身そのものでは問題ないので、後は、自己紹介でどもったことを自分がどうとらえるかの問題ですね。
東野:他の参加者は、小谷さんがどもるのを知っているんですか?
小谷:多分、どもることは気づいていると思いますが、自分からはこれまで言ってこなかったので、公表するのには抵抗があります。言えば楽になると思んですが。
西田:私は前職で役所との付き合いが長かったので分かるんですが、支援会議に同席するような役所の職員は、小谷さんがどもると分かっても気にしたりしないと思いますよ。
小谷:そうなのだろうと自分も思うのですが、自分がどもってしまうと傷つくんです。
伊藤:そうなんだ。でもそれは、簡単に解決すると思いますよ。
小谷:それが簡単じゃないんです。
伊藤:いや、どもりを治せと言われたら難しいけれども、そういう場面でどう凌いでいくかはそんなに難しくない。競争の激しい企業の営業会議や企画会議ならともかく、社会福祉協議会の支援会議のような場だったら、どもって話せばいいだけですよ。
小谷:でも、ずっと今までそれで、悩んできたんで、
伊藤:悩み方が下手くそなんだと思うよ。悩み方には、下手な悩み方と上手な悩み方がある。上手な悩み方をしましょう。
坂本:挨拶が苦手で、そのことで悩んでいるのは、挨拶がとても大事なことだと思っているからでは?
小谷:会議の一番最初に名前を言わなければいけない。そこでどもると、会議で失敗したという気になる。
一同:そんな!、それは損だよ。
小谷:話の本題に入っていかなければならないが、気持ちの切り替えがなかなかできない。
坂本:それは本末転倒ですね。
小谷:それは、分かってはいるんですが、
坂本:それは損だし、しんどいよね。気持ちはとても分かりますが、ちょっとしたコツが分かればなんとかなりますよ。
小谷:名前を言うとき、「こ、こ、こ、小谷」となってしまう。
一同:それで、いいじゃん。
小谷:そんなときに焦らずに済む方法があれば、教えて頂きたい。
五島:焦らずに話せる方法なんて、私にもない。小谷さんは今、どもるということに頭が占有されてしまっているみたいなので、そうならなければいいと思う。
小谷:会議の最初に名前を言わずに済めばいいんですけどね。
伊藤:自己紹介は、確かにいやだよね。
あや:専用の名札をぶら下げるとか。
小谷:名札はあるけれど焦る。
 (参加者の何人かが、自分の名前でどもる話題を提供)
伊藤:どもるしかないですよね。ほかに方法があるだろうか。名前ではみんな苦労しているけれど、結局はどもることを認めるしかない。
 (苗字を変えた人、職場での通称を変えた人、などの話題)
伊藤:自己紹介の名前で悩むなんて損ですよ。悩むならもっと本質的なことで悩んで欲しいな。例えば支援者としてどんなスキルを身につけたらいいか、悩むとか。。
小谷:名前を変えた人の話にはびっくりしました。名前はどこでも言う機会があるので、名前を変えたくない。楽に言えるようにしたいんです。
伊藤:名前を楽に言えるようになるのは難しいね。僕も未だに病院の血液検査の時、確認のために名前を言わされるけれど、かなりどもることがある。だけど、検査を受けるという目的は達成していますよ。どもっても平気になろうよ。
小谷:それをどうしたらいいのか知りたい。
伊藤:どもっても平気になるのは、決心さえすれば難しいことじゃない。挨拶や自己紹介でどもることを、「仕方がないこと」だと認めて、どもって、恥をかいて落ち込んで、というのを半年も繰り返せば慣れてくる。それともうひとつ、あなたがどもることに、周りを慣れさせることですよ。「ここここ小谷」というのを周りに慣れさせればいい。周りが知れば、問題ではなくなると思いますよ。
小谷:周りは私のどもりに気づいていると思います。
伊藤:相手が気づいているのと、明確に自分も周りも共通のこととして認識するのとでは、大きな違いがありますよ。「どもる小谷」をはっきり分からせることですよ。
小谷:それはできない。プライドがあります。
伊藤:そんなしょうもないプライドは捨てなさい。もっと大きなプライドを持って欲しい。社会福祉協議会で人を支援していることにプライドをもって、実際にどもっても支援のことについてはきちんと発言しているわけですから、そこに大きな誇りを持てばいい。名前がスムーズに言えるかどうかなど、小さなことに命を懸けることはない。まあ、誰でもできるようなことに、僕たちどもる人は悩むのだけど。そういう小さなことからは、解放された方がいいと思うね。
小谷:名前を言う機会が多いので、嫌なんです。
伊藤:いっぱいいっぱい、恥をかいたらいい。僕も、自己紹介のとき名前が言えない、ただそれだけのことで、高校時代大好きな卓球部を退部した経験があり、その後も、名前では苦労してきたから、あなたの名前が言えないことのつらさや悩みは人一倍分かるけれど、いつまでもそこにこだわっていたら損ですよ。僕も随分損をしてきたから、その悩みからは解放されて欲しいと思うね。
東野:どもることで恥ずかしいというのは、自分で自分のことを見て、それで評価しているけど、他人はどもった経験がないので、自分が思っているほど他人は気にもしないし、どもることに対して殆ど何も感じないようですよ。私もどもると恥ずかしいと思っていたけれど、どもることは、他人にとっては、何でもなく、ただどもるという事実があるだけだと気づいてからは、以前ほど気にならなくなってきました。最初に、自分が傷つくのがいやだとおっしゃっていたけど、周りの人が小谷さんがどもると分かったからといって、何も小谷さんが傷つくことはない。蔑まれるのではないか、自分に対する態度が変わるのではないか、と思うけれど、そんなことは絶対に起きないと思いますよ。
西田:「相談員でどもる小谷です」と言っても、変な印象を持つ人はいないと思う。
伊藤:そんな風に認めてしまったほうがいい。
東野:「この人はどもりながらも、一生懸命人の話を聴いて、いろいろ考えてくる相談員だ」と見てもらえる。人間味があって、良い人だと思ってもらえる。
西田:良い人だと誤解される可能性のほうが高い。
小谷:そんな人間になれそうにない。
西田:なれますよ。なろうと決心しさえすれば。
小谷:自分でも薄々分かってはいるんですが。
伊藤:薄々では駄目で、明確に分からないと役に立ちません。
小谷:話すときにどもるので、やはり怖い。臆病なところを直したい。
伊藤:臆病ではなく、不誠実だと僕は思うよ。自分自身に誠実ではないし、人に対する差別意識があるのだと思う。自分には差別意識がないと思っているだろうけれど、ここにどもっている小谷という人間がいて、名前も言えないその人間は劣っていると、もう一人の小谷さんが思っているから、そういう態度になる。足の不自由な人間とか、今生活に困窮している人間に対して、お前たちは駄目な人間だと差別することと同種のことを自分でしている。そんな自分の内なる差別意識を、きちんと見つめて欲しいな。
小谷:私は自分に厳しいのだと思う。
伊藤:厳しくないですよ。自分に甘いんです。甘すぎるからそう考えるので、自分に厳しかったら、どんなにどもろうと、名前がちゃんと言えなかろうと、自分は社会福祉協議会の仕事をきちんとしているのだから、何の問題もないと思えるはずですよ。
小谷:ちゃんと仕事はしているが、最初の名前が言えない。
伊藤:言えなかったら、小谷と書いたプラカードを掲げるなどすればいい。
小谷:そんなことができたら悩みませんよ。とてもできない。
伊藤:できたらいいのではなく、すればいい。しないだけの話です。
小谷:ここの皆さんならできるかも知れないが、私には抵抗がある。
伊藤:そんなに強い抵抗があるんなら、仕方ないですね。…(ほかの参加者に)僕の意見は厳し過ぎると思うので、誰かフォローして欲しい。
東野:どもってでも名前の部分だけ越えれば、後は大丈夫なのだから、頭を切り替えればいいだけなんだけどな。
坂本:カミングアウトすれば。
東野:何か人前である程度以上の長さのスピーチをする機会なら、前もって吃音があると言えばいいが、(小谷さんのような)自己紹介ではちょっとやりにくいかもしれませんね。まあ、たいてい同じメンバーで会議をするなら、一回言っておけばいいのかも知れないが。
伊藤:どもることをわざわざ言わなくてもいいと思うよ。小谷さんはどもるんだから、普通にどもればいい。どもるだけの話です。
小谷:どもっても気にしないにようにできるのであれば、
坂本:まず、周りの人は自分が思うほどには気にしていないと気づくことですね。
あや:私はすごくどもります。世間話とかしていてもすごくどもるんですが、周囲に「私どもるねん」と言っても、「どこがどもってるのん?」と返されたりする。私くらいどもっていても周りはそんな反応です。小谷さんの周りの人も、小谷さんがどもると分かっていないかも知れない。
東野:(あやさんに)どもって恥ずかしいという気持ちは残ってるの?
あや:恥ずかしいですよ。
東野:そうだよね。
伊藤:(恥ずかしい気持ちが)ゼロにはならないよね。僕だって恥ずかしいですよ。
あや:職場の方が恥ずかしい。声が出ればいいので、手を振ったりして何とか出している。小谷さんの場合、今のどもっている状態で判断すると、どもっていると言わないと、周りの人には、小谷さんがどもっているとは分からないですよ。恐い恐いと思っているだけでは始まらない。周りの人全員には難しくても、言いやすそうな人に、まず話してみるとかすれば、楽になると思う。
小谷:カミングアウトしていないから余計に恐いんです。
伊藤:だったら、やってみたらいい。
あや:話しやすいなと思える人がもしいたら、その人だけにでも。
東野:今日の大阪吃音教室のタイトルは「自分を認め、人を認める」に、ぴったりの話かも知れない。
伊藤:ちょうどいい。「自分を認め、どもりを認める」
東野:では、小谷さん、まだ途中かもしれないですが、今日の講座に移ってもいいですか。(つづく)

日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2021/7/25

褒め言葉を、深呼吸して、吸い込むように受け取る

自分を好きになる
  〜パット・パルマーさんのアサーティブ・トレーニング・ワークショップ


 パットパルマーさんのアサーティブ・トレーニング・ワークショップの紹介も、今日で最後になりました。基本的には僕はアドラー心理学が好きなのですが、アドラー心理学では「褒めてはいけない」といいます。子育てでは「褒めないで、勇気づける」といいます。会社などで、褒めることで部下を動かそうとすると、部下は上司の評価を気にし、褒められるために行動するようになるというのです。つまり、上から下へのベクトルが問題だというのです。これは、アドラー心理学が、ビジネス関係の出版社から出されたことで、「自己啓発本」のように取り扱われてしまったことに一因があるように思います。相手を操作するのに使われるのは嫌なので、最近は「褒める」よりは、「リスペクトする(敬意を表す)」を僕はよく使います。この褒める演習は、その後、僕はいろいろなところで取り入れてみますが、ワークショップをした後は、参加者の顔が穏やかで優しくなります。
 普段の生活の中でも、いいなあ、すごいなあと思ったときには、できるだけ本人に伝えるようにしています。すると、人によっては、「いえいえ、そんなこと、ありません。私なんか…」と謙遜する人がいます。そのような反応をする人に出会うと、もったいないなあと思います。謙遜せず、「ありがとう」と言って受け取ればいいのになあと思います。そして、パルマーさんの、「深呼吸して、吸い込むように受け取りましょう」ということばを思い出します。ゴクンと飲み込むように受け取る、僕はそんな表現をしています。

  
アサーティブ・トレーニング
                             報告 伊藤照良

称賛
☆演習
 10人位のグループを作り、一人がサークルの真ん中にすわります。周りの人は順番に、真ん中にいる人を褒めます。褒めるときは一つの言葉で、手短に、自然に出てくるようにして伝えます。真ん中にいる人は、深呼吸してそれぞれの褒め言葉を吸い込むようにして聞きます。

☆演習後の感想
*さっきの批判のことばを聞いているときは、頭に来てしまったが、褒め言葉の方は気持ちよかった。
*私は褒め言葉をうけとる方が難しかった。
*褒め言葉の中に外見だけを見てとか挨拶的な外交辞令のような言葉もあったようで、からだの中に入っていかなかった。

 褒め言葉が体の中に入らなかったという感想がありましたね。入らないようにさせているのは自分が評価している訳で、今のように褒め言葉を裁いて、自分の中に入っていかなかったのです。うわべだけの外交辞令と受け取ることが、裁くということです。そういう風な取り方をすると、その人を自分から遠ざけることになります。自分の人生にその人が入り込むのを止めさせているのです。そのように人を裁いてばかりいる人は孤独になります。孤独になると自分が価値のない人間のように思えてきます。自分のとる行動を理解する必要があります。いかに人を遠ざけているか理解して下さい。

怒りの表出
 怒りというのは、爆発するまで待つ必要はありません。自己管理を充分毎日していれば、怒りを貯めることはありません。自分をイライラさせたり、うっとうしいなあと思っていることを毎日管理していくことが重要なことです。
 例えば部屋の掃除に似ていて、毎日お掃除していれば、月に一回大掃除しなくてもすみます。毎日の自己管理が必要なのです。自己管理するのは自分以外にはありません。怒りに対していつも準備しておくと爆発せずにすみます。
 その一つの方法として、完全なリラックス状態にして、そこで対話を思い浮かべるのです。このリハーサルのポイントは相手の気持ちを傷つけずに怒りを表出することです。筋肉を充分リラックスさせることです。体が硬直して、緊張しているような場合、声も緊張します。緊張した声は相手を緊張させてしまいます。あなたがそういう風にリラックスしていれば、相手も怖いと思わずに注意深く聞いてくれるのです。
 その一つの練習として、「私は…」ということばをつけて話をすることです。そうすると、自分の気持ちや言葉に責任を持つことになります。「あなたは…」と言うと、相手に責任を持たせることになり、けんかになります。相手の人を傷つけずに怒りを表す方法があるのです。

☆演習Α‥椶蠅鯢修好蹇璽襯廛譽
 「誰か、最近とても腹が立ったことがある人、そして、その怒りを解消したいと思っている人は話して見ませんか」
 パルマーさんの問いかけに男性のMさんが、話し、それにパルマーさんがかかわっていきました。以下、MはMさんの発言、Pはパルマーさんの発言を表します。
M 今回、アメリカに来て経験したことです。大きな音で音楽が鳴っていて騒々しいレストランです。私がすごくどもって、サラダを注文しました。ウエイターは、ソースは何がいいかと聞いたのですが、私にはことばが分かりませんでした。彼が大声でどなりました。私はその時びっくりして何が何だか分かりませんでした。ウエイターはよけいに苛立ったようにどなり続けます。私はパニック状態になってしまいました。何を聞かれているのか分からないと言いたかったのですが、何も言えませんでした。
P ウエイターはどんな感じの人でしたか。
M 大きくてがっしりした人でした。
P あなたは彼にどういうことを言いたいですか。
M 分からない、あなたの言っていることは分からない。どうしてあなたは大声で、私を威嚇するように言うのだ。
P 相手がどんな気持で言ったか想像できますか。
M 何をモタモタしてるんだ、俺は忙しいんだ。どっちのソースがいいかというこんな簡単なことがどうして分からないんだ。
P そう言われてあなたはどういう風に感じますか。
M その通りだ。でも私は客なんだし、分かるように優しく聞いて欲しい。
P ここまで言えたら、あなたの気持ちは落ち着きますね。そして、彼もあなたの気持ちが理解できますね。
 もう一つ、その場でできたことがあります。手を挙げて彼を止めることです。あなたをどなりつける権利は彼にはありません。手を挙げてストップと言えばよかったのです。今度はストップを使って下さい。公衆の面前でどなり声をあげる権利は誰にもありません。
 さらにもう一つその場で出来たことは、リラックスすることです。深呼吸をしてあなたの安全で心が穏やかなところをイメージすれば少しは楽になるかもしれません。

終わっての感想
○30年も学校で仕事をして来ました。教師の世界は怒りを出せない場です。抑圧された場なんです。それで知らず知らずのうちに怒りを押さえ込む習慣がついたんだと思います。人を傷つけないで、怒りを表せるようにしていきたい。
○私も教師です。自分がいかに怒りを溜め込んでいるかということを感じた。褒めるとか、褒められるという実習の中で、ある人を見ている観点は皆同じようなものなんだなとびっくりした。
○批判への対処の所で、どもっている子どもが、どもりといじめられていた時に、「うん、どもるよ」「そんな自分が好きなんだ」と言えたら素晴らしいと思った。
○自分のいいと思っているところを話している時、相手がそれを受け入れて誠実に聞いてくれていることが嬉しかった。日常の中で、今度は私が人の話を聞いて、その人に嬉しい感じを与えていければ、周りに広がると思った
○夫婦でも、けなすのがゲームのようになっている。家内から褒めてくれと言われている。何か一つでも日本に帰っていいところを見つけて褒めたい。

 ワークショップが終わってさわやかな気分になれました。パルマーさんに出会えたからでしょう。また、感情を出すことですっきりしたのかもしれません。このアサーション・トレーニングで自分が好きになれたし、人ももっと好きになれそうな感じがしました。パルマーさんに温かなおみやげをもらったように思えました。(了)(報告・伊藤照良)


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2021/7/23

「確かにどもるけれど、そんな自分が好きなんです」

 自分を好きになる
  〜パット・パルマーさんのアサーティブ・トレーニング・ワークショップ

 どもることをからかわれた時、「そうだよ、僕はどもるよ。こんな自分が好きなんだ。それが何か問題でもある?」、そう言い返すことができたら、僕をからかった子どもたちは、どうしたでしょうか。子どもの頃に、アサーティヴ・トレーニングを学んでいたら、吃音を、自分を、嫌いにならずに、もう少し楽に生きることができただろうなと、少し残念です。



アサーティブ・トレーング
                  報告     伊藤照良
自分の欲求を満たす
 心理学者のマズローは、欲求の順位を作りました。
    マズローによる欲求の順位
        自己実現
        自己尊重
       愛情と所属感
       安全と安心感
        生理的欲求

 これは、人間の欲求についてのことを言っているのですが、3日間水を飲めないと水以外のことが考えられなくなります。食べ物が食べられないと空腹が続きます。一番下の「生理的欲求」が人間の基本的要求だということです。寒いときには着る服がほしい。寝る時は家がほしい。これが基本的要求です。
 その次は、「安全と安心感」です。家の中に泥棒が入ってこない状況にあることです。
 その次が「愛情と所属感」で、他人との結束、気持ちのつながり、自分がグループに所属しているという気持ちです。
 そして「自己尊重」。
 こういったすべての欲求が満たされた時、自分が高尚な人間と思えるようになります。下位のニードが満たされていれば可能です。

☆演習 自分の望むことを要求する
 2人組になり、何かして欲しいことを要求しましょう。相手はそれを断ります。断られても要求します。それを断る。これを何度も繰り返します。
☆演習後の感想
*断る側は、断るときどんな顔をすればいいのだろう。相手を傷つけてはいけないと思うと断りにくい。
*ことばだけでお金をくれと言われた。ことばだけだったから断れたが、表情や身振り手振り手のからだ全体で包みこむように要求されたら、断るのが怖くなってしまった。

 きちんとノーと言わないと、どんどん攻撃されます。ノーと言う時は、小さな赤ちゃんに言うような調子で言うことができます。ノーと言っても、赤ちゃんはますます泣くなどして、なかなかやめません。ノーといえる権利を持っていると確信をもって、お腹のあたりに力をいれて、ノーと言えば、はっきりしたノーが伝わります。本当にノーと言いたい時は、力を込めて言わなくても伝わります。

批判への対処
☆演習ぁ
 2人組になります。他人が自分について批判するであろう3つのことを書き出します。自分が自分自身を批判することも書き出します。このリストを相手に渡します。リストを渡された人はそれを読んで、お母さんになったつもりで相手を批判します。
 批判される側の人は、リラックスした状態でこの批判に耳を傾けましょう。そして、「その通りです」と受け止めてみましょう。批判に対しての反応の方法は、まず同意を示すことです。

「そうです、私は太り過ぎです」
「確かにおっしゃる通りだけど、私自身も努力しているのです」
「確かに太っちょだけど、そんな自分が好きなのよ」

「その通り」と言えばそれだけで、批判を止めさせてしまいます。誰かが傷つけようとして言った時はできるだけ早く止めさせることです。それを止めさせる方法は、同意して「ハイそうです。私はそのままの自分が好き」そう言ったらいじめよう、操作しようとした人は気持ちが失せてしまいます。「ハイそうなんですよ、このままの自分でいいのです」と反応することです。もちろん、反論することもいいです。

☆演習後の感想 
*批判に対して「そうなんですよね」と同意されるとそれ以上批判はできない。ということは、自分が傷つくような批判の時は早くやめさせるために、同意してしまえばいいのだ分かった。
*他人が思っているだろう想像して書いた批判に対しては同意がしにくく、反論したくなる。それに対して自分が自分自身を批判していることとして書いたことには素直に同意できた。

 上司や友達を批判する時には、悪い感情をもたず、いい気持ちで受け取ってもらえるように批判します。例えば、友達が約束の時間に大幅に遅れてきたとします。そんなときは、まず、相手がどんなに優れているか、自分が相手にどんなに高い評価をもっているか、などについて相手に伝えます。つまり、「私とあなたとは古くからの友達で、私はあなたのことが好きだ」ということをまず伝えます。その後で、「あなたがこんな風に約束の時間に遅れると私のことを思っていないのかと疑ってしまうわ」と続けます。そして、最後に、「私たちは本当にいい友達になりたいからこういっているのです」をつけ加えるのです。 これが批判のサンドイッチなんです。 (つづく)


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 201/7/22

基本的アサーション権

自分を好きになる
  〜パット・パルマーさんのアサーティブ・トレーニング・ワークショップ〜

 今日、紹介する基本的アサーション権。そのいくつかは、生活の中で知っていたことであり、使ってもいたけれど、権利として意識していたかというと、そうではなかったかもしれません。権利として意識すると、自分のこれまでの言動に確信がもてるようになります。アサーションはすべての人のためのものですが、吃音に悩んできた僕たちには、とてもありがたいものだということが、一つ一つをかみしめながら、自分の経験に照らして読んでいくと、うなずけると思います。
 今は「どもる人」を使い、「吃音者」は使いませんが、昔、この「吃音者」に対する言葉として「正音者」がありました。どもらない人が「正音者」で、「正しい言葉」の人です。どもる僕たちは、正しくない、間違った言葉の人になり、とても嫌いな言葉でした。
 吃音に悩んでいると、完全主義に陥り、どもることを失敗と受け止め、失敗することに対する不安や恐れを持ちます。「失敗する権利」や「素直に傷つく権利」は、「弱さの肯定」でもあります。素直に傷ついて、悩んでもいい。弱い自分も自覚して、基本的に他者を信頼して生きることができれば、僕たちもずいぶん生きやすかったのではないかと思います。僕も、21歳の夏に、吃音の悩みから解放される道筋に立ったとき、自分を表現できるようになりました。それにはまず、悩みや自分の気持ちを表現し、それを受け止められる経験が出発になるのだと思います。

アサーティブ・トレーング
                  報告     伊藤照良

基本的アサーション権

 次に挙げる権利は、世界中の全ての人のための権利です。
1 自分が尊敬を持って扱われる権利
 個人の権利の最も基本的なもの。自分が尊敬に値する人間だということを信じなければ人からも尊敬をもって扱われない。自分が自分を大切にする権利をいう。

2 自分の感情と意見を持ち、それを表明する権利
 自分がどう感じるとしてもそれは自分の権利である。ただし自分の感情を表現する時はそれに責任を持たなければならない。

3 ひとりで行動する権利
 一緒に行動することを要求されても、時にはひとりで過ごすことができる。人と違っても、自分らしく人生を送ってもいい。

4 成功する権利
 人より優れていたり、上手にできる時には、周囲を気にすることなく、成功してもよい。

5 自説に耳を傾けてもらい、まじめに受け取ってもらうことを要求する権利
 意見を言いたい時や、自分の見解を大切にしてもらいたい時には、耳を傾けてもらえる。

6 支払っただけのものを得る権利
 支払った分に見合うだけのサービスや物を得るのは当然の権利だ。

7 申し訳ないと思わずにノーと言える権利
 ノーを言うことが利己的だとか、間違っているとか思われても、ノーと言うことができる。(ただし、その結果、相手からノーと言われる可能性も生じる)

8 失敗をする権利
 人間は完壁ではない。過ちをしたら、その結果をひきうければよい。これは「人間である権利」とも言われる。

9 自分の意見を主張しないでいる権利
 アサーティブな言動ができるようになったら、時間やエネルギーに値しなかったり、危険性が高い時にはアサーションしないことも選べる。

10 意見を変える権利
 自説が間違っていると気がついた時は、すみやかに意見を変えてもよい。

11 時には感情的になってよい権利
 時には感情をそのままぶつけることも許される。

12 素直に傷つく権利
 傷ついている自分を強がらずに、そのまま認めて表現してよい。

 ルーズベルト大統領夫人がこの基本的権利を作りました。皆さんにとって初めて知る新しい権利ですか?
 全ての人は尊敬を持って扱われる権利があります。これまではきっと自分でなく他の人を尊敬をもって接するよう教えられてきたことでしょう。でも、この基本的アサーション権の全ては、皆さんが自分に与えることのできる権利なのです。
 私たちは間違いをする権利も持っています。生徒がする間違いに対しても褒美を上げています。
 私たちは間違いをしないように育てられてきました。赤ちゃんがどのように学習するか考えてみましょう。床をはう、ぶつかる、痛い目をしながら学習していきますね。間違いながらです。自分に優しくなって間違いを許せるようになって下さい。私自身、間違いをすると自分を祝福します。間違えることで成長できるからです。
 自分の権利は他人の権利を奪うことではありません。アメリカでは「あなたも得たい物を得なさい、私も得ます。両方がハッピーになる」という考え方があります。
 私たちが自分に対してすることについて、裁くということがあります。これは本当に自分らしくいられることの妨げになります。人が自分を裁いているような気持ちになると、自己表現することができなくなります。誰でもみんないい点があり、価値があるのです。自分で自分を裁くことをしないようになれば、他の人が自分を裁いているように思わなくなります。相手が自分のいい点について話をしているのを聞いて気持ちが良かったという経験があるでしょう。お互いにいい点、素晴らしい点を伝えあうことは大事なことです。
 私は昔、完壁主義者で、全て問題は解決しなければならないと考えていました。今は、自分の間違いを認められるようになりました。完全であることは、人間らしくあることと比べれば、さほど重要ではありません。完全であることは、私を含めてその人の良さを殺してしまいます。完壁であることは自分を打ちのめしてしまうことになるのです。ここでやろうとしていることは、自分を愛し、自分に親切になろうとしていることです。
 もし私たちが、自分を裁いたり、評価すれば、自分の大事な部分を失うことになります。自分の大切な部分がなくなってしまいます。
 このアサーションというのは、新しい概念なのです。特に障害を持った子どもに接する時には必要です。障害があったとしても、その子には能力があり、可能性があり、何かを生み出す力があります。
 今日は、日本の方たちを前にしていますが、日本人の両親は子どもに対して非常に厳しいという研究があります。子どもを育てる時「あなたは本当に素晴らしい」と絶えず、優しく言って接していれば、本当に素晴らしい子に育ちます。子どもに対しては愛情をもっていたわり、優しさを持って接すればいいのです。
 私たちは「あなたは本当にいいことをしている」と言われれば、学習のスピードが早くなります。「あなたは間違っている」と言われ続けると学習のスピードは遅くなってしまいます。(つづく)


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2021/7/21

自分を好きになる〜パット・パルマーさんのアサーティヴ・トレーニング・ワークショップ

 いよいよ、パット・パルマーさんの演習が始まります。演習をして、その後、感想を言い合いました。そして最後に、パルマーさんが、解説というか、大切なことを話してくれました。演習をした後ということもあって、みんなの心にすうーっと溶け込んでいくような話でした。セルフ・エスティームということばの響きと共に、自分を大事にして自分を好きになるということがしみこんでいったようでした。

 パルマーさんのエクササイズの「自分のしたいと思うことを20挙げてみて下さい」を読んで、パルマーさんに出会う、はるか前に、大阪教育大学の教員時代のことを思い出しました。大阪市立児童相談所で週二回、非常勤で「母子通所言語指導」を担当していました。三歳児検診で児童相談所が必要だとした子どもの言語指導です。言語指導といっても、学生が子どもたちと遊びを通して、子ども全体に働きかけ、僕がお母さんを担当し、カウンセリングというか学習と話し合いを行いました。ほとんどの子どもは話すことができません。もちろん、「お母さん」と呼ぶこともできません。「せめて、〈お母さん〉と呼んでほしい」と、親は必死に、子どもの成長を願って、「ドクターショッピング」を繰り返している状態でした。
 子どものためにと必死になっているお母さんに、僕が必ず言っていたのが、次のことです。
 「子どもに障害があると分かる前、学生時代でも、結婚当初でも、あなたは何に夢中でしたか。何をしている時が楽しかったですか」
 実際にしてきたことを書いてもらいました。そして、今、それができているかと聞くと、誰一人していませんでした。子どもがこのような状態だから自分が「楽しんではいけない」というのです。
 「それがだめなんだ。お母さんが楽しく生きることが、子どもにとって大切なことなので、ひとつでもふたつでもできることからしましょう」
 毎回、新しく出会うお母さんに言い続けました。
 それが、児童相談所を飛び出し、動物園や、新幹線に乗って京都への遠足、海水浴に行くことにつながり、そして、日帰りではなく二泊三日の小豆島でのキャンプになり、さらに後になって、僕たちが今続けている、「吃音親子サマーキャンプ」へとつながっていったのです。
 パット・パルマーさんの記録から、思い出したことです。

アサーション
演習 YesとNo
 2人組を作り、一方が、イエスを言い、もう一方がノーを言う。きっぱりと大きな声、優しい声、小さな声など、試して下さい。相手はそれに合わせてみて下さい。気が済んだら、交代します。いろいろと挑戦してみて下さい。
 
☆演習後の感想
*言い合っていると、だんだん声や表情に感情が伴ってきた。
*普段はなかなかノーが言えないけど、今日は大ぴらにノーが言えて気持ちよかった。

 私は、アサーションとは自分を愛することと考えています。自分を大事にすること、自分をいたわることです。そして他人にして欲しいと思うように、他人に対しても同じような態度で接することです。
 誰かがあなたに攻撃的な、押しの強い態度で接してくるとします。しかも、その人があなたの言おうとすることを遮ったりする時、そのまま押し倒されてしまいますか?
 アメリカには受け身的であって、攻撃的であるという人がいます。その意味は、顔ではニッコリしていても後ろではこぶしを握り締めているのです。口ではイエスと言っているが、心ではノーと言っているのです。日本でもそういう人はいませんか?
 自分の気持ちにそぐわない時イエスを言うのは自分を大事にしているとは言えません。

セルフ・エスティーム
演習◆ー分の素晴らしさを伝える
 2人組を作り、自分がいかに素晴らしいかを相手に伝えましょう。話す人は自分の特技、得意なことを話します。例えば、料理が上手だったら、どんな料理が得意で、どんな工夫をしているか。それがどんなにおいしいかを言います。深呼吸をし、体をリラックスさせて話します。話している時は、興味をもって聞きましょう。それぞれ3分ずつ。終わった後、お互いに感想を話してください。

☆演習後の感想
*自分のことを言っている時も気持ち良かったし、相手のことを聞いている時も気持ち良かった。
*家族とのいい関係を聞いて、いい気持ちになった。

 セルフ・エスティームというのは、自分が大切であるという気持ちです。自己を大切に思う気持ちは、自分をいたわるということです。それには体をいたわることも含まれますし、運動したり、水泳したりすることも含まれます。自分に対して肯定的な気持ちをもつようなことをすることです。
 このようなことは〈うつ〉を引き起こす物質を体内から発散させてくれますし、充分な睡眠をもたらせてくれます。
 リラックスする時間や遊ぶ時間を見つけましょう。自分のために時間を作りましょう。自分の気持ちをいたわることが大切です。
 自分の気持ちを相手に話したり、伝えたりして、自分の気持ちを抑え込まないようにしましょう。気持ちを心の中に押し込めることは、それだけで、ものすごいエネルギーを必要とします。だから、それを外に表出することは健康的なことなのです。自分の気持ちや感情を出すということは、何も怒ったときに周りの人を殴りなさいと言っているわけではありません。
 心をいたわるということは、例えば、趣味を持って絶えず頭を働かすことです。クロスワード・パズルや科学的な読み物、将棋など好きなことをすることです。
 今、自分のしたいと思うことを20挙げてみて下さい。簡単なことでいいからどんどん書いていくのです。それをいつもながめて、できるだけ実行して下さい。
 自分を育てるという考え方は、自分のために時間をとることです。それはわがままというように聞こえるかも知れませんが、自分がきれいな花だと思って大切にして下さい。自分が特別な人だと思って大事にして下さい。書いたこの20のリストを使って、自分を大事にして、自分を好きになりましょう。(つづく)


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2021/7/20

自分を好きになる〜パット・パルマーさんのアサーティブ・トレーニング・ワークショップ

 1992年、サンフランシスコで開かれた、第3回吃音問題国際大会終了後、『自分を好きになる本』(径書房刊)の著者パット・パルマー博士のワークショップを開きました。
 1991年の秋、本屋の児童書売り場で、『自分を好きになる本』を見つけました。日頃「自分を好きになる」「どもりを好きになる」と言っていたので嬉しくなり、出版先の径書房に連絡を取り、著者の連絡先を教えていただきました。
 国際大会に参加するため、アメリカに行くので、地図で調べるとそれほど遠くないことを知り、パルマーさんにワークショップができないだろうかとお願いしたところ、喜んで引き受けて下さったのです。
 パルマーさんがコロラド州のデンバーからサンフランシスコまで来て下さり、アサーティブ・トレーニングワークショップが開かれました。
 パルマーさんは、穏やかで、大柄なおばさまでした。和やかで愛情と優しさに満ちたワークショップでした。一日の短いワークショップなので、アサーティブ・トレーニングのごく一部分だったのですが、僕たちの仲間の神戸吃音教室「ほっと神戸」を主宰している伊藤照良さんが、ワークショップの報告を書いてくれていました。実習を説明する、パルマーさんの話や実習など、私たちが体験したことを報告します。
 30年近く前のことですが、パルマーさんの穏やかな語り口、みんなで輪を作って、ひとりひとりを大切にした進行は、印象的でした。終わった後のさわやかな満足感は、今もよく覚えています。時々、そのときの体験をもとに話をする時もあります。懐かしく思い出しながら、僕も読みました。今日は、参加者がどのような関心をもって参加したかです。
 
  
アサーティブ・トレーング
                  報告     伊藤照良
 
 まず最初に、パルマーさんが、このワークショップにどのようなことを期待して参加したのかを、どのようなことに関心があるかを尋ねました。
 参加者の関心
○私は自分が考えていることを伝える前に、相手の反応を想像してしまって、本音が表現できないのです。
○私は、どちらかというと攻撃的な発言をすることが多いので、適切な表現方法を学びたいと思います。自分の性格が嫌いなので、自分を好きになれればとも思っています。
○私は自分が好きです。もっと好きになれるようにと思って参加しました。
○アサーティブに生きることを、自分の人生に取り入れたいです。
○もっと楽しめる人生があるかもしれないという期待で参加しました。
○私は「私を好きになる本」を読んで感動して涙が出ました。今日はワクワクしています。
○自分の知らない自分を見つけて、もっと好きになりたいです。
○養護学校で教員をしていますが、子どもを否定的にばかり見ている自分に気づくことがあります。子どもたちの良いところを見つけたい。
○私はなにかあるとすぐに不安を感じてしまう方なので、不安を感じている時、不安をもちながらも、うまく自己表現する方法を学びたい。
○ノーということがいえず、後で後悔したり、嫌な気持ちになりがちです。自分の気持ちに正直に、時には「ノー」といえる人間になりたいです。 (報告・つづく)


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2021/7/19
Archives
livedoor プロフィール

kituon

QRコード(携帯電話用)
QRコード