伊藤伸二の吃音(どもり)相談室

「どもり」の語り部・伊藤伸二(日本吃音臨床研究会代表)が、吃音(どもり)について語ります。

2019年10月

吃音に悩んだ、僕の小学生時代

第17回 吃音キャンプOKAYAMA PART1
子どもからの質問に答えて〜小学校のとき、どんな子どもでしたか?

 滋賀県での僕たちの吃音親子サマーキャンプが今年30回目を迎えましたが、各地でのキャンプも、かなり長く続いています。11月2・3日の島根スタタリングフォーラムは、今年21回目です。そして、先日終わった岡山のキャンプは、17回目でした。
 ことばの教室の担当者がめまぐるしく替わるという中で、これほど長く続いているというのは、本当に珍しいことかもしれません。事務局をつないで下さっている関係者の皆さんに、心から感謝しています。

 岡山のキャンプは、当初1泊2日でしたが、何年か前からいろいろな事情で1日だけのデイキャンプになりました。子どもや保護者との話し合い、ハイキング等のレクレーションなど、毎年、たくさんのスタッフが参加し、工夫してキャンプを続けてくれています。
 その中に、子どもたちと僕の出会いというコーナーがあります。事前に質問を募り、それをことばの教室の担当者である友浦さんが読み上げていってくれました。
 ちょっと整理しましたが、ライブ感覚で様子をお届けします。

友浦 伊藤さんのことを紹介します。通級で、吃音のことを研究している博士がいるよと習っていると思いますが、その博士が伊藤さんです。私も、吃音のことを勉強しているんだけど、世界中で一番詳しく吃音のことを知っているのが伊藤さんだと思います。吃音のことを伊藤さんに聞いてみます。伊藤さん、お願いします。
岡山キャンプ 質問に答えて
伊藤 合点承知の助。
友浦 まず一つ目の質問です。伊藤さんは、どんな小学生だったのですか。
伊藤 何年生?
友浦 3年生か、4年生くらいがいいかな。
伊藤 僕の小学生時代は、2年生の秋を境に、前と後とは全然違います。小学校2年生の秋までは、ものすごいやんちゃで、相撲が強くて、成績もよくて、逆立ちして300メートルくらい歩けるくらい、いろんなことができて、明るかったんだけど、小学2年生の秋から、別人28号になりました。がらっと変わり、ものすごくどもりに悩むようになりました。何があったと思いますか。分かる人? 何があったから、どもりに悩み始めたか。
子ども どもりが多くなったから?
伊藤 どもる量が多くなったから?。うん。他には?
子ども 先生に叱られたから?
伊藤 はい。ほかに?
子ども どもって、みんなに笑われたから?
伊藤 なるほど。
子ども やんちゃだったんだけど、どもりが多くなったから、やんちゃじゃなくなった。
伊藤 おとなしくなった? なるほど、おもしろいね。
 学芸会、今でいう学習発表会で、「浦島太郎」の劇をしたんだけど、僕は、どもってもちゃんとせりふのある役、たとえば、浦島太郎かカメか村長さんか、せりふの多い役をやりたかったんだけど、させてもらえなかった。その理由は、どもるから。なんで?と思うよねえ。
子ども どもるだけでねえ。
伊藤 どもる伊藤少年が、劇のせりふでどもると、かわいそうだから、どもらないように、3人で、声をそろえて「さよならー、カメ」と言う役だった。他の人はみんな、ひとりひとりせりふがあるのに、僕たち3人は、声をそろえて「さよならー、カメ」という役だった。75歳になっても覚えているくらい、嫌な思い出です。そのときに初めて、どもりはだめなことなのか、どもっていたらだめなのかと思った。そう思ってしまうと、学芸会の練習が始まり、本番が終わる頃には、全く別の人間のようになっていた。あれだけ明るくて元気で活発で、成績も良くて勉強もしていたのに、もう絶対手も挙げないし、音読もしないし、友だちとも遊ばないし、そんな子になってしまった。すごいよね。それはみんな、教師の配慮ですよ。セリフのある役でどもって失敗したら、かわいそうだから、どもらないですむように、3人で声をそろえて言う。僕は担任教師の合理的配慮で、人生を狂わされたんです。
友浦 劇でそんなことあったら、嫌だよね、みんな。
子ども うん。
伊藤 どもってても、やりたいよね。
友浦 やりたいよね。
子ども どもりながら、せりふ言っても大丈夫だよ。
子ども どもったら、もう一回やり直せばいい。
伊藤 何度でもやり直しができるよね。
友浦 どもりながら言えばいいよね。
伊藤 どもるからといって、一人で言わせないってふざけてるよね。
友浦 ちょっと、その先生、勘違いしてるよね。残念だったね。
子ども したかったよね。
伊藤 それともうひとつ。小学6年生のとき、児童会の会長に立候補させられた。そのときは、僕は、成績も悪くなっているし、人気もなくなってるし、あれはいじめだね。
友浦 ですか?
伊藤 だって、立候補のときは、みんなの前で立候補の挨拶しないといけない。その挨拶でどもる僕をからかおうと思ったと僕は思っていた。そのとき、学級の代表として伊藤を立候補させるかどうかという話し合いを学級でしたいたんだけど、それがとても嫌だったのをすごく覚えている。実際に、立候補させられて、みんなの前で、どもってどもって挨拶したのだと思うけれど、そのことは全然覚えていない。でも、学級会で、どもっている伊藤はかわいそうだ、あんなにどもっているのに会長なんて無理だ、そんなことを話し合っているときの様子や、雰囲気はよく覚えていて、あれが、小学校で一番嫌な体験だった。
友浦 みんな、伊藤さんのこんな話を聞いて、自分だったらどうか、どう思うか、通級の先生と話してみてね。

日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2019/10/31

吃音について、私がしてきた失敗


私の願いは、吃音を治すことではなく、子どもが自分の人生を楽しく歩んでほしいということだった

豊中 伸二ひとり 子どもたちに向けて話すとき、いつも僕は自分がしてきた失敗を話します。僕の吃音に関する失敗とは、吃音を否定し、どもりたくない一心で、吃音を隠し、話すことから徹底的に逃げてきたことです。そのために、勉強も遊びもスポーツも友達関係からも逃げました。その失敗を子どもたちに繰り返して欲しくない。その一心で僕はいつまでも、吃音に関わり、話し続けているのだと思います。もちろん、そこからどう吃音に向き合い、今の幸せで充実した生活に至ったかも話します。
 今回は、豊中市の阪急曽根駅の近くの朝日新聞店で住み込んで浪人生活をしたことを話しましたが、今から考えると、大都会へ一人で出て、新聞配達店に住み込んで浪人生活を決心したのは、僕に「自立性」があったからだと、普段はあまり話さない話もしました。
 前回と同様、吃音教室終了のあとすぐに書いて下さった感想の、保護者の分を紹介します。
 
・吃音が治るように今まで考えていたけれど、無理に治す必要はなく、一緒に向き合っていってあげればいいと思いました。(保護者)

・体験を交えた貴重なお話、ありがとうございました。息子が、「考えていないことを考えられた」と発言していました。難しいながらも、いろいろと感じ取っていたのだなと思いました。本を読むこと、歌うこと、話すこと、全て好きなことなので、これからも、これらのことを楽しみながら大切にして、過ごしていけたらと思います。(保護者)

・伊藤さんの、自分の吃音をのりこえて生きている話を聞けてよかったです。(保護者)

・親子での会話の時間を増やして、子どもがたくさん話す時間を持ちたいなと思いました。(保護者)

・自分の子どもの他にも、吃音の子がいるというのが分かってよかった。(保護者)

・貴重なお話をありがとうございました。家族での会話の大切さを痛感しました。これから成長していく中で、大変なことも多いと思いますが、家族みんなで吃音について勉強し、のりこえていきたいと思います。(保護者)

・今まで吃音は大人になったら治るだろうとか、もしずっと治らなかったらどうしたらいいかなど、なんとなくの不安しかなかったが、最終的な私の願いは、吃音を治すことではなく、我が子が自分の人生を楽しんで歩んでいってほしい!ということだと気づきました。吃音があっても、たくさんの人が好きなことをして、楽しく過ごしていることが分かって、これからも親子の対話を大切に、家が一番居心地がいい場所にしてあげたいです。(保護者)

・吃音に関して、インターネット等で調べて治るものと思っていたので、伊藤さんから「どもりは治らない」と教えていただいて、びっくりしたと同時に、今後は息子のどもりを認め、どもりを否定せず、誠実につきあうように努めようと思いました。今後は、子どもとたくさん対話をし、読み聞かせや読書をしっかりして、考え続けることができる人間に、親子共々なれるようにがんばりたいと思います。今日は、伊藤さんの体験談を聞けて、すごく参考になりました。貴重なお話をありがとうございました。(保護者)

・正直、成長していく中で不安もあります。確かに考える力、対応する力が本当に必要だと感じます。本人の柔軟性と物事に取り組む姿勢を大切にしたいと思います。子どもの一番の理解者でいます。(保護者)

・このような吃音教室に通う前は、通えば治ると思っていました。最初、伊藤さんは、はっきりと「治りません」と言われたときは、息子、大丈夫かなと心配になりました。伊藤さんの話を聞いて、頭がやわらかくなったというか、難しく考えすぎてたなと思いました。なかなか、子どもと話すことも少なくなっているので、たくさん話していきたいと思います。息子は怒ると思いますが、ゲームの時間を減らすことから始めます。(保護者)


豊中 横から全体 初めて、自分以外のどもる子どもに会ったという子どもや保護者もたくさんいる中での僕の話でした。このような集まりに参加したのも初めてということでした。正直なところ、どれだけ伝わるだろうかと少し心配していましたが、感想を読ませていただき、しっかりと聞いていただけたことが分かりました。うれしい経験でした。

 23日の豊中に引き続き、31日には、滋賀県の栗東・草津のことばの教室の担当者の研修会に行きます。その翌日に広島に移動し、週末は、第21回島根スタタリングフォーラムに参加します。
 大きな会場での講演も悪くはないですが、僕は、こうした小さな集まりに出かけていって、目の前の人と語ることが好きです。依頼を受けたら、都合のつく限り、お受けし、小さな辻説法を続けていきたいと思っています。

日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2019/10/29

吃音の、新しい価値観に出会う

僕の失敗を生かしてほしい〜新しい価値観との出会い

 秋のキャンプロードが始まっています。9月には、台風の影響があった直後の千葉で、第3回の吃音キャンプがありました。予定していた会場の自然の家が停電で使えなくなりましたが、急遽、会場を小学校の校舎に変えて行いました。柔軟な対応が印象的でした。
 10月19日は、17回目の岡山吃音キャンプでした。スタッフとして#ことばの教室 の担当者が40人も参加し、総勢100名ほどの人たちが吃音について向き合うキャンプです。子どもたちは、話し合いや、レクレーションなどを通して、仲間の存在を確認できた集まりでした。
 11月は、島根、沖縄、群馬とキャンプが続くのですが、その合間の、10月23日、大阪の豊中市の小学校のことばの教室の吃音教室に行ってきました。最寄り駅は、阪急の「岡町」駅。そのひとつ手前が「曽根」でした。「曽根」は、懐かしい地名です。
 僕が、三重県津市から家出のようにして近鉄電車で大阪に出てきて、上本町六丁目駅で朝日新聞を買い、そこに出ていた結城さんの新聞配達店に電話をして雇ってもらいました。新聞配達店は、阪急宝塚線の曽根駅のすぐそばでした。1年間、新聞配達をしながら浪人生活をした懐かしい町です。
豊中 看板 豊中のことばの教室の先生は、吃音親子サマーキャンプや新・吃音ショートコースにも参加したことがあります。豊中にある3つの小学校のことばの教室と、発達障害を中心にした通級指導教室の担当者も集まり、全市内に呼びかけたそうです。ことばの教室に通っていない、その日が初めてだという親子連れがたくさん参加しました。ぜひ、僕と出会わせたいという担当者の強い願いのもと、実現した集まりでした。90分という短い時間、しかもこういう集まりは初めてだという子どもや親が多かったのですが、子どもと親を分けて別のプログラムを組むことができなかったので、親も子どもも一緒に輪をつくり、全員の前で話しました。小学生1年生が多かったのですが、静かに難しい話をよく聞いてくれたなあと思います。僕自身の吃音に悩んでいた時の、吃音を隠し、話すことから逃げていた失敗体験と、その後に吃音に向き合ってからの話をしました。
 「僕の失敗を生かして欲しい」が話の中心です。それに基づいて、親や教師が子どもと接するとき大切にしたいことを話しました。

 からかわれたときが嫌だ。どうしたらいいか。

豊中 全体 子どもたちから前もって出されていた質問です。よく出る質問です。僕は、具体的に何を言われるのかを子どもたちに聞くと、「真似してくる」とか「笑う」とか、「アイウエオと言ってみろと言われる」などと言います。この日も「真似される」でしたが、どのような場面で、どのように真似されたり、どのようなことばでからかわれるのか、僕は質問します。明確には言えない子どもには、これからは、よく相手を観察しようと言います。からかってくる相手の顔、表情、ことば、様子、態度など、よく観察することです。どもっていることがよく分からないから、言うのなら、どもることの説明をすればいいでしょう。悪質なものなら、周りの大人に助けを借りてストップしなければなりません。なぜそんなことを言われないといけないのか、逆に説明を求めてもいいでしょう。方法はいくつもあるということを伝えました。「観察しよう」と提案するだけで、からかいに対処できるようになった子どもは少なくありません。
 このように、事実を把握し、そのことをよく考える力は、これからストレスのますます大きくなる現代社会を生き抜く力になります。自分の人生を自分の力で切り開いていくためにも考える力は大切です。子どもの頃から、考える力を育てることが、ことばの教室でできる最大のことだと、僕は思っています。

 終わった翌日、その場で書いた感想を送って下さいました。その一部を紹介します。対話形式ではなく、一方的に、それも初めて聞いた話なのに、このような感想を、すぐに書いた子どもたちの力を感じました。平仮名は読みやすいように漢字に変えました。

・学べていなかったことを学べた。伊藤さんが言ったことをしていきたいなと思いました。1年生なのであんまり分からないこともあったけれど、このことをしていけば、生きられると思いました。いろいろと教えてくれてありがとうございました。(小1)

・私は、伊藤さんが最後に言った「吃音は変わっていく」ということばが心にひびきました。(小4)

・自分もたくさん考えていたけれど、伊藤さんの話を聞いて、考えることも、自分の考えも変わりました。話は少し難しかったけれど、分かりやいところもあり、僕も考えやすかったので、これからは、いろいろな人と会話などをたくさんしていこうと思います。今も、ぼくは、学校では、友だちとたくさん話をしているけれど、もっといろいろな人と会話をして、そこからたくさんのことを学び、大人になったときに役立てたいです。つらくなっても、あきらめず、自分がどもる理由を理解して、たくさんの人との関係を大事にしていきたいです。(小5)

・吃音は治らないけれど、どもったりどもらなかったりするということがわかった。思春期に、どもりかたが違ったりすることもわかった。前まで、ぼくのどもりを知らなくて笑っていた友だちも、今はぼくのどもりを知っているから笑ったりしなくなったので、よかった。(小5)

・吃音の人がしゃべっているのを聞いて、聞く側の観点がわかったから、なんかほっとした。自分では、人がどもりながら話すことはおかしいとは思わない。(小5)

・伊藤さんの話を聞いて、考えることが大切と聞いたので、これからは今まで以上に考えることを大切にしようと思いました。(小6)


 1年生から6年生まで12人くらいいたでしょうか。自分以外のどもる子に会ったのも初めてという子もたくさんいました。難しい話をよく聞いてくれたと思います。保護者の感想は、次回に。

日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2019/10/28

朝日新聞の吃音の記事と、思いがけない電話

人と人との出会いは不思議なもの

 「関西カウンセリングセンターでご一緒した○○です」という電話がありました。まったく思い出せません。確かに、35年以上も前になると思いますが、関西カウンセリングセンターには行っていました。カウンセラーの養成講座があり、勉強していたのです。
 その方は、懐かしそうに話して下さいますが、僕の記憶には雲がかかっているようで、なかなか鮮明にはなってくれませんでした。
 その講座では、たくさんの講義や演習の後、最終段階のカウンセラーになる前に、ベーシック・エンカウンターグループ体験や、クライエント体験をすることになっていました。エンカウンターグループ体験については、その後つきあいがあった何人かの人がいて、思い出せるのですが、6回くらいのクライエント体験についてはすっかり忘れていました。そのとき、僕のカウンセラーの役をして下さったのが、電話をしてきて下さった方でした。

 たくさんの受講生と会っておられるだろうに、よく覚えていて下さったものだと思います。正直にそのことを伝えると、僕は、6回ある体験の2回目を、無断で休んだらしいのです。3回目に行ったとき、「前の回、どうして休んだのか」と聞かれ、僕は、3回目に行く前には無断欠席したことに気づいて、すぐに、手紙を出していたようです。「手紙が届いている」とおっしゃったので、「まず、その手紙を読んで下さい」と言ったそうです。
 ここまで話を聞いても、休んだことも、手紙を出したことも思い出せませんでした。休んだ理由は、「うっかりして忘れていた」だったらしいです。僕らしいと、思わず笑ってしまいました。電話の向こうでも、笑っておられました。でも、手紙には、正直に、丁寧に、そのことを書いて、申し訳なかったと謝っていたらしいです。そんなこともあって、僕のことを覚えていて下さったとのことでした。

 このエピソード、僕は全く覚えていません。クライエント体験も、そんなことがあったなあくらいしか覚えていません。忘れてすっぽかしたことは記憶にありませんでした。あまりにも古いことなので、年齢を尋ねると、87歳とのこと。僕のカウンセラー役をして下さっているとき、僕が、吃音について、活動について話すのをとても興味深く聞き、僕が最後のセッションでお渡ししたパンフレットを大事にとっていて下さいました。カウンセラーとして出会う人の中に、どもる人がいたら必ず、僕の連絡先を教えたそうです。だから、35年以上も前の出会いなのに、僕のことは鮮明に覚えているとおっしゃっていました。
 人と人との出会いは、不思議なものだと、日頃から思っていましたが、今回のできごとも本当に不思議です。この方は、8月25日の吃音親子サマーキャンプの記事と、9月19日の大阪吃音教室の、朝日新聞の記事を見て、僕の名前をみつけ、懐かしく思い出したとおっしゃいます。記事には名前だけだったので、パソコンができる人に頼んで調べて、電話をしてきて下さったとのことでした。たくさんの人と出会う立場のカウンセラーで研修担当者が、ひとりの研修生のことをここまで覚えていて下さったのです。不思議な、うれしい電話でした。

 日本吃音臨床研究会会長 伊藤伸二 2019/10/17

どもる人との出会いは、一期一会

出会いを大切に〜吃音講演会・相談会inにいがた〜

新潟講演 タイトル 会場の万代市民会館に着くと、家田さんはじめ、すでに何人か集まって、いすを並べ、会場設営をして下さっていました。申し込み不要なので、何人参加されるのか見当もつきません。僕たちからは、新潟や山形など、近隣のことばの教室に案内を出しました。家田さんたちも、新聞社を通じて広報していただきました。配布する資料のセットをしながら、どんな出会いがあるか、楽しみでした。受付の時間になると、少しずつ参加者が集まってきました。新聞社も2社、取材に来てくれました。
 家田さんの挨拶の後、僕の講演が始まりました。

 少数でも、自分の信念を大切にしている家田さんたとの仲間を応援したくて、今回の講演会・相談会をもちかけたということから話し始めました。また、先日、朝日新聞に掲載された記事についても触れました。取材を受けた藤岡さんを紹介しました。治らないものを治そうとすることがどれだけ苦しいことか、吃音と共に生きることを決めてから、今はよくどもるけれど、楽になったことなど、実在の人を紹介することができました。
新潟講演 会場全体2新潟講演 伸二 昨年の東京大学先端科学技術研究センターでの講演の準備の中での発見についても話しました。「どもれる体」になれた東京正生学院での合宿経験と、その後のセルフヘルプグループでの活動で得た共同体感覚について話しました。こうして出会い、僕の話を聞いてもらうことが、これから先何度もあるとは思えません。これが最初で最後という人もいるはずです。そう思うと、僕が考えていることのすべてを伝えたいと思いました。
 精神医療、福祉の世界が大きく転換している今、これまでの疾病生成論ではなく、健康生成論に基づき、幸せに生きるために何ができるか、どうしたらいいかを考えたいと思います。それが、人一倍どもりに悩み、苦しんできて、深く考えて、今、幸せに生きている僕の使命だろうと思います。
 与えられた時間いっぱいを使って、たくさんお話しました。お渡しした資料で補っていただけるでしょう。休憩後は、相談会。知りたいことを書いてもらって、それに答える形で、話しました。
新潟講演 会場前から
1.小1の子ども。おしゃべりが好きで、困っていることはないと言うが…。(ことばの教師担当者)
 ことばの教室は、吃音を学ぶ所だと位置づけ、どもりのことを話題にして一緒に勉強して欲しい。また、どもる子どもと一緒に、歌を歌って、ことばや声のレッスンもできる。子どもと相談して、ことばの教室で何をするか、一緒に考えることが、健康生成論の把握可能感、処理可能感、有意味感につながる。子どもと一緒に、指導の時間を構造化してもらいたい。

2.どもる人は電話が苦手だけれど、どう対処すればいいか。
 どもりたくないと思うから、電話がうまくいかないのだろう。電話で大事なことは、相手に分かるように要件を伝えること。大阪吃音教室の電話の講座を紹介しました。電話の前、電話中、電話の後に分け、論理療法を使って考えることを提案しました。

3.幼児期に育むことは何か。
 自立心、社会性を養ってほしい。自分の人生は自分でコントロールできるということを体験を通して身につけていってほしい。

4.人と信頼関係を築くには。
 これは自己肯定感と関係すると思います。相手のいいところはみつけられなくても、リスペクトすることはできます。好きにならなくてもいいから、相手の強みをみつけることから始めてみようと話しました。

5.ことばのレッスンをどんなふうにしたらいいか。
 日本吃音臨床研究会のホームページの「竹内敏晴さんから学んだ、ことばのレッスン」の動画を紹介しました。大きな声で、母音を意識しながら歌を歌うことをすすめました。

 その他、こんな質問も出ました。
6.息子のどもりについて。ほとんどどもっていないので、母としてこれまで気づかなかった。息子の心が折れている今、親として何ができるか。
7.伊藤の症状の変化について知りたい。
8.言語関係図について再度説明をしてほしい。
9.アドラー心理学の人生の課題について、もう一度聞きたい。
新潟講演 伸二、会場の中へ
 これらを丁寧に説明していきました。

 この講演会・相談会の後、新潟を出発して長期旅行に出かけました。大阪に戻ったら、家田さんから、アンケートのコピーが送られてきていました。このように、僕の話がどう伝わったのか、感想を聞かせていただくことは、話し手にとって、情報発信者にとって、何よりもうれしいことです。
新潟講演 会場全体2
  
感想 アンケートから
・伊藤さんのことは以前から知っていましたが、話は初めて聞きました。伊藤さんの存在は貴重です。もっともっとお聞きしたかったです。
・吃音とともに歩む、深いことばだと思いました。なんとすてきなことでしょう。
・人生の哲学を吃音から学びました。
・先日、小3の男の子がワークで、「あなたにとって吃音が治るとはどういうことですか」の質問に、三択で答える形式で、「吃音があっても、やりたいことをやり、言いたいことを言う。吃音にしばられない状態」に○をしていました。教師という立場上、子どもに何か教えてあげなければならないと思いがちですが、たとえ子どもであっても、相手をリスペクトしながらつきあうべきだと再認識しました。
・自分が吃音だと分かった最初の頃は、吃音のことが嫌でしょうがなかったけれど、今は悪い風に感じなくなった。逆に吃音のおかげで出会えた人がいるのでよかったと思っている。
・伊藤さんの話を初めて聞きました。本を読んでも分からないことがたくさんありましたが、実際聞ける機会があり、ありがたかったです。
・吃音は、ひとりひとり皆違うので、「一般的に」は、学習(基礎知識として)話題にするものの、もっと深く、その人の考え方、思い、価値観を対話して理解していくこと、対話をしてもいい相手として受け入れてもらうことを大事にしたいと思います。ひとりひとりのことを理解していきたいです。今日は、たくさんのエピソードが心に残りました。吃音についてもっともっと学びます。
・「吃音は神様からのプレゼント」という小学生のことばがとてもしっくりきました。ストレスを自分なりの力で乗り越えることは豊かな人生を送ることにつながる、ストレス課題は、人それぞれということと理解しました。
・来てよかったです。仕事上も、自分が生きる上でも、視点をいただきました。これからも励みます。
・社会の理解がとても大切だと思っている。特に教師に理解をすすめなければと思う。どもっていいのだという考え方がもっと広がるといい。健康生成論、これからの社会に大切な考え方だと思う。多様な人が認め合って生きていくことにつながると思う。合理的配慮について、本人の意思を大切にすることを忘れてはいけないと思った。


 午後5時、終了予定時刻ぎりぎりに終わりました。台風17号の影響が出始め、風も強まってきました。帰りの電車が運休して、大変だった人もいるようです。それでも、行ってよかったと言ってもらい、うれしかったです。

 終わってから、家田さんのその仲間で、懇親会を持ちました。少数派としての覚悟と、それでも信念を持って生きていくことを確認できた、いい時間でした。

日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2019/10/13

そのままを認めてもらえないと、人は前に進めない


吃音講演会・相談会inにいがた
  〜懐かしい出会い、新しい出会い〜


 きつ音セルフにいがたの設立満4年を迎えた家田さんの思いを紹介しました。家田さんと一緒に、その設立に関わり、活動を共にしているのが、川瀬さんです。
 先日の吃音講演会・相談会にも、もちろん参加されていました。川瀬さんにお会いするのは初めてです。初めてですが、そんなことを感じさせない、同じにおいのする親しみを感じました。川瀬さんも、「かおなじみ」というニュースレターの巻頭言に、文章を書いておられます。揺れ動きながら、この道を行くと覚悟を決める少数派の潔さを感じさせる文章です。

 講演・相談会が終わってからの懇親会には、家田さんと川瀬さんの他に2名が参加しました。一人は今回初めてお会いする人でしたが、もうひとりの小浦方さんとは、懐かしい再会でした。小浦方さんのことは、珍しい名前だということもあって、よく覚えています。小浦方さんは、「鉢伏の大会、よかった。あそこで、そのままの自分、どもる自分を初めて認めてもらえたように感じた。楽しかった」と何度も繰り返しました。鉢伏の大会というのは、第8回の言友会の全国大会で、兵庫県の山奥の鉢伏高原で開催した、「吃音を治す努力の否定」を出すための議論をする大会でした。思い切った問題提起をするために、あえて交通の不便なところで、それでも参加したくれる人たちと深い議論がしたいと考えて選んだ会場でした。あのときの出会いがあるから、今の自分があると断言された小浦方さんのことばを聞いて、僕は、「吃音をそのままに認めて生きる」ことをブレずに、ひとつの道を歩き続けてきてよかったなあと思いました。
 初めての出会い、懐かしい出会いの入り交じった新潟での講演会でした。

 川瀬さんの巻頭言を紹介します。

   
一つの過ぎ去りし後悔
                              川瀬裕夫

 私には今でも悔いの残っている出来事がある。それは26年前の父の死に拘っている。父は70歳で亡くなったが、その通夜の席と葬儀での参列者への挨拶が、そのとき私が立ち向かわなければならない難問であった。
 父の仕事柄のせいか、通夜も葬儀も、参拝者はかなりの人数であった。私はその頃吃音の一番きつい時期でとても人前で挨拶などできないであろうと考えていた。人前で話す自信が全くなかったのである。
 通夜振る舞いの時のことだ。私が一人一人に飲み物を注ぎ回っていたとき、客席からひそひそ話が聞こえてきた。父は私の吃音についてかなり悩んでいて、同僚に私の吃音のことを話していたらしい。私が近づくと急に話が止まった。そのとき私はにわかに居たたまれない気持ちに襲われた。
 そして一夜が明け、葬儀が行われた。葬儀の挨拶は結局、従兄弟に代役を頼み、彼は快く引き受けてくれ、立派な挨拶をしてくれた。それ故に、私は自分がとても歯がゆかったし、情けなかった。自分で自分が許せなかった。しかしどうしようもなかった。全てが終わった後に近親者のみ食事を共にしたのだが、その席上で突然母方の叔父が、「挨拶に代役を立てたのはまずかったなあ」と、聞こえよがしに言っていたのには閉口した。その叔父をいっときは恨みもした。このことで私は二重に落ちこんだものである。この二つの出来事が、今も苦い気持ちとして残っている。
 そしてその葬儀の晩のことである。仏壇を置いてある部屋、仏間の梁に父の遺影が掛かっていた。その父の顔が私への怒りにも似た顔に私には感じられた。父の気持ちが乗り移ったかのようであった。あれは父自身からの私へのメッセージだったのだろうか?「不甲斐ない男になるなよ!」という意味合いの。不思議なことにその時は実際そのように見えたのである。そして恐れにも似た感情を覚えたものであった。
 それから数年後、身内の親戚だけで7回忌を行ったが、そのときはようやく自分で納得できる挨拶をすることができた。その頃は自分の吃音は自分から吹っ切れていたのだろう。葬儀のときに代役で挨拶してくれた従兄弟も、「とても良い挨拶だった」と言ってくれた。
 今にして思うのだが、死者は死者として存在し、今も生き続けているのではないか、と。そして今の私は、あの頃とは違い、吃音を活かしつつ前向きに生きる覚悟ができている。過去の悔いを活かすことができたのかもしれない。

    「かおなじみ」 きつ音セルフ新潟 2019年7月15日 第45〜46合同号

吃音の本流を生きる

 吃音講演会・相談会inにいがた
   私たちはひとりではない


 今、旅の途中です。大阪を出て新潟に寄り、そのまま長期旅行中です。そのため、なかなかブログが更新できずにいました。旅も後半に近づき、そろそろ再開しようと思います。

 新潟に、「きつ音セルフにいがた」という会があります。新潟のどもる人のセルフヘルプグループの設立当初からの主要なメンバーでありながら、「吃音を治す・改善する」ことから脱却できない会のグループの方針にはついていけないと退会し、「吃音のまま生きよう」という僕たちの方針に近い会を、家田寛さんとその仲間の人たちがつくりました。家田さんは、僕の古くからの友人であり、その人柄もよく知っていますので、何とか力になりたいとは考えていました。

 僕は、この秋の旅行を新潟方面にしました。そして、家田さんに、「きつ音セルフにいがた」の定例の会に参加するか、何かイベントをしませんかと問い合わせをしたのです。そうして、実現したのが今回のイベントでした。
 どもる人、どもる子どもの保護者だけでなく、ことばの教室の教師など、40名ほどが参加しました。そのイベントの開催にあたり、家田さんたちが発行している会報の一面に、家田さんの文章がありました。僕は、そこに、少数派でいることの誇りのようなものを感じました。僕たちも極めて少数派で、「吃音を治す・改善する」の多数派になることはありませんが、「吃音と共に生きる」が「吃音の本流」だとの誇りがあります。
 思いを同じくする人が少なからず全国にいて下さることはうれしいことです。
 その文章を紹介します。


             
設立満4年に
                               家田寛

 早いもので、私が仲間と共に前の吃音セルフヘルプグループを退会し、「吃音のまま生きよう」という考えのもとに当会を新規に設立して、今年の9月で満4年となる。規模は小さいながら、例会は年11回行い、会報も遅れ気味ではあるが、ほぼ隔月には発行してきた。いわば、「吃音の窓」は8月以外毎月開け、メッセージも隔月若しくは3ヶ月に一度は届け、辛うじて吃音セルフヘルプグループの役割は果たし得ているとは自負してきた。しかし、私たちの考え方を少数の吃音者にのみ伝えるだけでは、浸透させる意味からも、また啓発の意味からも、不十分である。何とかしなければ、と思っていたところへ、日本吃音臨床研究会の伊藤伸二さんよりイベントの話が持ちかけられた。
 私たちだけではできない、しかし、伊藤さんに協力していただけるならできるかもしれない、という完全に他力本願の域で、「吃音講演会・相談会inにいがた」の企画をスタートさせた。当会側の動くスタッフは2名、険しいスタートではあったが、私たちの吃音への考え方と同じく、ありのままの姿で一歩一歩進ませていこうと、スローなスタートではあったが進ませ、今、何とか形が見えてきたかな?というところまで来られたように思う。
 今回のイベントは、主催が当きつ音セルフにいがたと日本吃音臨床研究会、後援には新潟言語障害児懇談会さんにお願いし、さらに新聞社の後援には新潟日報社、朝日新聞新潟支局、毎日新聞新潟支局、読売新聞新潟支局にお願いした。
 内容は、伊藤伸二さんの講演、テーマは「吃音を生き抜くために」。その後質疑応答を経て吃音相談会に。このテーマも「吃音を生き抜くために」。個別相談ではなくオープンで行う。どんなイベントになるか見当もつかないが、少しでも私たちの考え方が理解され、支持されたらいいと思う。
 今回のイベントの目的は当会を発展させることではない。また当会の会員を増やすことでもない。私たちの考え方そのものを吃音者に、社会に浸透させ、啓発していくという目的の一歩を踏み出すことである。この目的の一歩を踏み出し、多くの吃音者に、社会の人々に、「吃音でも話は通じる」、「どもっても伝えることはできる」と、堂々と主張していきたい。そしてさらに一人一人の吃音者が異口同音に主張することにより、吃音に対する半ば固定観念的なものが徐々に崩れ、吃音者が周りに気を遣わずに生きていける世の中になっていくものと、強く信じるものである。
             「かおなじみ」 きつ音セルフにいがた 2019年9月1日 第47号
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