伊藤伸二の吃音(どもり)相談室

「どもり」の語り部・伊藤伸二(日本吃音臨床研究会代表)が、吃音(どもり)について語ります。

2018年05月

爽快感を予感させる『どもる体』

これまでとは全く違うタイプの吃音の本が出版されました。紹介します。

 昨年1月9日、東京渋谷のロフト9で、上映&トークショーが行われました。オープニングは、スキャットマン・ジョンの映像と音楽、その後の映画は、アメリカのどもる青年、マイケル・ターナー監督の『The Way We Talk』。2つの映像作品の後で、「ちょいワルおやじたちの「私は“私”の生き方」トーク〜自分に向き合うこと、「私は“どもり”」から「私は“私”」まで〜のトークショーでした。このユニークなイベントは、僕たちの仲間である「スタタリング・ナウよこはま」が企画・主催しました。ビールやワインを傾けながら、映画とトークショーを楽しみました。そのときトークショーでご一緒した医学書院の編集者である白石正明さんが、シリーズ<ケアをひらく>の『どもる体』を送って下さいました。伊藤亜紗さんが書かれた本です。
どもる体_0001
 まず、目に入ったのが表紙の絵。とてもユーモラスでおもしろいのに、引きつけられました。そして、その表紙には、こんなことばが書かれていました。

  治る/治らない とはまったく別のところから迫る身体的吃音論

  楽に話せば連発だ。
  意志を通せば難発だ。
  言い換えすれば自分じゃない。
  リズムに乗れば乗っ取られる。
  とかくしゃべりは窮屈だ。

 著者の伊藤亜紗さんのプロフィールは、次のとおりです。

東京工業大学リベラルアーツ研究教育院准教授。専門は美学、現代アート。もともと生物学者を目指していたが、大学3年次より文転。東京大学大学院人文社会系研究科美学芸術学専門分野博士課程修了(文学博士)。研究のかたわらアート作品の制作にもたずさわる。
主な著作に『ヴァレリーの芸術哲学、あるいは身体の解剖』(水声社)、『目の見えない人は世界をどう見ているのか』(光文社)、『目の見えないアスリートの身体論』(潮出版社)、参加作品に小林耕平《タ・イ・ム・マ・シ・ン》(東京国立近代美術館)など。趣味はテープ起こし。インタビュー時には気づかなかった声の肌理や感情の動きが伝わってきてゾクゾクします。

 あとがきの1行目に、伊藤さんは、このように書かれています。

「なんだか後出しジャンケンみたいになりますが、私自身にも吃音があります」。

 ご自身の体験と、それだけではなく、たくさんのどもる人にインタビューされて、この本ができあがったそうです。そのインタビューを受けた人の中に、僕の知っている人がいました。大阪吃音教室の仲間である藤岡千恵さん、昨年の新・吃音ショートコースや今年の東京ワークショップでご一緒した山田舜也さんです。
 伊藤亜紗さんは、同じようにどもる当事者ですが、経歴からしても、僕とは全く違う切り口で、どもりを、吃音問題を扱っておられます。僕にとっては、とても新鮮で、刺激的で、興味が広がります。

 『どもる体』が届いてすぐに、白石さんにお礼のメールをしました。「まだ読んでいませんが、これまでになかった切り口での、爽快感のある本、そんな予感があります。その予感が当たっているか、読むのがとても楽しみです」と書いて送ったら、すぐに白石さんから返事がきました。そこには、「あ、よかったです。爽快感、たしかにそういうものを目指していたと思います。(こういうのは言われないと気づかないですね)どうぞ、ゆっくりと読んでいただければと思います」と書いてありました。
 渋谷のロフトで初めてお会いしたとき、楽屋で、実は白石さんもどもるとお聞きしました。また、先日、このブログでも紹介しましたが、朝日新聞に大きく取り上げられていた白石さんの記事の中にも、「軽い吃音がある」と紹介されていました。そんな白石さんから送っていただいた『どもる体』、今は、自分の本の原稿『どもる子どもとの対話−ナラティヴ・アプローチからの接近(仮題)』の最終編集中で、読めていないのですが、とても楽しみです。

 興味のある方にぜひ、と思い、紹介させていただきました。

日本吃音臨床研究会会長 伊藤伸二 2018/05/31

やっと原稿を書き上げました

やっと原稿を書き上げました

 ナラティヴ・アプローチをテーマにした本を執筆中ですと、このブログに書いたのはいつだったか、書きたいことは明確で、普段書いていることなのに、悪戦苦闘しています。何度も何度も読み返し、読み直し、ことばを吟味し、言い回しを工夫し、執筆・編集の産みの苦しみを味わっています。紙面に限りがあるため、なおさらです。

 出版の話が降ってわいたのは、昨年の7月、国重浩一さんのワークショップの記録を年報として発行したときでした。そのときには、あくまでも年報であって、書籍としての出版は考えていませんでした。ところが、国重さんの方から出版しませんかと声をかけていただき、うれしく、是非とお答えしましたが、内容は明確には見えていませんでした。
 国重さんが、ナラティヴ・アプローチのワークショップのために、ニュージーランドから来日されるのに合わせて打ち合わせをし、吃音を生きる子どもに同行する教師・言語聴覚士の会のみんなと合宿をしたりして、少しずつ形が見えてきました。

 今年に入ってからは、2月の東京ワークショップの前に合宿、3月の千葉での吃音親子キャンプの時に打ち合わせ、4月にまた合宿をしました。その間、メールは、深夜まで飛び交いました。そして今、5月が終わろうとしていますが、なんだか2月、3月、4月、5月があったような、なかったような、長い一月だったような、そんな不思議な気分です。どうしてもブログまで手が回らず、長い間お休みしていました。

 大好きな高倉健さんに似て、本当に不器用なため、僕は、ひとつのことが始まると、他のことがおろそかになります。でも、日常は続いているため、なかなか進みませんでした。気分転換のための小旅行も組んでいるのですが、常に頭には原稿のことがありました。

 ジョギングする寝屋川公園やマンションの、桜がつつじに変わり、そして今、紫陽花に変わりました。季節の花々は、時を忘れず、必ずその時期になれば花を咲かせます。自然の営みの律儀さ、几帳面さに、改めてすごいなあと思います。
紫陽花1紫陽花2紫陽花3
 
 やっと原稿は、書き上げました。最終の編集も大詰めを迎えました。完全な開放感を味わうまでもう少し、がんばろうと思います。
 今年の夏か秋には、本屋の店頭に並ぶと思います。とても良い本になったと確信しています。出版されましたら、また報告します。
 
 明日から、専門学校で吃音の講義が始まります。6月から秋にかけてはスケジュールがびっしりです。74歳になって、まだまだしたいこと、しなければならないことがあるのは吃音のおかげです。いくら感謝してもし足りないくらいです。

日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2018/5/29

竹内敏晴さんから学んだ、からだとことばのレッスン

竹内敏晴さんから学んだ、からだとことばのレッスン

 1999年2月11日、吹雪と雨の悪天候の中、竹内敏晴さんの大阪でのレッスンの旗揚げとなる講演会が應典院で開かれました。この天候では参加者は少ないだろうと思っていたのですが、予想をはるかに超える185名の参加がありました。

 それから、2009年7月まで、毎月第2土・日に、日本吃音臨床研究会が主催して、「竹内敏晴・からだとことばのレッスン」が続きました。この間、多くの人が集いました。レッスンの場は、自分に気づく場であり、緊張する場で自分を支え、表現する場でもありました。研究会の主催だったこともあり、大阪のレッスンには、たくさんのどもる人も参加しました。多くのことを教えていただき、竹内さんと濃密な時間を過ごしました。

 竹内敏晴さんは、一時期、病気で耳が聞こえず、そのため歪んだ発音しかできなかった経験をお持ちで、最後まで、どもる私たちのことを仲間と思って下さり、大阪吃音教室の外部講師を長年して下さいました。吃音親子サマーキャンプでする芝居のシナリオを書いて、演出指導もして下さいました。その竹内さんが亡くなられたのは、2009年9月7日でした。

 竹内さんが亡くなられてからも、大阪吃音教室の講座で、「ボイストレーニング」を続けています。どもることは変えられなくても、相手に向かってからだを開き、伝えたいことばを届けたいとの願いから生まれた、どもりを治すためではなく、日本語を話す人としての日本語のレッスンです。これは、ことばで苦労してきた私たちだからこそ、取り組みたいことです。

 6月3日の吃音を考える会は、その「ボイストレーニング」のロングバージョンとして企画しました。講座名は、「竹内敏晴さんから学んだ、からだとことばのレッスン」です。いつもの大阪吃音教室より長い時間を使って、からだを動かしたり、ことばについて考えたり、歌を歌ったりします。声を出す楽しさ、喜びを、みんなで味わう時間になればと思っています。
 
 どもりたくないからといって、下を向き、早口でぼそぼそと話していては、相手には伝わりません。日本語は、「ん」以外の音にはすべて母音がついています。母音をしっかり押し、一音一拍を意識して、声を出してみましょう。
 竹内さんから学んだ「からだとことばのレッスン」を、体験してみませんか。

 昨年の「竹内敏晴さんから学んだ、からだとことばのレッスン」の様子が、You Tubeで公開されています。日本吃音臨床研究会のホームページの「吃音の動画」のバナーから、また大阪吃音教室の動画からも、You Tubeの動画を見ることができます。

日時  2018年6月3日(日)10:00〜17:00
会場  應典院B研修室
服装  動きやすい服装、スカートは避けていただいた方がいいでしょう。
持ち物 長い時間になり、からだを動かし、声も出します。飲み物を各自ご用意下さい。昼休みは1時間とります。
参加費 大阪スタタリングプロジェクト・日本吃音臨床研究会会員は300円、
     未会員は1000円。
初参加者は、資料代として、別途1700円が必要。

日本吃音臨床研究会会長 伊藤伸二 2018/05/10

つかの間のひととき、リフレッシュしました

今年のゴールデンウィーク  伊賀と野崎観音

 世の中は、ゴールデンウィーク。人によっては、9連休の人もいるとか、ニュースで聞くと、なんだかうらやましくなります。毎日が日曜日のはずなのに、ですが。

 毎年、ゴールデンウィークは、伊賀で過ごすことが多いです。高速道路の渋滞に巻き込まれるのは嫌なので、道があまり混まない伊賀路を選びます。新緑がきれいです。
 ツツジで有名な余野公園に行ってきました。大阪より遅いようでした。ツツジの種類も、よくあるヒラドツツジではなく、色がオレンジ系のヤマツツジでした。
余野公園 つつじ1余野公園 つつじ2余野公園 つつじ3
15000本以上が自生しているそうです。5月の第2日曜日にはつつじ祭りが開催されるとのことでした。その公園の中にあるコーヒーショップ「アゼリア」で休憩しました。野鳥がたくさん来ています。野鳥の種類を知らないので、全部、野鳥とひとくくりなのですが、えさも置いてあって、野鳥の天国のようでした。お店に置いてあった写真集を見ると、リスやキツネ、タヌキ、テン、シカも来るそうです。
 翌日は、もくもくファームに行きました。新鮮な野菜がたくさん並べられています。野菜が大好きな僕は、たけのこ、レタス、サニーレタス、しめじ、春菊、ほうれん草、トマト、いちごなど、たくさん買ってきました。しばらく、家に缶詰状態になるので、これらの野菜はありがたいです。
 新緑が鮮やかな伊賀へのショートトリップ。パソコンを持ち込んでの小旅行でしたが、気分が変わって、いいものです。

 なかなか進まない執筆作業の日が続いています。
 ちょっと息抜きに、電車で3駅のところにある野崎観音に行ってきました。5月1日から8日まで、野崎参りで一番賑わうようです。
 ♪ 野崎参りは、屋形船でまいろ
   どこを向いても 菜の花ざかり
   粋な日傘にゃ 蝶々もとまる
   呼んで見ようか 土手の人 ♪ の野崎観音です。
 近いのに、最近はあまり行っていなくて、久しぶりでした。野崎の駅を降りると、すぐに露店が並んでいます。参道も、人、人、人、人でいっぱいでした。びっくりです。
野崎参り 参道野崎参り 看板
 だらだらと参道を歩き、急な階段を上ると、野崎観音に到着です。境内の後ろでは、三重県から来たという76歳のマジシャンが、得意のマジックを披露していました。
 時代が少し逆戻りしたかのような錯覚を覚える時間でした。
 短い時間でしたが、気分転換になりました。
 さて、また、エンジンをかけてがんばります。

日本吃音臨床研究会会長 伊藤伸二 2018/5/6

どもる 私たちが活かしたい絶妙の間

柳家小三治・柳家三三親子会

 5月に入りました。
 年末年始を玉造温泉で過ごしたのがついこの前のように思うのに、もうすでに1年の3分の1が終わってしまったことになります。ちょっと恐ろしいくらいです。
 年末、玉造温泉にいるときに、新聞で「柳家小三治・柳家三三親子会」の案内をみつけ、4月19日のチケットをとりました。まさか4月、本の執筆でかかりっきりになっているとは、年末には全く想像できなかったことでした。忙しさの真っ最中ですが、せっかくとったチケットです。京都のロームシアターに行ってきました。
 4月19日は、いい天気で、普段なら、せっかく行く京都なので、落語会だけではなく、プラスαでどこかに寄るのですが、さすがに今回は、落語会のみにしました。昨年も、この「柳家小三治・柳家三三親子会」には行きました。
小三治・三三親子会1
 落語家で好きなのは、立川志の輔と、柳家小三治です。落語の案内をみつけたら、できるだけ行くようにしています。小三治の、とぼけたような、独特の話し方、間の取り方が、なんともいえない雰囲気で、いいのです。僕が、落語を好きになったのは、いつ頃からなのでしょうか。
 「山のあな、あな、あな、…」という三遊亭圓歌は、自分のどもりを生かした落語を作りました。僕の父親が謡曲の師匠だったことも影響していると思います。ことばに悩んできたので、ことばを扱う芸に人一倍惹かれるのかもしれません。
小三治・三三親子会 舞台小三治2小三治・三三親子会 舞台小三治
 たくさんの人が出る芝居と違って、落語は、舞台上にいるのは、落語家ひとり。扇子と手ぬぐいのみの小道具で、話の世界を作り出します。その話芸の奥深さに心惹かれます。
 ロームシアターでの演目は、三三が「高砂や」で、小三治は「長短」と「死神」でした。
 小三治は、まくらの小三治と言われるくらい、まくらが長くて有名です。前回は1時間以上雑談のようでした。他の落語家なら聞けないと思うのですが、小三治の場合は、とても味があっておもしろかったので、今回も古典よりもむしろまくらを楽しみにしていたのですが、残念でした。今回はまくらはほとんどなく、まじめに落語をしていました。「長短」の「長」の語り方は、小三治ならではのものでした。
小三治・三三親子 演目
 しばし落語の世界に浸り、つかの間の休憩になりました。

日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2018/5/2
Archives
livedoor プロフィール

kituon

QRコード(携帯電話用)
QRコード