伊藤伸二の吃音(どもり)相談室

「どもり」の語り部・伊藤伸二(日本吃音臨床研究会代表)が、吃音(どもり)について語ります。

2012年11月

群馬吃音キャンプ 5 幸せなどもり

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群馬のキャンプおもしろい企画があります。おわりの集いで、
子どものひとりひとりが舞台に立つのです。昨年は手品でした。今年は、自分が作ったストーンペンティングの紹介です。どの点を工夫したか、これを誰にプレゼントするかを一人一人が紹介していくのです。私も、ひとつプレゼントしていただきました。机の前に飾っています。P1020113
 最後の私の挨拶です。「6月の島根のキャンプから始まった、私のどもる子どもたちとの、吃音キャンプは、7月に隠岐の島、8月は岡山と、滋賀、10月は静岡と続き、この群馬で終わりです。この年になって、(68歳)になって、子どもたちと毎年出会えるのは、どもり冥利につきます。世界一幸せなどもりです」。このような話をしました。
 21歳までの、吃音に深く悩んで「なんて、僕は不幸せなんだ」と思っていた頃を思えば、こんなに幸せな時代が来るとは思いもしませんでした。たくさんの人と出会い、いろんな話ができる。「伊藤さんと出会ってよかった」と言っていただくことも少なくありません。今は、本当にどもりに感謝しているのです。
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 日本吃音臨床研究会 伊藤伸二 2012/11/28

群馬キャンプ 4 子どもがどもっている時の 親の聞く態度


 親との座談会 

 朝食後は2時間30分の親のみなさんとの座談会です。
 今年は参加者が多かったので丸くなるとこのようになりました。講演会で疑問に感じたこと、子育てで困っていること、将来への不安などが次から次へと途絶えることなく出されました。私は講演会よりも、このような形で、何でも自由に質問していただくことが大好きです。

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 たくさんの話題が出されて、最初は親から出されたことがらに、私が答えていくという、一問一答形式のようだったのですが、そのうち、お母さんや、お父さんもどんどん発言するようになり、親と子どものすばらしい関わりを聞くことができました。たくさんあった話題の中から一つだけ紹介します。

 子どもがかなり苦しそうにどもっている時、親としてどう聞けば良いか。これはいつも出されるテーマですが、前日の懇親会で、ちょうど小学3年生の親が3人私を囲んで話すかたちになりました。その時の話題が、座談会でも別の親から出されたので、みんなの共通のものとして話すことができました。

 これまで、いろんな相談機関などで「子どもか、いくらどもっていても、しっかりと最後まで聞いてあげて下さい」と言われて、子どもが苦しそうにどもっていても、内心はこちらも苦しくなっても、我慢して最後まで聞こうとしていたと前日の3人の親が口をそろえていいました。

 このようなことが未だにいわれているのです。子どもの話を最後までしっかり聞くは基本的には正しいのですが、本当にひどくどもって苦しそうな時も、じっと最後まで聞くのは、子どもはつらいです。
 言おうとしていることが親としてわかったら、「お母さんの想像では、何々がいいたいのかなあ」「何々なの?」手伝ってあければいいのです。声が出ないときは、あせってなかなか出ないものです。そのような状態になっても、親に何かを伝えたい、この気持ちがうれしいです。
 そうして「うん」と言えば当たっていたいたし、「違うよ」と言えば待てばいい。その時、ひと呼吸しているので、次は言えるかもしれません。

 「さっき、お母さんが想像して先回りしていったけれど、嫌だった? それともよかった?」
 このように、子どもに確認することが大事です。「分かっても言わないで、最後まで聞いて欲しい」と子どもが言えば、「ゴメンゴメン、これからは、どんなにどもっていても最後まで聞くからね」と言えばいい。子どもも、親もこの状況を共有していると、口に出さないで「つらいだろうなあ」と思いながら、我慢して聞くのとは違うだろうと思います。これまで経験したほとんどの場合は、子どもは、「分かっているなら言って欲しい」と言いました。

 子どもも困り、親もどうしていいか困っている。そんなときは、正直に、率直に、対等の立場で子どもに相談して、どうして欲しいか教えてもらえばいいのです。それは、吃音を否定し、どもってはいけないというこには結びつかないと思います。ひどくどもっている時は、子どもはしんどいのですから、この話し合いで、声がでないことを、しんどいことを親が分かってくれていることになります。

 多くの親は、この話で「そうか、分かっていたら言ってあげてもいいのか」とすごく安心します。「これをしてはいけません。こうすべきです」が、金科玉条のように例外なく信じられると、これらが、子どもも親もつらくしているのです。

 2時間30分はあっという間に過ぎました。いろいろと話すことはあるのですね。

 日本吃音臨床研究会 伊藤伸二 2012/11/28


 

群馬吃音キャンプ 3 翌日のプログラム

 朝起きたら赤城山がきれいでした。

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前日は冷たい雨が降っていたのが、翌朝は晴天。警視庁が200人ほどが研修していて、合同の朝の集いです。P1020102
 全員の前で挨拶があると思って用意していた子が、警視庁のパホーマンスのためか忘れられ、私たちのグループで用意した挨拶をしました。
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 赤城の山の上は紅葉は終わっているのですが、自然の家周辺は見頃でした。

 朝食の後は、2時間30分、私を囲んでの保護者の話し合いです。昨年は、吃音そのものよりも、子育て全般についての悩みがだされて、一般的な子育ての話が中心で、アドラー心理学の子育てについて話しましたが、今年は吃音が直接的なテーマになりました。

 日本吃音臨床研究会 伊藤伸二 2012/11/26

群馬吃音キャンプ 2  中学生・高校生・大学生の話し合い

 面接が心配

 保護者の方には講演会がありますので、私のことを知ることができるのですが、小学生とは話す機会がないので、夕食後の時間に、TBSの番組「ニュースバード−特集・吃音」を見て下さっています。「吃音を知ろう」のこのプログラムでは。伊藤伸二について知ってもらうのと、子どもたちが話し合うシーンがあるので、吃音を考えるいい、教材になっているようです。その後は、群馬では恒例になっている「どもりカルタ」。

 群馬にはカルタの文化があるので、今年もカルタは盛り上がっていたようでした。日本吃音臨床研究会発行する、DVDや、「学習・どもりカルタ」を、このようなキャンプの場で楽しんでいただけるのはとてもありがたいことです。保護者もどもりカルタに参戦していきます。

 中学生以上の子どもとは、「伊藤さんと話そう」のコーナーです。4回目の子も、3回の子も、初参加の子もいます。今年は、大学生がふたり参加していました。自己紹介の後、何か話し合いたいこと、話したいことはとの問いに、高校受験の面接が不安だとの話が出されました。私は、面接の話が大好きです。持論の「どもる私たちが、面接に成功するとは」について話しました。「たまたま、どもらずに話せたら失敗で、どもって話すことができたら成功だ」の話は、よく理解してくれました。面接は、自分が面接官から試験をうける側面もあるけれど、どもった時に相手がどのような反応をするかの試験する、相手を面接する場だとの話もよくわかってくれたようでした。

 どもったとき、眉をひそめたり、ネガティヴな反応する人間は、「この人はレベルの低い人だと、判定をしたらいい」というような、こちらが、相手の反応で、人間としての評価をすればいいとの発想は、これまで、考えもしなかったことで、新鮮だったようです。いろんな話題が出され、予定の80分ほどが、あっという間に過ぎてしまいました。

 普段、学校生活でしんどい思いをしながらがんばっている今年高校生になった女の子がが、一年に一度私に合うことを楽しみにしてくれてそうです。このキャンプで私とあってはなすことで、一年がんばれると、ことばの教室の担当者に話していたことを聞くと、「どもりでよかった」と心底おもえるのです。私も少しはお役に立てていると、うれしくなりました。その子は、別れ際にハグをしてくれました。また、来年会おうねと約束しました。島根や、岡山、静岡など、全国に、恋人がいるようで、うれしくなるのです。

 この後は、保護者スタッフとの懇談会です。

 日本吃音臨床研究会 伊藤伸二 2012/11/23 

群馬吃音キャンプ 2


 講演会

  群馬のキャンプでは、私の講演会からスタートします。スタッフの一部と子どもはネイチャーゲームで楽しんでいる間に、講演会があります。保護者とスタッフ、そして講演会にだけ参加する人たちが、毎回大勢聴いて下さいます。今年は初参加の人が多かったので、自己紹介を兼ねて、私が吃音に悩み、そこから解放されていくプロセスをまず話しました。そして、今回のテーマの、ナラティブアプローチについて話を進めていきます。

 ナラティヴ・アプローチについて話すとき、映画「英国王のスピーチ」はとてもすばらしい教材になります。
 なぜ、あの開戦スピーチが成功したか。人それぞれの解釈があるとは思うのですが、これまで、大学や専門学校で講義の前に必ず、DVDを三手の見ての感想を2000字程度で書いてもらっています。150人ほどの感想を読みましたが、多くはライオネルとの信頼関係やこれまでの言語訓練で自信がついたからだと考えています。

 それも背景にはあるのですが、一番の成功要因は、40分ほど必死に原稿を読んでれんしゅうするものの、まったくうまくいきません。すぴーちまであと10秒ほどになったとき、ジョージ6世は「結果がどうであれ、ローグ、あなたがこれまで私にかかわってくれた、努力に感謝する」とローグに感謝してスピーチを始めます。このことばの中に、「どもる覚悟」ができたことがうかがえます。

 どもる時は、どもってもいい。この覚悟ができたからなんとか、とつとつとスピーチができたと私は解釈しました。これまで、そのような解釈をした人がいなかったのですが、吃音親子サマーキャンプの時の作文の時間に、小学5年生の女の子が、作文の最後の部分でこんなことを書いていました。

 「どもりを治そうと、がんばっても、結果はおなじだったけれど、ジョージ6世は、自分は自分や詞、どもってもいいやという気持ちがあったから、最後に話せたと思いますわたしやし、どもってもいいと思えたからスピーチできたのだと思いました。最後は感動して泣きました」

 すごいですね。小学生がここまで洞察したことに本当に驚き、私の解釈は独善的ではなかったと安心しました。ジョージ6世は「どもるだめな国王」から、「と゜もっても、責任感ある、誠実な国王」へとナラティヴを変えることができた、言語訓練の記録映画ではなく、ナラティヴ・アプローチのプロセスが映画で描かれていたと私は思うのです。

 そのような話を紹介しながら、吃音の本当の問題とは何か、治っていない事実、吃音否定の物語から、吃音肯定の物語に、吃音の臨床は変わっていかなくてはいけないと、子育てに絡めて話しました。
 みなさんがしっかり聴いて下さったことが、最後にいただいた感想文で分かりました。
 話を聞いて下さり、共感して下さる。こんな幸せなことはありません。
 群馬キャンプを継続して下さるスタッフのみなさんに感謝をしているのです。
 後、子どもたちとの話し合い、保護者の話し合いについては、次回。
 
 今日から、吃音ショートコースで、ゲシュタルトセラピーについて、吃音について、3日間、いい仲間と学び、考えます。そのワークシヨツプのことはまた後日。

 日本吃音臨床研究会 伊藤伸二 2012/11/23

 写真のトップは実行委員長の佐藤雅次さんです。この人のエネギーがキャンプを支えています。

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第4回 吃音キャンプ 群馬 1


 群馬は温かく迎えて下さった。

 群馬のキャンプにいってきました。はじまったばかりだと思っていたのが、今回で4回目です。
 高崎についたら、3人が迎えて下さいました。ふたりの教師と、ひとりは今年初参加の言語聴覚士です。私の本も読んで下さっており、車の中で、いろいろと話が弾みました。私を迎えに来て下さった方は、車の中で、また昼食をとりながら、いろいろと話せるのがうれしいと言って下さいました。おいしい野菜のレストラン、歓迎して下さる人との食事は、本当にありがたいことです。

 同行して下さった言語聴覚士。初めて会った気がしませんでした。病院に勤める言語聴覚士は「治す・改善する」ことが使命だと考えている人が多いと思うのですが、私の、何冊かの本を読み、私の考えに共感して下さってのキャンプへの参加はとてもありがたいことです。彼が言うには、多くの言語聴覚士は、「治す・改善する」では、行き詰まりを感じているはずだというのです。だけど、ではどう指導すればいいのか、悩んでいるのだそうです。

 今年の夏の臨床家のための吃音講習会に、思いがけずに、20人以上の言語聴覚士が参加して下さったのは、そのあらわれでしよぅか。沖縄に呼んでいただいたのも、そのながれだとすればとてもうれしいことです。

 今、昨年の吃音ショートコースに講師として来て下さった、北海道べてるの家の、向谷地生良さんと、共著の、「吃音の当事者研究」の本の編集をしていますが、向谷地さんが、何度も、何度も、吃音の世界でも、伊藤さんの言っていることが大きく受け入れられる夜明けが近いと言って下さっていますが、昨年は、そうはおもわなかったのですが、ひょっとすると、そうかもしれないという気がしてきました。

 群馬のことばの教室の先生たちが、本当に熱心にキャンプに取り組み、今年は、これまでになく多い参加になりました。オープニングの私の講演会にも、大勢参加して下さいました。
 じわりじわりと、私たちの考え、実践が広がっていくような気がします。知った顔にもたくさん合えて、島根や、岡山、静岡のように、仲間がたくさんいる安心できるふるさとがまた、増えた実感が持てたのは、4回目という、継続の力でしょう。講演会や、親や、子どもたちのことはまた、報告します。

 日本吃音臨床研究会 伊藤伸二2012/11/20

沖縄 5 地上戦の傷は深い


 最後の沖縄レポート 

 今回で沖縄レポートは終わりにします。書き始めるとどんどん書いていきそうで、この吃音を中心としたブログの趣旨に外れていきそうです。私にとっては、吃音は最大のテーマではありますが、人間が生きるというベースでは、反戦・平和は、小学生になる前からの私のテーマです。小学入学前に観た「聞け、わだつみの声」の映画は、私に大きな衝撃を与えました。日本兵の上官が下士官を軍靴を口の中に押し込めようとしているシーン。戦地の父親の帰りを待つきょうだいの、小さな橋の小川かかる小川で「はあるの おがわわ さらさらゆくよ」の同様が、耳に残っています。どんなことがあっても、戦争はだめだ。子ども心に強く思ったものでした。

 空爆も、戦争としては大変なのはもちろんですが、自分の住む島にアメリカ兵が上陸して、戦う。地上戦のすさまじさは、平和記念館の映像や、体験記、さまざまに史跡が物語っています。戦後65年以上の歳月をへて、子どものころの戦争体験で、今なお、不眠や、うつで悩む人々がいます。
 地上戦を生き延びた、自分だけが助かったという罪悪感、妹が死に、自分だけが生き残った。そして、結婚し、子育ての大変さの中で過去の記憶を押さえ込んでいたのが、今になって記憶がよみがえって悩む人。最近のアメリカ兵の暴行事件をきっかけに、自分が子どものころに暴行されるみた記憶がよみがえって苦しむ人。

 今なお、大きな心の傷はいえることがありません。
 私を9時間も案内して下さった、タクシーの運転手さんから聞いたたくさんの悲劇を、私は決して忘れないでおこうと思います。沖縄の人々のことを、決して忘れないでいたいと思います。戦争の足音が聞こえてきたら、わたしにできる精一杯のことはしなければならないと思います。

 大勢の人で賑わう国際通りには、全国からの高校生の修学旅行生が買い物に集まってきます。ひめゆりの塔でもたくさんの高校生と会いました。その人たちの何人かでも、戦争について、平和について考えてくれる人がいるだろうと思うので、修学旅行には、沖縄、広島、長崎などを選んで欲しいと強く思いました。

 タクシーの運転手さんから聞いたたくさんの話は、とてもこのようなブログに書けるようなないようではありません。戦争が、人間を変えてしまう、信じられないことがたくさんありました。それらは、沖縄の人たちは、ごく当たり前のこととして見聞きし、伝えてきたことなのでしょう。その事実の前には、言葉を失います。

 沖縄戦に関係する本を何冊か買ってきました。それらを読んで学んでいきたいと思います。

 さあ、気持ちはずんずん沈んでいきますが、気持ちを切り替えて、今の私にできることは「どもりの語り部」として、吃音の真実を語っていくことにします。

 この週末は、群馬県、赤城の山で吃音親子キャンプです。私にできることをがんばります。
 どうしても、前回と今回のことを書かないと前に進めなかったので書きました。このような話題はパスをした人も多かったであろうと想像します。その中でお読み下さった方々に、心から感謝致します。

 日本吃音臨床研究会 伊藤伸二 2012/11/15


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沖縄 4 オキナワの怒りを受け止めて 


 私は日本一周を2回しています。一回が大学4年生の時の3か月の旅でした。北は礼文島・利尻島から、南は沖永良部や与論島までの旅でした。当時はオキナワは返還されておらず、パスポートが必要でした。最南端の島として、与論島で1週間ほどいて、オキナワを見ていました。
 激しい学生運動には、生活のためのアルバイトで参加できず、心情的には応援していました。「オキナワを返せ」のデモには参加したことがありました。旅行が好きなのに、沖縄は今回が初めてです。沖縄に行ったら一番に戦争に関係する所へ行きたいと思っていました。ホテルから、専門学校へはタクシーですが、その道中で、明日は一日空くので、普天間基地や嘉手納基地、ひめゆりの塔などに回りたいがどうしたらいいか相談しました。レンタカーで回るのもいいが、よかったら格安で案内してもいいと運転手さんが言って下さいました。

 朝の9時から夕方の6時まで、行けるところを案内して下さいました。ガイド資格も持っていて、ノートに勉強したことが書いてあり、車の中、施設をみながら詳しく説明して下さり、レンターカーでただ見て回るだけでは得られない、沖縄の人たちの怒りや、苦悩をたくさん話して下さいました。

 詳しくは書きませんが、嘉手納基地の広大な広さ、ものすごい爆音、この中で過ごさなくてはならない、怒りや苦悩を身近に感じることができました。高台からみた、普天間基地には本当に驚きました。テレビの映像ではみていたものの、本当に住宅密集地に、ぽっかりと飛行場のような基地があるのです。爆音のすごい軍用機が飛び交う中での過酷な生活を、本州にすむ私たちはもっと想像すべきだと思いました。なぜ、この地にあのような基地があるのか、基地の周りに人が住むようになったとアメリカはいうのでしょうが、しんじられません。反対する危険なオスプレイも配備され、沖縄の人たちの叫びはすべて虫です。

 沖縄の地元紙は連日アメリカ兵の暴行事件を大きく掲載しているのに、本州では報道されるものの、その扱いはまったく違います。沖縄の人の犠牲の上に成り立つかりそめの平和。タクシーの運転手さんから聞いたたくさんの人々の生活や、体験。9時間に及ぶオキナワ体験はあまりにも強烈でした。
 軍用機が何度も飛来し、爆音は耳にしっかりと記憶されました。次回はひめゆりの塔や対馬丸を。

 日本吃音臨床研究会 伊藤伸二 2012/11/13



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第4回 吃音キャンプ群馬での講演会の案内

 11月17日〜18日 群馬で第4回のキツオンキャンプがあります。
 キャンプの参加者だけでなく、誰でも参加できる講演会があります。よかったらご参加下さい。
 もっと早くブログで紹介するつもりでしたが大変に遅れてしまいました。
 日本吃音臨床研究会 伊藤伸二 2012/11/12

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沖縄 3 地震・津波訓練


 11月5日 リハビリテーション学院の講義の当日、沖縄全県で地震・津波の防災訓練がありました。もちろん、その時は講義は中断です。「地震が発生しました」の合図で、全員が机に身を隠します。しばらく机の下に身を伏せて、今度は「津波が来ますので、高台に避難して下さい」の指示で、下駄箱で靴に履き替えることなく、全員スリッパのまま、学院の裏手の山に避難です。

 あの、3・11の時の何度も目にした映像が浮かんできます。
 私は普段1万歩歩いたり、ジョギングをしていますので、この程度の高台はなんともありませんが、高齢者や障害のある人は大変だろうと思いました。あのときも、実際の津波が迫ってくる中での高台への避難は、想像を絶することだったろうということは思います。学院の1000人ほどの学生が一斉に避難ですから大変です。駐車場の広場で人員が点呼され解散です。走りながら、集まりながら、私は、津波で亡くなった阿部さん親子のことをずっと考えていました。

 講義が再開され、私は吃音親子サマーキャンプに宮城県、女川町から、4人家族で参加した阿部さんのこと、父と妹は助かったが、母親と、どもる中学3年生の莉奈さんが亡くなったことを話しました。キャンプに彼女が小学6年生の時参加し、話し合いのグループの時の様子や、その後の様子を話しました。彼女が不登校になってやっとの思いでキャンプに参加して、話し合いで元気になり、翌日の作文の時間に書いた作文を読み上げました。

 阿部さんは、思春期を乗り切り、仙台の高校に進学が決まっていました。高校生活に夢を膨らませていた、3・11に津波が二人の命を奪ったのです。彼女の書いた作文は、彼女が生きた証として、私が決して忘れないとの思いを込めて、必ず、講演や講義などで紹介していこうと決めました。

 津波の、全県的な避難訓練の後だけに、格別の感慨がありました。
 日頃から、常にこのような防災訓練や防災意識は、海岸沿岸にすむ人たちには欠かせないと、強く思ったのでした。この日の沖縄の海はとても穏やかでした。

 日本吃音臨床研究会 伊藤伸二 2012/11/11

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