このブログにもよく登場する落語家の桂文福さん。出会いのきっかけは、今、紹介しているNHK番組「にんげんゆうゆう」でした。その番組を録画しておいて、旅から帰った文福さんに見せた息子さん。文福さんは、録画を見てすぐに僕に連絡をとってくださいました。そのときいただいたお便りを「スタタリング・ナウ」で紹介したいと依頼したところ、快諾いただきました。(「スタタリング・ナウ」2000.8.15 NO.72)
 このときのお便りには、〈29年もこの世界でメシを食い〉とあります。番組は2000年6月だったので、それから22年経っています。文福さんは、51年間、落語家としてがんばってこられたことになります。2週間ほど前のブログで紹介しましたが、文福さんとの出会いに感謝し、これまでの文福さんのがんばりにエールを送るため、来月4月3日、天満繁昌亭での「古希おろしの会」に行ってきます。

 
落語家の道に飛び込んで
                               桂文福

 暑中お見舞い申し上げます。我々は「笑中お見舞い」となりますが、お元気でご活躍のこと、心強く思います。
 私は落語家の桂文福と申します。先日、テレビを見せていただきました。仕事の旅に出ておりまして、帰ってきましたら、家族がビデオをとってくれていました。
 実は私も小さい頃から「どもり」でした。本名がノボルなのに「ドモル」と呼ばれたりしました。でも、相撲や柔道で身体を使って発散していましたのであまり気にはしませんでした。こんな私が「話芸」といわれる落語家になり、しかも29年もこの世界でメシを食い、弟子も数名かかえて、落語家を職業として家族を養っていけてること自体、時に不思議に感じます。
 私は落語どころか人前でしゃべるのも苦手で対人恐怖、赤面症でした。それだけに一人でしゃべって多くの方を笑わせ、泣かせ、感動させられる落語にものすごくあこがれ、聞くことが大好きでした。(もちろん、田舎なのでラジオ、テレビ等で…)
 でも、大阪に印刷製本工として出てきて、生の高座を聞くにつけ無我夢中でこの世界に飛び込みました。落語研究会出身者やクラスの人気者だった方は「プロで有名になる」「売れてもうける」「スターになる」等の野心がありますが、私は師匠桂文枝(当時、小文枝)に付かせてもらうことで「何とか人前でしゃべれるようになれる」との思いの入門でした。伊藤会長のお話で「立て板に水のごとくしゃべっても、話の中味がなければ…」あのことばは胸に残りました。
 私が普通にペラペラしゃべれていたら、今頃そつのない平凡な落語家になっていたでしょう。自分で言うのもなんですが、相撲甚句や河内音頭(東西600人近い落語界で唯一の河内音頭取り)や体験談(ふるさと和歌山の農村の話等)を生かしての新作落語でユニークな独特のムードの落語家になれたことは、吃音だったおかげと、今は感謝しています。
 皆でバラエティ的にしゃべりあいすると、おもろいギャグ、トンチが浮かんでもすぐことばに出なかったり、悔しいこともありました。でも、音頭やかえ唄などは即興でスラスラと文句が出てきて盛り上がります。あえて厳しい所へ、皆さん(田舎の親、きょうだい、親戚、会社の仲間、上司)の心配をふりきって飛び込んだのも自分の勝手な行動なので、苦労を乗り越えたとか、どもりで辛かったとかはあまり人には言いません。
 しかし、先日の番組を見せてもらい、仲間で取り組んでいる会合を見て、乱筆ながらペンをとりました。歩き方、しゃべり方、人それぞれの個性です。私も障害者の友だちがたくさんおりますが、お互いにええとこ、あかんとこを心から話し合っています。今後の貴会のご発展を仲間の一人としてお祈りしています。ご自愛下さい。

 いただいたお便りの、『スタタリング・ナウ』への掲載をお願いしたところ再度メッセージをいただきました。

 皆さんの心の通う会報の末筆をけがさせてもらえれば幸せです。私の文を読んで福を呼んでもらえば光栄です。会報をお送りいただき、それにしても皆さんの吃音への取り組み方、ひしひしと伝わってきて感動しました。ぜひ、ゆっくりお会いして、いろいろお話をさせてほしいです。笑いと涙のエピソード、ぎょうさんおまっせー。


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2023/03/21