昔は、どもる人の悩みの一番に挙げられるのは、電話でした。今はどうでしょうか。通信手段の多様化によって、一番ではなくなったかもしれません。すべての人が携帯電話をもつようになり、友人、知人なら、相手を呼び出す必要がなく、ダイレクトに相手につながります。彼女の家に電話をかけたとき、どういうわけか相手の父親が出ることが多く、苦労したのは笑い話になるくらいです。だからといって、電話にまつわる悩みがなくなったわけではないでしょう。大阪吃音教室に初めて参加する人からも、電話の悩みはよく聞きます。
 「スタタリング・ナウ」2000年3月 NO.67で、論理療法を活用して、電話のことを考えようと書いています。電話の三段階活用と呼んでいます。巻頭言を紹介します。

  
電話と論理療法
            日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二

 「すみません。今日僕、腹が痛くて、仕事にならないので休ませて下さい」
 吃音とまだ上手につき合えなかった学生時代。腹の痛みに堪え1時間かけてアルバイト先に出向き、今日休むことを伝えた。何度も公衆電話で受話器をとったが、体調だけでなくことばの調子がその日は最悪で、声が出なかった。どうしても電話ができないのなら、不精をきめて、無断欠勤という手もあったろうに、電話もできないほどの痛さだったと、翌日言い訳もできるだろうに、他の選択肢が全く浮かばないこの固さ、律義さ、愚直さ。電話は私に苦痛を与えるだけの道具だった。
 私に限らず、吃音に悩む人の具体的な悩みの筆頭は電話をすることだ。多くの人が電話にまつわる辛い体験を持ち、電話を苦手としている。電話さえなければこんなに吃音で苦しまなくてすんだのにという人もいる。
 4月入社の新社会人は今、電話のかけかたなどの研修中だろうか。一般的な電話のマナーはともかく、吃音に悩む人にとっては、電話とのつきあいは大きなテーマだ。電話で悩んできた先輩として、どもる人の電話と上手につきあう手掛かりを、論理療法を使いながら考えてみよう。フレッシュマンへの応援歌となればうれしい。

第1段階 電話をかける前
 電話をかける前の不安や恐れが入り込む前に、電話が鳴ったら間髪を入れずに受話器を取る習慣を身につけたい。しなければならない電話は、直ぐにかけることも大切だ。取ろうかやめようか、いつ電話しようかと思うと不安が大きくなる。なぜ不安や恐怖をもつのかも考えておきたい。これまでの電話による嫌な体験から、また、いたずら電話と間違えられて切られたり、怒鳴られるに違いないなどと思ってしまうからだろう。これは論理療法でいう《過度の一般化》だ。これまでの苦い体験が、今後も続くとは限らない。ガチャンと電話を切る人もいるだろうが、じっと聞いてくれる人もいる。人はいろいろだと考えた方がいい。

第2段階 電話での話し方
 「音声だけが頼りの電話だからすらすら喋らなければならない」と考えないことだ。音声だけが頼りだからこそ、早口だと通じない。これまでどもることでよく聞き返されたのなら、一音一拍、母音を押して丁寧にゆっくりと言うことを心掛けよう。どもるからではなく、相手により伝えるために、普段の話し方よりゆっくり話そう。
 また、本来の目的、相手に情報を伝えることに集中する。込み入った説明などの時は、伝えることをメモに書いておく。結論を先に言う習慣や、簡潔に要約して話す普段の努力も欠かせない。どもるどもらないにこだわると、これらの努力がおろそかになる。メモした文字を書きながら話すなど、工夫している人もいる。どもらない人なら見過ごしてしまうところで、私たちが努力することはある。
 また、コードレス電話のおかげで、歩きながら話せる、携帯電話で本人と直接話せるので楽になったという人もいる。

第3段階 落ち込まない
 得意先から「誰か他の者に代われ」と怒鳴られたり、上司から「電話もできないのか」と注意をされることがあるかもしれない。これらは、残念なことだが、だからといって自分をだめな人間だと思う必要はない。《過剰な反応》をして自分をおとしめることはないのだ。
 どのような場合でも、苦手な電話から逃げずに、最後まで電話した自分を褒めよう。
 吃音に悩む人がこんな苦労をしているなどは、どもらない人にとって想像もできないことだろう。多くの人は、電話を便利な道具として、楽しんでいる。電話を恐ろしいものだと考えるのではなく、便利なものだと考え、どんどん電話をするしかない。その内、悩んでいたことさえ忘れるほど、楽に電話している自分に気づくだろう。早口で何を言っているか分からない、流暢だが要領を得ない電話より、どもるけれど丁寧に、要領よく伝える努力をすることで、電話上手になる可能性がある。
 吃音親子サマーキャンプで出会う高校生の何人かが、みんなが持っている携帯電話を、どもるのが嫌さに持てないのだと嘆いていた。私たちの時代とは違う電話での悩みがある。しかし、どもるからと電話を恐れていたら損だ。たかが電話、されど電話。(「スタタリング・ナウ」2000年3月 NO.67)


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2023/02/18