「スタタリング・ナウ」NO.63(1999年11月)の巻頭言のつづきです。この号では、第2回ことば文学賞受賞作品を紹介しています。まず、ことば文学賞を制定した意義と、作品の選考をしてくださっていた高橋徹さんの、ことば文学賞の選考にあたって考えられたことについて紹介します。高橋さんのおっしゃっていたとおり、長く続き、2022年で25回となりました。

ことば文学賞

 ことば文学賞は、「ことばや吃音に関する日頃の思いを文章にし、作品として記録したい」という思いから発案し、創設されました。ことばへのこだわり、吃音に悩んできた一人一人の思いや体験は、それぞれが貴重なものです。それらを今一度文章にまとめ、作品にすることは本人にとって自分をふり返り、体験を整理する機会となります。またそれらの作品が記録されることで、後に続く吃音に悩む方々やことばに関心を寄せる方々にも読んでいただければ、体験の共有やことばへの理解につながり、作者の思いや体験が活かされるのではと考えました。
 今回でまだ2回目の開催で、応募数はあまり多くありませんが、今年は9編の作品が集まり、大変ありがたく思っております。
 長年、朝日新聞学芸部の文学担当の記者として、数多くの文学作品や作家とのつきあいの経験があり、現在は、朝日カルチャーセンターなどで文章教室や作品の鑑賞などの講座の講師をされている高橋徹さんに今回も選考をお願いしました。大阪の吃音教室は、文章を書くことをとても大切にして、講座の中に組み込んでいますが、その時の講師として長年付き合っていただき、吃音についての私たちの悩みや、その中で吃音を治すのではなく、つきあっていくのだという、私たちの主張に共感して下さる高橋さんの選考結果の発表と講評は、吃音について、様々な角度から振り返る私たちの貴重な時間となっています。

高橋徹さんの話
 この、文学賞がみなさんの大切なものとして定着していくのをとても喜んでいます。今年も9編が送られてきました。例によって名前がありません。やはり、選考のときに名前が分からないというのは、ありがたいことです。吃音教室とはお付き合いが長いので、よく知っている人がいます。その人が書いた文章だと思うと、つい甘くなったり、ことさら厳しくなってしまうということが、絶対にないとは言い切れません。複数回続きますと、よけいにそう思います。 それぞれに力作でした。その中から3編を選ぶことは容易いことではありません。しかし、選考の基準を私なりに考え、選ぶと、この難しい作業もなんとかし終えることができました。
 今度この選考をするにあたりまして、やっぱり考えたことは、この賞というのはおそらく長く続くのであろうということです。
 少年少女の頃に、親御さんに連れられて大阪の吃音教室にやって来ることがあります。ここを訪ねてくることによって、おそらく前途にある明るいものを得ることができるであろうと思います。そのときに、僕はこのことば文学賞が生きてくると思うのです。そういう少年少女が、もちろん少年少女というのは中学生もさすんでしょうか、あるいは高校生という思春期の盛りの人をも含めるのでしょうか、ともあれ、最初は親御さんと一緒に来て、やがて自分ひとりでここへ来るようになって、吃音とつきあう方法、それは治るものではないということをちゃんと認識した上で、こうしてお互いに会合で出会ったり、こういう作品などを読むことによって、心の支えにするということです。心の支えにすることができる作品をもって、このことば文学賞の選考の基準にしました。
 若き思春期にいる少年少女が、親御さんと一緒に読んで、どもりと生涯つきあう方法、そのことに対する考え方というものを知ってもらえるものがいい。そのために、割合に明るいタッチで書いてもらうのが、いいんじゃないでしょうか、僕はそう思ったんです。どうでしょうか。そういう精神で選ばせてもらいました。
 応募作の中には、すさまじいばかりの父親との葛藤を書いた私小説のような作品。内面を鋭く描いたものなど、評価できるものが多々ありましたが、そのような選考基準のため、あえて、選から外しました。「スタタリング・ナウ」NO.63(1999年11月)


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2023/02/07