このシリーズの最後です。島根スタタリングフォーラムに参加した人の感想を紹介します。
日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2023/01/30
島根スタタリングフォーラムの企画・運営に関わって
江津市立津宮小学校通級指導教室 宇野正一
フォーラム終了後、たくさんの方からアンケートや感想を寄せていただきました。ほとんどの人が「参加してよかった。今後も続けて欲しい。ぜひ参加したい」との意見を下さいました。その中のごく一部ですが、紹介しましょう。
◇子どものどもりの原因がもしかしたら自分にあったのではないか。乳幼児期に必要な基本的信頼感というところが少し欠けていたのではないかと常に感じていましたが、「いつからでも取り戻せるし、この2日間、子どものために時間をとってこの場にいること、それで十分です。子どもたちにも母親の自分への思いが通じているはずです」ということばにとても救われた気持ちになりました。子どもも2日目の話し合いの時間、しっかり自分の吃音について自覚していることが分かり、これからはもっとオープンに吃音について親子で話し合えるような気がしたし、またよいきっかけになったと思います。
◇私も小さいうちから吃音ということがあり、子どもだけのためでなく、自分自身にも何かみつかるのではと期待して参加しました。
1日目の講演で同じ障害を持つ者として「ああ、そうだなあ。これは私も同じ」と思ったり、私自身もう治ったと思っていたのに、話の中で、どもりは治らない、大人はうまく喋れるようにごまかしているから治っているように見えるのだと言われた時はガーンと頭をたたかれたような気分になり、ショックでした。でも、自己開示や自分で吃音を自覚することの大切さを聞いて、納得して気も落ち着きました。わが子は今のところほとんど吃音は出なくて今子ども自身が吃音を意識しているかどうか分からない状態なので、改めて自覚しなくてもよいのではとも思いますが、このフォーラムで思春期を迎える前に吃音についてオープンに話しておこうという話を聞きました。この点については親としてまだよく分からない状態です。
次に2日目の座談会ではお母さんたちの生の声を聞いて、みんな同じようなことで悩みを持っているのだなあと思いました。子どもに吃音が出た時は私自身が吃音だっただけに私のためにそうなったのではないかととても苦しみました。が、いろんな意見を聞いて、今から思えば逆に私自身が吃音だったから子どもの気持ちも分かるなどとちょっと救われているところもあるなあと思い直しました。昨日のお母さんたちとの話を聞いて自分の気持ちを聞いてもらうだけでもきっとよい出会いだったんだろうと感じています。そういう意味でも今回のような吃音だけの親子が集まるようなフォーラムが開かれるとよいと思います。
子どもに昨日先生と何を話をしてどう感じたか聞きましたが、よく分からないという答えがきました。子どもがどう思い、何を考えているか、だんだんと話さなくなっています。講演の中で、お母さん自身が自分のこと、自分の失敗も話していったらといいとありました。思春期の子どもの対応についてはよく分かりませんが、吃音と上手につきあうガイドブックを参考にしていこうと思っています。
◇自ら吃音に悩んできた人のことばは重くしっかりと響きました。吃音と向き合えているように思えたとしても、スキャットマン・ジョンのように、「大きな象がずっと後ろにいるのにいないふりをしていた」とか50歳になっても妻にも子にも吃音について話せなかった人がいるとか、田中角栄氏の扇子、木の実ナナさんの「おにいちゃん」など、大人の吃音の方の体験をたくさん話していただき、このように心の片隅からどもりが消えることはないということで、これからわが子が行くであろう険しい道に胸が締め付けられるようでした。
学級崩壊の前に家庭崩壊、家庭のコミュニケーション不足に危機感を持っているとの話がありましたが、全く同感で、親子で飾ることなく本音で話し合い、今日は仕事でこんなところへ行った、こんな失敗をした、こんなことで落ちこんでいるなどと、子ども相手にもこんな些細なことでも言い合い、愚痴をこぼし、将来子どもたちが困った時やつらい時、迷わず弱音を吐ける家庭にしたいと思いました。それこそ、どもり方がおかしかったと一緒に笑えるようになれたらと思います。自己開示は私たち親子はとても苦手です。些細なことでも言語化する練習をして、互いが自己開示していかないと、私たちは将来家庭崩壊のような気がします。愛情不足ではなく愛情表現不足という話、過干渉はいけないが過保護は大切でいくら愛情をかけてもやりすぎではないという愛情表現をからだ・ことばで豊富に表現していこうと思いました。
今回の合宿で、家族そろっての参加が何組かありました。とてもうらやましく思いました。男性である伊藤さんの体験、辛さ、半生の生きざま、どもりの男の子を持つ同じ男性の父親として是非知ってほしかった。しかし、この合宿に参加された方々と同じようにどもりとつき合い、一緒に涙する人たちがこれだけいらっしゃること、またその子どもたちを本当にわが子のように気にかけて下さることばの教室の先生方がいらっしゃること、そのことが今の私たちを支えて下さるのだと思い、とてもありがたく思いました。
◇「私も吃音で悩んできました」。伊藤さんが自己紹介をされた時、何か今までとは違う気がして身を乗り出すようにして聞き入っていました。
担任の先生から「行ってみませんか」と誘いを受け、「はい、出席します」と言ったものの、どんなことをするのだろう、どれだけの人が来ているのだろうと半信半疑でした。でも、この時点で参加してよかったと思いました。今まで「どうしてどもるようになったんだろう」「きっと私に何か問題があるのだろう」「かわいそうだなあ」「治るのだろうか」と、ひとりで悩み続けていたことひとつひとつに対して、話の中から答えをみつけることができました。「一生治らないかもしれません」と言われたのはショックでした。「大丈夫だよ。大きくなれば治るでしょう」と周りから言われていたので…。
今、子どもは、自分がどもることを多少なりとも気にしているのでしょう。「言いにくい」と言うことはあってもそれが「どもり」だよと教えてやることもありませんでした。私自身が子どもが「どもる」ということを否定したかったのだと思います。今までなるべくふれないようにしていた「どもり」ということば。
1日目の研修が終わった時に、「○○の話し方はどもりというんだよ」と初めて本人に言った時、「ふうーん」「ちょっと話しにくいけどね」「あんまり気にしていないよ」と言われ、ホッとしました。とは言え、これから大きくなるにつれ「どもり」について周りの友だちからの反応など悩まされることもあると思いますが、今の気持ちが否定されないよう、大らかな気持ちで育ってほしいと思います。
そしてうれしかったこと、楽しかったこと、悲しかったこと、何でも話をたくさんしてほしいと思います。そのために「自己開示」。親自身がオープンに語りかけていくよう家庭での会話を大切にしていきたいと思います。
2日間の研修を通して「どもり」についての知識を得たこともよかったのですが、それ以上に、同じ悩みを持つ方と話ができたこと、話を聞けたことが私にとって一番でした。
◇どもりについては無知なまま今回のフォーラムに参加しましたが、そこには今現在精一杯どもりと向き合っている子どもたちとその親御さんがいて、皆さんの一生懸命な姿を見ているうちに、ことばの教室の担当者として、もっともっと力を出すべきだし、磨かなくてはいけないという気持ちになりました。
伊藤さんは、自分もどもりに苦しみ、孤独な少年時代を送ってこられたことで、素直で生々しい人の気持ちを赤裸々に聞かせて下さいました。それまで私の中では、どもりということばにふれず、何も言わずにそっと…という対応の仕方があったのに、どんどんどもりをことばに出して一緒に考えることがその人をありのままに受け入れることなんだと分かり、感激したと同時に、立派な専門書に書かれていることを何の考えもなしに鵜呑みにしていたことを反省しました。
どもりに限らず、何かの悩みと向き合うことは怖いことで、その一歩を踏み出せるような勇気と周りの理解と受容がとても大切だと思いました。
自分が違う悩みで誰にも打ち明けられずに苦しんでいると考えたら、「早く言って楽になりたい」「誰かに分かってほしいけど、拒否されたらどうしよう」等様々な思いが交錯して結局言えないかもしれません。その時に、勇気を出して言えた人が「そのままでも、ぼくの君へ対する思いは変わらないよ。いいんだよ、そのままで」と受け入れてくれたらどれだけ救われるだろうかと思います。だから、自分もそうでありたいです。私のこともいっぱい分かってもらえるように、思いをどんどん表現していくべきだし、相手のハートを感じて、いつでも真剣に思っていたいです。
「どもりのある幼児に、どういうきっかけで自覚させたら?どんなことばをかけたらいいんだろう…?」と思い、尋ねると「心から沸き上がることばを素直に出せばいい」と言われました。初めは「吃音を治す方法が知りたいのに…」と思いましたが、よく考えたら、きっとその子の悩みを本気で考え、真剣に向き合えば、愛情がことばに乗って発せられ、きっとその子の心に届くのではないかと分かりました。一緒に過ごした皆さんの姿をずっと忘れず、私も自分を好きでいたいです。たくさんの愛のパワーを感じさせていただきました。(「スタタリング・ナウ」NO.60 1999年8月)
日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2023/01/30