昨日は、今年最後の公式行事で、愛知県名古屋市に行きました。昨年、岩倉市のことばの教室の奥村寿英さんの紹介で呼んでいただいたもので、昨年に続いて、愛知県のことばの教室の教員研修、「愛知県版はじめのいっぽ」の講師です。タイトルは、「どもる子どもが幸せに生きるために〜ことばの教室でできること」です。朝早く家を出て、新幹線で名古屋に向かいました。土曜日の記録的な大雪で、名古屋市内にはまだ雪が残っていました。会場は高蔵小学校の図書室でした。
 9時半から12時過ぎまで、休憩なしのノンストップで話しました。皆さん、真剣に熱心に聞いてくださいました。終わってから、短い時間でしたが、具体的な質問も受けました。今年最後の研修会、気持ちよく対面で終えることができました。
 今日は、吃音と論理療法のつづきです。大阪吃音教室の講座で僕がつくった資料を紹介します。いくつかの論理療法の本をかなり読み込み、作ったものです。

《吃音とつきあう吃音講座》吃音と論理療法 大阪吃音教室資料

a)もしかしたら、どもって失敗し、立往生しているかもしれない
b)そのように人前でどもって立往生することは実に恐ろしいことだ

 吃音問題の中心は、どもることを予期し、不安を持つことだといっていい。不安は、自分の心の中でa)、b)のように思いをめぐらす(心の中で文を語る)ことによって起こると、論理療法では説明する。人がa)の段階に思いをとどめておき、b)の代わりにb')の文を語れば事態は違ってくる。

b')どもって失敗し、立往生することは決して立派なことではないが、だからといってこの世の終わりがくるわけではなく、別に恐ろしいことが起こるわけではない。恐ろしいことだと考える必然性はない。

 このような文を自らに語れば、不安は減少するであろう。また、a)の文だけでは多少の不安は感じても、その場を回避しようとまでは考えない。しかし、b)のように考えてしまうと不安は大きくなり、その場に出るのを避けてしまうであろう。
 不安を解消し、回避行動を起こさないようにするためにb)の文をb')の文に変更することが大切なことである。
 このように人が何かに不安を持ったり、動揺したりするときには自らにその不安を起こさせるような文を心の中で語っているからである。したがって心の中で語る文、つまり考え方を変化させれば、感情の持ち方や行動の仕方も大きく変化する。また、自らが語った文によって不安が生じたとしても、それにめげずその場に出て、どもっても発言をすれば「たとえどもって立往生したとしても別に恐ろしいことが起こったわけではない」ことを体験的に理解することができる。このようにあえて行動を起こすことによって不安が解消される。

論理療法の特徴
 論理療法は、1955年頃からアルバート・エリスによって提唱された心理療法のひとつである。
他の心理療法と比べて次のような特徴がある。

1)折衷主義
 精神分析、行動療法、意味論、実存主義、論理実証主義、来談者中心療法、ゲシュタルト療法、サイコドラマなど多種な理論と方法が集大成され、しかも一貫性のある理論に統合されている。
2)自己分析の色彩が強い
 論理療法は、精神分析や交流分析に劣らず自己分析的である。エリスはこれを自己洗脳といっている。また、カウンセラーの援助がなくとも、独力で自己分析が可能な療法でもある。
3)理性に訴える
 これまでの心理療法の多くは、感情が行動の源泉であるというが、論理療法は、感情は思考の産物だと考える。思考を変えれば感情が変わる、感情が変われば行動も変わると考える。
 「頭では分かるが、どうしても行動できない、やはりどもるのが嫌だ、怖い」と私たちは言う。これは論理療法では「まだ本当には頭で分かっていない。分かり方が不十分だ」となる。

論理療法の骨子
 くよくよ思いわずらったり、思い切った行動ができないと悩んでいる人は、その考え方が非論理的(イラショナル)だからであると、論理療法では考える。
 非論理的とはどんなことか。「事実に基づかない考え方」、および「論理的必然性を欠いた考え方」のことである。自分らしく生きられるとは、非論理的な考え方が論理的な考え方に変わることである。考え方が変わるとは、心の中の文章記述が変わることなのである。したがって論理療法とは、心の中のイラショナルな文章記述をラショナルな文章記述に変える療法だということになる。

 「僕のように重いどもりは、女性から好かれるはずがない。それに大学を出てもまともな会社になど就職できず、人並の人生さえ送れない」

 こう思っている人がいるとする。上の文章はラショナル(論理的)であると言えるか。いくつかの非論理的な考え方(イラショナル・ビリーフ)がある。
 まず、何を根拠に「重いどもり」と考えているのか。吃音検査法が信頼できないにしてもこれらを受けた上でのものではないだろう。「重い」であろうと推論しているだけである。推論は事実ではない。推論と事実を彼は混同している。
 また、「重いどもりは女牲から好かれるはずがない」も事実とは言えず、思い込みに過ぎない。聞き手から、すごくどもると思われている吃音者が女性にもてる例は、仲間の中でも少なくない。「好かれるはずがない」という思い込んでしまうと、異性を引きつける人としての魅力を身につける生き方をしようという努力も、女性とつきあうというよりも人間関係をよりよいものにするためのコミュニケーション能力を向上するための努力もしようとしていないだろう。
 さらに、「人並の人生が送れない」という文章記述には論理的必然性がない。自分の思い込みで作った自分の文章記述をあたかも全ての人に共通する必然であるかのように信じこんでいる。
 大手の企業の就職試験にいくつか落ちたとしても、「だから人並の人生が送れない」ということにはならない。「かなりの数の就職試験に落ちた、だから自分の本当にやりたい道は何か、さらに探してみよう」、「だから自分の個性、能力を発揮できる小さい会社に就職しよう」、「だから田舎に帰って親と一緒に住み、親の農業を手伝い両親を安心させよう」、など、いくらでも文章は作れるはずである。たくさんある文章の中からたまたま任意にひとつを選んで将来を悲観しているに過ぎない。
 したがって論理療法ではこう考える。
 できごとそのもの(例:どもる)が悩み(感情)を生むのではなく(人は普通そう思っているが)、できごとをどう受けとるか、その受けとり方(考え方、文章記述)によって悩みは決まるのである。論理療法ではこれをABC理論といっている。

ABC理論
 A(Activating event:できごと)
 B(Belief system:考え方、受けとり方、信条、文章記述)
 C(Consequence:結果の意、感情、悩み)

 AがCを生むのでなく、BがCを生むのである。Aに変化はなくともBが変わればCも変わるのである。これが論理療法の骨子である。
 ところで、今は、そのあとにDとEが付け加えられている。DとはDispute(反論)である。イラショナルな考え方(B)を粉砕する段階のことである。イラショナル・ビリーフをラショナル・ビリーフに修正する段階である。それには、自分自身を逆洗脳(人に洗脳されたイラショナル・ビリーフを解除すること)である。それが成功すると行動が変容する。これがEである。EはEffect(効果)のあらわれる段階である。
 したがってABCDE理論ともいう。


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2022/12/27