1998年9月12〜14日、奈良県・桜井市で吃音ショートコースが開かれました。テーマは、《表現としてのことば》でした。特別ゲストは、詩人の谷川俊太郎さんと、演出家の竹内敏晴さんのお二人。最終日の午前中、僕が進行をし、対談が行われました。〈ことばの人〉と言われる谷川さんと〈からだの人〉と言われる竹内さんの話は尽きることなく深いものになりました。そのほんのさわりを紹介します。3時間の完全採録は、1998年度の年報『表現としてのことば』に掲載しましたが、現在は、絶版となっています。


対談  谷川俊太郎・竹内敏晴
司会  伊藤伸二

 
はじめに

伊藤 この対談を何故企画したのか、出始めだけを少し話させていただいて、後は谷川さんと竹内さんにお任せします。
 3年前でしたか、名古屋で行われた「すすむ&すすむフォーラム」で、谷川俊太郎さんのお話の中で出てきた、谷川さんが小学4年の時に、ケンカした相手の名前は「伊藤君」ではなかったでしょうか? その伊藤君とけんかをして、「運動場へ出ろ! 体で勝負だ!」と言われたときに、谷川さんは「体でやるんじゃなくて、ことばで自分は勝負するんだ」と。今、再び谷川対伊藤の対決を・・
谷川 そうきましたか、よく覚えておられますね。でも、そうは言いませんでしたけどね。要するに、けんかの仕方を知らないから、運動場へ出て取っ組み合いなんかは嫌だから、「俺はここを動かない」と言って椅子から立ち上がらなかったわけ。伊藤君も公平で、むりやり僕をひきずり出すということをしなかったんです。
伊藤 そうでしたか。僕は谷川さんのお話を、「ことばで勝負だ!」と受け取ったものですから、僕たちとはずいぶん違うと思いました。僕は、ことばではケンカができなかった。けんかになり、いくら僕が正しくて、また体力的に勝っていても、「何や伊藤! どもりのくせに!」と言われたら、それでけんかは一瞬にして終わります。体もそんなに大きくはなかったけれど、まあ体なら、自分の体を張ってでもけんかをするんですが、言い合いになると全く太刀打ちできない。また「どもりのくせに」という、一番の弱点をつかれると戦意を喪失してしまう。そういう経験をしてきたので、「ああ、僕とずいぶん違うな」と思ったんです。
 僕は喋れなかったために、けんかができなかった。ことばでは勝負できなかった。どもることばを嫌悪し、ことばに恨みを持ち続けた人間です。僕と似たような体験を、どもりに悩んだ人がしているとしたら、今この会場にはそのような人が半分近くいます。
 谷川さんは、いろんなところでお話になってこられたでしょうが、今回は吃音ショートコースに来ていただいていますので、ことばに障害のある人たちの表現ということを少し視野に入れながら、表現としてのことばについて、お話いただければと思います。
 竹内さんは、「表現としてのことば」と「情報伝達としてのことば」を説明されて、どもる人はもっと「表現としてのことば」を大事にした方がいいのではないかと提言して下さっています。そのような提言を受けて、私たちが自らの表現について点検していきますと、私たちはこれまでの長い間、うまく現代社会に適応したいという思いにかられて、駆り立てられるように、「情報伝達のことば」を獲得しようとしてきたように思います。まず、「表現としてのことば」と、「伝達としてのことば」の区別さえ考えなかった。全てことばが話せないとしてひとまとめにして処理をしてきたように思います。流暢に喋りたいとばかり考え、その結果、「表現としてのことば」をおろそかにしてきたように思います。そして、そのことにも気づかなかったのでした。
 今、「表現としてのことば」を育てたいと、話しことばだけでなく、自分の思いや気持ちを例えば詩のような形にして書く、散文にして書くなどで、表現を大切にして来ています。『ことば文学賞』を制定したのもその現れなのです。
 その一方で、「情報伝達のことば」を何とかうまくこなしたい、という思いがなかなか捨て切れないのも事実です。やはりどもりに悩む多くの人が日常の生活で困っているのは、勤めている自分の会社や自分の名前が言えない。業務上の報告や伝達などがうまくできないなどの情報伝達のことばについてです。周りが、なんなく情報の交換をスピーディーにしている中で、自分の名前が言えない、電話ができないなどの辛さは、経験者以外には、なかなか理解されにくいのではないでしょうか。やはり、てきぱきと情報交換しなければならないときに、ことばが出ないのは悩みの種なのです。
 そこで、「表現としてのことば」と「情報伝達としてのことば」とをどう折り合いをつけながら、僕らがどうことばに向き合っていけばいいのか。探っていきたいと考え、おふたりに吃音ショートコースに来ていただきました。


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2022/12/19