12月も早半ばを過ぎ、今年も残り少なくなりました。大阪吃音教室も、先週の金曜日、今年最後の講座「1分間スピーチ」を終えました。吃音でよかったこと、来年の抱負、など参加者ひとりひとりが前に出て、スピーチをしました。
 翌日の土曜日は、大阪吃音教室のニュースレター「新生」の印刷・発送の日でした。「新生」は、吃音教室の報告、どもる人の体験、レク活動の報告、ことばや声などに関するエッセイなど、12ページ仕立ての月刊ニュースレターです。コロナ禍の3年間、2回お休みしましたが、後は欠かさず発行し続けて、会員同士をつなぐ大切なものになっています。
 そして、いつもなら、その発送の日は、忘年会でした。夕方6時から始まって10時頃まで続くロングランの僕たちの忘年会、今年も残念ながら行うことができませんでした。ひとりひとりが1年間を振り返ってスピーチをし、それに周りが、合いの手を入れたり、ヤジをとばしたり、なんともいえない温かい忘年会なのです。
 来年こそ、みんなで集まってわいわいとにぎやかな時間を過ごしたいものです。

 さて、今日は、「スタタリング・ナウ」(NO.54 1999.2.20)の巻頭言を紹介します。
 谷川俊太郎さんと竹内敏晴さんのことばが、今も心に残っています。目の前に広がることばの海へ出ていくことを勇気づけてくれます。

  
表現としてのことば
                   日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二

 幼稚園でわが子が大勢に囲まれて、なぐられたり、けられたりしている。何が起こっているのか分からないままに様子を見ていたら、「早よ言え、早よ言え」と子どもたちが言い、わが子は半泣き、歯をくいしばっている。飛んできた先生が子どもたちから事情を聞いた。子ども同士がぶつかって、一方が「ごめんなさい」と言ったが、S君はどもるために言えない。ごめんなさいを言わない子は悪い子だと寄ってたかって「早よ言え」「謝れ!」となぐられていたのだと分かった。
 この幼稚園では、悪いと思ったらお互いに「ごめんなさい」と謝ろうと指導し始めた頃で、子どもたちはそれを忠実に守っていたのだった。
 S君はその日、寝る前にも何かぶつぶつ言う。
 「お母さん言えた!『すみません。ごめんなさい。これでもいい?』〈ご〉は言えないけれど、〈すみません〉をつけたら言える」
 S君は涙を流しながらこう言ったと言う。
 また、ゲームをしている時に、何か話し始めると「分かった、お前もう喋るな」と言われる。
 大阪吃音教室で、幼稚園年長組の母親のこの話を聞いて胸が痛んだ。小学校2年生の秋から、私にもこのようなことが起こったが、S君はまだ幼稚園児だ。こんなに小さな頃からこのような体験を積み重ねなければならないとは。
 言いたいことが頭に思い浮かんでも、表現しようとすると、ことばそのものが出てこない。忘れるはずのない自分の名前さえ、いざというときに言えないことがある。この空しさ、苦しみは、恐らく体験しなければ理解しにくいことだろう。
 「誰でもあせったりあわてると、どもりますよ」と人は言う。「言いたいことを全ての人が言えているわけではない」とも。しかし、名前を尋ねられて自分の名前が言えないということがあるだろうか。ごめんなさいと言いたくても言えないことがあるだろうか。どもる人のそれとは本質的に違う。
 子どもの頃からこのような辛い体験を積み重ねると、私たちは、あることを言いたいと思うと同時に、どもることへの恐れのために話したくないという気持ちも起こる。
 私は、どもりを恨み、治ることだけを夢見、どうせ表現できないのだからと、感じたり、気づいたり、考えたりすることをしなくなった。書くことで表現することすらも放棄してしまった。
 ところが、ことばの葛藤に悩んだ人たちの中には、それゆえにことばへの感覚がより研ぎ澄まされて、書くという表現方法を得て、小説家や詩人の道を歩んだ人がいる。また、この葛藤をひとつのバネにして、話すということに活路を見い出した人もいる。落語、講談、演劇の世界に身を投じたり、アナンウサー、弁護士など、より話すことを求められる仕事に就く人たちだ。
 このように活躍している人だけでなく、私たちの周りには、どもっていてもごく自然に自分を表現している人々はたくさんいる。どもるということが表現にとって、一時的にはハンディになったとしても、《ことばの海》に出ていけば、十分に泳ぎ切ることはできると頭では理解できる。
 しかし、かつての私のように、S君はことばの海があまりにも広くて大きく果てしないために、立ちすくみ、おびえてしまうことだろう。
 S君を含めどもりに悩む人々が、この《ことばの海》に出て行くには、まずどもりを仮にでも受け入れ、どもりながらも、これまであきらめ、避け、逃げてきたことばの海の中に、勇気を出して飛び込むことしかない。それを励まし支えるのは、共に飛び込もうとするセルフヘルプグループの仲間たちや、吃音親子サマーキャンプの同じような体験をしている子どもたちだ。そして、ことばの海の世界の魅力を語る人たちだろう。
 谷川俊太郎さんは、私たちに、「書くことにおいては何のハンディもないではないか。書くことを大事にしよう」とすすめている。
 竹内敏晴さんは、聴覚障害児者としての体験から、「今生まれ出ることば、表現としてのことばを大事にしよう」と提言する。
 おふたりの対談を中心にしてまとめられた、《谷川俊太郎・竹内敏晴の世界》と題した日本吃音臨床研究会の年報(2001年発行)は、ことばの海へ飛び込むことの勧めに他ならない。
 ことばの感性がどんどん失われて行く現代社会の言語生活。この中で、つらい葛藤を生きた私たちは、悩んだからこそ、ことばを大切にし、豊かな言語生活を送りたい。私たちの目の前には、広くて大きなことばの海が待っている。

  
日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2022/12/18