吃音教室 当事者研究 東野1 昨日の大阪吃音教室は、年に一度の当事者研究でした。昨日、登場したのは、大阪吃音教室の会長、東野晃之さんでした。事前に、A4の紙2枚の年表を送ってもらっていました。 東野さんは、中学1年生の春、どもり始めました。昨日まで普通にしゃべれていたのに、ある日突然しゃべれなくなる。思春期まっただ中に自分の身に起こったことは、容易には受け入れられないものだったようです。僕のように物心ついたころからどもっていて、普通にしゃべっていた時期がない人間は、戻るべき姿が想像できないのですが、東野さんの場合は、明確に想像できるから、いつか元に戻るという意識を捨てきれなかったようです。お父さんが病気で早く亡くなられ、母子家庭で育ったことは聞いていました。長男として、さまざまなプレッシャーも吃音に影響していたことでしょう。
 中学1年生でどもるようになって、大きな不安の中で、東野さんが大阪吃音教室を訪れたのは、高校2年生のときでした。NHKの全国青年の主張コンクールで最優秀賞をとったのがどもる人だったことで、そんな人もいるのだと思っていた頃に、新聞記事で集まりをみつけ、弟に頼んで代わりに電話してもらって問い合わせをし、初めて大阪吃音教室に参加しました。そのころ例会でしていたことは、発声練習とスピーチの練習でした。単調でおもしろくなく、だんだん参加しなくなります。それでも、つながりは切れることなく続き、「吃音者宣言」に出会い、1986年、京都で開かれた第1回世界大会に参加し、世界大会の翌年から大阪吃音教室が今のスタイルである、金曜日開催になったときに、会長になって、以後35年、ほぼ皆勤で参加しています。会長としての責任感からだけでは、なかなかできることではありません。東野さんは、継続してきたことについて、「おもしろかった。学ぶことが本当に楽しかった。刺激的だった」と言いました。
吃音教室 当事者研究 東野2 自分の人生を語る機会はそうあるものではありません。聞き手がいて、周りに同席する仲間がいる。そのような大阪吃音教室の当事者研究という場で、新たな視点で自分をみつめることができます。新しい意味づけをすることもできます。これまでの人生をじっくりと振り返ることは意味のあることだといえます。そして、参加してその場にいる人は、ひとりの人の人生を聞くことで、自分のことと重ね合わせ、自分の人生を振り返ります。 大阪吃音教室の中には、豊かな時間が流れました。
 僕も考えてみれば、57年間、ずっと継続して活動しています。やっぱり、僕も楽しいから続けているのだといえます。誰かのため、何かのためだけなら、続くものではありません。吃音という狭い入り口から入って進んでいくと、中には、広い深い世界が待っていた、そんな気がしています。

日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2022/11/12