東日本大震災の被災地と震災遺構を訪ねる旅 5 石巻市震災遺構大川小学校



女川町で、今野順夫さんにお会いし、阿部莉菜さん、容子さんのお墓参りをして、女川つながる図書館に行った後、車を石巻市に走らせました。ぜひ、行きたかったところがあります。それは、石巻市震災遺構大川小学校です。すぐそばを北上川が流れていました。学校は、低い土地に建っていました。地震発生が14:46、大津波警報が出されたのが14:52、そして実際に津波が到達したのが15:37でした。約1時間、子どもたちは、運動場で、高台に避難するよう呼びかける放送を聞きながら待機させられていたのです。
なぜ?と思ってしまいます。「山へ逃げよう」と先生に訴えた子もいたと聞いています。実際に行動した子もいたと聞きました。
パンフレットには、こう記されています。
町がありました
生活がありました
いのちがありました
子どもたちが
学び 遊びました
石巻市の市内も走りました。石巻には、震災2年後に訪れています。町の真ん中に、家の屋根の上に船がひっくり返っていました。川の近くにある石ノ森章太郎の漫画館にも行きましたが、その日はちょうど休館日でした。町はまだまだ寂しい感じがしました。そこに確かにあった生活、戻るのは難しいようです。大川小学校についてなど、震災関連ではは書きたいことがありすぎて、これ以上は書けません。東日本大震災の被災地と震災遺構を訪ねる旅の記事を終えるにあたって、旅のきっかけになった、阿部莉菜さんのことを紹介した、NPO法人全国ことばを育む会発行の「吃音とともに豊かに生きる」の一部分を紹介します。
防災教育と吃音 「吃音とともに豊かに生きる」P.32より
被災地では、「釜石の奇跡」と呼ばれる「防災教育」が成果をあげました。大きな津波を経験している三陸地方では、家族てんでんばらばらに逃げて生き延びる「津波てんでんこ」が言い伝えられています。これを防災教育に生かしたのが釜石市です。群馬大学の片田敏孝教授の徹底した教育を受けた子どもたちは、学校の管理下になかった5人をのぞいて、市内の小・中学生およそ3000人全員が無事に生き延びました。子どもたちは、「日頃教えられたことを実践したに過ぎない。奇跡ではなく、実績だ」と話します。防災教育が徹底された地域とそうでない地域の大きな差は、教育の力の大きさを表しています。
どもることは何の問題もありません。吃音を否定し、劣等コンプレックスに陥って、吃音は単なる話しことばの特徴から、取り組まなければならない課題へと転じます。まだ子どもが吃音を否定していない場合でも、否定するとどのような問題が起こるか学んでおく必要があります。吃音の取り組みは、防災教育に似て、予防教育だとも言えると僕は思います。
吃音親子サマーキャンプに、宮城県女川町から3年連続して参加した4人家族がいました。小学6年の阿部さんは、6年生になっていじめに合い、不登校になりました。その辛さを僕のグループで泣きながら話しました。90分の話し合いで、顔が晴れやかになり、翌朝の作文教室で「どもってもだいじょうぶ!」と作文に書きました。すぐに学校へ行くようになり、その後もキャンプに参加して、将来の明るい夢を語り、仙台の高校に入学が決まっていたのに、お母さんと一緒に逃げ遅れて亡くなりました。彼女のことは決して忘れないでおこうと、その後の講演などで、作文を紹介しています。
どもってもだいじょうぶ!
小学6年 阿部莉菜
私は学校でしゃべることがとてもこわかったです。どうしてかというと、どもるから。しゃべっていて、どもってしまうと、みんなの視線が気になります。そして、なんだか「早くしてよ!」と言われそうで、とってもこわかったです。なんだかこどくに思えました。でも、サマーキャンプはちがいました。今年初めてサマーキャンプに来てみて、みんな私と同じで、どもってるんだ、私はひとりじゃないんだと思いました。そして、タ食後、同じ学年の人と話し合いがありました。そのときに思ったのは、みんな、前向きにがんばってるんだ、なのに私はどもりのことをひきずって、全然前向きに考えてなかった。そのとき、私は思いました。どもりを私のとくちょうにしちゃえばいいんだ。そのとき、キャンプに行く前にお父さんに言われたことを思い出しました。どもりもりっぱな、いい大人になるための、肥料なんだよ。そうだ、どもりは私にとって大事なものなんだ。そういうことを昨日思いました。今日、朝起きたときは、気持ちが楽でした。まだサマーキャンプは始まったばかりだと思うけど、とても学校などでしゃべれる自信がつきました。
日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2022/09/16





なぜ?と思ってしまいます。「山へ逃げよう」と先生に訴えた子もいたと聞いています。実際に行動した子もいたと聞きました。
パンフレットには、こう記されています。

生活がありました
いのちがありました
子どもたちが
学び 遊びました
石巻市の市内も走りました。石巻には、震災2年後に訪れています。町の真ん中に、家の屋根の上に船がひっくり返っていました。川の近くにある石ノ森章太郎の漫画館にも行きましたが、その日はちょうど休館日でした。町はまだまだ寂しい感じがしました。そこに確かにあった生活、戻るのは難しいようです。大川小学校についてなど、震災関連ではは書きたいことがありすぎて、これ以上は書けません。東日本大震災の被災地と震災遺構を訪ねる旅の記事を終えるにあたって、旅のきっかけになった、阿部莉菜さんのことを紹介した、NPO法人全国ことばを育む会発行の「吃音とともに豊かに生きる」の一部分を紹介します。
防災教育と吃音 「吃音とともに豊かに生きる」P.32より
被災地では、「釜石の奇跡」と呼ばれる「防災教育」が成果をあげました。大きな津波を経験している三陸地方では、家族てんでんばらばらに逃げて生き延びる「津波てんでんこ」が言い伝えられています。これを防災教育に生かしたのが釜石市です。群馬大学の片田敏孝教授の徹底した教育を受けた子どもたちは、学校の管理下になかった5人をのぞいて、市内の小・中学生およそ3000人全員が無事に生き延びました。子どもたちは、「日頃教えられたことを実践したに過ぎない。奇跡ではなく、実績だ」と話します。防災教育が徹底された地域とそうでない地域の大きな差は、教育の力の大きさを表しています。
どもることは何の問題もありません。吃音を否定し、劣等コンプレックスに陥って、吃音は単なる話しことばの特徴から、取り組まなければならない課題へと転じます。まだ子どもが吃音を否定していない場合でも、否定するとどのような問題が起こるか学んでおく必要があります。吃音の取り組みは、防災教育に似て、予防教育だとも言えると僕は思います。
吃音親子サマーキャンプに、宮城県女川町から3年連続して参加した4人家族がいました。小学6年の阿部さんは、6年生になっていじめに合い、不登校になりました。その辛さを僕のグループで泣きながら話しました。90分の話し合いで、顔が晴れやかになり、翌朝の作文教室で「どもってもだいじょうぶ!」と作文に書きました。すぐに学校へ行くようになり、その後もキャンプに参加して、将来の明るい夢を語り、仙台の高校に入学が決まっていたのに、お母さんと一緒に逃げ遅れて亡くなりました。彼女のことは決して忘れないでおこうと、その後の講演などで、作文を紹介しています。
どもってもだいじょうぶ!
小学6年 阿部莉菜
私は学校でしゃべることがとてもこわかったです。どうしてかというと、どもるから。しゃべっていて、どもってしまうと、みんなの視線が気になります。そして、なんだか「早くしてよ!」と言われそうで、とってもこわかったです。なんだかこどくに思えました。でも、サマーキャンプはちがいました。今年初めてサマーキャンプに来てみて、みんな私と同じで、どもってるんだ、私はひとりじゃないんだと思いました。そして、タ食後、同じ学年の人と話し合いがありました。そのときに思ったのは、みんな、前向きにがんばってるんだ、なのに私はどもりのことをひきずって、全然前向きに考えてなかった。そのとき、私は思いました。どもりを私のとくちょうにしちゃえばいいんだ。そのとき、キャンプに行く前にお父さんに言われたことを思い出しました。どもりもりっぱな、いい大人になるための、肥料なんだよ。そうだ、どもりは私にとって大事なものなんだ。そういうことを昨日思いました。今日、朝起きたときは、気持ちが楽でした。まだサマーキャンプは始まったばかりだと思うけど、とても学校などでしゃべれる自信がつきました。
日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2022/09/16