「吃音の夏」と僕たちが呼ぶ、夏の大きなイベントを今年は3年ぶりに開催しています。
7月末には、千葉で「親、教師、言語聴覚士のための吃音講習会」を開催しました。次は、1週間後に迫った吃音親子サマーキャンプです。会場への連絡、保険加入手続き、参加者への最終案内と、準備を進めています。
 昨日は、「スタタリング・ナウ」1998.7.18 NO.47の巻頭言を紹介しました。巻頭言の後には、大阪吃音教室のことば文学賞の選考を長くして下さっていた高橋徹さんが、吃音親子体験文集を読んで感想を寄せて下さったものを掲載しています。高橋さんは、朝日新聞の記者で、カルチャーセンターで文章講座の講師を務めるなど、書くことを大切にしてこられました。

サマキャンの旗 親子旅の表紙
どもり・親子の旅〜吃音親子体験文集〜 感想特集

その"旅"に光あふれて
                詩人・高橋徹


 わが子がどもりだと、知った時の親の衝撃の大きさは想像を絶する。
 それまで目に入らなかった〈どもりは治る〉といった広告を頼り、すがる思いで子どもとともに吃音矯正所に通う。
 が、効果はない。一時、軽くなったと思えた症状は、いつか再びひどくなっている。
 大阪吃音教室や吃音親子サマーキャンプに参加する人々の多くは、たいていこのような回り道のあげくであろうか。
 そしてそれらの場で、どもりは「治らないということを受け入れること」、子どもに「早い時期に、吃音を自覚させること」を知らされる。
 『どもり・親子の旅』の松尾さんの報告は、その驚きを鮮やかに伝えている。
 「やはり治してやれないのかという絶望感と、今まで私がしてきたこと(吃音を意識させないようにしてきたこと)と全く正反対の考えに、大変ショックを受けました。
 これは1995年6月、初めてどもる子どもの両親教室に参加した時のことだそうだ。そしてこの報告には、また次のようにもあった。
 「今、ようやく長かった原因探しや治療探しの旅から解放された気がします(後略)」
 原因探し・治療探しの旅という言葉も重い。子どもと共に病院を回り、吃音治療所を転々とした焦りと涙がにじんでいる。
 詳細なこの報告には、もちろん当の子どもさんも描かれている。
 「おまえの話し方、おかしいなあ」と級友から言われて、子どもは自分は普通ではないと知るのだが、後に子どもは母に次のように言った。「ぼくのような話し方は、どもりとか吃音だということをきちんと教えてほしかった」
 『どもり・親子の旅』には、どもりの子に対するいじめも報告されている。「に」や「く」をどもる子にわざと「肉」と言わせたり、どもるまねをして見せたり、「日本語知らんの?」とからかったり、帽子を取り上げて「くやしかったら、ちゃんと喋って見ろ。そしたら返してやる」。また「あいうえお」を言わせたり…。
 それらの多くの報告の現場を想像すると、胸が凍りついてくる。教室や廊下か校庭か下校の途中か。どもる子は仲間に囲まれている。ひとりかふたり、強い子がいて声をあげると、全員がどもる子を指さしてはやしたてる。
 高校にもいじめがあることを不覚にも、私は初めて知った。しかも、先頭に立つのは教師だという。その高校生の報告―。
 ―1年の担任のことば「オレはこのクラスに、めっちゃ嫌いな奴がおるわ…。誰とは言わんけどなあ。なんでオレのクラスにこんな奴おるねん!」
 この生徒は小さな時からどもり故に、先生からやっつけられていたらしい。
 ―小学生の時、「早く言い! 私は待てへんで」。「中学1年の担任は暴力教師。生徒も合わせて集団嫌がらせ。文化祭のせりふをどもったと、そのせりふの最初のことばをとってあだなに」。
 さて、吃音親子サマーキャンプ。どの子もどの親も参加してよかった、と報告している。『どもり・親子の旅』を知らない読者のために、整理して紹介する必要があるだろう。
 吃音親子サマーキャンプは施設の整ったキャンプ地で、3日間にわたって開かれる。どもる子ども同士、親同士、また親子同士の話し合い、触れ合い。同行したリーダー・世話役ももちろんそれらに加わる。そしてさまざまなレクリエーション、劇のけいこと発表、詩や作文も書くなどまことに充実した3日間だ。
 「2年のころ、よくみんなにからかわれたり、まねをされて、泣いて帰ったことがあります。でも3年の時、親子サマーキャンプに行って、どもってもべつにいいんだということが分かりました。それから、たまに発表ができるようになりました。どもることがあっても気にせず、読んだり言ったりしています。まだみんなから、からかわれているけど「それがどうしたんや」
と言い返しています。」(小学4年生)
 3・4年が集まって話し合う時間、「発表の時に、ことばがつまるのがはずかしいです」と言うと、「ぼくもいっしょや」と言ってくれました。(小学3年生)
 仲間との交流によって、開眼していくようすがよく分かる。どもりは自分だけではないと確認することも、自信への道なのであろう。

 どもりは治らないものらしい、とこの私も大阪吃音教室の人々との触れ合いによって、ようやく分かってきた。たまさか、大阪吃音教室の夜の例会に出席することがある。
 皆さんの顔は明るく、表情や態度にやさしさがにじみ出ている。何よりもびっくりするのは、どもる人などいないかに見えることだ。
 が、やはりつまったりする。初めて、なるほど吃音教室の会合だと納得する。
 余談だが、私の新聞社の先輩は、ひどいどもりだった。常に初めの音が出ない。機関銃のように音が発射される。が、ことばにはならない。
 顔は紅潮し、汗がにじむ。呼吸を整えて後、ようやく「きみにたのみがある。れいのひとにあって、しゅざいしてほしい」
 と用件が伝わる。そうかと思得と、実にすらすらと会話をかわす時もあるのだ。
 仕事の話だとつまり、のんきな話だとつまらない―ともいえないようだった。その逆とも。くつろいで酒などのみ合っている時もひどくつまったり、つまらなかったり。
 どもりは全く得体のしれぬやつだ。
 この先輩とは随分親しく付き合った。家も近くだった。が、どもりについては、ついに質問したことはなかった。
 大阪吃音教室、日本吃音臨床研究会の伊藤伸二さん初め、会員の人々を知って、私の視野は広くなった。今回の『どもり・親子の旅―吃音親子体験文集』を贈られて更に。
 この文集を読めば、あの先輩はどのように反応するだろうか、とふと思った。が、それを知ることはできない。彼は先年、亡くなってしまったから。
 文集に出てくる子どものことばのうち「ぼく、どもってもええんか」
が深く印象に残る。どもりを治してやろう、と必死の親。どもりは恥ずかしいものである、との考えを叩き込まれる子ども。
 このことばには、その呪縛からの脱出第一歩がひそんでいると思われるからだ。
 伊藤さんの次のことばも、私の魂に刻みこまれてしまった。
 <症状に注目し、吃音を治してあげたい、軽くしてあげたいと取り組むことは、その子の吃音を、ひいてはその子自身を否定することになるのです〉
 伊藤さんらスタッフの精進をこの上とも祈りたい。(1998.7.18)


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2022/08/12