野口三千三さんと羽鳥操さんを紹介してきました。
 今回は、羽鳥操さんが以前送って下さったご著書の紹介です。
 一度の出会いにもかかわらず、忘れずに、ご著書をお送り下さること、大変うれしいことでした。お手紙にはこう書かれていました。

 
このほど新刊本としては十数年ぶりに、『「野口体操」ふたたび。』を世界文化社から上梓いたしましたので、お送りさせていただきます。
 今回は、東京藝術大学で生まれ育った「野口体操」にフォーカスして書き下ろしました。驚くほどのスピードで変容著しい現代に生きる私たちは、ことにデジタルの波にのまれて生身の身体感覚を失いかけています。加えて感染症パンデミックによる閉塞した現状に、誰もが「いったい、何を拠り所としていけばいいのか」と少なからず問いかけています。
 創始者・野口三千三は、戦争の体験を通して、自分自身のからだの内側に目を向ける体操を考案しました。野口が模索した身体(自然)への回帰は、今、この時代にあってこそ、必要とされるのではないでしょうか。
 ご高評を賜りますとともに、広くご紹介いただければ幸甚に存じます。
                           2022年3月吉日


 僕は、こんな返事を書きました。

 
羽鳥操様
 大変ご無沙汰をしております。
 コロナの感染は、少し減少傾向にあるようですが、まだまだ油断できない状況の中、お元気なご様子、うれしく思いました。
 このたびは、ご著書『「野口体操」ふたたび。』をお送りいただき、ありがとうございました。私もこの本に導かれ、野口体操に触れてみようと考えました。
 コロナ禍の中、新刊を出されるエネルギー、敬意を表します。コロナ禍だったからこその出版だったのかもしれませんが。からだ、ことば、コミュニケーション、人と人との直の出会いなど、様々なことを考えさせられました。ご著書の年表に名前がありました竹内敏晴さん、今、竹内さんの書かれたものや話されたことを読み返し、年報を制作していますので、より、その思いを強くしました。
 おわりにで、オンラインでの仕事について書かれていました。対面での話を基本としてきた私も、初めは慣れないオンライン、Zoom、Web配信など、必要に迫られて、助けてもらいながら活動していましたので、共感できました。
 この時代、大切なことが書かれているだろうと思います。大切に読ませていただきます。
 私は、相変わらず、吃音にかかわって生きています。子どもたちのための吃音親子サマーキャンプや、臨床家のための吃音講習会など、2年間、イベントはほぼ中止になりましたが、ブログやTwitter、Facebookなどで発信を続けています。今年は、なんとか、対面で、それらの集まりが開催できるようにと願っています。
 金子書房から出版しました「吃音の当事者研究」、お送りします。お読みいただければ、幸いです。
 暖かくなったと思ったら、寒い日もあります。どうぞ、おからだ、ご自愛下さい。
                                  2022年3月20日
                日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二


「野口体操」ふたび。 羽鳥操 表紙『「野口体操」ふたたび。』
羽鳥操  世界文化社
発行日 2022年3月30日初版第1刷発行


 野口三千三さんが僕たちに問いかけて下さったのが、「吃音をなおそうとすることは、気持ちのいいことですか?」でした。羽鳥さんのご著書の、第一章は「きもちいい」をみつけようです。その部分だけを紹介します。多くの人に読んでいただきたいと思います。

 
「野ロ体操があってよかった!」
 コロナ禍の自粛が一旦解けた2020年7月、対面のレッスンがはじまった。
 その時、皆さんの第一声がこの見出しのことばだった。
 私も同じことばを返した。
 「人をダメにするソファに身を沈めて、スマホ片手にデジタル情報の海でサーフィンに興じていると、過剰な情報に肥大した脳は、バーチャルな不安に埋め尽くされてしまう」
 そういう私に、「目の前にある冷蔵庫から、昼間から冷えたビールをついつい取り出してしまいますね」。
 そうおっしゃる御仁がおられる。
 コロナ太りを心配しながらも、やめられない日々が繰り返されたそうだ。
 ストレスがストレスを呼ぶ経験を重ねながら、体操のレッスン再開を待ちに待っていたことを知る。想像はしていたが、体操がこれほど求められているとはゆめゆめ思わなかった。からだを動かすきもちよさを知ってしまった人々がいる。それは野口体操の仲間たちであった。
 "ウェルビーイング"、心身の健康をいかに保つか。
 "QOL(クオリティ・オブ・ライフ)"、生活の質を維持することが難しくなってきた。そのためには、自分のからだをどうしたらよいのか。
 その答えが「野口体操があってよかった!」。
 外出制限が一番ストレスを感じるということは、アンケート結果を待つまでもなく、皆が体感したことだ。そんななかで、一人ではなく、共に体操することから得られるきもちよさは捨て難い。教える立場の私にとっても同様である。
 「独りじゃない!」
 そのことが心のざわつきをなだめてくれる。
 そこで思い起こされるのは「社会的処方」ということばだ。医療だけでは行き届かない身体の不調、たとえば、不眠・うつ・痛み等々。また、孤独やひきこもりが社会的な問題となって久しい。非医療的行為で、そうした問題を解決するコミュニティの必要がいわれるようになった。コロナだけではない、日常の困りごとを地域で手助けしていく方法だという。
 私は、このことばを拡大解釈してみた。野口体操のレッスンでは、地域を超えて集まってくる方々の心身が、安らかになる方法を工夫してみよう。

 野口体操には、一人だけでなく二人で組んで行う体操が、いくつも組み込まれている。
 他者とともに動き、話し、手を添えてもらう。心身の手当をする練習も味わい深い。手を添える人・手を添えられた人、といった一方的な関係だけではなく、その関係が瞬時に交代する。ことばをかえてみると、助ける人が助けられる人、助けられる人が助ける人になる。
 今、この人は、何を必要としているのだろう。必要としていることを感じ取り、何気なく手で触れて手当をする。そうしたことを野口体操では、時代とともに少しずつ形をかえながらも、半世紀以上行ってきている。
 ともにからだを動かすことで、からだの内側に眠っているありのままの"私"に、からだ自体から目覚めていく。生きものとして三十八億年かけてつくられた生命のシステムを活性化するきもちよさを体感できるころには、"私"という意識も消えてくれるようでありたい。
 久しぶりのレッスンで得心がいった。
 医療でもなく心理療法でもなく、いろいろな縛りのないゆるい場。教室に集う方々には、それぞれが背負うのっぴきならない問題はいっとき横に置いていただこう。からだをゆすりながら、ほぐし・ゆるめ・とかす。色や形、味や香り、クリアな音感、外側に張り巡らされた脳の出先機関としての皮膚……。五感の母なるからだをみがいていくこととしよう。


 巻末付録には、野口三千三語録(番外編)があります。
 僕も伊藤伸二語録を集めて、ホームページで公開しようと考えていますので、興味深く読みました。共感することばかりです。そのいくつかを紹介します。

 
☆無理は無理だ。無理をしなければ無理ができる。
 ☆いい加減にやらなければ、いい加減は見つからない。
 ☆私の体操はかたちじゃない。中身が問題なんです。気分が問題なんです。イメージが問題なんです。生き方が問題なんです。
 ☆生きているということのいちばん確かな証拠は、このからだがあるということ。さらに、そのからだが動くことができるということ。
 ☆他の人を尊敬するのも悪くはない。しかし、自分自身のなかに尊敬すべきものがあることに気づくことがより大切である。
 ☆自分がこの世のなかに生きて存在していることの意味に、誇りをもてるようにしていかなければならない。自分の小さな欠点に気づき、自分自身を責めることが美徳である、という倫理観は誤りである。
 ☆今の自分のもつ「弱さ・下手さ・未熟さ…」を、やさしく認めて温かく包み込むことのできない者は、他の人のそれをやさしく認めて温かく包み込むことができないであろう。


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2022/07/24