昨日、紹介した巻頭言に、竹村真一さんの議長提案を紹介しました。
 「多様性」や「複雑系」の問題は、社会の豊かさの根源であり、そして、単なる"違和感"を越えた創造的な、"異話感"をはらんでいることこそ「健全さ」のべースであるというところに僕は、惹かれました。
 多様性や一人ひとりの個性が生み出す豊饒な「異話感」に眼を向けなおし、差異や違和感をポジティブな資源としてひきうけていこうという感性と意志がこめられているという、馴染みのある大切にしたい共通の土台があったからこそ、知り合いの全くいない青森の地で、僕は居心地の悪い思いをせず、話すことができたのだと思います。
 ここで知り合った羽鳥さんとはその後、長いお付き合いが始まりましたし、鴻上さんには、僕たちの2泊3日の吃音ワークショップの「演劇と表現」の講師として来ていただくことにつながりました。不思議なありがたい出会いでした。

表現とからだと癒し
     コーディネイター 鴻上尚史
     第21回日本文化デザイン会議'98青森『異和感の…』(1998.10.30〜11.1)

生きることを楽にする身体

鴻上 僕はずっと第三舞台と言う劇団で演劇をやっておりまして、平行してワークショップも始めております。1997年の夏から一年間は、イギリスのギルドホール演劇学校に留学しておりました。興行としての成功も演劇の側面ではありますが、同時に、俳優を目指す人に限らず人間は身体と言葉を持っていますので、今日は生きることと自分の身体と言葉というものについてお話ができたらいいなと思っております。ではまず羽鳥さんから順番に自己紹介をしていただきます。

羽鳥 私は以前、ピアノを専門にやっていたんですが、緊張型の人間でしたから、舞台で思うように弾けないんですね。そこでピアノの先生に勧められて、23年前に、野口体操を始められた野口三千三先生のところに行きました。先生の動きは今まで見たこともない、いわゆる体操という概念に入らないようなものでした。それで家に帰って練習するんですが、何でもそうですけど、自分一人で練習する時間を持たなければ、できるようにはならないんです。もちろんみんなと一緒にやることにも意味があって、いい動きの方のそばにいると、その方の気によって自分も動けるようになっていくんですね。でも先生は、たった一人で自分の身体と仲良くする時間を持ちましょうとおっしゃっていたんです。私は非常に体操が不得意だったのですが、野口体操を続けることによって、だんだん生きるのが楽になってきました。目的や効果はあまり言いたくないんですが、身体が柔らかくなってきたから、ということでしょうか。

伊藤 僕はどもりという、「言語障害者」として生きてきたんですが、25歳くらいまでは、話ができないために、どもりを隠し、逃げ、人と触れ合えずに閉じこもってきました。どもりだから悩むのではなくて、どもりをどう受け止めるかで悩むわけで、どもりを非常に否定的にとらえて、劣ったものだという観念を持って生きていると、喋れなくなるんですね。
 現在は比較的喋れるようになりましたが、今でも特定の音が言えません。例えば、たちつてとの"と"。鮨のネタの「とろ」が言えないことがあります。だから、どうでもいいような言葉の時には言い換えたりしますが、これだけは言いたいと言うことに対しては逃げないようにしています。
 僕がどうして喋れるようになってきたかと言うと、同じどもりで悩む人と出会って、その辛さをいっぱい話したことです。今まで人から拒否され、蔑みと笑いの対象であった僕の言葉を、みんな全身で受け止めて聞いてくれたんですね。その体験は、僕が生きる上での大きな出発点となりました。どもりをマイナスに考えていることが自分の辛さなんだと気付いた時に、どもりを引き受けて生きようという覚悟のようなものができて、ずいぶんと楽になりましたね。
 そして外に出ていくと、どもっていても聞いてくれる人がいるし、共感できる人がいる。そういう人たちの聞いてくださる姿勢に支えられて、恥をかき、辛い思いをしながらも、どんどん喋っていくと、どもりの症状そのものはあまり変わらなくても、ずいぶんと生きやすくなりました。それで僕たちは、どもりを隠したり逃げたりするのではなく、どもりを持ったままの生き方を、自らにも社会にも宣言しようということで、『吃音者宣言』という宣言を出したんです。
 そして10年ほど前に、『からだとことばのレッスン』を全国的に展開しておられる竹内敏晴さんと出会いました。自分では声もずいぶん大きくなってきているので、人に届いていると思っていたのですが、レッスンを受けてみると、相手に届く声には、まだ先があるんだということを感じました。声では相手に呼びかけてはいても、やはり人が恐くて、身体はそれを拒否していたんですね。人への恐れが、未だに私の体の中にはあるんだということに気付かされて、今もレッスンを受けております。

上野 私は鴻上さんの劇団で舞台に立たせていただいております。高校生の時からモダンダンスを始めて、10年近くダンスをやっています。私も小さい頃は、質問の答えがわかっていても手を挙げられないような、気の小さい子供でした。それが小学生の高学年の頃に、水泳でリレーの選手に選ばれたんですね。体育は得意だったので、そちらで活躍したことがきっかけになって性格も変わってきて、あまり恥ずかしくなく喋ったりできるようになったんじゃないかと思っています。(つづく)


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2022/07/20