4月8日から、大阪吃音教室の2022年度の講座が始まりました。2組の親子4人の初参加を含め、2ヶ月半ぶりに対面で教室が再開したのです。
 この大阪吃音教室でも、また、夏に行う吃音親子サマーキャンプでも、大切にしていることのひとつに「書く」ことがあります。吃音についての話し合いが一番重要だということは当然ですが、それと同じくらいに、「書く」ことを大切にしています。
 僕は、子どもの頃、日記をよく書いていました。吃音のために悔しい思い、悲しい思いをしたことがたくさんありますが、それらを日記に書いていたのです。子どもの頃に、書くことの意味はよく分かりませんでしたが、書くことで、自分の体験を振り返り、客観的にとらえることができたように思います。
 僕は、今、日記は書いていませんが、「スタタリング・ナウ」の巻頭言や、ほぼ毎日発信しているブログ、Twitter、Facebookなど、書くことは日常生活の中で習慣化しています。吃音に関する本を15冊も出版できたのも、僕の書く習慣と深い関係があるからだと思います。
 「書くことの意味」とのタイトルで書いている巻頭言を紹介します。1997年9月発行の「スタタリング・ナウ」NO.37です。

  
書くことの意味
                日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二

 吃音についてオープンに話し合う。これは吃音親子サマーキャンプが最も大切にしていることだ。しかし、子どもたちは最初は話し合いになかなかのってこない。これまでまったく吃音について話し合ったことがない子がほとんどだからだ。
 他の子どもが吃音について語る話を聞き、自分も話したくなってくる。吃音はやはりその子どもにとって大きな事柄だからだろう。
 小学校4年生8人のグループの話し合い。
 高谷君は他の子どもの発言に合いの手は入れるが、自分では語らない。質問をしても「別に・・」とはぐらかす。ちょろちょろと動き回る。真剣に話す子がいる一方で、このようにふざけて話し合いにのらない子がいる。どもりについてこの子はどう考えているのか、話し合いの中ではなかなか見い出せない場合があるが、その子が吃音について何も考えたり、感じたりしていないのではない。
 吃音親子サマーキャンプで、私たちが大事にしているプログラムのひとつに、作文教室がある。1時間から1時間半、参加者全員が机に向かって、どもりにかかわる事柄を一斉に書く。子どもは自分のことを、きょうだいは妹や兄の吃音を、親は子どものことを、ことばの教室の教師は担当している子どもの吃音について書くのだが、全員が静かに机に向かうため、話し合いの時のように動き回らない。ひとり自分のどもりに向き合う時間だ。
2回目の参加の高谷君はこんな文章を書いた。

《親子サマーキャンプに行ってよかったこと》
 2年のころ、よくみんなにからかわれたり、まねされて、ないて帰ったことがあります。でも3年のとき親子サマーキャンプに行って、どもってもべつにいいんだということが分かりました。
 それからたまに発表できるようになりました。まだみんなから、からかわれているけれど、「それがどうしたんや」と言い返しています…

 2日目の2度目の話し合いでは子どもの書いた作文を読み合い聞くことにした。からかわれた嫌な体験も、またこのキャンプで仲間と出会ったことの喜びも率直に表現されている。他人が書いた作文を聞くことは、話し合いとはまた違った深みが出る。高谷君は自分で読むのは嫌だと言ったが、私が代わって読んでいるとき、むしろうれしそうだった。ことばで十分表現できなくても、吃音への思いは、子どもはいっぱい持っているのだ。
 どもりについて、自分のことばで話し、誰かに聞いてもらった経験。同じ悩みをもつ人達と出会った経験。それは、私がどもりと向き合い、どもりを受け入れて生きる出発となった。
 病気や障害、生きる辛さを感じている人のセルフヘルプグループのメンバーも同じような経験をしている。どもる子どもが自分の吃音と向き合い、吃音を受け入れて生きる道を歩み始めるには、まず、辛いこと、苦しいこと、そしてそれを自分がどう感じているかを表現することが不可欠である。
 話すことで、文章に書くことで、自己表現をしていきたい。さらには音楽、絵画も表現の手段だ。
 家庭の中で、親と子が一緒に文章を書く時間をもつことをすすめたい。それを家族のみんなの前で声を出して読むことができればなおすばらしい。そこから親と子の会話がすすんでいくだろう。
 ことばの教室でも、文章を書くことを大切にして欲しい。吃音について書ければ、吃音について話し合うきっかけともなるし、本人がよければ、他者に読んでもらうこともできる。その子どもの吃音への思いを、クラスの担任やクラスの子が読むことで、どもる子どもの思っていることを伝えることができ、吃音理解につながっていく。
 自分を表現することなしには、自分をみつめることはできないし、何の変化も起こらない。(「スタタリング・ナウ」1997年9月 NO.37)


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2022/04/14