小学校2年生から21歳までの暗黒の時代を経て、21歳からの僕は、本当にラッキーな人生を送ってきたと思います。人に恵まれました。自分のもつ力以上のことができた上出来な人生を送っています。
 今日紹介する読売新聞での連載は、不思議な不思議な、人とのつながりから生まれました。
 1986年、第一回世界大会で「出会いの広場」を担当して下さったのが、九州大学の村山正治さん。村山さんの九州でのベーシック・エンカウンターグループで初めてファシリテーターをさせてもらったとき組んで下さったのが九州大学の高松里さん。セルフヘルプグループの研究をしていた高松さんに紹介されたのが、大阪セルフヘルプ支援センターで、そのメンバーのひとり、読売新聞の森川明義さんと知り合いました。
 その森川さんが、僕の半生を7回シリーズで大きな記事にしてくれました。今回は、その記事を紹介します。
 不思議な縁は、その後も続きます。森川さんに紹介してもらったのが、應典院の秋田光彦さん。應典院は、竹内敏晴さんの大阪レッスン会場であり、また大阪吃音教室の会場でもありました。その應典院の小さなニュースレターに載った僕の記事を読んで下さったのがTBSディレクターの斎藤道雄さん。斎藤さんに紹介されたのがべてるの家の向谷地生良さんというわけです。

 1997年6月の「スタタリング・ナウ」の巻頭言を紹介します。次回からは、森川さんが書いて下さった記事を紹介していきます。

基本的信頼感
                  日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二

  動物園のラクダさん
   まんまるお月さん出た時は
    遠いお国の母さんと
     おねんねした夜を思い出す

 小さいころ、泣いたり、すねたりした時、いつも母が私を胸に抱き、この童謡を歌ってくれた。大人になってからも、この歌を口ずさむとき、母の胸の温もりが、母の優しさが蘇る。
 この童謡は、ほとんどの人が知らない。私だけのための歌であり、私の大切な宝物だった。
 アイデンティティとライフサイクルで知られるE・H・エリクソンは、0歳から1歳半ごろまでの発達課題を、《基本的信頼感対基本的不信感》の対の概念で表し、不信感にまさる信頼感がもてたとき、この時期の課題が達成されるとした。
 私は、この歌を口ずさむ時、親から絶対的に愛されているとの確信がもてた。この基本的信頼感が、私のその後の人生に大きな役割を果たした。
 私が、エリクソンをとても好きなのは、このライフサイクル論によって、私がどもりに悩み、劣等感に悩まされ、自己否定の中から、自己肯定の道を歩む道筋が、見事に説明がつくからだ。
どもりに悩んだ学童期、劣等感のかたまりだった。学童期の課題が全く達成できていないために、思春期に自分が自分であることがつかめなかった。吃音を否定し、自己を否定した。
 この自己否定は、私がどもりを治そうと発声練習をしていた時に投げかけられた母のこのことばで決定的なものになった。
 「うるさいわね。そんなことをしても、どもりは治りっこないでしょ」
 温かった家庭が一変して私には冷たい場所に感じられ、私の居場所がなくなった。私はさらに深くどもりに悩むようになった。何度も取り上げられる母には申し訳ないが、私の吃音の歴史で、この出来事をはずすわけにはいかない。
 しかし、私がその後、吃音者のセルフヘルプグループを作ることができたのは、基本的信頼感が基本にあったからだ。自分を信じ、他者を信じることができるようになったのは、母から与えられた絶対的な愛があったからだと思う。
 グループの活動の中で、学童期・思春期の課題を少しずつ達成し、少し遅れはしたがアイデンティティを確立することができた。
 子どもに障害や病気があれば、治してあげたいと願うのは親の自然な思いだろう。一方、矛盾のようだが、例えそれが叶わなくても、《そのままのあなたでいい》との思いが同時にまたは先にくることが、基本的信頼感につながるのだと思う。
 子どもの成績が悪くても、障害があっても、子どもに、いっぱいの愛を惜しみ無く与えることが、親にできる最大のことだ。
 基本的信頼感を、童謡という証拠品まで残して与えてくれた母に、改めて感謝したい。
 新聞に、母とのことを含んだ私のどもりの歩みが、5月、7回の連載で紹介された。
 新聞連載の最終回が掲載された5月17日。その掲載された新聞を車中で読みながら、私は、何の楽しい思い出のない、辛いばかりの故郷の三重県津市に向かっていた。三重県言語・聴覚障害研究会の1997年度総会で講演をすることになっていたからだ。講演の前、小学校、中学校、高等学校を訪れた。誰ひとり、どもりを理解してくれなかった。劣等感、人間不信の芽生える役割しか果たさなかった教師とのかかわりが鮮やかに思い浮かぶ。
 講演では、私の体験を通して、《今、教育で大切なこと》を話したが、この教師とのかかわりを抜いては話せない。私のような体験を、あとに続く子どもにしてほしくないとの思いから、つい教師への願い、期待に力がこもる。
 新聞掲載の最終日。故郷で教師に話すという不思議な縁に、過去とのひとつの決着を感じた。
 今また、新しい旅が始まる。


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2022/03/20