一昨日の続きです。若林さんのお話は、すうーっと僕の心に染み入ってきました。
 アルフォンス・デーケンの「死の準備教育」や、千葉敦子の『ニューヨークでがんと生きる』『よく死ぬことは、よく生きることだ』、『「死への準備」日記』などは、若林さんのお話を聞く7、8年くらい前に読みましたが、通じるものを感じていました。今をしっかり生きることは、僕の心に強く刻まれています。

ちいさな風の会と私
                        若林一美
死は今始まる時
 ホスピスや、小児病棟などで取材を始める前は、また、頭で考えていた時の死は、全部がそこで終わってしまうことでした。確かに、《終わる》こともあるけれど、死によって《始まる》こともある、という思いを、多くの出会いの中で感じ、今はより強くそんな感を抱いています。
 いつか死ぬと漠然と考えていた死が、仮定法でなくなる時、それまでのその人ではなくなります。残された家族にとっても、大事な家族に去られてしまうのですから、新しい自分の居場所、その人の存在のない自分とは何かなど考えなければなりません。死は、死にゆく人にとっても、残された人にとっても新しい時が始まる時ではないかという気がするのです。

頑張れ! に傷つく人々
 死別の悲しみ、苦しみは、有り様は変わるかもしれないが、悲しみは悲しみとしてその人の一生を終えるときまで取り除くことはできないと思います。
 ところが、今の社会では、一般社会の人間関係の中で、背負わなくてもいい痛みや悲しみが、よけいに覆いかぶさっていることがあります。世間の人たちは、悲しんでいる人、苦しんでいる人に、その人のためと思って一生懸命励まします。
 「頑張りなさい。悲しんじゃだめよ。いつまでもくよくよしていたら亡くなった人が成仏できないわよ」
 「暗い顔をしていたらあなたの健康を壊すから明るくしなさい」
 「そんなに泣いてないで、次の子が授かるんだから。明るくしないとご主人に嫌われるわよ」
 例えば、赤ちゃんを流産で亡くした若いお母さんが、その後何人かのお子さんができたとしても、その子はその子であって、亡くなった子はその子ではないのです。
 「泣いている顔なんか見たくない。だからともかく明るい顔をしてちょうだい」
 このようなこちらの気持ちを、あたかも相手に対する思いやりのように投げかけてしまっているということも往々にしてあるのではないかと思えるのです。確かにその人のことを心配してのことかもしれませんが、自分の大事な人を亡くして悲しんでいる時に、笑ったり、明るくせよとは、ずいぶん心ない言葉かけではないでしょうか。

死の教育ゼミ
 私は、アメリカのミネソタ大学の社会学部のロバート・フルトン先生のところに、1983年から2年間勉強に行きました。
 フルトン先生は、死の教育のパイオニア的存在で、1960年代初めてアメリカの大学の講座の中で死の問題を取り上げた方です。現在私が担当している大学院のゼミで、学生の中に高校時代に摂食障害だった人がいます。食べ過ぎたり食べられなかったりの繰り返しの中でとても苦しんだといいます。また、高校が受験校で、不登校になって苦しんだという人もいます。
 そういう学生たちはその時の自分をふりかえり、こう表現します。
 「生きていても、生きている実感がない」
 「私の居場所がなかった」
 「ちいさな風の会」の人たちからも、よく似たような言葉を聞くのです。
 今ゼミの中では、死という問題と同じような形で、摂食障害、不登校の問題、いじめの問題が、取り上げられています。

人の悲しみを聞くということ
 「社会の中で泣ける場がない」
 「自分らしく生きられない」
 この言葉も、様々な悲しみをもつ人たちからよく聞きました。私は、多くの人にお目にかかり、お話を聞いて記事にする仕事をしていた最初の頃、その人が一番辛くて触れてほしくないような話を他人が聞くということが一体どういうものなのか、とても疑問に思っていました。
  
 こんなことを聞いていいのか? とても苦しそうで、泣いてばかりいる姿を見ると、その人をもっと苦しめているのではないか? 聞いてほしくないようなこととか、辛い話は話さず、他人が聞かない方がいいのではないだろうか? こう感じていた時に、こんな体験をしました。

 私が人にお目にかかって、お話をうかがうのは、せいぜい1時間半か2時間です。相手の方が思い出して下さり、今のお気持ちをお話し下さいます。私は、どうしていいか分らないけれどお話を聞いて、筆記することでしかその場にいないわけです。そのようにして、お話をうかがった時に、ある方がこうおっしゃったのです。
 「今日は本当になんか良いお話を伺わせていただいて、心が軽くなりました」
 お話を伺って、と言われても、実は私はほとんど話していないのです。
 誰かに話を聞いてもらうことが、その人にとっては、救いになることもあり、その人自身が自分で自分を話すことを通し、癒されていったのでしょう。
 悲しみ、辛い思いは、なかなか他人に聞いてもらえない。また、話せないのが現状です。
 例えば、夫が亡くなったき、最初の半年から1年位は、周りの人も気の毒がって、「お気の毒ね」とか「かわいそうね」と聞いてくれます。それが5年経ち、10年経っていくうちに、話す場がなくなってくる。自分も、いつまでも暗い顔をしてると人から嫌がられるのじゃないかと思い、話せなくなってしまう。
 「自分が大好きだったその人の事を思いっきり話し、偲ぶ中で、その人が自分の心の中にいてくれることを確認できるし、その人もまた生きているのです」
 こういうことをおっしゃったのです。(つづく)


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2022/02/26