第1回吃音ショートコースのゲストのお話を紹介してきました。梅田英彦さんの「嗚呼、民間吃音矯正所」と、内須川洸先生の「内須川式吃音治療指導法」でした。このときの吃音ショートコースの分科会で、僕は、参加したことばの教室の担当者の方と共に、どもる子どもたちの「早期自覚教育」と、直接的なことば指導について話し合っています。実習もしたようです。その分科会の様子を報告している文章がありましたので紹介します。

《吃音ショートコース分科会》
     早期自覚教育について

 この分科会は、日本吃音臨床研究会の伊藤伸二の提起する《早期自覚教育》と、直接的なことばの指導はどうあるべきかについて、ことばの教室の教師、スピーチセラピストが参加して行われました。話し合いだけでなく、実際にどうことばの指導をするか、実習もしましたが、紙面の都合で、今回は話し合いの主要な部分だけを紹介します。
             報告 豊中市立庄内小学校ことばの教室 松本進

 ◇吃音は治せるものなのか
ことばの教室・教員(長崎) 東京で行われた、望月勝久さんのリズム効果法の吃音講習会で、「音読では読めるようになったが、会話が一向に改善しないが、どうしてか」と講師に質問したら、「指導がまずいからだ。どもりは、80%は治せる」とズバリと言われ、自信をなくしました。

伊藤 音読と違って、日常会話は難しい。それが改善できないからといって、指導がだめだということにはならない。その講師が、80%の吃音が治ると言ったそうだが、そんなはずはないでしょう。リズム効果法で吃音が治るなら、もっと全国に広がるはずだが、実際はその反対で、真剣に吃音について考える人は、全く相手にしなくなっています。
 ことばは、その人が、その人の日常の生活の中で話していくことでしか解決できません。多少の手助けができたとしても、他人が治したり、操作できるものではない。私は多くのどもる人に出会い、確信をもっています。どもりは、他人が治してあげられるものではない、という前提に立つべきだと思います。「どもりは、80%は治せる」は、指導後の調査、検証をしていないから言えることです。治ったかに見えるのは、指導の直後の一時的な現象で、それが持続するものではないことは、アメリカの言語病理学でもはっきりと認めています。指導室での効果を持続させ、日常生活に生かすことは難しいのです。

 ◇早期自覚教育とは(学童期の重要性)
伊藤 子どもにとって、本当に大きな問題が噴出してくるのは思春期とそれ以降です。小学校は、辛くても、大きな破綻がなく、それなりに生活はできます。ところが小学校で不適切な対応をすると、そのつけが、思春期と、それ以降にバッと噴出してきます。学童期に、ことばの教室や学校が不適切な対応をしても、そのために学童期に大きな問題が起こるということが少ないから、教師に切実さがありません。思春期の大変さ、幼児期の大切さはよく言われますが、学童期が軽視されています。後に起こってくる思春期の問題を予想しながら、今、学童期にできることを、考える必要があります。
 「息子が就職して新人研修に行ったが、発表させられることが多く、針のムシロにいるようだ。とても我慢できないので会社を退職したいと言う」
 母親からこんな電話があり、親子で相談に来ました。こういう相談は最近多くなっています。
 残念ながらこの青年はその会社をやめてしまいました。力になれずに、残念なことでした。この、会社を退職した青年は、どもりに直面することなく、学生時代はほとんど悩まなかったと言うんです。
 どもりとちゃんと向き合わないで、中途半端に考えてきた結果だと私は考えています。
 ですから、どもりに悩まないことがいいとは言い切れません。むしろ、一時期、どもりに悩んでも、真剣に向き合うことが出来れば、それの方がいい。その時期がないと、就職してからの研修の時、実際に仕事をしている時、結婚の時、息子の結婚式で新郎の父親として挨拶する時などで、深刻に悩むことがあります。
 人によって時期は違いますが、そうなった時の、どもりの悩みは、その後の人生に大きく影響したり、ノイローゼになるほど深刻なものになります。
 私の言う《自覚》というのは、どもりと一度は、きちっと向き合うということなんです。
 「どもっていても、やればできるんだ」
 この有能感は、子どもの頃から育てるほど、問題を乗り越えるきっかけとなり、またもっと難しい問題に向かおうという勇気になってきます。こういう積み重ねによって、「僕はどもってでもやれるぞ」という気持ちができてきます。
 これを育てないと、この青年のようなことが起こります。(つづく)


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2022/01/17