第一回の吃音ショートコースを紹介してきました。その号『スタタリング・ナウ』NO.17の巻頭言は、「努力の否定」でした。1976年の『吃音者宣言』の前に出した「吃音を治す努力の否定」は、吃音の世界に大きな波紋を投げかけたようです。僕たちは、自分自身が吃音を治そうと努力してきた結果、かえって吃音の悩みの闇に深まり、吃音が治ってからの人生を夢見て、現実を生きられなかったことへの洞察から、吃音を治そうとする意識や、行動のすべてを否定するしか道はなかったのです。僕たちの長年の吃音との苦闘の中でたどり着いた、ある意味当然の結果だったのですが、周囲にはなかなか理解されませんでした。治せないという事実と、多様性が大事にされる今、ようやく、僕の主張することに、現実が追いついてきたように僕には感じられます。少し、時代を先取りしすぎていたようにも感じられます。1996年1月に書いた文章を紹介します。
 なお、ここで紹介している「吃音臨床研究雑誌 1995年度年報 障害の受容」は、売り切れて、今、在庫はありません。出来れば、日本吃音臨床研究会のホームページで紹介したいと考えています。

  
努力の否定
       日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二

 「障害を乗り越えて…」障害をもつ人が、意義のある、また大変困難だと思われることを成し遂げると、新聞などのマスコミで紹介される時、必ずこの見出しが使われる。
 このような型どおりの称賛や、「不屈の精神力」や「不断の努力」を強いる社会は、間違っているのではないか。
 『1995年版障害者白書』がこう問いかけている。
 「どもりを治せないのは、不屈の精神力と、不断の努力が足りないからだ」このように上司から言われ、どもりを治せと厳命され、吃音矯正所に通わされたどもる人がいた。
 上司は、その矯正所にまじめに通っているかを調べる程の念の入れようだった。
 どもりは治らず、その人は会社を解雇された。
 一般的にどもりは、本人の努力で、また大人になれば治ると考えられているからこのようなことが起こる。障害を治したり、障害を乗り越え、称賛される人の蔭に、乗り越えられずに、偏見、差別のプレッシャーを受けている人は少なくない。
 1974年、私たちは《吃音を治す努力の否定》の問題提起をした。《治ることの否定》とか、《治すことの否定》と、未だに誤解されている。
 努力の2文字が軽視されるか、無視されたのだ。
 私たちが強調したかったのは、努力の方だ。《努力の否定》こそ、この提起の眼目だった。これは、障害者に不屈の精神力や、不断の努力を強いるのは、間違いではないかと問いかけている『1995年版障害者白書』の趣旨に近い。
 原誠二さんは、「僕は障害者なんかじゃない」と、聴覚障害を否定し、障害者の集いに参加することも避けた。内科医として勤務する中でも、自らの障害についてなかなか言えなかった。
 牧口一二さんは、小学校2年生から松葉杖をついている。「とにかく働かせて下さい」と54の会社を受けて全て不合格。落ち込んで2年間何もしないで、家に閉じこもった。
 谷口明広さんは脳性麻痺で、車椅子の生活。「あなたは障害をもっているけれど、自分でやれることは、やらなあかん」という母親がいても、日本では、24時間の介護だった。7か月のひとりでのアメリカ生活は2時間介護だった。その中で、谷口さんは格闘する。
 今回紹介する3人の今の人生は、「障害を乗り越えて」と、一般的には見られるかもしれない。しかし、障害を否定し隠したり、落ち込んで2年間引きこもったりして、行きつ戻りつの人生だった。牧口さんは、「戸惑うとか、たたずむとか、迷うとかが好きだ」とも言う。3人とも、不屈の精神や、不断の努力を誇示したり、押しつけたりはしない。ただ、自分はこう生きたという体験を率直に語るだけだ。
 その中から、原さんからは仕事に対する誠実さ、牧口さんからはバイタリティー、谷口さんから底抜けの明るさが伝わってくる。
 特別の精神力や努力がなくても、誰でもがその気になれば、近づけそうな、身近な存在だ。厳しかったであろう人生を、淡々と語る独特の語り口が、聞く人をなごませ、温かいものを包み込む。特に谷口さんは、爆笑すら何度も起こる。
 この3人の障害のある仲間の人生と出会える、『日本吃音臨床研究会 吃音臨床研究雑誌 1995年度の年報』、年報の第一号がやっと完成した。その年報に、昨秋行われた、吃音ショートコースの、《吃音受容》のパネルディスカッションを全て収録した。どもる人、どもる子どもの親、ことばの教室の教師、スピーチセラピスト、吃音研究者、参加者皆が本音で語り合った3時間だ。どもる人だけでなく、様々な人の自己受容が語られる。
 障害の受容を特集したこの吃音臨床研究雑誌には、生きるヒント、子育てのヒントが一杯に詰まっている。多くの人々に是非読んでいただきたい。


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2022/01/15