新しい年を迎えたご挨拶のようなブログで、今年がスタートしました。
 今日から、通常に戻ります。様々な立場の人が一堂に集い、吃音について語り合う吃音ショートコースの第一回のゲスト、東京正生学院の理事長だった梅田英彦さんの話を紹介したところでした。そのときの吃音ショートコースに参加した人の感想を紹介します。安藤百枝さんは、息子がどもることがきっかけで言語障害教育とつながりができた人です。大阪教育大学の言語障害児特別専攻科で学び、僕たちと親しくなり、内須川洸先生とのプライベートな旅行ではいつも一緒でしたし、横浜での吃音相談会の企画者のひとりでしたし、「どもりの相談」の編集・出版にも関わって下さった大切な人でした。
 仲間の中では一番お元気だったのに、病気のため、お亡くなりになりました。今回、安藤さんの感想を読み直し、安藤さんの温かくて優しくて、そして厳しい視点をもったことばの数々を思い出しました。

《吃音ショートコース・感想より》

 吃音ショートコースでたくさんの心のおみやげを持って帰った次の日、重度の自閉症のター君のお母さんからこんな報告を受けました。

 先日、ター君の姉(小5)の日曜参観と懇談会がありました。これまでずっと平日参観の時は父親に会社を休んでもらってター君をみてもらって参観に行くことができていました。ところが今回は父親の都合が悪くなり、ター君をひとりにできないので、参観に行けないと姉に言ったところ、
 姉 「ター君も連れてくればいいじゃないの」
 私 「ター君、変な声出したり動き回ったりするかもしれないよ。それでもいいの?」
 姉 「だって、それがター君なんだもの」
 私はクラスのお母さんたちの前にター君を連れて行くのは恥ずかしく、さんざん迷ったけれど思い切って連れて行きました。すると、友達も「ター君」「ター君」と声をかけてくれ、お母さんたちの態度もいつもと変わりありませんでした。これで何かがふっ切れた感じで、これからはどこへでもター君を連れて行けるような気がします。

 普段なら、お母さんたちの深刻な悩みの相談もかなり冷静に聞ける私なのに、この時は不覚にも熱いものがこみあげてしまい、「よかったね」と言うのがやっとでした。前日までの吃音ショートコースでの《受容》の余韻が残っていたのでしょう。
 「お姉ちゃんもえらいけど、お姉ちゃんをそういう気持ちにさせたのはお母さんの育て方が良かったからよ…」
 やや冷静になって、こうほめたのですが、私の感動している気持ちが伝わったのか、その日は心を開いた深い話し合いをすることができました。

 本当に人それぞれに、いろいろな時期に様々な方法で、ひとつずつ乗り越えながら自分の問題、子どもの問題を受け入れていくのだなあ、それでいいんだなあ、と改めて痛感しました。ター君のお母さんとは長い付き合いなのに、いつもター君が引き起こすトラブルの相談が中心で、こんなに心が通い合ったのは初めてでした。きっと、吃音ショートコースのお陰で、私の心が開いていたからでしょう。
 それにしてもお姉ちゃんのセリフ、すごい!!

 今回の吃音ショートコース、とても充実した集いでした。人数もちょうど良かったのか、参加者ひとりひとりの気持ちがとても大切にされていて、企画の面でも運営の面でも、スタッフの皆様の力量に感服致しました。
 『早期自覚教育とことばの直接指導』のグループワークの中で、
 「子どもは、どもりながらもきちんと伝えられたという体験を積み重ねて、自分の中で有能感を育てていく。それを支援することがことばの教室の先生の役割で、そのために相手に届く声を出す指導も必要なのだ」
という伊藤伸二さんのお話がありましたが、本当にその通りで、その積み重ねが受容につながるのだと思いました。そして、これはそのまま失語症の方にも、障害のある子どもをもったお母さんたちにもあてはまることです。
 豊かな体験ができる楽しい環境作りを、と思うと社会的環境、物理的環境、心の環境、人的環境・・・やることいっぱいあるぞ!!と、今燃えています。私の人生時間が足りない…。ただし、心配なことがひとつあります。今回私たちは、伊藤さんの熱のこもった生の声に接したので、その真意が理解できましたが、「相手に届く声の指導」の文字面だけで判断したり、誤って解釈したり、人から人へと伝わっていった場合、誤解される恐れを感じます。
 《吃音を治す努力の否定》が誤解されたように…。
 対象が幼児であった場合、間違った解釈のまま下手に使われると、とんでもないことになるのでは、と危惧しています。メディアを使ったり、学会や研究会で発表したり等、いろいろな方法で、真意と具体的方法を広めてほしいと思います。誤解が広がらないうちに、是非お願い致します。(了)


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2022/01/02