「地震予知と吃音」から始まった、どもる子どもの両親教室での話の最後です。吃音の真似をされたときどう対処したらいいかとの質問でした。
 成人のどもる人の、体験にもとづく生の声を、保護者には聞いてもらいました。僕も、ユーモアで返すことができたらいいなあと思います。社会には、嫌な人もいるけれど、基本的にはいい人が多いと思える子どもに育てたいです。そのために、自分のどもりを認めること、保護者は自分の子どものどもりを認めること、それが出発点だと思います。
 参加されたお母さんの感想も合わせて紹介します。

どもる子どもの両親教室
    1995.7.8
    大阪市社会福祉指導センター

 〈子どもが吃音の真似をされて嫌な思いをしているがどう対処したらいいか〉

《親》子どもは中学1年です。小学校が2つ集まって中学校になっています。卒業した方の小学校の子は、うちの子=そういうしゃべり方をする子、本読みはスラスラいかない子、ということはみんな分かってくれていますからいいけど、別の小学校の子どもは、やはり初めてなわけで、学校から帰ってきて、「おかあちゃん、僕、真似されてん。どうしたらいい」と聞かれました。
 中学1年になって真似をされるって、えっと思ったんですけど、どう言えばいいのか分からなかったので、とっさに「真似したら、お前もそんなんになるんやと言うたれ」と言って、これで一応終わったんですが、これでよかったのかどうか、分かりません。このことについて、本人も私も先生には言っていません。小学校の時はその都度その都度先生にお話していたからよかったけど、中学では科目ごとに先生も変わるので、小学校の時のようにしていいのかどうかと思っています。去年の吃音ふれあいスクールで親同士の話し合いの中で、「今までは小学校でよかったけど、今度2つの小学校が一緒になって中学になるからどうしたらいいだろうか」と質問したら、「中学なんだから、本人が学校に直接言うのがいいけれど、本人が学校に伝えて欲しいというのなら、お母さんが中学に行って伝えたらいいんじゃないか。本人とよく相談して下さい」と言われました。
 子どもがああしてほしい、こうしてほしいとか何も言わないもんですから、私も家庭訪問で来られたけれど、担任の先生にことばについては何も言わなかったんです。それで、こういうことが起こったから、担任に言った方がいいのかなあという気もしてきました。でしゃばって親が言っていいものか、本人が言うべきなのか、周りが分かってくれるまで待つべきなのか、今、迷っています。

どもる成人の意見
◆真似されてくやしかったら、そのくやしい気持ちは自分で言わないといけないと思うけれど、お母さんの言い方、いいなあ。「うつしたろか」と、口をつけにいったらいい。いじめとか、からかいにはユーモアで返すのがいいと思います。
◆僕も、真似する子がいたんだけど、もうそんなの勝手にしろという感じで、無視していました。そしたら、そのうちしなくなりました。真似したって全然反応がないから、つまらなくなったのだと思います。
◆勝手にしとけで、自分の気持ちが処理できればいいけど、処理できないときがあると思います。真似されたり、ひやかされたりしたときは、うーん、難しいな。まねした子を殴るわけにもいかないし。
◆中学だから、その内減ってくるとは思います。みんながみんなそんなことをしてくるわけではないと思うから。自然と、そんなことしていても仕方がないと思うようになってくると思います。
◆深刻な感じで処理したくないなと思います。ユーモアで返すなど、ゆとりがほしいな。
◆やっぱりジョークが一番いいと思します。どもりだけじゃなくて、人間関係も、深刻になりすぎないようにしたいなあ。
◆僕は小学校5、6年の時、真似されたことがあったけど、そのときは言い返せませんでした。ユーモアで返すなど、そういうとこまで達していなかったから、そんなことはできませんでした。

 ユーモアがこれからは武器になるような気がします。ハンディを持っている人は、よけいにユーモア感覚を身につけたいですね。弱いものは弱いと認め、自分を認めるところからしかユーモアは生まれません。結局は自分で自分を受け入れることでしょう。自分で自分を好きになる、というところからすべてが出発すると思います。そういうゆとりはどうして生まれてくるのでしょう。どもりをマイナスに思わず、どもりを受け入れていたら、ゆとりを持ってユーモアで返せます。でも、どもりを否定し、どもるのは嫌だ、みじめだと思っていたら、一番嫌なことについてぐさっときたわけだから、逆上しますよね。どもりを受け入れているかどうかということは大きなことです。
 大人である僕たちは自分自身がどもりをどう受け入れるか、小さいお子さんの場合は両親が本当にその子を受け入れるかどうかが大事なのです。親が吃音を否定して受け入れていないのに、子どもが健気にも、親が否定していることを受け入れることはあり得ません。大人になってくると、親なんて関係なしに、いろんな人と出会ったり、どもっていても異性から惚れられたり、どもってでもいろんないい経験をすると、どもりを受け入れるチャンスはいっぱいめぐってきます。子どもの場合は親を越えての体験ということはできないと思います。親が受け入れる程度にしか自分の問題を受け入れられないんです。

どもる子どもの両親教室に参加して
                長山ひろ子

 ある日、突然ことばがつまり、我が子と吃音とのつきあいが始まりました。五年になろうとしています。その間、小児科医、児童相談所、カウンセラーの方々から助言をいただきましたが、共通していたことは、「そのうちに治るでしょう」「本人に吃音を意識させないように」ということでした。
 しかし、一向によくなる気配はなく、本人が悪戦苦闘している姿に心が痛み、どうしてやればよいのか悩む日々でした。
 知人の紹介により初めてこの吃音両親教室に参加させていただきました。「治らないかもしれないことを受け入れる」「早期自覚教育の必要性」についての話を聞く中で、もやもやとしていた吃音に対する考え方、見方に一つの整理ができたように思います。
 しかし、親子とも、これを受け入れていくにはまだ時間がかかりそうですが、ここからが出発なのだと思っています。
 また、成人のどもる人の体験からのアドバイスは、心温かく大変有り難く思いました。おかげさまで子どもへの接し方に、自信と余裕が出てきました。
 我が子がいずれ歩むであろう険しい道程を思う時、皆さんの存在、活動は心強いものに感じました。


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2021/12/22