「治す努力の否定」「吃音者宣言」に対するチャールズ・ヴァン・ライパー博士の誠実な対応は、今も心に残っています。どもる人を心から愛している人だったのでしょう。
 私たちに向けて送って下さったメッセージの前半を紹介します。45年も前のことですが、今も十分に生きている内容です。

『スタタリング・ナウ』NO.7 1995.2.28

 ヴァン・ライパーさんは、吃音者をこよなく愛した人だった。遠く日本からのメッセージや依頼にいつも快く、素早く対応して下さった。《吃音を治す》から《吃音克服》さらに《治す努力の否定》と私たちの吃音への対処が変化していくプロセスを温かく見守って下さっていた。《吃音者宣言》をとても気に入って下さり、協力も申し出て下さっていた。
 今、私たちは、《吃音と上手につきあう》実践を続けているが、そのことが、ヴァン・ライパーさんの意志を継ぐことになるのだと思う。
 1991年4月、自らの死期の近いことを悟ったヴァン・ライパーさんが、アメリカのグループNSPの機関紙『Letting Go』に最後のメッセージを寄せている。それをそのまま紹介の予定でいたが、1976年に私たちに送って下さったメッセージと内容はほぼ同じものだと分かった。ご自身が吃音の悩みから脱出した時のエピソードだから変わらないのは当然だが、底に流れる基本的な姿勢も終生変わらなかった。そのことが、二つを読み比べてよく分かる。前段を『Letting Go』から引用し、エピソードや、吃音者へのメッセージは、私たちに寄せられたもので紹介する。

 私はこのほど心臓障害のため、主治医から、残された時間で身辺整理をするようすすめられ、その仕事を片付けました。しかし、やり残していることがひとつあります。私は長年親しんできたこのニュースレター『Letting Go』ならそれを片付けるのに一役買ってくれるだろうと思っています。私は死ぬ前に、どうしても85年の人生で吃音について私が学んだことを、多くの吃音者たちに伝えておきたいのです。
 私は、これまでに何千人という吃音者たちに接し、たくさんの研究に携わり、吃音を扱った本を出版したり、多くの記事を書いてきました。重要なのは、私自身がこの間ずっと吃音を持っているという点であり、また私自身リズムコントロールにリラックス効果にスロースピーチに呼吸法、さらには精神分析や催眠術にいたるまで、ほとんどすべての吃音治療を経験してきたのです。しかし、どれもその成果を見ることなく、一時的に流暢さを取り戻したかと思うと、すぐに逆戻りするだけでした。それでも今では、どもることがあっても、ほとんど気づかれないほど流暢に話せるようになっています。
 私の人生が、とても幸福で成功に満ちたものになったのは、ある基本的な考え方との出会いのおかげでした。それをぜひ皆さんに紹介しておきたかったのです。
   (『Letting Go』1991年4月号)

日本の吃音者へのメッセージ  1976年12月
§吃音者宣言について
 「吃音者宣言」と「治す努力の否定」の問題提起をされたあなた方の手紙を実に楽しく読ませていただきました。その考えに賛成するかとの問いに、私は、はっきりと「イエス」とお答えします。
 成人になってもひどくどもっている吃音者は、世界中のどんな方法を使ってもほとんど治ることがないと私は確信しています。遠い昔からある、このどもりの問題を、私は、長年研究してきました。自分のどもりはもちろんのこと、何千人もの吃音者を診てきました。報道機関を通してさまざまな治療方法が公表されるたびに、そのうちのひとつくらいは本物があるだろうと期待して、その検討もしてきました。しかし、それらはいつも子どもだましであったり、フォローアップでのチェックが不正確であったりしたのです。このような情勢の中から、私たち吃音者は、おそらく一生どもって過ごさなくてはならないだろうという事実を認める必要が生じてきました。ぜんそくや心臓病を患っている人が、その治療が難しいという事実を受け入れているのと同様に、私たちもその事実を受け入れようではありませんか。そして、私たちがその事実を受け入れると同時に、どもりを忌むべき不幸なものとしてではなく、ひとつの考えねばならない問題として理解し受け入れてくれる人を増やすために、吃音者自身が社会啓蒙することが必要なのです。
 しかし、吃音者はいつの日かなめらかに話せるようになるという望みをすべて捨ててしまわなくてはならないと言っているわけではありません。コミュケーションに全く支障を起こさず、気楽にスムーズにどもることができるのです。そのためにはまず今後もどもり続けるであろうという事実を受け入れることです。そして、不必要に力んだりせずに、うまくどもるにはどうしたらよいかを習得することです。おおっぴらにどもってみる勇気があるならば、これは、どんな吃音者でもできることです。私たちがどもる時にしているもがきやどもることへの恐怖は、本当は不必要なことです。私たちがどもる時に起こるもがきは、フラストレーションが原因です。恐怖は、現実でないもののように装おうとすること、つまり非吃音者を装おうとすることが原因です。子どもたちは、どもり始めても大人のように話すことを恐れたり、グロテスクに顔をゆがめたり、話の途中で長くつまったりしません。大人はどうしてそんなことをするのでしょう。

§ある出会い
 私がどうしてこれらのことに気づき、どのようにして30歳の年で生まれ変わったかをお話しましょう。私は、ことばを話し始めた頃からどもっていたようです。少年時代、青年時代は、みじめそのものでした。何とかして治そうと何度も試みたにもかかわらず、努力は報われませんでした。大学時代には、相変わらず並外れて激しくどもり、成績はよかったにもかかわらず就職の際にはどこにも相手にされませんでした。やっとの思いで材木を切り出す人夫になりましたが、伝達がうまくできないという理由で首になり、将来を悲観した私は、3度も自殺しようとしました。
 当時、私はあまりにもひどい吃音のためにどこにも就職口を見つけられず、仕方なく聾唖者を装い、ウィスコンシン州ラインランダーのある農場で働くことになりました。これで人と話すことなく生活していけると思ったのですが、一月もすると自分で耐えられなくなり、そこを出ました。決して温かくは迎えてくれないとは思いましたが、とにかくそこから故郷へ引き返そうとヒッチハイクをしていた時のことです。
 しばらく歩いたところで、私は一休みしようと木の下に腰を下ろしました。そばでは農夫が畑仕事をしていました。すると私のそばに車が1台止まって、中から老人が降りてきてその農夫と話し始めました。私は、その老人が妙につまりながら話すのに気づきましたが、その時はそれがどもりだとは思いませんでした。ふたりが話し終わったので、私は老人に向かってヒッチハイクのジェスチャーをしてみせました。その老人は私を中に乗せてくれました。当然のなりゆきとして名前や行く先を聞かれました。その時の私の吃り方といったら、あえぎながら顔を歪め、体をねじ曲げて、もうすさまじいものでした。それを見たこのもうろくじじいは、火がついたように笑い出したのでした。私はその時、殺してやりたいと思ったくらいです。私が憤慨しているのを見てとると、その老人が言いました。「かっかするな。お前さんがどもったから笑ったわけではないんだよ。実をいうと、このわしもどもりだからさ。お前さんのくらいの頃にはそこらじゅうはねまわって、つばを飛ばして、丁度お前さんみたいにどもったもんだよ。でも、今じゃ老いぼれて、くたびれてそんなふうに一生懸命どもれなくなってしまったよ。お前さんも、もっと気楽にどもったらどうなんだい」
 このことばに私は激しくゆさぶられました。それまでの私はずっと、どもらずに話すこと、どもるのを避けること、どもりを隠すことにのみとらわれていて、その結果ますますひどくどもってしまうのでした。この老人が教えてくれたのは、話す相手と自分の両方に耐えるどもり方を見つけるということでした。それはどもることを気にせず、気楽に力まずにどもること、そうすることでなめらかにどもることができるようになるのです。この発見は稲妻のように私を打ちました。私は年をとって、くたびれるまでの時間を無駄にはしないと決心したのでした。(つづく)


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2021/10/31