昨日、「言語障害事典」の項目のひとつ、〈吃音児の治療教育〉を紹介しました。その中で、チャールズ・ヴァン・ライパーの吃音方程式を紹介しました。ライパーは、吃音の悪化要因を分子、改善要因を分母に置きました。そして、分子を減らし、分母を増やす臨床を提案したのです。
 ライパーは、僕が最も敬愛する吃音研究者ですが、この方程式で、分子に吃音に直接関係する要因はかなり丁寧にあげている一方で、分母には大雑把に、士気、自信、そして流暢性を置きました。士気、自信はいいのですが、流暢性を置いたことは、大きな間違いだったと僕は思います。そのことで、その後のライパーの弟子たち、例えば、カール・デルやバリー・ギターは著作で流暢性にこだわっています。ライパーは、流暢さにこだわるという負の遺産を残したのではないかと思います。アメリカ言語病理学は、この呪縛からずっと抜け出せないでいます。
 
 僕は、1976年、3か月間をかけて、35都道府県38会場で、全国巡回吃音相談会を開いた時、「吃音と悩みの実態調査」も実施しました。その結果、吃音が重かった時期と悩みが深かった時期とが必ずしも一致しなかったことが、かなり明らかになりました。
 それらをもとに、どもる人の悩みと意識と行動に焦点を当てて、伊藤伸二の吃音方程式を作りました。吃音の悩みを深める要因を分子に、悩みを軽減する要因を分母に置きました。流暢性よりも、どもっても目的を達成できた経験が大事だと僕は思うのです。

 ライパーと僕との決定的な違いが、この方程式の違いに現れています。
 ライパーは、1930年代、アイオワ州立大学でブリンゲルソンの「随意吃音」で改善し、大学教授(吃音研究者)になり、5000人以上の治療にあたりました。ほぼ全員が治らなかったのですが、改善できたといいます。「流暢にどもる」、どもり方は変えられると主張しています。つまり、自分がセラピーを受けて変われたから、セラピーの必要性を強調するのです。セラピーで、「流暢にどもる」ようにならないことは、その後の、バリー・ギターの治療実績でも明らかになっています。

 一方、伊藤伸二は、1965年、東京正生学院の30日間で治療に見切りをつけ、「どもれる体」になり、どもりながら日常生活に出ていくことで自然にどもり方が変わりました。つまり、治療ではなく、吃音を認め、訓練は一切やめて、日常生活をどもりながらも、積極的に話していく中で変わっていきました。30日間、恋人、親友、仲間とどもりながら徹底的に話し、話すこと、伝わることの喜びを味わったのです。それが後に「吃音を治す努力の否定」「吃音者宣言」につながったのです。

 ここで、伊藤伸二の吃音方程式を紹介します。

  〈分子 吃音の悩みを深める要因〉
愛された実感が少ない
同年齢の友だちが少ない
吃音への否定的対応
完全主義からくる失敗恐怖
未来への失望
話すことからの回避の度合い
吃音のことを話せる人がいない
学校やクラスに居場所がない
どもることやその他の劣等感
周りの無理解

  <分母 吃音の悩みを軽減する要因>
味方になってくれる友だちがいる
家族・地域などの豊かな人間関係
得意なことや好きなことがある
熱中できるものがある
どもってできた経験が多い
モデルとなる人との出会い
吃音の適切な知識
未来への展望・希望
人に受け入れられた経験など
楽天的な人生観

日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 201/6/16