内須川本表紙4冊_0002 内須川洸先生の退官記念講演の紹介から、先生が編集を担当された「言語障害事典」に執筆させていただいた項目を紹介してきました。今日が、その紹介の最終となりました。
 今日の項目は、「吃音児の治療教育」です。「吃音児」も「治療教育」も、今は、僕は使うことはなく、違和感のある言葉なのですが、書いている内容に関しては、ほとんど変わりません。最後に書いている下記の文が、それを表しています。
 「以上のことから、吃音児の治療教育の中心は、吃音を持ったまま明るく元気な子どもを育てることにあるといえよう」

吃音児の治療教育(英)remedial education for stuttering

〔沿革〕1959年(昭和34)、公立小学校に「言語治療教室」が設置されるまでは、吃音は学校教育のなかでも福祉のなかでもまったく放置されていた。しかし、吃音で困り悩んでいる児童・生徒が少なかったというわけではない。文部省が主催して吃音矯正教師講習会を開いたり、夏休み等を利用して「吃音矯正会」を開いてはいたが大きな力とはなり得なかった。特に地方都市においては民間の吃音矯正所が全国各地を巡回する矯正活動を続けていた。吃音児は「1過間以内でどもりが治ります」と宣伝するその機会を利用することが多かったようである。吃音児を扱いかねていた学校側はクラス担任を通して父兄にこの巡回矯正会の情報を流し、学校の施設を貸すなどして積極的に援助をした。しかし、「治る」と宣伝しているその民間の矯正会で、多くの吃音児のどもりは治らず、かえって悪化していく場合が多かったことは、多くの吃音児・者の体験が物語っている。

◎それまでどもりながらも明るく生活していたのに、巡回矯正を受けてから暗くどもりを気にする子になりました。
◎指導を受けて1カ月は調子が良かったのですが、すぐに元にもどってしまいました。

 まれにどもりが治ってしまう場合もあったが、上述のように、学童期の吃音児には民間矯正所の発声練習や呼吸法を中心にした、つまり吃症状のみに集中した指導がかえって吃音を意識させ、吃音の悪循環を育てることにもつながったようである。
 全国各地に「ことばの教室」が設置された現在でさえ、この種の矯正会を教育委員会等が後援している例があり、保育所、幼稚園、学校にその案内のパンフレットが配られてくるのは残念なことである。

〔指導内容〕前述の「ことばの治療教室」 が設置され吃音児を持って悩む母親に大きな希望を与えた。当初は全国に数カ所しかなかったため、転居してまで子どもを通わせようとした熱心な母親もいたという。
 アメリカの言語病理学が日本に紹介され、それらをもとに指導法が考えられた。母親の指導の中心には、ジョンソン(Johnson, W. 1955)の診断起因説から、子どもが自分のことばの異常を気にしないように、子どものことばに寛大になり「言い直してごらん」、「ゆっくり言ってごらん」などのことばに関する注意をやめるとともに、子どもが喜んで話したくなるような聞き手になることを基本においた。また、ヴァンライパー(Van Riper, C.1964)は吃音の重症度に関係する要因を仮定し、それらをあてはめて1つの公式を考案したが、子どもの指導はこれに基づいている。
 その公式は、 こう表される。
 
 S= (P・F・A・G・H)+(Sf・Wf)+Cs
           M+Fl            

S 吃音の頻度や重症度。
P(penalty 罰)吃音に対して罰が与えられたとき、あるいは過去に与えられた記憶があるとき。F(frustration欲术不満)経験または記憶に残っているすべてのタイプの欲求不満。A(anxiety 不安)不安があるとき。G(guilt罪)罪の意識。H(hostility 敵意)はけ口の必要な敵意。Sf(situational fear 場面に対する恐れ)過去の不愉快な記憶に基づく場面に対する恐れ。Wf(word fear 語に対する恐れ)過去の不愉快な記憶に基づく特定の音または語に対する恐れ。Cs(communicative stress 話すことに関する心理的圧力)。
M(morale 志気)志気ないし自我の強さ、あるいは自信。Fl(fluency 流暢さ)本人の感ずる流暢さの度合い。

 各要因を以上のように説明し不安定度を表すとともに、さらに治療にあたっては、公式の分子を小さくし、分母を大きくすることによって吃音の頻度・重症度を軽減しようと した。ことばの教室ではそれらの上に立って自信を持たせ、子どもの志気を高めることに指導の重点を置いている。
 以上のジョンソン、ヴァンライパーらの説をもとに、母親指導を中心にした吃音児をとりまく環境の整備、そして吃音児には吃症状にのみ中心を置かず、自信を持たせるなどの指導が試みられ、吃音の治療が進められてきた。

〔現状〕当初、ことばの治療教室が設置されたときの「言語障害は治る」という期待は、少なくとも吃音に関しては消えつつある。幼児の吃症状が母親を中心とした環境の整備 (吃音に注意を向けず、大らかな姿勢で子どもの成長を見守る)などで消失することは多いが、小学校2〜3年と経てきている吃音児がある程度の改善はあっても、担当教師の思いどおりに治っていく(一般に言うどもらずになめらかに話す)ケースはそれほど多くはない。
 ことばの教室の担当者が自主的に参加し、研修する研究会の報告を見ても、そのあたりの事情をうかがい知ることができる。ことばの教室の開設期から発展期1963〜65年(昭和38〜40)頃までは、研究会などで吃音児の指導・治療の事例報告が多く出され、指導方法がさかんに論議された。しかし、1971年(昭和46)頃からどうしても治らない事例が報告されるようになり、例えば7年間ことばの教室を担当したが、満足して治したといえる事例は極めて少ないとの報告もある。1976年(昭和51)の言語障害児研究大会では、1973 年(昭和48)頃から吃音に関する事例報告がいろいろな研究会でなされなくなったと報告された。そして、
◎どもりは治らないのではなく、治療する方が未熟なのだ。
◎治らない吃音はあり得ない。
◎実際治らないケースはあるのだから、そこからのアプローチが必要だ。
などさまざまな意見や報告が出され、担当者が吃音児の指導はいかにあるべきかを悩んでいる姿が浮きぼりにされた。

〔展望〕従来、吃音児の指導は「吃音を治療する」方向に目を向けられてきた。吃音そのものに焦点をあてない指導でも「治っていく」ことを期待していたのは言うまでもない。前述のことばの教室関係者の感じてるいきづまりは、この「吃音を治療する」ことに目が向きすぎていたためではないだろうか。
 確かに吃音児・者本人、吃音児・者を持つ両親が吃音を治したい、治りたいと考えるのは当然すぎるほど当然であろう。また、愛情ある教師ほどなんとか治せるものなら治してやりたいと考えるのも当然であろう。そうすることが子どもの幸せにつながると考えられていたのである。しかし、前述のことばの教室の担当者の報告にあるように、治ると言われていた吃音児の吃症がそれほど治っていかず、それにもまして問題となったのは、治し得なかったことばの教室の担当者が感じる自責の念であった。「他の先生に指導してもらっていたら治っていたかもしれないのに」と自分の勉強不足を責めジレンマに陥る担当者も少なくなかったのである。
 また指導される側の吃音児にとって、「治す」という方向での指導は、吃音問題解決を考えるにあたって最大のポイントとなる“吃の受容”を遅らせる要因になりうる危険性もある。
 どの吃音が治り、どの吃音が治らないかが予測できない現状では「治す」という方向でのみ考えるのでなく、その子どもが治らなかったときのことも配慮し、どもりながらもそれがハンディキャップとならないような指導を考えることが大きなポイントとなろう。
 以上のことから、吃音児の治療教育の中心は、吃音を持ったまま明るく元気な子どもを育てることにあるといえよう。

 診断起因説、親子吃音関係、吃音に対する態度テスト、吃音の治療、吃音の対症療法、民間矯正所 (伊藤伸二)


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2021/6/15