言語障害事典(内須川洸編 岩崎学術社)

 昨日の続きです。今日は、吃音予期闘争説と、人工吃の2項目を紹介します。人工吃の発見が、治療法としてのDAF(聴覚遅延フィードバック)に発展しました。現在でも、一部で使われていますが、DAFの装置をつけている時は「ゆっくりのスピード」になるために、どもらないのですが、それを外すと効果はなくなります。世界大会で役員だったイスラエル人が大勢の前で、決まった文章を読むときなどで使っていました。DAFを使って訓練してもほとんど役に立たないことは、世界大会で何度も発表されていました。

吃音予期闘争説(英)approach avoidance conflict theory of stuttering
 話す前にうまく話せないと考え、そのため発語器官の筋肉が緊張し、話すことに躊躇する、つまり話すことを妨げる行為から吃音が起こると吃音予期闘争説は説明する。
 ブルーメル(Bluemel,C. S.1932)は、子どもの吃音は、自覚も努力もない音のくり返しや引き伸ばしで始まるとし、それを一次吃と名づけた。そのくり返しや引き伸ばしを注意されるたびに、うまく話そう、うまく話せないかもしれないという反応を示すようになり、そのような状態の吃音を二次吃と名づけ、吃音が予期闘争反応となるのは、この二次吃においてだと説明した。
 一方、ジョンソン(Johnson, W.1955)は、ブルーメルが一次吃と名づけたものは、正常な幼児のことばの非流暢性とあまり変わらないとし、子どもが予期闘争反応を示すようになるのは、子どものせいではなく、両親の子どものことばに対する異常な反応にあると主張した。
 シーハン(Sheehan, J.G.1958)は、二重接近−回避型の抗争として吃音を説明した。話したいという欲求と話したくないという欲求、黙っていたいという欲求と黙っているのが恐いという欲求が、相争うことによって吃音が起こると説明したのである。
 これら吃音予期闘争脱を唱える人々は、吃音の始まりや進展をこの説によって説明しようと試みているが、特定の子どもについての説明はできてもすべての吃音について十分説明できるとは言い難い。しかし、吃音を闘争または回避といった予期反応であるとし、それを支持する専門家は多い。
 吃音の予期反応、発吃理論 (伊藤伸二)
〔文献〕神山五郎・伊藤伸二(1967)改訂・吃音研究ハンドブック 金剛出版。

人工吃(英)artificial stuttering
 〔意義〕人が話すとき、話し手の声は聞き手の耳に入ると同時に、話し手自身の耳にもフィードバックされる。つまり、自分の声を自分の耳で確かめながら話しているのである。これは瞬時に行われているため、異和感はなく、普段は意識の上にのぼることはない。
 しかし、自分の話し声が短い時間遅れて耳にフィードバックされたらどのような効果が現れるであろうか。
 1950年、リー(Lee, B.S.)は、自分の話し声を発語と同時ではなく、0.1〜0.2秒遅延させてフィードバック(delayed auditory feedback, 略してDAF)させると、話すときに入ってくる自分の声が邪魔になって、⑴読むスピードが遅くなる、(2)声が大きくなる、(3)流暢さが乱れる、などの現象が生じることを報告した。リーはこれらどもりに似た言語状況を人工吃と名づけた。
〔検討〕リーの報告以来、DAFとスピー チの関係について関心が持たれ、DAF効果がよく現われる遅延時間、DAFに長時間慣らされた後の残留効果、年齢的要因、性差など多くの研究がなされた。
 どもりとの関係においては、ロッツマン (Lotzmann; G.,1961)らは、吃音者に DAF を負荷すると吃症状が非常に減少することを、遅延時間との関係で報告した。それによると、文章朗読が最もスムーズに行なわれるのは、多くの吃音者の場合、delay timeが 50msecのときであるが、吃症状の重症度により個人差があると言う。
 また、ニーリイ(Neelley, J. M.;1961)は、23人の吃音者の言語症状とDAFのもとに起 こる非吃音者の言語症状(人工吃)とを比較し、次の結論を得た。「吃音者に同一文章を 5回読ませると吃症状は45%減少するが、非吃音者の人工吃の場合は20%しか減少しない。また、両者の声を健聴者に聞かせると78%の確率で区別できる」とし、DAFによって生じる人工吃と吃音者の吃症状は異質なものであると主張した。この主張は一般に受け入れられ、吃音は聴覚的知覚の欠陥から生じるという仮説は一応容定されるが、ニーリイの行った実験手続き等の不備を指摘する反論も出されている。人工吃について概要を述べたが、まだまだ検討すべき余地は残り、興味ある研究テーマであることには違いない。
〔治療への応用〕吃音者はゆっくり話せば速く話すときに比べ吃症状は诚少する。どもる人に対する「ゆっくり言いなさい」というアドバイスはあながちまちがいではない。DAF のもとで会話速度が低下することは、リー以下多くの研究者が報告している。当然、この効果を吃音治療に生かそうとする考え方が出てこよう。つまり、ゆっくり話すパタンを作るためにDAFが有効であると考えられるのである。遠藤真ら(1971)はDAFによる治療計画を次のように立てている。「まず、DAF条件で長時間音読と会話を行って非流暢性の消去をはかる。その直後の消去効果が持続されている期間に正常なフィードバック条件で音読と会話を行って流暢なスピーチを強化する」。この方針のもと大学生3名に治療を試み、3事例とも吃症状が消去し、その後の追跡調査でもそれが維持されていると報告している。森山晴之ら(1977)は、携帯用のDAF装置を作成し、その訓練適応の検討を始めた。今後、吃音とDAFの関係、そして治療についての研究は統けられるものと思われる。
 DAF (伊藤伸二)
〔文献〕遠藤真・他(1971)大学生吃音者の治療におけるDAF効果の研究 山形大学保健管理概要 103。永渕正昭(1973) Delayed Auditory Feedbackに関する文献考察 音声首語医学14-2 ;14-52. Van Riper, C;(1971)The Nature of Stuttering, Englewood Cliffs, N. J. Prentice-Hall.


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2021/6/13