今日で、堤野さんの体験を紹介するのは6編目です。こうして連続して読むと、年に一度、「ことば文学賞」の応募作品として読ませてもらうのとは違い、圧倒的な迫力で、読む僕に迫ってきます。その源を、彼は、劣等感や孤独にあったと言います。
 僕も、数々の劣等感を持っていました。また、どもりたくないために友だちの輪の中に出ていけず、僕個人の感覚なのですが、小学校・中学校・高校と、「友だちが一人もいない」状態でした。運動会も遠足も大嫌いでした。一緒に弁当を食べる友だちがいないからです。吃音で一番苦しかった、辛かった思い出は何かと問われると、僕はいつも「高校2年生の時の修学旅行」を挙げます。3泊4日くらいでしたか、いつもひとりでいる修学旅行ほど辛い思い出はありません。「ひとりでも平気」ではなかったので、常に、誰かと話したい、遊びたい、友だちになりたいと切望していました。だから、それを妨害する吃音を治したかったのです。
 「人を求める力」が人一倍強かったから、日本で初めてのどもる人のセルフヘルプグループの全国組織をつくりましたし、世界大会を初めて開催し、国際吃音連盟をつくりました。孤独、孤立が、その後に続く僕の活動の原動力になったのだと思います。
 堤野さんの体験には、僕と重なる部分が多く、共感を持って、読んでいます。

 
【2009年 ことば文学賞 最優秀作】
     劣等感
                  堤野瑛一 団体職員、30歳

 僕は、ずっと孤独だった。
 幼少のころから、他者と関係をもつことが苦手であり、億劫だった。友達と外で遊ぶよりも、家の中でひとり、電車の模型や、おもちゃのピアノで遊んだり、絵を描いていることが好きだった。そこにはいつも、自分だけの自由な世界が広がっていた。誰にも邪魔をされたくなかった。
 当時は6男の子といえば、おもてで駆けまわったり、公園で野球をしたりするのが普通だったが、僕はそういうことには、まったく楽しさを見出せなかった。
 小学生になっても、中学生になっても、一貫して極度に運動音痴だった僕は、体育の授業が大変な苦痛だった。普通の男の子なら、誰にでも楽々とこなせるようなことが、僕にはうまくできずに、いつも恥をかかねばならなかったし、ドッヂボールなどは、僕にとってはただの拷問だった。父親はいつも、そういう僕を、男のくせに情けないやつだ、と嘲笑していた。
 僕は、緊張感ですぐにお腹をくだしてしまう体質だったので、授業中には毎時間、脂汗を流しながら、便意と戦っていた。
 遠足や修学旅行といえば、みんなにとっては喜ぶべき行事だが、トイレにいつでも行ける自由のきかない遠足とは、僕にとって恐怖でしかなかったし、他人と一緒だとほとんど眠れない僕には、修学旅行とは気の遠くなるような苦行だった。
 遠足や運動会の前日、みんながわくわくと明日を待ち望んでいるのをひしひしと感じながら、僕はひとり、明日が雨になることを、切実に願った。そういうときにはいつも、泣きたくなるような孤独を感じた。僕が切実に望むようなことは、いつだって、ほかの誰も望んでいないことなのだから。
 みんなが好きなことが嫌いであるだけではない。僕は音楽といえばクラシック音楽が好きだったが、音楽の授業でのクラシック音楽鑑賞の時間とは、みんなが退屈するもの、嫌な顔をすべきものであり、自分がクラシック音楽を好きであることは、誰にも言えなかった。
 とにかく僕は、趣味趣向や、興味の対象、物事の感じ方が、みんなとは極端に違っていて、書き出せば切りがないが、好きなことを堂々と好きだと言えない、嫌なことを嫌だと言えない窮屈さに、日々悶えていた。
 小学四年生のころには、僕にチックの症状が出はじめた。そのことで、級友にからかわれたり、担任の教師には煙たい顔をされたりもし、自分はみんなと違っている、自分は劣等品種であるという意識は、それまで以上に顕著なものとなった。
 家にいれば、早くチックを治せと父親には罵倒され、ときには殴られ、蹴られ、母親には、いつになったら治るのだと毎日責められ続けた。かと思えば、弟と母親が一緒になって僕のチックの真似をし、二人して大笑いすることもあった。そういう生活が、延々と続いた。
 学校にも家庭にも、心安らぐ場所はひとつもない。いつどこにいても、他者とは自分を傷つけるもの、脅やかすもの、はずかしめるものだった。
 集団の中で生きていくとは、なんて苦しいことなんだろう!? 人生とは、なんて過酷なんだろう!? こんなにも生きる適性を欠いた自分が、この先、生きていけるのだろうか?ああ、誰とも関わらずに、ひとりで生きられるような世界があったなら! 僕は、そんなことばかりを考えていた。将来大人になり、自立して一端の社会人になっている自分の姿など、まったく想像出来なかった。
 それでも、自分の劣等性を可能なかぎりごまかし、背伸びをして「普通」を演じようと努め、ほとんどギリギリの状態で、なんとか学生生活をやり過ごしていたのだが、高校生のとき、そんな僕にとどめを刺すようなことが起こった。僕は、どもりになってしまったのだ。その挙句、せっかく必死に努力をして入学した大学さえも、どもりによる不自由、劣等感にくじかれてしまい、退学してしまった。
 僕は、自分の境遇、人生を、心底憎んだ。なんで俺ばかりがこんな目に!? なんで俺ばかりがこんな目に!? もはやそんな言葉しか浮かばず、それまでずっとこらえてきて溜まりに溜まっていた涙が、一気に流れ出た。僕は、本当に孤独だった。

 それ以後数年間は、無気力で、荒れた生活が続いた。精神的にかなりすさんでいて、犯罪に近いことにもを手を出し、絶望的な気持ちで日々を過ごしていたが、他方、完全にぐれたり、死ぬ勇気もなかった僕は、なんとか生きる術を身につけなければならないと、常に頭の片隅では考えていた。
 僕が考えていたこととは、どもりを治すことだった。どもりさえ治ってくれれば、もうほかにはなにも望まない。どもりに比べれば、以前より抱えていたほかの劣等性など大したことではない。どもりが治るためならば、どんな苦しいことだってする。どもりさえ治れば、あとはどうだってなる―そう考えていた僕は、毎日毎日発声練習を続け、どもりを治してくれるかもしれないと思えば、どんな治療機関にでも駆け込んだ。
 しかし、なにをやっても、どもりが治るような兆しは一向にみられず、何度も何度も期待をくじかれ、疲れ果て、僕はもうボロボロになってしまった。
 とことんまで落ち込み、消耗しつくしたとき、自分は一体なんのために一生懸命になっているんだろうという疑問が、頭をかすめるようになった。僕は、どもりが治ることだけを夢に見て、それに莫大なエネルギーを注いできたが、仮にどもりが治ってみたところで、それはなんてことない「普通」である。僕のこれまでの人生の苦しみは、「普通」でないことへの苦しみだった。なぜ「普通」でないことに、そこまで劣等意識をもつ必要があろうか? なぜいつも自分だけが、たかだか「普通」のために身を削って努力せねばならないのか? ああ、なんて馬鹿らしいのだろう!? どもりは治らないとわかった今、もう「普通」ではない自分を認め、「普通」をあきらめるほんの少しの勇気さえあれば、僕は生きていけるのではないか!? 僕には、ありのままの自分でいる権利があるはずではないか!?

 僕は、どもりを治す努力を一切やめ、どもる人間として生きていく決心をした。その決心の表れとしての大きな第一歩が、大阪吃音教室への継続的な参加だった。そこで僕は、以前はまともに向き合うことが嫌で嫌で仕方がなかった自分のどもりと正面から向き合い、自分がどもる人間であることを素直に認めた。それだけではなく、チック症や、そのほか以前より抱えていた自分の劣等性、劣等感すべてと、僕は正直な気持ちで向き合うようになった。
 どもりを認めたといっても、その瞬間から劣等感が消えうせたわけではない。人前でどもってどもって話すことは、たしかに少々こたえるものがあったが、少なくとも、背伸びをしたり、借り物の衣装を無理に着ているのではない〈自分自身〉を、そこに感じることができた。チックの症状が人目に触れることに、なんの抵抗も恥ずかしさもなくなったわけではないが、しかし、それが自分なのだと認め、開示をすることで、僕はほかの誰でもない自分自身を生きているという感じがした。
 僕は自分の人生においてようやく、優劣や価値にとらわれない、ただあるがままの〈自分自身〉になることができた。
 大阪吃音教室でのどもる仲間との出会いは、戦友を得たようで頼もしく、嬉しかった。週に一度の例会には、毎週積極的に参加をした。
 しかし、そういう仲間の中にいても、僕は安易にみんなと同化してしまうのではなく、あくまで自分固有の感じ方、考え方、自分の体験を通じての直観を大切にし、自分の言葉で発言をしていった。日常のあらゆる場でも、僕はあくまで、僕個人の言葉を語り、相手の話にも真剣に耳を傾け、良くも悪くも、他者と正面からぶつかるようになった。
 その結果、他者と大きな対立をし、相手も自分も大きく傷つけることもあったが、他方で、(僕の勘違いかもしれないが)僕をとても信頼してくれる人も、ポツポツと現れだした。劣等感に苛まれつづけた昔の僕には考えられないことだが、あらゆる他者との正面きってのかかわりの中で、自分の人生の主体はあくまで自分であるという感覚や、自分は一個人として共同体の中で生きているという感覚がもてるようになった。
 僕は今でも、劣等感のすべてから解放されたわけではないし、僕は今でも孤独である。しかし、孤立はしていない。この世界には自分のような人間でも生きられる空間がある、僕は生きていける、という思いがある。
 劣等性や劣等感は、人生の過酷さだけではなく、その過酷さを生き抜いてきたからこそ味わえる喜びを教えてくれた。それに、こういう境遇を生きてこなければ、たぶん味わえなかったような人の温かさを、ほんのときどき感じさせてくれる。
 どのように生きたって、いずれこの人生は終わる。それなら、僕はあくまで自分自身を生き、自分自身をもって他者とかかわり、そして、自分自身を死にたい。

受賞者コメント 
 劣等感や孤独という観点から、自分の半生を綴ってみました。僕は、本当に孤独でしたが、孤独を生きてこなければ、きっとわからなかった人間観や人生観、見えなかった世界があると思っています。
 人間は本来、誰もがある意味孤独であると思いますが、安易で軽率な共感や仲間意識が、本来各人がもっているはずの豊かな固有性を塗りつぶしているように思います。
 孤独は、辛く寂しいことでもありますが、だけど一方で、とても豊かな感受性というか、世界をよく観る目を養ってくれるように思います。
 それに、吃音ショートコースという、こんなにも温かい場で、最優秀賞までいただけるのですから、苦しかったけれど、孤独を一生懸命に生きてきてよかった、と思います。
本当に、ありがとうございました。

選者コメント
 読み始めから、ぐんぐん引き込まれ、一気に読み進んでしまう。その文章力に圧倒される。「劣等感」というひとつのテーマを深く掘り下げ、自分をみつめていく。同じような体験をしてきた人なら、作者の心の軌跡を一緒に辿りながら読み進めることができる。淡々と、飾り気のない文章は、余分なものがなく、表現は実に細やかである。自分の内面を手探りしながら、自分のことばを探るときの、ことばのもつ力強さを感じさせてくれる。
 理想とする自分と、現実の自分とのあまりの違いに立ち尽くし、自分を変えたいと莫大なエネルギーを使い、疲れ果て、ボロボロになる。もがき尽くした絶望があったからこそ、作者は、〈あるがままの自分自身を生きる〉ことを選択することができたのだろう。孤独だが、孤立はしていないということばに、ほっとさせられる。(2009年)

日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2021/5/25