昨日と同じ人の体験です。5年間つき合って、結婚することになり、顔合わせをする日のことを昨日紹介しました。いよいよ、今日は、結婚式です。「誓いのことば」と「両親への手紙」、彼女はどもりながら言い切りました。大阪吃音教室と出会い、仲間と共に成長していく姿が、ほほえましいです。結婚式を控えている女性へのエールです。
日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2021/5/18
どもることを怖れずに
沢田由希子 パート29歳
人生の通過点に結婚がある。女の人はその日は主役になれる。そして私にも主役になれる日がきた。
主役になれる日が決まってから、頭の隅に挙式の時の『誓いの言葉』と披露宴の時の『両親への手紙』のことがあった。結婚式では『誓いの言葉』を言い、披露宴では『両親への手紙』を読まなければならないと思い、そして結婚式という場でどもるなんて恥だと思っていた。『誓いの言葉』と『両親への手紙』のことを考えるとせっかく主役になれる日なのに憂鬱になった。でも大阪吃音教室に通い始め、いろいろな方と接しているうちに少しずつその気持ちが楽になった。
大阪吃音教室に通い始めた年に吃音親子サマーキャンプに参加させてもらった。サマーキャンプの劇の練習の時に、なかなか声が出なかった。でも渡辺さんの指導もあって声がずいぶん出やすくなった。サマーキャンプが終わった頃にはもしかすると結婚式のときに流暢に『誓いの言葉』『両親への手紙』が言えるかもしれないと考えた時もあった。
そして同じ年に、成人のどもる人のための、吃音ショートコースにも参加した。吃音ショートコースの夜のコミュニティアワーの時、大阪吃音教室の仲間が、私のところに来て、「結婚式のときに手紙読むの?」と聞いてきた。そして彼と話していたら、どうやら彼は結婚式の時に『誓いの言葉』を言わなかったことを知った。私は今まで必ず『誓いの言葉』は言わなければならないと思っていたけれど、言わなくても良いのだと気づかされた。結婚式までまだ時間があるから『誓いの言葉』『両親への手紙』をどうするか考えてみようと思った。
結婚式の準備をしながらせっかく主役になれる日だから楽しみたい! でもどもると楽しめないのではないか、結婚式の素敵な場なのにどもっていたら主役になれないのではないか、といろいろ不安事があった。そんな中、毎週、大阪吃音教室に通い、吃音について学んだ。そのなかで、今の私は予期不安でいっぱいだと気づいた。私はなるべく直前まで『誓いの言葉』『両親への手紙』のことを考えないようにしようと思った。
そして結婚式の3ヶ月ぐらい前になりいろいろ考え、やっぱり1度のことだから『誓いの言葉』は自分で言い、普段両親へ感謝の気持ちを伝えていないから主役になれる場面で『手紙』を読もうと心に決めた。でも決めたものの、いろいろ不安はあった。
私の吃音は人前での挨拶や発表の時や緊張すると現れる。そして今まで私はそういう場を避け、自分の吃音を他人に隠してきた。親や友達の前ではあまりどもらないので周りの人は私の吃音に気づいていない人も多いだろう。だから自分の親の前でもどもる姿を見せたことがなかった。私が大阪吃音教室に通い始めた時も、親はあんまり大したことないと言っていたが、私の吃音はひどいときは、何十秒も声が出ない。そんなことは親は知らない。
結婚式が近くなったある日、司会者の方との打ち合わせがあった。その時に司会者の方に「私はどもるので、たぶん手紙読むのにすごく時間がかかります」と伝えた。司会者の方は「ゆっくりでいいですよ」と言ってくれた。一人でも私の吃音を知ってもらっていた方が自分自身安心するだけのことだった。でも私にとってはとても重要なことだった。
そして結婚式1週間前になって手紙を書き始めた。そして夫にも手紙を読む練習を何回も聞いてもらった。何回も練習しながら夫に「今はすらすら読めてるけど、本番は絶対どもる」と言っていた。いつも返ってくる言葉は「どもりながらなら読めるやろ」だった。私は気づかないうちに流暢に手紙を読んでいるイメージを何回もしていた。そしてその反面どもって立ち往生している姿が目に浮かぶ。夫の言葉を聞いて私は、当日は難発で言葉が出なくなると分かっていながらすらすら読もうと一生懸命になっていたことに気づいた。
結婚式前日、大阪吃音教室には行かず実家でのんびり過ごしていた。でも大阪吃音教室の人達に少し会いたいような気がした。その時、私は去年の吃音ショートコースの集合写真がケータイに保存してあることに気づき、写真を眺め、みんなの顔を思い浮かべながら大阪吃音教室に通い始めてからのことを思い出していた。大阪吃音教室に通い、たくさんの人と出会い、いろいろな考え方などに触れることで予期不安も和らぎ、憂鬱さも前よりも楽になったと思う。
そして結婚式当日。
チャペルに入場するドアが開く前の緊張感は今までにないものだった。そんな気持ちの中で式が始まり、牧師さんが「誓いますか?」と言ったら「はい、誓います」と言うのが普通だろう。でも私は「はい…はい誓います」と言った。私は「はい」と言ったものの「誓います」が出にくかったので、これはまずいと思い、すぐに「はい誓います」と言い直した。
私と向かい合わせに立っている夫は「誓います」って言えないと焦ったみたいだ。チャペルでの挙式が終わったら、なんとか「誓います」って言えたことで気持ちは少し楽になった。あとは、披露宴での両親への手紙だ。
そしてとうとうこの時間がやってきた。
夫がマイクを持ち、いよいよ手紙を読む。自分で「ゆっくり自分のペースで、どもることを怖れずに、どもっても焦らず最後まで読みきるぞ」と言い聞かせた。
そしていよいよ「………お父さん…お母さん…」とどもりながら手紙を読んだ。流暢に読めば3分半なのに、私は何度も何度もつまりながら12分かかって最後まで読みきった。出席者に私がどもることも伝えられて良かったと思うが、何よりも両親に私がどもる姿を見せることができたのがイチバンかもしれない。
そして自分自身、自信が持てた。そしてあの緊張感の中、どもりながら最後まで手紙を読んだという達成感が自分へのご褒美だ。
結婚式が終わって初めて実家に帰った日、お父さんとお母さんが「手紙良かったよ」と言ってくれた。
今までは話すことに気が引けていたが、今では夫に「どもるのにペチャクチャペチャクチャお喋りやなあ」とよく言われる。
吃音だからこそ、普通の人より「両親への手紙」を読む価値があるのかもしれない。夫と時々、結婚式の思い出話をするのだが、夫は12分間マイクを持っとくのが疲れたらしい。(2012年)
日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2021/5/18