どもる女の人が結婚して、子どもが生まれると、その子がどもるのではないかと心配だという話を聞くことがあります。子どもに絵本の読み聞かせをしてやりたいが、どもる自分にはできないから辛いという話も聞きます。女の人には、男の僕と違って、特有の悩みがあるのかもしれません。
今日、紹介するのは、吃音親子サマーキャンプに親子で参加し、今でもつきあいの続いている一人の女性の体験です。自分の吃音をマイナスのものと意識していたのが、どもる息子と関わる中で、マイナスとマイナスでプラスに転じると思うようになる。そんな発想の転換が、彼女をとても楽にしたようです。彼女を見ていると、人間の強さを思います。
日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2021/5/16
今日、紹介するのは、吃音親子サマーキャンプに親子で参加し、今でもつきあいの続いている一人の女性の体験です。自分の吃音をマイナスのものと意識していたのが、どもる息子と関わる中で、マイナスとマイナスでプラスに転じると思うようになる。そんな発想の転換が、彼女をとても楽にしたようです。彼女を見ていると、人間の強さを思います。
マイナス+マイナス=プラス
45歳の私と19歳の長男には吃音という共通項がある。4歳の息子がどもり始めた時、目の前が真っ暗になった。頭の中が真っ白になって何も考える事ができなかったのを今もよく覚えている。
私は吃音が原因で小学校の時いじめられた経験があり、この記憶を引きずりながら生きてきたので、どもる息子が自分のようにいじめられる! あんな辛い思いをしたらどうしよう、とそのことばかり気になった。
コンプレックスと自意識過剰の思春期を送っていた私は、中2の時、開き直って自分なりに吃音への姿勢を決めた。それは「どもる事を隠さない」、親しくなりたい人には積極的に自己開示していった。喋れば分かるのだから隠してもしかたない、どもる自分を分かって欲しかった。自己開示してそのために友達を失う事はなかったからこれは成功したのだと思う。でも、「私はどもるの」と人に言う時、とても悲しかったのも事実だ。どもりさえしなければこんな事、言わなくても良いのだから。心の中で泣きながらそれでも自分を知って欲しくて、どもる事を告白し続けた。
私のどもる事へのイメージはどう考えてもマイナスだ。自分がどもり出した時から息子がどもるまで20数年の時間が流れていて、その間に学校に行き、就職をし、結婚、出産とそれなりに生きて、小学校のいじめ以外に吃音で決定的に打ちのめされた事がないにもかかわらず、「どもる事は悲しく、辛く、なりたくないこと」だ。だから息子がどもるようになった時、悲しかった。「親子でどもるなんて!」
どもる息子を育てる事は自分の吃音と向き合う作業でもあった。息子には「吃音は悲しい」イメージを持って欲しくなくて「ことばの教室」にも行かず吃音を矯正する事は一切しなかった。矯正する事は治すべき自分がいる事で、それは自己否定に繋がると思ったから。
息子の吃音を否定したくない、自分の吃音は中2の時、認めたのだから、息子の吃音も直視できるはずだった。でも、できなかった。思春期に決意したあの覚悟はなんだったのだろうと思うほど、どもる息子を見るのは悲しかった。私が息子にしてやれたのは、「どもるようになったけど、どもる事に負けないで!」とエールを送り、どもる先輩として内心のはらはらを隠しながら見守る事だけだった。吃音を言い訳にしない生き方をして欲しかった。私はそうしてきたという自負もあった。でも、そう願いながらその願いの裏側には、私の中の吃音に対する明らかなマイナスイメージがある。どもる自分を隠さない、でも、隠さない生き方をせざるを得ないのって悲しい、自分ひとりでも充分辛いのに子どももなってしまうなんてダブルパンチだ。マイナスが二倍になってしまう。
そんなふうに思いながら10数年が過ぎて、私は近頃、親子でどもる事について以前とはまったく違う考えになっている。
それは、「どもる息子で良かった!」
私は息子がどもり出した時、息子に自分を重ねていじめを心配した。自分のようになったらどうしようと思った。事実、息子は吃音をからかわれ、いじめられた。よく、学校から泣きながら帰ってきていた。でも、彼は私と違ってその記憶に引きずられてコンプレックスにさいなまれていない。親子で、吃音という共通項はあるけど彼は私とは違う人間だ。違う人間だから吃音への対応も当然違う。「吃音は悲しい」は私の感精であって誰もがそう思うとは限らない。この事を息子は私の傍で育ちながら私に教え続けてくれた。思い込みの呪縛から解いてくれた。どもる息子を育てなければ、わからなかったと思う。
親子でどもって悲しいマイナスの二倍じゃなくて、マイナス+マイナス=プラスだという事に気づいた。息子は私にとって一番身近などもる人であり、大切な事を教えてくれる人生の師匠だ。育児をして子どもを育てたのは確かに母親である私だが、私を人間として育ててくれたのは子どもだ。
私には三人の子どもがいる。吃音のある長男からはいろいろなどもる人がいる事を、どもらない長女と次男からはどもらない側から見たどもる人の姿や本当にさりげない優しさを教えて貰った。
自分が自分らしく、生きていく上で大切な事を子ども達に教わりながら、「親子でどもるのも悪くないかも!」と思っている。「どもることは不幸じゃない」と気付いたこの頃である。(2005年)
日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2021/5/16