僕は、吃音を治すために、東京の大学に行き、新聞配達店に住み込んで生活を始めました。どもる僕にできる仕事は、新聞配達しか思い浮かばなかったのです。新聞配達で得たお金で吃音矯正所に行き、治す試みをしましたが、治らず、矯正所での30日間の合宿生活を終えました。そして、新聞配達店に戻るか、別の仕事をするか、ここが僕にとって、大きな分岐点でした。
 僕は、新聞配達店に戻らず、アパートを借り、たくさんのアルバイトをしました。辛いこと、悲しいことも多かったけれど、うれしいこと、楽しいこともたくさんありました。何より、どもっていても、人は僕の話を聞いてくれるということが実感として分かりました。この経験は、僕の転機となりました。
 今日、紹介する体験をした作者も、僕と同じように新聞配達しか自分にはできないと考えていたようです。彼は、新聞配達をしていたとき、大阪吃音教室と出会いました。毎週参加する中で、彼は少しずつ自分をみつめていきます。自分が好きだったものは何か、本当にしたかったことは何だったのかと、振り返ります。そして、この文章を書いた少し後で、彼は人生の転機を迎えます。介護士の仕事をするために、勉強を始め、最初は介護士になり、さらに仕事や勉強に励み、今は、ケアマネージャーとして老人福祉の世界で活躍しています。笑い芸人にはなれなかったけれど、「自分は人を喜ばせたり、笑わせたりできるような人間になりたいのです」と書いたことを実現し、高齢者やその家族を喜ばせて、笑わせていることでしょう。
 「人は変われる」、何かのきっかけがあれば。彼の変わるきっかけに、大阪吃音教室がなれたことを、とても幸せなことだと、僕は考えているのです。
 

「吃音に生まれて良かった」と言えるようになりたい
                         正田良樹 29歳

 僕は、今、新聞配達店で働いています。年齢は、29才。この仕事を始めて、4年近くになります。なぜ、この仕事をしているかと言うと、人と話さなくても良いからです。黙々と一人で新聞を配っていれば良いのです。
 この仕事をしていて、吃音に悩まされる事はあまりありません。まるで、吃音に悩む人間にとっては、天国の様な所です。
 ところが、このままで良いのかなとつくづく感じます。新聞配達の仕事が、悪いという訳ではありません。ただ、吃音から逃げるという目的だけでこのまま続けて行くというのは、何か、自分自身をないがしろにしている様で、これではいけないのではないかと思えてくるのです。
 自分の持っている能力を封じ込めている様な気がするのです。
 僕は、人を笑わせたり喜ばせたりするのが好きです。小学生の頃、手品をしてクラスのみんなを喜ばせたり、冗談を言って笑かせたりするのが好きでした。
 今では、ほとんどやらなくなりました。けれども、お笑いを観るのは好きで、TVで一人で観ては、よく笑っています。そして、お笑い芸人を見ていると、凄く羨ましい気持ちになります。人を笑わせられるなんて、どんなに素敵なことなんだ!と。
 なので、自分は人を喜ばせたり、笑わせたりできるような人間になりたいのです。
 しかし、現実では、そのような自分が居るにもかかわらず、見向きもせずほったらかしにして生きようとしているのです。何て、もったいない事をしているのだろうと、近頃強く思う様になってきたのです。

 このまま、新聞配達を続けていては駄目だ。そう考えると、今の職場は天国では無い。
 吃音を理由に、行動を抑えてはいけない。吃音があるから、人を喜ばせられないなんて事は絶対に無い。苦しい事や、悔しい事に直面するかもしれないが、それをプラスのエネルギーに変えて、より自分を成長させて行きたい。そうする事で、他の人が思いつかないような発想が思いつくかもしれない。人に対する気配りや思いやりも、持てるようになるかもしれない。

 その様に考えると、吃音というのは悪いものでは無いのかもしれません。この様に考えられた時点で、もう今までの自分とは違っているようです。
 これからの人生、吃音とうまく付き合い、自分の本当にやりたい事を見失わないで自分らしく生きて行きたいと思います。
 そして本当に心の底から「吃音に生まれて良かった」と言えるようになりたいです。
(2010年)


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2021/5/12