できるだけいろんな職業の人の経験を紹介していこうと思います。今日は、小学校の教師です。話すことが仕事とも言える学校の教師ですが、意外と、どもる人で教師をしている人は、僕の知り合いにはたくさんいます。教師は子どもたちの前では、それなりに話せるようになっても、苦手な場面ではそれぞれに苦労があるようです。でも、いろいろと工夫しながらサバイバルしています。窮極の困る場面は、卒業式の時の卒業生の呼名です。それすらも、悩みながらサバイバルしています。また、いつか、卒業式をどう乗り越えたかも紹介したいと思います。

  
私の通告闘争
                            松木憲二

 小学校の教員になって5、6年のこと、私も加入していた教職員組合で、主任制反対運動が、突如湧き起こった。これは、校長、教頭と我々平教員の間に「主任」という職制を新たに設けようというものだった。教務主任や学年主任を設けることにより学校運営の効率化を目指す文部省、各地教育委員会に対し、主任など必要ない、管理強化につながるだけだ、と組合は反発した。
 私の勤めるT市でも激しい反対運動が起きた。かつての全共闘運動を想起させる、深夜に及ぶ市教委との大衆団交もあった。
 しかし、結局、主任制は法制化されてしまう。T市でも「T市学校管理運営規則」なる法律に、主任制は盛り込まれた。学校長は4月になると、本人の意向を聞くことなく「主任」となった人たちの名前を発表し、月々数千円ずつの主任手当が給料明細表に加わった。
 これに対して組合は、「主任」の無効を主張し、組合員である「主任」から主任手当を集め、毎月市教委に突き返していった。この闘争は今も継続されている。
 組合はさらに、別の戦術をも開発した。それが私にとって一大問題となる「通告闘争」だった。これは、おのおのの学校で、主任制が実体のないものであることをみんなの前で学校長に宣言し、学校長、市教委にプレッシャーを与えるとともに、組員の反対運動に対するモティベーションを保ち続ける、というものだった。
 この話を初めて聞いた時、「へえー、何やオモロそうやな」と思ったが、具体的な方法を聞かされて私は顔をしかめた。印刷された文を校長の前で音読した後、その紙を校長に手渡す、というものだった。「その文章の中にオレの言いにくいことば(即ち、どもりやすいことば)があったらいやだなあ」と、どもる人間なら誰もが思うであろうことを、私も思った。
 「だれや! こんな創造性の全くない、くだらないことを考え出したヤツは!」と八つ当たりしても始まらない。避けられないことは、どんないやなことでも前向きに取り組むしかない、と覚悟した。
 『届(とどけ)、私たち教職員一同は、「T市学校管理運営規則」による主任等について下記の通り確認したので届けます』
 その文章は、短いものだった。当時私の勤務していたS小学校の30人近くの教員はほとんどが組合員で、毎朝始業前の1、2分、順番に読んでいく、ということに決まった。
 それが苦労(苦闘?)の始まりだった。30人近くが毎朝順に読むので、およそ1ヶ月に1回、順番が回ってくる。私に初めて順番が回ってくる2、3日前、徐々に押し寄せる予期不安の中で、その文章を実際に声を出して読んでみた。恐る恐る、どこかつまづきやすい箇所がないかどうか細心の注意を払いながら。つまづきそうな、悪い予感のする箇所はいくつかあった。特に「T市学校管理運営規則」の「T市」が言いにくかった。話の展開上明らかにさせるが、「T市」とは豊中市である。「とよなか」の「と」が出にくいと分かった。
 さてそれからというもの、1ヶ月に1回のわずか1分足らずの時間が、私にとって魔の時間となった。この1ヶ月に1度という間合いが、実に微妙な、イヤな間合いだった。1ヶ月に2、3度あれば、場慣れが進んで緊張の度合いは急速に低くなるにちがいない。確証はないが、なぜかその自信はあった。また3ヶ月に1度回ってくるのであれば、1回済ませた後はしばらく忘れて、恐怖から解放される時間ができる。しかし1ヶ月に1度というのは、慣れるには間遠すぎて、しかも忘れるには間近すぎたのだ。つまり、四六時中予期不安というストレスにさらされるということになったのだ。それでも徐々に場慣れが進むのでは、という期待はあったのだが、ダメだった。1ヶ月というのが、自信を喪失させ不安を熟成させるのにピッタリの時間で、毎回新たな不安と恐怖に私を直面させてくれたのだった。
 しかし私も、何の手も打たず、ただ座して待っていたわけではない。いろいろ対策を考えて、やってみた。まず、読む練習。当時私は自動車通勤で、車内では誰に気兼ねもせずに大声が出せる。順番が近づいてくると、通勤の車内で大声で練習をした。また当日の朝早く出勤し、誰もいない教室の大鏡の前でリハーサルをしてみたこともある。だが、これらの音読練習は、読みづらい箇所をよけい意識させるだけで、効果がないというより逆効果だった。
 当日の朝の、私が読む直前の時間の過ごし方が大事に思えて、いろいろ工夫をしたこともある。少し早めに出勤して、職員室で机上の整理などして静かに待つ。この方法は、静かに待つ間に不安ばかり増してきてダメだった。階段を早足で上下するという運動の直後に読む。これは息切れでよけい読みづらくなっただけで最悪だった。一番良かったと思われる方法は、いつもより少し遅く出勤し、服を着替えて定刻ギリギリに職員室に入り、間髪を入れず、つまりよけいなことを考える時間をなくして読み始めるというやり方だった。
 しかし、これらはどれも言ってみれば小手先のその場しのぎの工夫と言える。その当時大阪吃音教室では、論理療法が紹介されたばかりだった。早速私は、論理療法的にこの問題の解決を試みた。論理療法はご存知のようABC論理がその中核である。悩みや不安(C)は、どもるという出来事(A)のために生じるのではなく、その出来事をどう考えるか(B)、その人の考え方次第だ、という理論である。この、Bの部分、つまりどもるということに対して自分が持っている誤った考え(イラショナル・ビリーフ)がないかどうか、時々じっくり考える時間を持った。
 職員室で同僚の前でどもると、とても恥ずかしい。それはなぜか。どもりは異常なことであってはならないことだ。どもると人間としての価値が低いと思われるのではないか。こう考えている自分がおり、その考えが正しいかどうか、じっくり考えてみる。
 どもることは異常か? たしかにどもる人間は数が少ない。多くの人はスラスラ読める。しかし、異常と言えるのか? 私がどもって文章を読むことで、私の仕事或いは職場の機能に何か支障をきたすのか? どう考えても、支障をきたさない。誰にも迷惑を全くかけていない。では、なぜ恥ずかしがるのか? それは小学の時以来の積み重なった体験をひきずっているだけで、実は、恥ずかしがる必要など全くない。異常と思う必要がない。「あってはならない」と思ったって、現実に治らないどもりを持っているのだから、それは受け入れる以外はない。
 どもると、人間としての価値が本当に低いのか? 人間の価値とは何か? これは人それぞれによって考えることが違うだろう。仕事上有能な人を価値あると考える人もいるだろうし、他人に優しい人を価値あると思う人もいるだろう。また、人間の価値なんか人が決めるものではない、と思っている人もいるだろう。つまり、百人いれば百通りの考え方があり得るものだ。話しことばがスムースでないということだけで、人間の価値がどうのこうの思うのは、そもそもナンセンス(無意味)なことだ。中にはどもっていると変な目で見る人もいるかもしれない。それはいろんな人間がいるのだから、いちいち気にしても始まらない。ゴーイング・マイウェイ。オレのやり方で堂々とやるのが、一番良い生き方だ。
 こんなことを考えていると、気持ちがだんだんスッキリしてくるのが分かった。特に、私の番が来てどもったあとの、落ち込みから立ち直るのに役に立った。
 立ち直りは早くなったが、相変わらず順番が近づくと不安が増してくるし、どもるのがイヤだと感じる気持ちもそのままだ。
 しかしある時、ついに絶妙の方法を思いついた。毎朝やっているこの通告闘争、校長も組合員も通告する文面はいちいち聞かずともどうせすっかり頭の中に入っている。言ってみれば、退屈な儀式を毎朝繰り返しているに過ぎない。ならば、文章中の1字や2字聞こえなかったって、どうってことないだろう。
 というわけで私の編み出した究極の作戦は、どもる字を省略してしまう、というものだった。「とよなか市」の「と」が言いにくいので、とばしてしまえ、というわけだ。「とよなか市」も「よなか市」も似たようなものだ、毎朝この文章に一字一句耳を澄ましているやつなんか、いるはずがない。
 そして、ついに私の順番が来た。『とどけ。私たち教職員一同は、よなか市学校管理運営規則にはよる……』と、「と」ぬけのまま、何事もなかったように読み終わった。回りの反応は私の予想した通りだった。全くの無反応。
 成功だった。この成功は、それまで魔の時間だったものを、待ち遠しいと思えるほどの至福の時間とした。「と」を抜かさずとも「豊中市」とスラスラと出ることが多くなった。またある時は大胆にも、最初の「とどけ」の「と」が言いにくそうな気がした時、「どけ!」から始めたこともある。これはさすがに、異様に感じた人もいただろうが、私はスリルといたずら心を満足させ、内心ほくそえんでいたのであった。
 こうして私の楽しみとなったこの通告闘争、しかし、マンネリでその効果が疑われ始めたのか、2年目には中止されたのであった。(1998年)


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2021/5/10