昨日のつづきです。レジリエンスの7つの構成要素を、吃音とからめて紹介しました。この7つに3つプラスして、僕は10個にしました。楽観的な人生観と、アサーションと、共同体感覚を加えました。そのうちの、楽観的な人生観について説明しています。その後、参加者の感想を紹介します。

 
7つのレジリエンスの要素について、僕なりに解釈したことを少し話しました。これらすべてを持っている人はいないでしょう。おっちょこちょいですごくおもしろいは、ユーモアの要素です。それだけでも、困難な場を乗り切る力になります。考える力があって、物事の本質を見極める力があれば、人間関係がうまくいかない子であったとしても、本質をとらえられるかもしれません。
 7つはお互いに関係してくるので、7つの中の、何かひとつでも、子どものころから育てていけば、他のことにも波及し影響していくでしょう。困難な状況であったとしてもそれにくじけてしまわないで、なんとかなるというような子どもになってほしいなと考えています。そういう子どもに育てることは可能だと思います。吃音を治す、改善することはできなくても、吃音に負けない子どもに育てることです。7つに3つの要素を僕はつけ加えますが、その中の一つ、楽観的な人生観についてもう少し話します。

◇楽観的な人生観
 吃音に悩んでいた時の僕は、ものすごく悲観的でした。悲観的な人もいれば楽観的な人がいるのは人間のおもしろいところです。ギリシャの財務危機のニュースで、ギリシャの人たちが「仕方がない」という意味のことばをよく使うことを知りました。経済危機の、将来への不安がいっぱいのはずのギリシャの人たちのことを、僕たちは大変だと思うけれど、彼たちは「仕方がないやん」と思っているようです。「Noマネー、Noジョブ、Noプロブレム」と何人もの人が言っていました。この感覚は、すごく楽観的です。普通なら、そんなに楽観的になれるわけないだろうというときに、1日に8,000円しか銀行からお金を引き出せないときに、コーヒーを飲んでいる場合と違うだろうと思うけれど、コーヒーを飲んで談笑しているニュース映像が流れていました。「まあ、いいか」ですね。
 吃音の場合、ネガティヴになれば、吃音は大きくのしかかってきます。楽観主義というのは、親に影響されます。親が物事を悲観的に考える傾向にあるのだったら、根拠のある楽観主義者になって下さい。僕は、アメリカ言語病理学を信頼し、「吃音を治す、改善する」方向を捨てられない人たちは、「根拠のない楽天主義」だと思います。吃音が治らないのを、「まあいいか、しゃあないわ。できることをしっかり努力しよう」は、「根拠ある楽観主義」です。僕たちを含め、たくさんの人たちが、「吃音とともに豊かに生きている」のは、まぎれもない事実なのですから。
 一生懸命がんばればできることは一生懸命がんばるけれど、世の中にはどうしようもないことはあるのだから、がんばってもできないことは仕方がないと思いましょう。世の中には、アルコール依存症やギャンブル依存症や虐待のグループなど、たくさんのセルフヘルプグループがあります。その人たちが大事にしていることばの中に、神学者/ニーバーの平安の祈りというのがあります。自分ではどうすることのできないものを変えようとして自分の人生を見失った人たちは、努力すべきことは何かを見極めます。

 変えることができるなら、変えていく勇気をもとう
    変えられぬものはそれを受け入れる冷静さをもとう
       変えることができるかできないか、見分ける知恵をもとう

 これはすばらしいことばだと思います。変えられないのに一生懸命治そうとがんばったらエネルギーを消耗するだけです。そして、自分はだめな人間だと思ってしまいます。変えることができるのなら、一生懸命がんばればいい。全てにがんばるのではなく、がんばれるところで、がんばって達成できるところでがんばればいいのです。
 レジリエンスについて、一応話してみました。今の話に対しての感想と、質問があったらどうぞ。

 ふりかえり

参加者(父)知らないうちに困難を乗り越えている人がすごくいると思います。たぶんそういう人たちって、こういうレジリエンスみたいなものを、なんとなく知らないうちに身につけていたのでしょう。身につけていない子どもには、親が手助けしてやって、「どもるくらい、なんともない、大丈夫だ」と思えたらいいなあと、今日、思いました。
伊藤 おっしゃるとおりで、もともと楽観的な明るい子もいれば、そうじゃない子もいます。素質の部分がかなりあります。だけど、このレジリエンスの研究者たちは、素質もあるけれど、後で十分に育てることができると言っています。意識的に周りの人間がその子に関わればその子を育てることができると考えられます。どもる子どもに限らず、これからの子どもは大変な時代に入っていくと思います。こんな厳しい時代の中でも、しぶとく、しなやかに、生き抜く子どもに育てるということは、吃音に限らず大事です。
参加者(母) 2歳からどもり出して、1年少しくらいなので、治るかもしれないと考えていました。でも、どもるという事実を認めて、まあ治る可能性も考えつつ、知識として学んでいくことが重要だと感じました。
参加者(母) 参加して、自分ひとりじゃなかった、私と同じような気持ちのお父さんやお母さんがいるということ、当事者の人の話を聞けたことがよかったです。今朝、長男には、吃音相談会に行ってくることを伝えてきました。帰ってから、同じような思いをしている人がいるということをしっかり伝えたいと思います。そして、彼には、しぶとく、しなやかに生き抜いていくをモットーに生きてほしいと思うし、私自身もそうありたいです。吃音は決してマイナスじゃないと思いました。先輩のお母さんの話、自分の昔を思い出すような若いお母さんの話、いろんな人の話が、これから私の強い味方になってくれるんじゃないかと思いました。
伊藤 子どもも自分ひとりだと思っているけれど親も同じで、自分ひとりだと思っています。他のことではママ友に話ができるけれど、どもりのことは話せないというお母さんにとっては、こういう場や吃音親子サマーキャンプは、私はひとりじゃないと思える場であり、心強いと思います。すごい数のどもる子どもがいるわけだし、それと同じ数の保護者がいる。お互いに体験や気持ちを共有しながら、子どもの幸せにつながるために何ができるか、何をしたらいいかを考えたいですね。
 僕の考え方に反対する吃音臨床家や研究者がたくさんいます。彼らは、吃音を治したいというのが親のニーズなんだから、完全に治らなくても、少しでも改善してあげなくてはだめでしょう、と言います。治したいというのが親のニーズだと言いますが、たしかに、表面的にはそうだけど、奥には「子どもに幸せになってほしい」、「楽しく自分の人生を生きてほしい」、があるはずです。楽しく生きてほしい人生に、吃音がマイナスに影響すると思うから、なんとか治したいと思うのであって、それがマイナスに影響しないようにできたら、それはそれでいいわけです。
 アドラー心理学の中に劣等感の補償という考え方があります。劣等感があったからがんばれるという考え方です。その補償には、直接的な補償と間接的な補償があって、どもるから、話すことの少ない仕事に就いて、そこで力をふりしぼってがんばろうというのが間接的な補償です。たとえば、ノーベル物理学賞の江崎玲於奈さんは、自分がどもりだったから、人間関係がうまくいかなかったのでサイエンスの道に入ったと言っていました。自分がノーベル賞をもらったのは、ひょっとしたらどもりのおかげかもしれないという言い方もしていました。苦手なことはおいておいて、自分の長所を伸ばすということです。ほかにも間接的な補償はたくさんあります。小説家はいっぱいいて、どもりで苦しんだことを文章に書いたり、どもるからことばを言い換えてきたことが語彙数を増やして小説家として大成したかもしれないと言っています。直木賞作家や芥川賞作家の中に、どもる人はいっぱいいますし、世界的な小説家の中にもいっぱいいます。
 直接的な補償は、苦手なものにあえて挑戦をして、話すことの多い仕事に就くことです。そんな人がいっぱいいるのが、吃音の特徴です。『親、教師、言語聴覚士が使える、吃音ワークブック』(解放出版社)の中に、どもりの有名人がたくさんいることを書きました。教師、弁護士、落語家、俳優、アナウンサーなど、子どもたちにそんな人のことを教えてあげれば、そうか!と思うでしょう。
 僕の大好きなどもりの著名人の中に、間直之助という人がいます。有名なサル学の研究者ですが、どもって人間関係がうまくいかないので、霊長類のサルの研究に入りました。間組という大手ゼネコンの社長の息子に産まれたが、実業の世界に入ることは諦めて、自分が好きな道に入りました。その人生を、遠藤周作が『彼の生き方』(新潮社)という小説に書いています。どもりだからと、優しい動物の世界に入ったり、反対に華やかな映画俳優になったり、これだけバラエティに富んでいるのは、どもりがとても豊かな世界だからです。
参加者(母) 子どもが2歳からどもり始めて、3年間たちました。未熟児で生んでしまったことが悪かったのか、自分の子育てが悪かったのか、と悩んできましたが、今日お話を聞かせていただいて、過去のことを考えるのではなくて、これから先のことを考えてあげればいいんだなと前向きな気持ちになれてとてもよかったです。
伊藤 小学校入学までになんとかしたいと思ってたでしょう。そういう焦りはだめです。小学校入学までになんとかしたいという保護者が案外に多いんです。小学校に入ったら、いろんなことがあるのではないかと、先のことで不安になるけれど、先の不安はあまり考えないで、起こったときにどう対処すればいいかを親子で一緒に考えればいいんじゃないでしょうか。
参加者(母) うちは吃音だけでなく、発達障害があるので、1歳くらいから、子どもと、一生懸命かかわってきました。1歳くらいのとき、発達障害の症状がひどかったから、本当はもう少しひどくなるんじゃないかと思いましたが、遊びの会に行ったり、いろんな人に出会ったり、いっぱいからだを動かして遊んだり、いろんな積み木で遊んだりしてきました。また、田舎なので、川や山で遊んで虫に親しんだり、家族でキャンプに行ったりできました。そういうことを大事にしてこれたのは、吃音や発達障害のおかげかなと今日、改めて思いました。今、8歳なんですけど、すごくよかったなと思っています。私自身はこれまですごく順風満帆にきて、苦労をしてきませんでした。子育てで初めてつまずき、自分の思い通りにいかないことに出会ったのです。子どものことは、私が代わってやれません。吃音がなかったら、たぶん、もっと怒ったり、もっといい学校に行くように言ったり、子どもに対して多くを要求する母親になっていたかもしれません。
参加者(父) レジリエンスでいえば、楽観主義にあたることかもしれませんが。ことばがどもるということは、ネガティヴ要素になるかもしれないですけど、結局、本人が気にしなかったり、または気にしてもそれを乗り越えればいいと私自身は考えています。どのように乗り越えていけばいいのか、具体的なことを考えたいと思っていたところ、具体的に教えていただいたので、よかったです。今、妻が言いましたが、結果的に発達障害だったこともあって、小さい頃から、今日教えていただいたことは、十分ではないかもしれないけれど、比較的できていることも多いように思います。今までしてきたことにそれぞれの相互関係があるとおっしゃったので、気持ちが楽になりました。弱い部分があっても、逆に強い部分を伸ばすことによって広げていけることを系統立てて教えていただいたので、非常に有意義な3時間でした。(了)


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2021/5/7