子ども自身がもっている自然回復力、自然治癒力、困難や逆境から耐えて生きぬく力を信じて、吃音に負けない子どもに育てていくことが、親や専門家にとって必要なことだと考えています。これがレジリエンスです。レジリエンスと出会って、僕は、レジリエンスに関する本をたくさん読みました。その中で、『サバイバーと心の回復力』(金剛出版)に出てくる、レジリエンスの7つの構成要素を、吃音とからめて説明します。
 その前に、吃音についての3つの事実について話します。

  
3つの事実
 ーっていない…これは紛れもない事実です。3年ごとに開かれる世界大会に参加し、世界中の状況も分かっています。あまりどもらないように変化した人は、僕を含めてたくさんいますが、治ったという人を僕は知りません。
 吃音の治療法がない…言いにくいときにこうすれば言えるなど、それぞれに工夫しています。ことばを言い換えたり、「あのう」をつけたり、ことばの順序を入れ替えたりし、あまりどもらなくなる人はいますが、治っているわけではなく、確実な治療法はありません。
 8朕雄垢ものすごくある…吃音の悩みや吃音から受ける影響の個人差です。すごくどもっているのに、冗談を言って元気な人もいる一方、ほとんどどもらないのに、すごく悩む人がいます。悩みは、どもる状態に正比例しません。むしろ、どもりの軽い人の方が悩みが大きいのではないかと思うくらいです。どもりを改善することはほとんど役に立たないということになります。

 僕たちは、3つの事実のうちの個人差に注目します。ある人はすごく悩み、ある人はそれなりに生きている。どもりがほんとに障害になるのであれば、どもる人すべてがどもりに悩み、どもりの程度によってハンディの大きさが変わるはずです。これが、吃音が、他の病気や障害と違うところです。
 この個人差から、今、レジリエンスに出会いました。
 逆境や困難にあいながら、しっかりと生きていくために、どういう力が育っていればいいか。これは、どもる子どもたちの子育てに役に立つのではないかと思いました。レジリエンスの構成要素として7つを挙げている『サバイバーと心の回復力』(金剛出版)の7つの構成要素を説明します。

 7つのレジリエンス
◇洞察…自分の問題について、気づき、理解する。
 私が書いた、『親、教師、言語聴覚士が使える、吃音ワークブック』や『どもる君へ いま伝えたいこと』、『知っていますか? どもりと向きあう一問一答』(解放出版社)などの本を読み、どもりについてしっかり勉強して、どもりの本当の問題とは何かを理解することです。すると、子どもは子どもなりに、どもっていることは悪いことではない、そしてこれは自分の力ではどうしようもないことだが、自分でできることをがんばろう、となります。方向転換をすることができるのです。これを、洞察といいます。
 僕らの仲間のことばの教室の担当者は、『親、教師、言語聴覚士が使える、吃音ワークブック』を使って、子どもたちと、吃音に対する知識や、どもりとつきあう勉強をしています。言語訓練や言語指導ではなく、吃音の学習です。教科を学習するように、吃音のことを勉強するのです。吃音氷山説や言語関係図を学び、どもりを隠し、話すことから逃げ、人間関係を避けていると自分の将来にとって役に立たないということが分かれば、自分のどもりの問題が見えてきて、取り組むべき課題が分かってくるのです。

◇独立性…吃音と吃音の問題を区別し、吃音に支配されない、自分が人生の主人公になる。 主体性ともいいます。僕は、どもりに自分自身の人生の全てを左右されて、21歳まで生きてきました。どもりさえなかったら、人生の主人公になれると思っていたのです。そうではなくて、どもりながらも僕は人生の主人公だ、どもりを治すことはあきらめるけれど、自分の人生はあきらめない、そう考えることができることが独立性です。
 私たちの後輩の消防士は、消防学校時代、「消防士になる人間がこんなにどもっていて、どうするか。そんなことで、緊急のときに、市民の命が守れるのか」と言われました。でも、彼は、独立性があったのでしょう。人生の主人公は僕だ、どもりだからといって、自分の人生はあきらめないと思っているので、我慢して、暴言や無理解に耐えて、結局、彼は1年間、消防学校を続けました。今、ちゃんと消防署に勤めています。この前、メールがきました。確かにしんどいことはあるけれど、がんばっています。
 病気や障害が主人公ではありません。そういうものに影響を受けないで、自分の独立性を発揮することが大切です。この独立性は、子どものころ、たとえば友だちがいなくても、一人で遊ぶことができるとか、お母さんがいなくてもある程度の時間、自分で耐えて、過ごすことができるとか、そういうことの積み重ねで育つものだと思います。僕が今、こうしてどもりから解放されてレジリエントに生きているのも、ひょっとしたら、この独立性があったからじゃないかと思います。
 僕は、三重県津市から家出して、大阪の豊中市で新聞配達店に住み込んで、大学受験の浪人生活を送りました。これは、独立性が強かったということになります。僕は、東京での大学生活を、親から一切の仕送りを受けることなく、学費・住居費・食費まで、すべて自分でやってきました。この独立性があったことが、吃音とともに生きるということにつながったのだろうと思います。

◇関係性…親密で満足できる人間関係、結びつきを大切にする。
 『サバイバーと心の回復力』(金剛出版)で紹介されているレジリエンスは、親から虐待を受け、大変な家族の中で生きてきた少年少女たちが、愛してくれない親をあきらめ、別の大人と仲良くなろうとしたり、自分のことを理解してくれる友だちと仲良くしたり、人間関係を探すところから来ています。向こうから来てくれるカウンセラーや精神科医ではなく、自分から人間関係を積極的に求めていこうとします。これが関係性です。小さい頃に、親から叱られても、人なつっこく近所のおばちゃんにくっついてみたりする子どもがいると思いますが、そのように自分から関係性を作っていくと、自分の味方をつくり、どもっていてもそれを受け止めてくれる仲間を作り、社会の吃音に対する理解を広げるというものにつながっていくのです。人への関心や人を求めていく力、これは、レジリエンスに関係してきます。

◇イニシアティヴ…問題に立ち向かい、自分を主張し、自分の生きやすい環境に変えていく。
 自分から率先して、何かに取り組むことです。子どもの頃に、何でもいいから、時間を忘れて、一所懸命好きなことにがんばることが、イニシアティヴにつながっていきます。主体的に何かに取り組む子に育てたいものです。何が好きなのか、何に夢中になれるのか、ですが、今はすごいハンディがあります。インターネットの世界で、ゲームがあるからです。これは、結果として子どもにとってかわいそうだと思います。ゲームがなかったら、仕方なくとも関係性を求めたり、たとえば夏休みの宿題でも、昆虫採集で自分はこうしたいと思って主体的に取り組めるのに、今はゲームがあるから、ゲームに熱中してしまいます。すると、自分の寂しさが解消してしまいます。簡単に夢中になる代わりのものがあることは、子どもにとって不幸な時代ともいえます。だからこそ、よけいにゲームを遠ざけて、野外活動をしたり、自然とふれあったり、何かものを作ったりということを、親としてはできるだけ生活の中で心がけてほしいです。僕は、子どものころ、長い時間をかけてゴム動力プロペラ紙飛行機をつくるのを親が手伝ってくれた記憶が残っています。

◇創造性…悩みの中から自分を解放させていくプロセスが、新しいものを創造する。
 僕は、子どもの頃から孤独で生きてきました。これは、今から思うとありがたいことでした。友だちもいなくて、時間がたっぷりあったので、図書館で小説や文学全集を読み、中学になると映画館に入り浸っていました。それはさまざまな人生を知ること、世界を知ることにつながりました。また、僕はずっと日記をつけていました。しゃべれない分、できるだけ自分の気持ち、くやしさ、悲しさを文章に書いて表現していました。これは、後になって、自分の気持ちをことばで表現することにつながりました。日記は後になって考えると、文章力を育てることになりました。文章でも、絵でも、音楽でも、何か自分を表現するチャンネルをもっているということが、すごく大事です。
 できるだけ子どもの頃に、絵を描く、音楽を聞く、楽器を演奏する、小説などの文学や演劇、映画に触れる環境をぜひ作ってもらいたいと思います。僕が親に感謝していることのひとつに、僕の親が、いつも家で本を読んでいたことがあります。父親はいつも机に向かって本を読んでいて、僕の家には本がいっぱいありました。それが当たり前の生活でした。今、そのことはとてもありがたいことだと思います。その父親の後ろ姿を見ていたので、僕は日記を書いたり、ひとりぼっちのときには図書館に行って、本を読んだりしていたのだと思います。そのことが、今、本を書くことにつながっています。いまだに本に埋もれた生活をしているのは、創造性があったからだと思います。
 また、父親は歴史的ないろんな話を僕にして聞かせました。また、当時としては珍しく、アメリカやヨーロッパの映画を観に連れて行ってくれました。本や映画が、自分の孤独を癒やすだけでなく、「人生にはいろんな楽しみ、苦しみがある」ことを教えてくれ、それが、吃音が治らないと理解した時に、「吃音と共に生きる」覚悟につながったんだと思います。

◇ユーモア…自分の欠点や弱点を人ごとのように笑い飛ばし、自分の嫌な気分を解放する。
 障害や病気やいろんな生きづらさや困難を抱えていると、このユーモアの精神がないとしんどいです。僕たちは大阪吃音教室で、どもりをテーマにして、川柳やカルタを作って、自分の失敗を笑い飛ばしています。この、笑い飛ばすということが、困難な状態を生き抜いていく力の源泉になるだろうと思うのです。ユーモアの一番の源泉は、遊ぶことです。子どもの頃から、遊ぶということを大事にしてほしいと思います。遊べない人間は、学ぶチャンスを失ってしまいます。今は、子どもから、遊びが奪われてしまって、子どもが遊べない時代になってしまいました。今こそ、子どもに遊びを取り戻す必要があると思います。自然の中で遊んだり、家族で遊んだりするといいでしょう。熱中して遊ぶと、声を出して笑うことも多いです。おもしろいことを一緒にしたと実感できることが大事です。よく「自信をもて。自信を持て」と言うけれど、僕は、勉強はできなかったし、いいところなどありませんでした。そんな僕は自信など持てなかったのです。でも、長所はないけれども、僕には好きなことがありました。少なくとも、好きな読書や映画があったから、非行に走らなかったのだと思います。何か好きなものを親子で見つけ出すといいでしょう。そのためには、親子でできるだけいろんな経験をすることです。いろんな経験を親子で一緒にする中で子どもがちょっとでも関心を示したり、好きなことはないかとみつけることです。これがユーモアにつながるのではないでしょうか。

◇モラル…充実したよりよい人生を送りたいとの希望をもつ。
 自分の人生に対して「どうでもいい。どっちみち一緒だ」と思うのではなく、自分なりのいい人生、自分自身の納得のいく、豊かな人生を生きるんだというものを子どもの頃から考えることが大切です。経済的に豊かで、社会的に評価されるということではありません。子どもが意識的に身につけられるわけではないので、大人は子どもに、大人になったらこんないいことがあるよ、楽しいことがあるよ、と伝えることです。自分のことだけでなく、他の人の人生でもいいです。こんなことをした人がいる、こんな生き方をした人がいる。そんな偉人伝が昔はたくさんありました。僕はそれに影響されました。キュリー夫人伝、チャーチル伝、ガンジー伝など、いろんなものがあって、そういうものを読みながら、人生とは高潔なものだと思いました。僕は、ガンジーが好きで、ガンジーの生き方に関心を持っていました。今は、「偉人伝なんて・・」と言われるくらい、影を潜めているけれど、人生とはいいもので、こういう生き方をしている人がいるということを語りたい。人生を熱く語れるような大人でありたいと思います。そのことが子どもに影響していくのではないでしょうか。僕の父は、自分の人生を熱く語る人でした。「鶏口となるも牛後となるなかれ」「清貧に甘んじる」など、何度も聞かされました。それが、今の僕の中に生き続けているのは不思議です。(つづく)

日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2021/5/6