前回、大学4年生の時の3か月の「日本一周ひとり旅」で、多くのことを学び、多くのことを得て生きる自信がついた文章を紹介しました。今回は、もうひとつの「全国への旅」です。この旅で僕は、1965年の秋から考えてきた吃音についてのひとつの考え方が、吃音にとって、決定的に大事なことだとの確信を得ました。この旅がなければ、現在の「吃音と共に豊かに生きる」を自信をもって語ることも、その後の展開もなかったでしょう。吃音の問題の対処の歴史にとって、大きな分岐点となる旅でした。
 それが、1975年の全国吃音巡回相談会の旅です。無銭旅行に近い前回の日本一周と同様、これもとても無謀な旅でした。何の見通しも展望もなく、「多分なんとかなるだろう」「最悪の場合、ただ旅をするだけでもいいや」と、後先も考えずに旅立ちました。よくまあ、あんなことができたと、今、ふりかえっても思います。

 大阪教育大学の教員時代、僕は自分自身の吃音に悩んだ人生を振り返り、1965年に設立した、どもる人のセルフヘルプグループでたくさんの仲間との対話を繰り返し、多くの人の体験を整理し、吃音について、これしかないという地点に到達しました。
 「吃音はどう治すかではなく、どう生きるかの問題だ」の吃音についてのとらえ方です。「吃音を治す、改善する」しか誰も考えなかった時代に、「吃音を治す努力を否定して、自分のより良い人生のためにエネルギーを使おう」は、これまでの吃音の取り組みの全否定ともいえるもので、多くの人が戸惑ったようです。
 世界的にも全くみられないこの吃音に対する発想の大転換が、果たして多くの人に受け入れられるのか、それを検証しないと、次のステップへは踏み出せないと考え、新しい考えが受け入れられるかどうかの「検証の旅」に出ることにしたのです。

 大阪教育大学・言語障害児教育講座の主任教授である、内須川洸先生に全国のことばの教室と親の会に推薦と協力依頼の手紙を書いてもらいました。
 「大阪教育大学の教員である、伊藤伸二が吃音相談・講演会、吃音の悩みの実態調査を計画しているので、会場の設定や広報で協力してやって欲しい」
というものです。出発点である北海道帯広市、札幌市、青森市、八戸市から協力するとの連絡があり、開催日と会場とが決定しました。その後の日程はまったくたっていません。旅が果たして続けられるかもまったく未知数です。それでも、3人で大阪を出発しました。
 相談会・講演会の講師料は必要ないけれど、参加費は無料なので、会場の設定と会場費はことばの教室か親の会で負担して欲しいとお願いしました。交通費と宿泊費は、自分たちで負担しました。僕と一緒に旅をしてくれる大阪教育大学の2人の研究生は、僕と同じ吃音仲間です。
 水戸黄門の全国漫遊の旅のように、吃音黄門の伊藤伸二が、お供の2人である、どもる助さん・格さんの協力を得ての3人旅です。
 3人がそれぞれ10万円ずつ出して、交通費・宿泊費にあてました。僕の研究室には大阪教育大学学生が毎日詰めて、会場の交渉や、開催日時の決定など、スケジュール管理をしてくれます。最初の日本一周の一人旅の時も大きなリュックサックでしたが、今回も大きなリュックサックです。今度は、リュックサックの中に、「吃音の悩みの実態調査」の大量のアンケート用紙が入っています。3人の珍道中は、北海道・帯広市から始まりました。(つづく)

日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2021/3/28