僕は吃音に悩んでいた時、いつもひとりぼっちでした。「吃音で一番苦しかったのは」と質問を受けて、僕は、高校二年生の時の九州への修学旅行を挙げます。観光バスやフェリーの座席など「好きな者同士で座っていいぞ」と言われると僕は苦しくなります。仲の良い人がさっとペアやグループを組みます。だいたい僕が取り残されるのです。周りが楽しく騒いでいる中で、ひとりポツンとしているほど惨めなことはありません。一人でいる事もつらいのですが、ひとりぼっちでいることを周りの人に見られていることが、たまらなくつらいことでした。だから、日本一周の一人旅は僕にとって、後から考えると、とても大きな意味をもちました。
 小学の高学年から、僕は、よく夜の町をさまよいました。自転車で海岸に行き、波打ち際で打ち返す波を見ていました。孤独が身に染みました。日曜日には一人で山に登ったり、自転車で遠くの知らない町に行ったり、当時から「放浪癖」がありました。放浪癖があったからこそ、三重県津市から大阪に出て、新聞配達店に住み込み、大学受験の二浪生活の一年間を過ごせたのだと思います。
 今日紹介するのは、どもる人の弁論大会で話したもののようです。
 この頃から僕にとっては「旅」は不要不急のものではなかったのです。


 
旅で得たもの
                          伊藤伸二
 
 「旅」という言葉ほど、私の心をときめかすものはありません。
 大学4年生の時、アルバイトか何かで2万円ほどのお金が手元にありました。さてこの2万円をどう使うか、いろいろと考えました。そこで、ふと日本一周の旅に出ようかと考えついたのです。なぜ2万円が日本一周と結びついたのか見当がつきません。いかに国鉄運賃が安かった時代であったとはいえ、2万円で日本一周ができるはずもありません。
 でもアルバイトをしたり、お金をためている時間がもったいない。卒業論文も書かねばならない。今、この時を逃がすと日本一周はできないのではないか。そう思いつめて、日本一周の旅のことを友だちに話しました。Aから1万円、Bからは2万円と何人かに頼み込んで、なんとか8万円ぐらいのお金が工面できました。費用を安くするために、スリーピングバッグ、大きなリュックサック、いろんなものを買い集めますと1万、2万のお金が吹っ飛んでしまいました。それでもなんとか3ヶ月一人で日本一周をするんだと思いつめて、私は東京を出発いたしました。
 「エンヤドット」と元気のいい歌声が流れて観光客を迎えています。日本三景のひとつ松島に着いた時は3日目ぐらいになっていたでしょうか。私一人が浮かぬ顔で、その間ひとこともしゃべっていません。一人旅ですから当然なのかもしれませんが、しゃべらない。いや、このままいくとつまらない旅になりそうだ。なんで一人で出てきたんだろうか。非常にさびしい思いに、それもみんなが楽しそうに旅行しているのを目のあたりにしていますから、さびしさは余計につのります。
 でも、自分はどもりだから、気軽に他人にしゃべりかけられない。どうしてきっかけを作ってしゃべりかけようかと。みんな、それぞれグループを作っていますから、それぞれ仲良く楽しく話をしています。そこへうす汚い服装の人相の悪い男が話しかけても、受け入れてくれるはずもありません。
 松島をあとにして中尊寺へ。そのころにはもう6日目くらいに入っていたでしょうか。何かのきっかけである男性と話をしました。何を話したかのか、もちろん覚えていません。けれども、その中尊寺のどこかで話したことがきっかけとなって、それ以後、話すことができるようになりました。その時には、どういう話しかけをしたらいいのか、どう話しかけたらおかしく思われないのか、そんなことはあまり考えませんでした。
 それから3ヶ月間、北は北海道の礼文島、利尻島、南は沖縄の一歩手前の与論島まで。当時沖縄がまだ返還されていない時で、沖縄に行くにはパスポートが必要でした。だから、文字通りの北の果てから南の果てまで、一人で旅をしたわけですが、一人でいることはほとんどありませんでした。宿泊した先がユースホステルが多かったので、そこでいろんな人たちと知り合うことができたし、街の中で気楽に人と話すこともできたし、与論島では鹿児島からの船の中で知り合ったおばさんが「学生さん、今日の泊まる所はあるんかいな」「いや、別に行くあてもない」「もし良かったら、うちへ泊まっていきなさい」。与論島で1週間1銭も払わないで泊めてもらいました。多くの人にトラックや自動車に乗せてもらいました。様々な人々から多くの親切を受けながら、総額約8万円くらいで日本一周の一人旅ができました。
 それまでの僕は、自分に自信がありませんでした。僕は家族、親戚以外の他人から好かれるはずもない、特に女性にはもてないであろうという自信がありました。でも、この旅が、その自信を打ち砕いてくれました。どもっている自分を、多くの人たちが受け入れてくれました。そして、その人たちと仲良く一緒に行動している自分自身を好きになることができました。それと、いろんな人とのふれあいや、行く先々の風景で感動する心をより育てることができました。
 函館山から見た夜景は一緒に登った人がいい人だったせいかもしれませんが、思わず涙がこぼれました。知床の夕日、与論島の珊瑚の砂浜、これらの場所では何時間もじっとしていました。いろんな所で見た様々な景色と、いろんな人々が、いまでも写真を見ると鮮明に思い出されます。一人で3ヶ月、自分だけの力で旅をしたおかげで、繰り返しますが、自分自身が好きになれました。そして、ものごとに感動する自分に気づきました。そして、以前よりはるかに明るくなれました。そして、何よりも自分のどもりを、確実に受け入れることができました。これらのことは、僕が一人旅で得た、大きな成果でした。(1984.6.15)

日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2021/3/26