思いがけずに母とのことを詩のような形で書きました。文章はたくさん書いていますが、詩のようなものはこれだけです。詩のように書いた方が書きやすかったのでしょう。
 後日談です。もう25年くらい前になるかと思いますが、縁あって、東京都内の小学校で、一般の保護者向けの講演をしたことがあります。どもる子どもの保護者にはたくさん話していますが、その日は吃音がテーマではなく、一般的な子育てや教育についてでした。90分ほどの話を終えた後の質問の時間に、一番前にいた保護者が「伊藤さんのお母さんはどんな人だったんですか」と質問しました。とっさのことだったので、用意はありません。やはり一番記憶としてある「うるさいわね、そんなことをしても、どもり治りっこないでしょ」と母親から言われて傷ついたとの話をしました。すると思いがけない反応が返ってきました。
 「いいお母さんですね」
 びっくりしました。僕は、その日は母親の体調が悪かったのだろうと考える程度にして母親のことばに納得していたのですが「いい母親ですね」とは。「どうしてそう思われるのですか」と尋ねると、「どもりを治そうと必死になる必要はない。あなたは、あなたのままでいいじゃないかと、ことばはきついかもしれないけれど、子どもに伝えたかったんじゃないでしょうか」とおっしゃるのです。初めて聞いた、考えてもいなかった視点でした。「そうかもしれない」と思い始めました。そう考えると過去の出来事が、違う景色に見えてきました。そうでもして、「お前は、お前の、そのままでいいんだよ」と伝えたかったのだと思えるようになりました。昨日の続きです。

 
母へのレクイエム 2

母の晩年に
思いがけずに母と二人で暮らす生活が持てた
二人での生活の始まった日
母はとびきりのごちそうをっくってくれた
ぶりの照り焼き、おつくり、蛤のおすまし、野菜の煮物
この年になって僕は母を独り占めにした
その料理のひとつひとつに
傷ついた僕への思いやり、励まし、応援がこめられていた
ふたたび僕は母の愛につつまれた
ちょっと僕は幸せだった

「僕がどもりを治すために練習していたとき
うるさいわねと言ったこと、覚えている?」
八十歳の母に聞いてみた
よく覚えていると母は涙ぐんだ
僕は大阪での孤独の中で
母への思いを取り戻したが
母はずっと息子への懺悔の気持ちを持ち続けていたのだった

母さんのあのことばで
僕はどもりにすごく悩むようになったけれど
今は、それがよかったと思っている
どもりにあれだけ悩んだから
どもりについていろんなことができるんだから
母は本当にうれしそうに笑った

五月七日、突然の病院からの電話で
病院に駆けつける時、母物映画を見たときのあの不安が
胸一杯に広がった
朝出掛けるときは元気だったのに
突然倒れての入院
病院にやっと着いたとき
母はベッドで上半身裸にされ
蘇生のマッサージを受けていた
母はまだ温かかった

息子の顔を見た医師は
しばらくして、「もうやめていいか」と聞いた
うなずくしかなかった
温かかった母のからだはすっと冷たくなった
やすらかな眠り顔だった

葬儀のあと本棚から母の日記を見つけた
五月三日から五日まで息子が出掛けていないと書いてあった
ゴールデンウィークの
息子のいないひとりでの食事
ゴールデンウィークを息子と過ごしたかった母が
晴れやかな休日をひとりで過ごす寂しさを
日記に書いていた
出掛けなければよかったと悔いが残った

母の晩年の数年を
一緒に生きることができたこと
母を独り占めにしたこと
僕は幸せだった (おわり)


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2021/3/23