2020年の最後の大阪吃音教室は、ことば文学賞の受賞を兼ねた1分間スピーチの講座でした。この「ことば文学賞」、今年で23回目でした。話すことだけでなく、聞く・書く・読むを含めたトータルなコミュニケーション能力を高めようとしていた僕たちは、自分の体験を客観的にみつめよう、後に続くどもる人に体験を残そうとの思いから、自分の吃音体験を綴ることに積極的に取り組んできました。その原点とも言うべき、1989年11月24日に書いた文章を紹介します。
 「自己暴露から自己改造へ」、このインパクトのあることばは、作家・真継伸彦さんが僕たちのとのインタビューで使ったことばです。

  
自己暴露から自己改造へ
                伊藤伸二

 <吃音から解放されたきっかけは、小生の吃音状態をそのまま書いた作品(『凍える口』河出書房新社)を発表したことであったと思います。つまり、吃音は、隠そうとすればするほどいっそう昂じるものであり、たとえば脚の不自由な人が堂々と松葉杖をついているのと同じく、どもりはどもりらしく話せばいいのだということ、その境地を自身の吃音の状態をあからさまにさらけ出すことによって得られたと思います>
  金鶴泳(作家) −第2回吃音ショートコース報告書 1974年−

 私たちからの「吃音から解放されたきっかけは?」の問いかけに、今は亡き金鶴泳さんは、このように答えて下さった。
 吃音の体験を持つ作家は多く、自分の作品で自らの吃音を扱っている人も少なくない。真継伸彦さんも『林檎の木の下で』で、吃音をさらけ出し、吃音から解放された一人だ。真継さんは、私たちのインタビューに次のように話して下さった。
 <どもりを克服するためには、単に言いにくい言語を直すという表面的なことを改めるのではなくて、じぶんに内在する根本的な消極性を改めなければならないと痛感するようになりました。お体裁屋で、消極的で、人生に対して愛情のない人間のままでいたら、どもりは克服できないだろうと思います。どもりを克服しようとすれば根本的な自己改造が要求されるのです。そのためには、まず自分の正体をさらけ出して認識していくことが前提になります。だから、自己暴露から自己改造へという順番になってくるわけです> 

 自らの触れたくない辛い過去をふり返り、しっかりと自分のものとして認めることは心楽しいことではないが、必要なことだ。どんなに嫌な辛い体験であっても、それはかけがえのない自分自身の過去なのだ。それを書くなり、語るなりしないと、前には進めない。
 吃音から解放される道は人さまざまだろう。過去には目もくれず、現在を明るく楽天的に、ことばは悪いが「軽いのり」で生きていくことができれば、吃音の悩みから解放されるかもしれない。しかし、多くの生真面目などもる人にとっては、その道はなじめない。吃音で悩んできた過去をみつめ、自分を認め、許し、吃音から解放される。そのような道を歩む人が多いのではないだろうか。その人々にとっては、過去の自分と向き合い、それをことばで表現し、それを認識することが、自立自己成長の第一歩だろう。金鶴泳さんも真継伸彦さんもそのようにして吃音から解放されてきた人たちだ。

 一人で悩んできたどもる人にとって、苦しみ悩みながらも前向きに生きようとしているどもる人の生の体験が一番訴える力があるのではないかと考え、先般行われた吃音相談会で、一人のどもる人に、これまでの吃音とのかかわりについて語ってもらった。傍目には重いどもりだと思われているその人が、どもりながらも話すことの多い教員の仕事をしている。淡々と辛かったであろう過去をふり返る話の中には、吃音にかかわる全ての人々が考えなければならないことがいっぱいつまっていた。
 一番うれしいのは、体験を話したその人自身が「私は吃音相談会で自分史を発表する機会をいただいて本当に良かったと思う。これまでの自分を客観的にみつめ直す絶好の機会となった」と言っていることだ。

 真継さんも『林檎の木の下で』で次のように書いている。
 「そう、自分はどもりを克服するためにも、小説を書かなければなるまい。臆病な自己愛に満ちる自分の心の皮膜を剥いで、吃音や夜尿症となってたえず苛んできた自分の正体を、ドストエーフスキイのように赤裸々に眼の前にさらけ出すのである」 1989.11.24


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2020/12/23