山より大きい猪は出ない

 いよいよ結婚式が近づいてきました。Nさんは大阪吃音教室で練習したいと、挨拶文を書いてきました。その仲人の挨拶文は、どこかの本の抜き写しのようで、一般的な誰にでも書けるようなもので、ちっともおもしろくありません。最初は断ろうと考えた仲人を引き受けることを決意してからのNさんの努力は、若い人へのメッセージとしては素晴らしいものになると思うので、体験を入れた、Nさんらしいものにしたらどうかと提案しました。Nさんは、それを素直に受け入れ、書き直します。正直にこれまでの経緯を綴った挨拶文は、Nさんにしか書けないオリジナルなものでした。そして、「困難に出会ったときそれから逃げないで直面することの大切さ」を伝えるには、十分な実体験が入っています。
 当日までは、しっかりと準備し、当日は、どもったらどもったときのことと、覚悟を決める。これが、どもる僕たちにできる唯一の方法だといえます。論理療法は思考を変えることが目的ではなく、行動をするために背中を押すものです。Nさんの体験はまさに、論理療法実践の体験にふさわしいものでした。Nさんが、僕たちと出会わなかったら、仲人を引き受けることだけで、こんなに豊かな体験はできなかったでしょう。後日、僕が非常勤講師をしていた大阪教育大学の講義の90分、Nさんに話してもらいました。大学で話したことをNさんは、いい機会だったと、とても喜んでくれました。
 Nさんの体験のつづきです。今日で最後です。

9月5日
 やっと文章もできあがり、家で何度も練習した。それなりの自信を持って、「話し方教室」で発表したが、家のようにいかず、かなりどもった。司会者が「今の奈良さんのスピーチに対する感想をどうぞ」と呼びかけるが、みんなうつむいている。重い沈黙が続いた。私はたまらず「今の私のスピーチではひどくどもってしまったから内容が聞きとれなかったのでしょう。だから批判のしようがないのではないでしょうか」と言ってしまった。みんなは、「うん」とうなずいた。違う答えを期待していた私はあっさりと同意をされてがっくりとした。

9月29日
 大阪吃音教室ででも練習をしたいと思っていたが、その機会を見い出せないままに今日まできてしまった。例会終了後の喫茶店で挨拶の文章をみんなに見てもらった。いろいろな意見が出された中で「これじゃ奈良さんらしくない。去年の12月から苦労してここまできたことが何一つ入ってない。新郎と媒酌人との関係で吃音のことを出したらどうですか」と言われた。本当にそうだと思った。作った文章には、これまで練習してきたことや、どもる人間としての自分らしさは入っていなかった。どもりのことを入れようと考えたら気持ちがずっと楽になった。

10月6日
 結婚式は5日後に迫っている。これまでとは違う文章を入れた。新郎から仲人を頼まれて最初は断ろうと思ったこと、私がどもりであることを話し、それでも改めてお願いしますと言ってくれた二人の熱意、その後の私の成長、仲人を依頼してくれた二人への感謝と、さらに私がしてきたように困難に出会ったときそれから逃げないで直面することの大切さでしめくくった。大阪吃音教室終了後の喫茶店で、作り変えた挨拶を聞いてもらったとき、皆が大きな熱い拍手をしてくれた。口々に「素晴らしい、バッチリや、これで大丈夫や」と言ってくれた。私はこのとき、10月10日、うまくいく予感がした。

10月10日
 控え室では比較的落ちついていたものの、新郎新婦を案内し、披露宴の場に行進するとき、胸が高鳴り、足が震えた。したいこと、しなければならないことは全てやった。もう思い残すことはない。それでも背中がぞくっとする。「山より大きい猪は出ない」心の中で何度も何度もつぶやいた。
 「ただいまご紹介に預かりました…実は私はどもります。新郎の熱意にこの大役を引き受け、そのおかげでいろいろな人々と出会い、素晴らしい体験をしました。…」みんながじっとこちちを見て聞き入って下さっているのが分かった。スピーチが終わると、私の娘のいるテーブル、つまり新郎の友人たちのテーブル全員がVサインを出した。自分でも満足のいく出来に安堵しながら披露宴が終わった。すぐ娘婿が私に近づき「お義父さん、よかった。僕心配しててん」のことばに、私が吃音で苦しみながらもこの仲人を引き受け、努力していたことをみんな知っていてくれたのだと分かった。
 翌日、娘と静かに語り合う機会があった。「お父さん、本当によかったね」のことばに、ふとどもりでよかったという気持ちが湧いてきた。「どもりであったからこそこんな素晴らしい出会いと経験ができたのだ」と涙ぐみながち話すと、娘も泣き出した。
 昨年の12月から今日まで、思い起こせば吃音とのつき合い方を学んできたような気がする。それまでは吃音と直面することを避けてきた。しかし、2月10日に大阪吃音教室と出会い、その日から吃音とのコミュニケーションが始まった。
(了)1989年10月26日


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2020/11/17