この年、宮城県から小学6年生の女の子と母親、妹が初めて参加しました。宮城県女川町という遠い所から参加するだけでもすごいことだと、僕は思います。
 後に、僕は、講演にはいつも、この女の子が書いた作文を紹介するようになりました。
 2011年3月11日、あの東日本大震災の大津波で亡くなった阿部莉菜さんです。莉菜さんのお母さんである容子さんは、次のように、初参加の感想を書いています。子どもだけでなく、親にとっても、初めての場所に、それも2泊3日という宿泊を伴うところに参加するのは勇気がいることだと思います。人見知りの強い人にとっては、高いハードルです。でも、それを乗り越えて、阿部容子さんは、前を見ていました。そんな親の必死な思いは、きっと子どもに響くのでしょう。

    
大きく一歩前進
                              阿部容子
 大きく一歩前進しました。娘のどもりの現実を知りつつも、知識を得ようともせず娘に不安な思いをさせていました。パソコンでたまたま出てきた吃音親子サーマキャンプを開いてみたのも、参加できる可能性があったことも、全て運命としか思えないほどでした。(略)
 一日目、子どものことなどそっちのけで自分の居場所を見つけるのに大変でした。正直二度と来るもんかと思ったくらい苦しかったです。関西の人は、積極的で明るくて、前向きで、自分の性格に嫌気がさしていました。地元でもそうです。自分から仲間に入ることができず、私にとっても学校は辛い場所です。(略)
 今回のキャンプをきっかけに、クラスのみんに吃音について伝えなければいけないと思いました。娘はできました。がんばりました。私も前を向いてしっかりと歩かなくてはいけないと思いました。本当に参加してよかった。次は初めから自分をさらけ出し、みなさんと仲良くなれるようにしたいです。阿部さん一家、足並みをそろえて前進します。



第18回吃音親子サマーキャンプ 2007年
   会場    滋賀県荒神山自然の家
   参加者数  138名
   芝居    ちい姫とアントン(エートリヒ・ケストナー原作)


第18回吃音親子サマーキャンプ報告の月刊紙「スタタリングナウ」の巻頭言 

   
吃音が治らなくても

             日本吃音臨床研究会 代表 伊藤伸二

 「吃音は治るものなんですか?」
 「治らないと思いますよ」
 「えっ、・・こんな質問しなければよかった」
 寂しく暗い表情で、間髪を入れずに言ったこのことばに、母親のショックと落胆ぶりが表れていた。同席していたことばの教室の教師、後ろで記録をしていた二人のことばの教室の教師も、母親の正直なリアクションに凍りついたという。
 11月の初め、神奈川県秦野市立西小学校で、神奈川県のある地区の言語障害研究会の研修会があった。午後の講演の前に、午前中は会場校の小学1年生と2年生の二人の子どもの指導につきあったのだ。子どもが帰った後、母親との懇談がもたれた。冒頭のやりとりだけを紹介すると、冷たい、ひどい話し合いのように思われるだろうが、ここから話し合いは大きく展開していく。
 「吃音が治らないと聞いて、ショックのようですが、治ると思っていたのですか。治らないとしたらどうなりますか。かわいそうですか。もし、そう思っておられるのでしたら、そう考える方がかわいそうですよ。どもっていても大丈夫ですよ」
 当初はショックからか緊張がみられたが、私の問いかけによく話をし、またよく私の話を聞き、徐々に二人の母親の表情が和らいでいった。最後には、「どもる子どもの将来に不安がありましたが、安心しました」とまで言って下さった。
 この短時間の変化には、ことばの教室の教師も驚いていた。数日後、母親から、気持ちが楽になったと書いた感想文がFAXされてきた。
 「吃音は簡単には治るものではない」との情報は親としてはショックだろう。しかし、ある程度の時間をかけて、吃音について正確な情報を伝えると、ほとんどの人は理解して下さる。
 治らなくても吃音からマイナスの影響をあまり受けずに、吃音とつきあうことができることを、具体例をたくさん挙げて説明するからだ。「治らない」というある意味マイナスの情報の5倍以上の「どもっていても大丈夫」の情報を伝えるのだ。
 吃音の研究臨床では相も変わらず、吃音症状が吃音の中核の問題であり、「治すべき、改善すべき」の前提がある。吃音をマイナスのものと見る吃音観があるからだろう。私は、吃音をマイナスのものととらえない。「どもっていても大丈夫」と本音で思っているから「吃音治療、改善」は目指さない。
 「吃音は治らないもの」との前提に立って、吃音がその人の生活や人生に大きなマイナスの影響を与えないように、「吃音と向き合い、吃音と共に生きるにはどうすればいいか」を40年近く考えてきた。そして、様々な活動の中から、私はその考えにますます確信をもつようになった。
 どもる人のセルフヘルプグループ、大阪スタタリングプロジェクトの活動、吃音親子サマーキャンプや、島根県、静岡県、岡山県のことばの教室の教師が企画する吃音キャンプや相談会、研修会、講演会などで、多くのどもる人、どもる子どもや保護者と出会ってきた。その数はおそらく世界一だろうと私は思っている。
 私は自分自身の吃音の苦悩の体験から、吃音の問題は、吃音そのものにあるのではなく、吃音をマイナスのものと考えることで影響を受ける行動・思考・感情が中核的な問題だと主張してきた。
 私たちが直接関係した人々の多くは、吃音に関する行動・思考・感情が変化し、吃音が人生の大きな問題とはならなくなった。吃音が問題とはならなくなった実績は、他の吃音臨床家の「治癒もしくは改善」の治療実績とは比較にならないくらい私たちが圧倒的に多いと思う。また、私たちが直接知らない世界中では、さらに多くのどもる人々は、吃音が問題とならなくなり、吃音と共に生きている。
 この事実があるから、「吃音は治らない」と私は躊躇なく言うことができる。そして、何をしたらいいのかも具体的に提案できる。
 私自身の吃音体験を話すとき、同時に大きく変わったどもる子どもやどもる人々の顔、それを支えた親の顔がたくさん思い浮かぶ。それを支えに、私は今日も「吃音は治らない。治らなかったら、何か問題がありますか」から問いかけていく。(了)  (2007.11.20)


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2020/9/26