吃音と電話の悩みを論理療法で考える

 別の日の大阪吃音教室は「論理療法」がテーマでしたが、その時に出された、電話でどもったら、「バカ」と言われ、みじめになったという人の話を、論理療法で考えることにしました。話題提供者は、その時のことを思い出して、少し興奮気味に話し始めました。その日も、電話3段階活用法で話し合いました。彼は、ふんまんやるかたないといった感じで、一気に話します。電話はどもる人が一番苦手にしていることで、多くの人が苦い経験をもっています。大阪吃音教室では、彼の体験に共感しながらも、論理療法の、みじめになった思いの基になっている、非論理的思考を探すというよりも、自分の体験を話していきます。

 出された経験 電話でのみじめな思い

 得意先のある係の電話番号を知りたくて、総務の番号案内に電話したが、どもってことばが出なかった。電話口の女性から「バカ」と言われて電話を切られた。屈辱的だった。気を取り直しもう一度電話したが、結果は同じだった。仕方なく同僚に頼んで電話してもらった。悔しさに会社から帰って泣いた。もうあんなみじめな思いは嫌だ。

◎バカと言われて電話を切られるのは大変きつい体験だが、私の場合は、そのようなことはたびたびなので、そのたびに怒ったり、落ち込んでいたら、からだがもたない。いたずら電話とよく間違えられるので、ある時同じ人に数度かけ続け、やっといたずら電話ではなく私がどもるからだと分かってもらえた。論理療法的には、『いかにどもっても、いたずら電話と間違えるなんてあってはならないことだ』との考え方をもつとしんどい。

◎他人にバカとしか言えないなんて、かわいそうな人だなと思う。そういう人には、同情こそすれ、自分がみじめになるのは損だ。『人がどもった時、バカにしたりからかったりしては絶対いけない。すべきではない』と、私たちは当然のことと考えてしまうが、それで自分が得をするか。バカにされて落ち込むのは自分だ。どもった時相手がとる態度は、こうあってほしいとは願ってもいいが、相手のことだからどうしようもない。こういう態度をとるべきだ、は相手への不当な要求ではないか。僕たちは自分の考え、行動を変えることはできても、他人を変えることはできない。電話でどもってどもって話をしても、じっと聞いてくれる人もいるし、ガチャンと切る人もいる。さまざまな人がいるのが現実だ。その社会で生きているかぎり、自分の要求に固執していると、いつまでも腹立ちをもち続けることになる。からかわれたり切られたりすると、当然、不快感もあるし、嫌なことだけれども、それで自分自身がダメになってしまうわけではない。

◎同僚に電話を頼んだことで、屈辱感を味わったというが、自分で電話したいというのは、社会人として当然だけれども、仕事をまっとうするためには同僚に電話を頼むということもあり得る。電話を頼んだだけであって、ほかの仕事は自分一人でこなしているのだから、給料を貰うに十分値する。自分でするにこしたことはないけれども、相手に頼んだからといって、自分自身がダメ人間ということではない。しんどい時は人にものを頼むのは一つの手だ。

◎みじめな思いをした体験そのものは消えないし、どもって電話をかけるということも、これから起こって来る。その時、怒ったり落ち込んだり屈辱感を味わわなくてもすむように、自分を助けるためにはどう考えればいいか、皆で考えよう。

 この発言をきっかけに、電話とどうつき合うかを話し合い、皆で苦手な電話への対処法を整理していきました。そして、次のように三つの段階に分けて対処法を皆でまとめました。

電話をかける前
 かける前にもっているのは「どもるかもしれない」という強い不安だ。電話をかけなければならなくなったらすぐにかけることだ。ややこしい内容の場合はメモを書いて整理しておくなどの準備が必要だが、そうでもない場合は、用意なんてしないでいきなり、ピッポッパッとプッシュしてしまう。すぐにしないと、「いつ電話をしよう」、「またどもって失敗したら嫌だ」と、ぐずぐすしているとなかなかかけられない。強い不安が起こる前にすぐに行動を起こすのだ。どもったらどもったまでのことだ。

電話をしている最中
 電話している最中は、相手が聞き取れず、何度も聞き返されたことがある。どっちみち聞き返されるのであれば、最初からふだんよりもかなりゆっくり言う。会って話をしている時は、非言語でカバーできるから早口でも通じることがあるだろうが、電話の場合は音声だけだから、ゆっくり言ったほうがいい。電話では日常の会話よりも話す速度をかなりゆっくりとしたほうがいい。どもる私たちは、ゆっくりを意識して言うと、比較的話しやすい。ということは、どもる人間にとっては電話のほうが有利だ。
 名前を聞かれても住所を聞かれても、一音一音ゆっくり言うと相手には聞き取りやすい。込み入った説明の時は紙に書いて、それをゆっくりと読み上げるようにする。していい準備としなくてもいい準備があるのだ。また、どもって聞き直されたら、「チャンスでありがたい」と考えて、できるだけゆっくり話す。聞き返されたのだから、いくらゆっくり話しても相手は不自然に思わない。聞き返されることにびびらないで、むしろチャンスたと考えると、聞き返されることが嫌でなくなる

電話をかけた後
 世の中にはいろいろな人がいる。ひどくどもった時、早く言えとあせらせる人。ほかの人に代われと言う人。ガチャンと切る人。ゆっくりと聞いてくれる人。その人によって対応はさまざまだ。また、実際にいたずら電話の被害は世間に多いのだから、どもる人にあまり出会っていない人がいたずら電話と勘違いするのは仕方がないことだ。
 たとえどんなことが起こっても、落ち込まないことだ。だって、電話でどもっても用は果たせているのだし、用が果たせなかったら、メールでもファックスでも、直接出向いてでも、やり直しはきくのだ。電話で失敗したからといってその後の仕事がダメになるわけではない。失敗にくよくよし、いつもビクビクしていたら自分が損だ。電話するのが楽しくなるように、たくさん電話をかけて慣れていこう。

 論理療法がテーマの大阪吃音教室でしたが、吃音と電話に話が終始しました。大勢の人が、電話では本当に苦労をしていました。一方で電話のほうが楽だという人もいました。いろいろと工夫してきたことなど、電話にまつわる体験がどんどんと話されます。この後、その日の大阪吃音教室は、電話への対処方法を話し合って終わりました。

 論理療法を学んでおくと、吃音だけでなく様々な日常生活での困難への対処に役立ちます。論理療法の本はいくつかありますが、吃音をテーマとした本を紹介します。
 『やわらかに生きる〜論理療法と吃音〜』石隈利紀・伊藤伸二 金子書房

日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2020/7/30