悩む力

 間直之助にはじまり、吃音の著名人について、過去に話したことや、書いたものなどを紹介してきました。その中の一人の小説家の金鶴泳についてもう少し紹介します。クレイン社という出版社が『金鶴泳作品集』を出版したことをきっかけに、僕は再び金鶴泳に出会うことになりました。金鶴泳を特集した、日本吃音臨床研究会の月刊紙『スタタリング・ナウ』の巻頭言として書いた文章を紹介します。

      
悩む力

    日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二

 金鶴泳に再び出会うことができた。
 最初に『凍える口』を読んだ30年前とは、時代も変わり、私自身も変わったが、金鶴泳は当時のままに私の前に現れた。なつかしい時代と、なつかしい人に出会えたという感じがする。
 今の時代に、これだけ吃音に悩むことができる人がいるだろうか。吃音にこれだけ向き合える人がいるだろうか。かつて同じように吃音に悩んだ戦友に出会えた思いだった。
 吃音に悩んだ私たちのあの時代、40年前には金鶴泳や私だけでなく、吃音に悩む多くの人が、ただ吃音が治ればいいと漠然とした願望をもつだけでなく、本気で吃音を治したくて、実際に治すために必死の努力を続けた。
 私は4か月集中して、呼吸練習や発声練習、上野公園の西郷隆盛の銅像の前や山手線の電車の中での演説、街頭練習など、治したい一心で厳しい訓練に取り組んだ。金鶴泳も、日記によると、何年も呼吸練習や発声練習を続けている。
 よりよく生きたいという、森田療法でいう、「生の欲望」があり、それを阻むものとして「吃音」があったがために、治す努力にエネルギーを注ぐことができたのだろう。しかし、その治すための努力を続けることが、かえって吃音へのとらわれを深めたことになったのだが、そうでしか生きられない私たちがあったのだった。青春のほろ苦い1ページだった。
凍える口 ニュースレターの交換でしかおつきあいはないのだが、アサーティブ・ジャパンの牛島のり子さんから、「夫が金鶴泳の『凍える口』を出版します」というお便りをいただいた。出版されたら是非『スタタリング・ナウ』で紹介をしたいと返事を出すと、今度は、夫の文弘樹さんから、刊行する本の折り込みの冊子に「金鶴泳の作品に寄せて」の文章を書いて欲しいと依頼を受けた。
 喜んで引き受けたものの、一読者として文学作品を気楽に読むのと、読後感を書くことを前提に、それも本の刊行とともに公開されるという前提で読むのとは、読む気合いが違ってきた。また、30年のその後の私の吃音人生を通して読むことにもなるわけだから、正座をして読む感覚で、金鶴泳に向き合っていた。
 金鶴泳は、これでもか、これでもかとどもることの苦悩をさらけだしていく。あのように吃音に悩んだからこそ、自分を、そして生きることを見つめ、それが文学として結実していったのだろう。
 悩みから逃げて、何かで紛らわせるのではなく、悩みと向き合い、悩み切る。すると、悩みが、次に何をしていけばいいのか、生きる方向を指し示してくれる。金鶴泳には、自分の吃音の苦悩を作品として書き切ることを、長い孤独の生活を生きた私には、人とつながるセルフヘルプグループを設立することを、というように。
 悩みに向き合い、しっかりと悩む中から、悩みが指し示してくれるものはひとりひとり違うだろうが、自分自身を新しい地平に立たせてくれる。
 私はセルフヘルプグループの活動によって、金鶴泳は小説を書くことによって、吃音の悩みから解放された。
 看護専門学校の校長・鈴木秀男は、精神科医の森山公夫との対談でこう紹介している。

 「金鶴泳という小説家がいるんですが、かれはひどい吃りであったというんですね。ところが、自分の吃りの体験を小説に書いたところ、吃り自体は治らなかったのだけれど、吃りが苦にならなくなったといっているんですね。そうすると、吃ることが苦しいのではなくて、吃ることをいろいろと思い煩うこと、つまり、吃りを病気というふうにとらえるなら、吃ったら困るなとか自分が吃ることをできるだけ他人に隠したいとか、そういう吃りについて思い悩むことが病気なんじゃないか、ということになる。吃る体験を作品として書いたことによって、吃ってもいいじゃないかという気持ちになったというのですね。〜後略〜
   『心と“やまい”』 森山公夫 三一書房
「スタタリング・ナウ」2004.8.21 NO.120


日本吃音臨床研究会 会長 伊藤伸二 2020/6/29